書評 遺伝マインド | 有斐閣
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安藤寿康[著]『遺伝マインド――遺伝子が織り成す行動と文化』<2011年4月刊>(評者:総合研究大学院大学 長谷川眞理子教授)=『書斎の窓』2011年9月号に掲載= 更新日:2011年9月28日
「ものつくりのDNA」?
 遺伝子やDNAという言葉は、この10数年の間にとてつもなく多く使われるようになった。それは、2001年の最初のヒトゲノム解読のニュース以後だろうか? ヒトを作るための遺伝情報が、ともかくも粗筋ながら全部読み取られたということは、確かに大きなニュースだった。それまでは、多くの人々にとって、DNAなどという言葉は、高校の生物の授業以来、あまり縁がなかったのではないだろうか?
 それが、最近はなんでもDNAのせいにしたがる。「日本人のDNA」、「伝統芸能のDNA」、「ものつくり精神のDNA」などなど。要は、世代を超えて伝えられ、受け継がれるものはみんなDNAと呼びたがる。それが今の流行のようだ。
 文化や伝統と言えばよいところを、わざわざDNAと言う。本書の著者も始めに指摘しているように、現在の日本では、「DNA」、または「遺伝子」という言葉は、生物学上の意味だけでなく、いくつもの暗喩として使われている。このことは、それほど目くじらたてることでもないかもしれないが、一般社会における、遺伝に関する知識程度の低さを表してもいる。
 それも、無理はないのかもしれない。なにしろ、遺伝の基本法則であるメンデルの法則が生物学会に知られるようになったのが、1900年のことだ。今からたった110年前である。それ以前の時代には、遺伝の科学的知識はほとんどないも同然だった。それが、1953年にワトソンとクリックによって遺伝物質の正体であるDNAの構造が解明されて以降、知識はうなぎ上りに増加し、2001年にはヒトゲノムの解読が終わるまでの発展を見たのである。たった、100年余りにこれほど発展したのだから、正確な知識が一般にひろまっていなくても仕方がないだろう。
 生命科学の第一線での遺伝の知識の発展には、本当に目を見張るものがある。特定の遺伝子だけを働かないようにさせた、ノックアウトマウスもあれば、他の生物種の遺伝子の断片を埋め込んで発現させたショウジョウバエもある。ヒトに関しても、いろいろな働きを担っている遺伝子が次々と解明されている。そんな最先端のところは、それは一般の人々にはなかなか理解されないだろう。

遺伝現象の本質
 しかし、問題はそこにあるのではない。問題は、遺伝という現象に関する一般社会の基本的な概念が、まだまだ古いものにとどまっていることだ。そこが変わらないのに、最先端の断片的な知識だけが供給される。そのギャップが、さらに遺伝の理解をゆがめていく。今は、かなり困った状況にある。
 本書は、以前からこのことに心を痛めていた著者がていねいに書き綴った、抜群の一般向け「遺伝」解説書である。DNAの複製がどうのとか、AGCTの配列がアミノ酸を指定して…などという話ではない。そうではなくて、遺伝とはどのような現象であり、私たちが遺伝子から作られているとはどういうことなのか、遺伝現象を考える根本のところの解説である。私は、本書は、本を手に取るような人なら誰でも、すべての人に読んで欲しいと思うくらいだ。遺伝に関する古い概念を壊し、「遺伝と環境」ということをどのように考えればよいのか、かゆいところに手の届く、わかりやすい解説で教えてくれるからである。本書を高校の副読本にでも使えば、日本中の遺伝の認識はかなり改善されるに違いない。
 著者は、教育心理学者で、長年、双子の研究をしてきた。一卵性双生児は、1つの受精卵が2つに分かれてできたので、遺伝的には同一である。二卵性双生児は、2つの受精卵が同時に着床したので、遺伝的には普通の兄弟姉妹と同じだけの違いがあるが、年齢が同じだ。そこで、一卵性と二卵性を比較することにより、そして、彼らを普通の兄弟姉妹や他人どうしと比較することにより、遺伝と環境の関係を科学的に研究することができる。慶応大学における、著者らの長期研究プロジェクトは非常に有名で、多くの成果をあげている。

「遺伝か環境か」を超えて
 タイトルの「遺伝マインド」とは何か、不思議に思った人もいるだろう。しかし、著者の意図はそこに込められているのだ。著者らの研究成果は本書にたくさん紹介されており、それらは、人の心理のさまざまな側面に遺伝がどのようにかかわっているかについてである。つまり、マインド(心)の遺伝だ。しかし、その諸事実の啓蒙が本書の主眼ではない。それらを通じて著者が提唱している考え方が、本書のタイトルにある「遺伝マインド」なのである。それは、遺伝子の働きを正しく認識した上で、生き物や人間について、そして社会について考える心の持ち方を指す。法律の正しい知識に基づいて人間や社会を考えることを「リーガルマインド」と言うが、それと同じようなものだ。実に上手な命名をしたものだと感心している。
 遺伝についての大きな誤解の一つが、「遺伝か環境か」、「氏か育ちか」という2項対立の図式である。これは、生物 (人間も含めて) の性質には、遺伝的に決められているものと、環境によって作られるものと2種類があり、それは分けることのできるものだとする考えだ。そして、遺伝的なものは生まれつきであり、環境とは関係がなく、変えることができない、一方で、環境によって作られるものは、遺伝子とは関係がなく、なんとでも変えることができる、と考える。こう考えると、「遺伝」と「環境」は対立するものとなり、ある性質が遺伝的に決められたものであれば、あとで何をしても変えられないことになる。人間社会を変えようと目指している人々にとっては、人間のある性質が「遺伝的な」ものだと言われたら、どうにも変えられないことになるので大変困る。そこで、「遺伝的な」ものだなどという証拠はない、そういう研究はいかがわしいという議論になり、論争が白熱する。
 著者は、人間の認知能力などのさまざまな心理的性質について、双生児研究によって遺伝と環境の関係の研究をしてきたので、そのような誤った考えによって自分たちの研究が誤解されるという苦い経験を積み重ねてきた。そして、誤った論争に無駄に時間とエネルギーが費やされることを、なんとかただそうと努力してきた。本書は、その成果の一つの結実である。
 遺伝子は、生物を作るもとの情報だ。指がある生物には、指を作る遺伝子がある。それがどんな遺伝子であるのか、つまり、どんな指を作る情報であるのかを「遺伝子型」と呼ぶ。一方、「指」という最終産物の方は「表現型」と呼ぶ。「遺伝子型」がなければ「表現型」はできない。しかし、指という最終産物ができるには、それが成長して形成されていく場である「環境」がある。その環境しだいでは、情報としての遺伝子型が同じでも、本当にどんな表現型になるかは変わる。だから、遺伝と環境は分けられるものではなく、相互作用することによって初めて、最終産物としての表現型ができるのだ。
 そうは常々言われているものの、「相互作用によって初めてできる」、というニュアンスがなかなか実感してもらえない。著者のたとえは、最終産物の表現型を四角形の面積にたとえるものだ。一方の辺の長さが遺伝子型で、もう一方の辺の長さが環境だ。四角形の面積は二辺の積であるから、どちらかだけで決まるものではない。一辺が同じでも他方の辺の長さを変えれば面積は変わる。遺伝子型が違えば違う結果になるが、環境が変われば、たとえ同じ遺伝子型でも産物は変わる。これは、実感しやすい、秀逸なたとえだと思う。

環境は自由に変えられるか?
 「遺伝か環境か」という論争ではいつも、遺伝は運命で仕方がないが、環境は変えられる、選べる、と主張される。しかし、そうだろうか? 私はつねに疑問に思っていた。私が私の育った環境で育ったのは、私が選んだからではない。私の遺伝子を私が選べなかったのと同じに、環境も所与のものであった。しかし、環境は自由に選べると言える部分もある。本書は、この問題を取り上げて丁寧に論じているが、私の知る限り、この点を詳しく論じている本はあまりないので、これは、本書の特徴の一つである。
 著者は、環境の設計可変性という概念を導入している。私があいまいに考えていた、環境を選べる度合いの多い、少ないということを、人間が設計によって改変できる潜在的可能性を環境ごとに検討している。個人としても、社会の政策としても、改変が可能な部分とそうでもない部分があり、また、環境の改変によって結果を大きく左右できるものと、そうでもないものがある。これらを細かく検討していけば、単なるイデオロギーではなく、本当に人間の可能性を広げていく見通しも開けてくるに違いない。
 こうして遺伝と環境の双方を分析し、その相互作用を見ていくと、最後には、親からもらった遺伝子をもとにこれまで成長し、さまざまな経験を積み上げた結果として存在する、それぞれの個人をどう考えるか、新たな哲学が生まれてくる。一卵性双生児だって、本当にまったく同じ遺伝子ではない。人は誰でも、唯一無二の遺伝子の組み合わせを持って生まれてくる。その上で、環境という場の中でその遺伝子が発現していくわけだが、環境は、偶然によっても変わる。時代の制約も受ける。時代が適切な「場」を提供してくれなかったときには、その人のある遺伝子型は、うまく発現できなかったかもしれない。数ある環境の中のどれか一つを選んだとき、その選択には、その人の遺伝的傾向が影響を及ぼしていた可能性も大いにある。このように遺伝と環境が混ぜ合わさって、唯一無二の個人が、唯一無二の人生を送るのである。
 こうして遺伝マインドをもって人間や社会をながめたとき、教育や社会制度はどうあるべきなのだろうか? 遺伝マインドで考えれば、「遺伝か環境か」を超え、従来の保守と革新、右派か左派かというイデオロギーを超えた、新たな人間観に基づく展望が開けてくるはずである。

(はせがわ・まりこ = 総合研究大学院大学教授)

遺伝マインド -- 遺伝子が織り成す行動と文化 遺伝マインド -- 遺伝子が織り成す行動と文化 -- 有斐閣Insight

安藤 寿康/著

2011年04月発売
四六判 , 236ページ
定価 1,650円(本体 1,500円)
ISBN 978-4-641-17805-2

人間も生物の一種として遺伝子の影響を受けており,心身のあらゆる側面にそれが現れていると考える姿勢や態度を意味する「遺伝マインド」。環境決定論でも遺伝決定論でもない,いま求められる新しい遺伝観,そしてそれをふまえたうえでの環境と社会の見方を提示。

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