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武田晴人[編]『日本の情報通信産業史――2つの世界から1つの世界へ』<2011年5月刊>(評者:法政大学経営学部 金 容度教授)=『書斎の窓』2011年10月号に掲載=
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更新日:2011年10月24日 |
新しい、しかし新しくない情報通信
この十数年の間、「IT」(情報技術)という言葉ほど、多くの人々によって頻繁に膾炙してきたものも少ない。情報技術、あるいは情報技術産業が我々の生活や活動に大きな影響を及ぼしたからであろう。しばしば「IT」という単語に「革命」というもう一つの単語が組み合わせられて使われる所以である。この新しい時期は、情報技術、ないし、情報技術産業を抜きにして語れないということになる。
しかし、必ずしも情報技術そのものの歴史が新しいわけではない。大雑把には、情報技術は人類の出現ほど長い歴史をもつといえなくもない。また、「IT革命」の重要な側面が情報化にあると理解すれば、「IT革命」は、1970年代より本格化した産業の情報化、つまり「ME(マイクロエレクトロニクス)革命」の延長線上にあるといえる。この産業の情報化をリードしたのが日本企業であったことを想起すれば、歴史という視点から日本の情報技術や情報産業を跡づける作業の意義もおのずと明白になる。本書のはしがきで述べられているように、「情報技術が通信機能と融合し、日常生活にまで浸透している今日の状態を理解するために、情報通信の産業的発展の跡をたどり直す必要がある」。しかし、残念ながら、長期的、歴史的な視点から日本の情報通信を取り上げた研究は数少ない。
本書はこうした研究史上の空白を埋めようとする試みの一つであり、コンピュータ産業に関心を寄せてきた経済史・経営史研究者による精力的な共同研究の結実である。情報通信産業の場合、新たな専門技術用語が頻繁に登場して使われるために、素人にとって関連文献を読みすすむことは至難であるということは、素人の評者が日本のIC産業の歴史を勉強する際に痛感したことでもあるが、本書では、コラムを設けるなど一般読者のために、この点に十分配慮している。それに、第4章で、2000年問題、年金記録問題などシステム障害による社会的な影響について指摘していることから分かるように、著者たちは、情報通信の発展の影で現れる諸問題についても目を配っている。バランスの良さの証左であろう。
二つの世界から一つの世界へ
本書の大きな問題意識の一つは、「「情報通信」と「通信」の差は何か」という問いに歴史的に答えることである。「情報処理」と「通信」という異なる二つの世界が、なぜ、どのように「情報通信」という一つの世界に融合されたか。本書の副題はこうした著者たちの問題意識を浮き彫りにしている。
1977年、当時の日本電気小林社長が「コンピュータと通信の融合」を「C&C」というキーワードで表現して以来、コンピュータと通信が一つの世界であることがごく当たり前のように見做されてきた。実際に、昨今、インターネットの登場と普及によって情報処理サービスと通信サービスが融合し、情報と通信という二つの世界が一つの世界になった。
当然ながら、「融合」があったということは、「融合」前に複数の別の世界があったことの裏返しである。確かに、日本において、通信とコンピュータは長らく別の世界として存在した。通信に関しては、制度的な障害が立ちはだかっていた。つまり、制度的に電電公社による「通信業務」の独占体制が続き、その狭い制度的な枠組みのために、通信ネットワークの利用に制限が課せられるとともに、電電のコンピュータ関連事業への展開も制約された。コンピュータに関しては、広く公衆サービスとして開かれていた通信サービスと異なり、かなりの期間、「仕事」の世界のものにとどまっていた。
技術的な障害もあった。データ入力の人為的なミスを防ぐ必要が生じ、専門スタッフではなくとも操作可能なマンマシン・インターフェースが不可欠になった結果、情報そのものを標準化するという技術的課題がつきつけられた。それに、システム開発それ自体が内包していた進化的プロセスがもつ孤立性という障害もクリアする必要があった。
これらの障害を一つひとつ克服していく過程の先に見えてきたのが「一つの世界」だった。例えば、1980年代後半、「仕事」の場では、コンピュータによる情報処理が、通信回線も利用されながら実行され、障害の一つを確実に克服する道筋が見出された。技術的努力の積み重ねは二つの世界を一つにするデジタル技術の扉を確実に通り抜けていた。その結果、情報と通信の融合による通信サービスの質的向上が実現した。
「仕事」から「生活」へ
情報通信の空間は「仕事」から「生活」へ拡大した。企業の「仕事」にその利用が限定されていた情報通信が個人の「生活」にまで浸透していったのである。これだけ広くインターネットや携帯電話が普及していることも、情報通信が「生活」空間に浸透した端的な例であろう。また、金融機関のATM設置による機械化は、「仕事」の世界でのコンピュータ利用が、生活者である顧客との接点にまで広がったことを象徴する。
本書は、こうした「コンピュータの社会化」をできるだけ簡明に概説するとともに、その多様な物語の一端を描き出している。とくに、鉄道、流通、金融、宅配など本書第Ⅱ部で取り上げられるほとんどのケースは、コンピュータが日常生活の風景になじんだ「生活」の道具になっていく世界を描写している。なお、情報通信の空間が「生活」へ広がることによって新しい通信サービスの提供などの新規参入を促すという連鎖的な成長過程にも、本書は目を配っている。
はしがきに述べられているように、「生産財」から「消費財」への展開は、耐久消費財などでは珍しいことではない。この面で、情報通信産業の歴史的経験は、他産業の発展の歴史と共通性をもつものであり、それだけ、広がりを持つものであるといえよう。
編年記述と物語紹介の織り交ぜ
本書は二つの部からなっており、第Ⅰ部が通史篇、第Ⅱ部がケース篇である。第Ⅰ部では経年的な「線」を描いて、第Ⅱ部では複数の太い「点」をつけている。ロジックを立てた編年記述と、内容豊富な物語紹介が織り交ぜられているのである。少し違う角度からいえば、第Ⅰ部は、主に情報通信の供給サイドに立って、二つの世界が一つになっていく歴史的変遷を描いているのに対して、第Ⅱ部は、主に需要サイドに立って、コンピュータが「仕事」から「生活」へ広がっていく事例を紹介している。
第Ⅰ部は、4つの章によって構成される。最初の章と最後の章はそれぞれ二つの世界と一つの世界を取り上げており、その間の第2章と第3章は、二つが一つになる歴史的なプロセスを述べている。第2章では、コンピュータと通信が出会ってデータ通信として融合を果たしたことが描かれ、第3章では、ビジネスユースだった情報通信機器やインフラがパーソナルユースに近づく過程が描かれる。
第Ⅱ部は、鉄道、鉄鋼、流通、銀行、宅配などの5つのケースからなる。それぞれの事例では、コンピュータによるサービスの質を向上させるための取組みが生々しく再現されており、とりわけ、第8章ではインタビューに基づき、オンライン・システムの開発過程が詳細に述べられる。鉄鋼を除く、鉄道、流通、銀行、宅配の四事例は、最終的に個人の「生活」空間に情報通信を浸透させるための企業の努力を取り上げており、そのうち、鉄道と銀行の事例は、情報と通信が一つの世界になる過程を具体的に述べている。また、鉄鋼メーカーがパンチカード・システム時代からもっとも先進的なクライアントを代表するという点で、鉄鋼の事例は、その後の他製造企業における生産情報システムの構築過程を先に示す面がある。
研究地平の広がりを期待して
本書は情報通信産業の現状、歴史、技術にともに明るい研究者達による力作である。研究意欲に満ちている伸び盛りの著者たちにとって、本書はあくまで一つの通過点にすぎない。本書で明らかにした内容を踏まえて、今後著者たちが問題関心をさらに広げることができれば、本書の刊行意義はもっと大きくなるだろう。すでに本書の中に、これからさらに取り上げるべき新たなポイントがいくつか提出されている。例えば、「なぜ日本では、有力な通信機器メーカーと重電機メーカーが、コンピュータ事業の担い手となりえたのか」という疑問についてはさらに踏み込んだ実証研究が必要である。また、研究開発の組織性については、通産省が推進したコンピュータ関係の技術開発が注目されてきたが、二つの世界のもう一方には、それとは別の、しかし長い歴史を持つ、通信機器メーカーと電電公社間の組織的な開発体制があり、この開発の組織性についても実証研究の空白は広い。
評者は、どの社会、どの産業においても、市場性と組織性、あるいは、市場の論理と組織の論理が絡み合っており、この絡み合いについての理解が各社会の特殊性と普遍性、各産業の特殊性と普遍性の関連を解くカギであると思っている。これは評者一人の仮説的な考えにすぎないが、このような考えに立てば、組織性と市場性の絡み合いについての国際比較や産業比較の実証分析を積み上げて、理論化していく作業が欠かせない。こうした市場の論理と組織の論理の絡み合いを実証していく上で、情報通信、あるいは情報通信産業の歴史は、極めて魅力的な検討対象であるかのように思われる。今後、著者たちの力量の発揮を大いに期待できる世界である。いずれにしても、今後、本書の筆者たちが情報通信産業の歴史とその現在的な意味について次々と独自のメッセージを発することを楽しみにしている。
(きむ・よんど = 法政大学経営学部教授)