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書斎の窓

書評


『現代日本の政党政治――選挙制度改革は何をもたらしたのか

日本経済新聞編集委員 清水真人〔Shimizu Masato〕

濱本真輔/著
A5判,310頁,
本体4,800円+税

政治制度論の最新潮流

 活気にあふれる「関西政治学」から、またも政治制度論の力作が現れた――。

 本書を読み、まず脳裏をよぎったのはこんな思いだ。「関西政治学」などというくくりや呼称は聞いたことがない、見当外れだ、とお叱りを受けるなら、アカデミズムに疎い記者の不作法としておわびしたい。

 それでも強調しておきたい。ここ数年、京都大学の待鳥聡史教授を筆頭に、同じく建林正彦教授や曽我謙悟教授、神戸大学の砂原庸介教授ら関西を拠点とする政治・行政学者が意欲的な著作を相次いで世に問うている(1)

 これらに共通するのは、平成期に日本の統治構造を劇的に変容させた政治改革や橋本行革といった大掛かりな制度改革と正面から格闘する気構えだ。現場記者の視野では届かない斬新な切り口や説得的な論理で、どれも読み応えがある。

 永田町や霞が関から適度に離れているせいもあるのだろうか。政治の現場やメディアなどからの生煮えの政局情報に流されず、冷徹で堅牢な政治制度論で貫かれる点で一群の著作は際立っている。

 本書も政治改革の核心部分で、統治構造の変容に最大のインパクトを持った衆議院の選挙制度改革と向き合う労作だ。あとがきによると、大阪大学の著者も関西の気鋭の研究者たちと切り結んで頭角を現してきたようだ。醒めた筆致を含め、政治制度論の最新潮流に位置づけられるだろう。

「派閥と族」の55年体制

 戦後の1955体制と呼ばれた自民党長期政権を、本書の前史としてここで振り返る。衆院選は1選挙区の定数が原則として3〜5の中選挙区制だった。過半数獲得を狙う自民党は、どの選挙区でも複数の当選をめざして候補者を立てた。最大野党の社会党が過半数の候補者を擁立したのは1度だけ。連合政権構想もまとまらず、冷戦構造で西側陣営に組み込まれた日本に政権交代の可能性は事実上なかった。

 自民党候補の敵は野党ではない。選挙区で保守票を食い合う同じ党の候補だ。党の政策を訴えても集票にならない個人戦。中央からの利益誘導の多寡を競い、農協、建設業者、商工業者などの支持基盤を住み分けた。これが縦割り行政と一体の「族議員」の淵源となった。

 選挙区のライバル同士は口も聞かない間柄である。永田町では必ず別々の派閥に草鞋を脱ぐ。中選挙区制こそ、自民党に派閥を割拠させた構造要因だった。カネ、選挙、人事で結ばれた派閥は領袖を押し立て、総裁選を「次の首相を決める選挙」として抗争を繰り返した。

 この55年体制では、万年与党内で派閥力学が変転して起きる「擬似政権交代」が権力のガバナンスを担った。

 政治改革は88年のリクルート事件という「政治とカネ」の問題がきっかけだった。並行して日米経済摩擦や冷戦終結など外的要因も日本政治を揺さぶる。派閥と族議員に制約されたコンセンサス型政治への行き詰まり感が当の自民党中枢で高まる。カネがかかるうえ、派閥を割拠させてきた中選挙区制の改革は、自民党の分裂、細川護熙非自民連立政権の誕生を経て実現した。

 定数1の小選挙区を中心とする選挙制度改革は政党政治のゲームのルールの大転換となる。与野党で政権交代が起きやすい仕組みにして政党間競争を促し、権力のガバナンスを有権者の政権選択に求めたのだ。政権選択は「政党枠組み、政策体系、首相候補」を三位一体で選ぶと想定され、選ばれた首相が派閥力学や縦割り行政を乗り越え、強力なリーダーシップを発揮しうる政治が期待された。

「強い首相」の現実化

 80年代から現場取材を続ける評者が、改革後に見て取った政党政治の変容は次のようなものだ。

 1人しか当選できない小選挙区で党内同士討ちはなくなった。候補者には派閥の支援より党の公認が死活問題となった。バブル崩壊で領袖の資金パイプが細る中、税金を原資とする政党助成金制度も導入され、選挙でもカネでも求心力は派閥から党首・党執行部に移行した。

 政党中心の選挙の「顔」として、党首の存在感が飛躍的に重くなった。自民党は最初の小選挙区選挙を控え、派閥領袖ではなく、世論調査で人気の高い橋本龍太郎首相を選ぶ。橋本首相がトップダウンの政策決定の演出に腐心し、首相主導の補佐体制を強化する行政改革に突き進んだのは必然だった。

 21世紀に入ると、小泉純一郎首相が「自民党をぶっ壊す」と宣言し、派閥を完全に無視した閣僚人事など「強い首相」を演じ切った。2005年には「郵政民営化に賛成か反対か、国民に聞いてみたい」と衆議院を解散した。党公認候補は民営化論者で統一し、二者択一の政権選択を有権者に迫って大勝した。

 小泉後は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3人の首相が次々に1年で倒れ、民主党に政権交代。だが、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人の首相もいずれも1年で倒れていく。自民党を復権させて再登板した安倍首相は、野党が政権選択の受け皿として態勢を立て直す前に、小刻みな衆議院解散・総選挙を繰り返すことで長期政権を築いた。

 小泉氏と安倍氏は選挙制度改革等による派閥の衰えと「政党の集権化」の土台に立ち、ともに解散権や人事権を最大限に駆使して政権を主導する「強い首相」を現実にした。むしろ解散権の行使は政治改革に対する「過剰適応」の様相を呈し、野党の混迷とも相まって、政権選択による権力のガバナンスが機能不全になりかけている。

重み増した「政党ラベル」

 こんな観察に対し、本書は調査・集計データを駆使して選挙制度改革による議員行動、政党組織、党内統治の変容を多角的に検証する。第1の主張は「議員行動、政党組織におおむね想定される方向への影響を及ぼし、政治過程を政党中心に変化させた」ことだ。

 例えば、個別の選挙区を超えた全国的な得票の変動(スウィング)が当落を左右する度合いが高まっている事実が集計データから導かれる。つまり、ラベルとしての政党の重みは増した。

 半面、議員個人の集票組織は規模縮小の傾向にある。後援会の加入者は90年代から減少し、利益団体に組織化された有権者の比率も低下した。有権者の代表観を見ても、地元利益より国政課題を重んじて投票する人が増え、無党派層も個人より政党重視で投票する流れだ。

 ただ、議員の選挙区活動は鈍っていない。「政党ラベル」が逆風で不利に働く時は、個人戦で生き残るためだ。

 首相の閣僚人事権の行使を見ても、改革後は「首相、総裁権限の強化と派閥の結束の弱まり」を裏づける形で派閥均衡型の比例配分から、主流派優遇人事が強まっている。当選回数に基づく年功序列も緩み、民間人登用や若手ばってき人事が恒常化した。党首の自由裁量権が強くなって「当選回数を重ねても入閣できない事例が増えている」のは昨今の取材現場での実感とも見合う。

 族議員の変容も目を引く。「5位までに入れば勝ち」の中選挙区制では、特定分野の政策と業界に精通することが「票とカネ」につながった。改革後も農林、国土交通、商工、厚生労働など自民党政務調査会で人気の部会は同じだが、複数をかけ持ちする事例が増えた。議員側の「仕切られた利益の代表からより広範な利益の代表へ」の変化は縦割り行政の垣根を押し下げる。

政策決定はなお分権的

 本書は第2の主張として、選挙制度改革が「政党政治の帰結を限定するほどには作用していない」と、その限界にも目配りする。

 自民党では、選挙過程は公認を軸に「議員個人や派閥が担っていた機能を地方組織や党本部が担う方向へ」と集権化が確実に進んでいる。

 半面、政策決定過程は、内閣が国会に提出する法案を政務調査会や総務会が事前に審査し、時に与党として拒否権を発動する「分権的組織慣行」が存続している。政党の集権化は貫徹していない。

 小泉首相や安倍首相のトップダウンの政策決定は「党側の権限縮小ではなく、首相官邸側の機能強化という形で進められた」と本書は説く。2000年代に入ると候補者選定で公募制が広がったが、政策面でのスクリーニング効果は低い。選挙前に政党の政策を明示するマニフェスト(政権公約)試行後も選挙で独自の持論を展開する候補者は多く、「約束型の政党政治が定着している度合いは低い」と分析する。

 自民党の一体性確保のカギは、選挙後に内閣が練り上げる政策の与党事前審査制とセットで、国会の採決での厳格な党議拘束が当然視されていることだ。政策決定過程をめぐっては「選挙制度の規定力はかなり弱い」という。むしろ厳しい党議拘束を前提とする国会のあり方が強い影響力を及ぼしていることが示唆される。

不安定な改革の帰結

 政党の集権化は進んだが、まだら模様。政治改革が想定したのは、議員が政策をめぐってまとまりを見せ、党首の強力なリーダーシップで政策決定を推進する政党政治像だが、本書は「それは一定の条件の下に成立する、1つの帰結に過ぎない」現実を説く。想定外の複線的な政治過程が生じており、「特定の帰結が安定的になるには至っていない」。これが第3の主張だ。

 政党に追い風が吹き、選挙に有利な限りは党首の下に結集しやすくなっている。だが、風向きがひとたび逆風に変わり、重みを増した政党ラベルが選挙に「負の影響」を及ぼす状況になって、それでも党首がトップダウン型の党運営や政策決定を押し通そうとするなら「党内対立を誘発しやすく、造反や離党行動が頻発」しがちとなる。

 本書では触れていないが、この分析から小泉首相と再登板後の安倍首相の狭間で、1年であえなく倒れた6人の首相の大半の事例が説明できそうだ。

 同じ小選挙区制下なのに、彼らは公認権や政党助成金の配分権、さらに解散権や人事権で与党内をまとめられず、政権を投げ出すか、選挙に敗れて退陣した。それは、この党首では次の選挙に勝てない、という党内世論が臨界点に達してしまうと、議員は個人戦に回帰するだけでなく、倒閣運動や新党結成に走るほうが合理的と考えられたからだろう。党首ラベルの負の効果だ。

 「強い首相」2人を見ると、内閣支持率40%が「政権維持の岩盤」だ。短命の6人の首相のほとんどは、この水準を大きく割り込んだ支持率が回復しそうもない、ゆえに「選挙の顔」として期待できない、と党内から見切られ、求心力を失った。私見では、支持率下落の背景として、参議院で与党が少数派に転落した衆参ねじれ国会で政策決定が停滞したことも鳩山氏を除けば共通していた。

 本書は小選挙区制下で自民党に対抗するために結集・合併した旧民主党が「政策の一致よりも集票、政権獲得目標の追求に傾きやすく、構造的に凝集性を高めにくい状況」にあったと喝破する。

 政策の一致や党への忠誠心に乏しい中、旧民主党政権が与党政策調査会の廃止や内閣への政策一元化などの集権化路線に動いたのは、「政党を維持するうえでのコストが最も高いパターン」だったという。今後の野党への示唆に富む。

問題としての「政党」

 「個人から政党へと問題解決の担い手を移したところ、今度は政党が問題になったといえなくもない(2)」。

 本書で引かれるこの一文は、政治改革に深く関わった佐々木毅・東京大学名誉教授の1999年時点での述懐である。

 選挙制度は立法で変えられたが、主役となるべき政党の組織や行動はほぼ全て自律と慣行に委ねられている。だからこそ、同教授は政党の自己改革に執拗にこだわってきた。政党の何が変わり、何が変わっていないのかを緻密に分析した本書は、その問題意識を正統に継承する一冊、とも言えそうだ。

(1)例えば、待鳥聡史『民主主義にとって政党とは何か』(ミネルヴァ書房、2018年)、建林正彦『政党政治の制度分析』(千倉書房、2017年)、曽我謙悟『現代日本の官僚制』(東京大学出版会、2016年)、砂原庸介『分裂と統合の日本政治』(千倉書房、2017年)など。

(2)佐々木毅「政治改革とは何であったのか」佐々木毅編『政治改革1800日の真実』(講談社、1999年)26頁。

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