連載
新・民法小説 第5回
東京大学法学部教授 大村敦志〔Omura Atsushi〕
第9話 本当の民法小説?
1 12月――街路樹のイチョウは散り始めたが、その代わりにイルミネーションが点灯され、夜の街は華やぎを見せている。日本のイルミネーションは一色に統一されているものが多い。たとえば、この通りだってそうだ。シャンパン・ゴールドの光の中を歩くと、心が弾む。あちこちにカップルの姿が目立つが、一人歩きも十分に楽しい。
暁月は、6時過ぎまで研究室で勉強していたが、きりのいいところでPCを閉じて机の上を片づけ、大学の裏門から坂を下りて地下鉄に乗った。東京駅近くの大きな書店に行って、ニューヨークに住む姉夫婦にプレゼントする絵本を探すつもりだ。目的地に直行するなら正門から出て別な路線の地下鉄に乗った方がいい。でも、その前に、有名なイルミネーションを見ておこうと思ったのだ。
左右にショップの並ぶおしゃれな通りを進むと、ひときわ大きな交差点に出た。右手にライトアップされた東京駅、左側は少し暗いけれど皇居に続くはずだ。目指す書店は、東京駅の丸の内北口に建つビルの中にあるが、京都に住む叔父さんも話していた老舗書店だ。もっとも昔からの店舗ではなく、このビルが建ったときにできたらしいが、いまでは日本橋の旧本店に代わってこちらが本店になっている。
明治時代、東京には路面電車が走っていたが、当時のT大生は新着の洋書を求めて、この電車を使って日本橋の洋書店に向かったのだという。いくつか違う会社の電車が走っており、本郷から日本橋に行くには、途中、須田町というところで乗り換えが必要だった。「日本橋はともかく、須田町なんて聞いたことないでしょう?」と言いつつ、この話をしてくれたのは、助教の黒岩雄介だった。
2、3日前に暁月は黒岩と一緒にお昼を食べたのだが、その時に、絵本を選ぶのによい書店はどこかしらと尋ねた。夕方から出かけるなら、表参道の専門店か東京駅北口の大型書店にするといいよ。黒岩はそう勧めてくれた。専門店の方は少し場所が分かりにくいというので、暁月は、黒岩さん、できれば一緒に来てもらえますか、と頼んでみた。黒岩の顔には困惑の表情が現れた。そう思った暁月は、あわててフォローした。あっ、大丈夫です。わかりやすい東京駅の方に行きますので。さすがに図々しかったようだ。
お目当ての書店では、クリスマスが近いからだろう、プレゼント用の絵本コーナーが特設されていた。よかった、ここに来て。暁月は平積みされた絵本を一通り眺めた。そこには、『クリスマスを探偵と』という絵本もあった。黒岩がプレゼント向きではないか、と推薦してくれた絵本だった。著者は法学部出身の人気作家だそうで、黒岩によると、法学部らしい発想で書かれているという。どこが法学部らしいんですか、と尋ねてみたが、あまり言うとネタバレになるから……ということで、それ以上の説明はなかった。
どんなストーリーなのか、暁月は興味を持ったが、パラパラとめくってみると絵が少なく文章が多い。暁月が姉に贈りたいのは、小さな子どもも楽しめる文字の少ない絵本だ。年明けに、姉夫婦には赤ちゃんが生まれる。赤ちゃんを待ちながら、夫婦で絵本を手にとってほしい。暁月はそんな思いで本を探した。迷った末に暁月は、『かわいいおとうさん』という本を買った。
2 花村教授は、助教の黒岩を研究室に招じ入れ、椅子を勧めてコーヒーを淹れ始めた。廊下でばったり出会ったのだが、ちょっと雑談でもしようと思って誘ったのだ。
「黒岩君、論文執筆中なのに、じゃまをして悪いね」
「いえいえ、お誘いいただいて、ありがたいです」
「ちょうど、年内最終の教授会が終わってね。ほっと一息というところに、君が通りかかったわけだ」
「そうですか。それでは来年度の時間割も決まったんですね。来年度は、ゼミは何をされるんですか」
「来年はT大でのゼミはないんだけど、O大でまたやる予定なんだ」
「『法と文学』ですか?」
「まあ、そんな感じ」
「先生、そこに『かわいいおとうさん』という絵本が置いてありますが、まさか『法と絵本』じゃないですよね」
「さすがにそこまではね。フィリップ・マロリー先生は『法とオペラ』という本を出すって、いつかおっしゃっていたけどね、私にはそれほど才覚はないなあ。『法と絵本』にせよ『法とオペラ』にせよ、まあ、将来、君が書けばいいよ」
「この絵本の作者は、先生のお好きな作家ですよね。たしか先生のご著書の最後にも取り上げられていたと思いますが。それで、あの本のパート2になるゼミを、絵本を使ってされるのかと思ったんです」
「なるほどね」
「先生は、今年のゼミで漱石や鷗外を挙げて、日本にも民法に関連する小説があるとおっしゃっていましたが、先生が前のあの本で取り上げていた作家たち、漱石に谷崎、大江健三郎、村上春樹、あとは誰でしたっけ、いずれにしても、これらの作家たちは、ある意味で『民法小説』を書いたと言うこともできますよね」
「あとは尾崎紅葉と石坂洋次郎」
「そうでした。『金色夜叉』と『青い山脈』ですね」
「確かに、日本の作家たちは家族を題材とする小説を書き継いできた。そこにはそれぞれの作家たちの家族観が表れるとともに、時代の家族観が反映している。そして、家族観の変遷の背後には、家族法の変遷がある。そう考えると、『家族小説』は『民法小説』だとも言えるね」
「先生がこの間、コピーをくださった『明治民法と民法小説』という論文で、たしか、2番目の系列の『民法小説』と『金色夜叉』とが対比されていたと思いますが、『金色夜叉』こそが小説らしい『民法小説』だったとも言えますね」
「そうだね。民法典の制定に触発されたものだけを『民法小説』と呼ぶという枠を外せば、そうなるね。話はちょっとずれるけれど、法に直接言及しない思想家にも法思想家と呼べる人がいるということにもなるね」
「しばらく前の、先生のエッセイのテーマですね。そうすると、狭義の『民法小説』には財産法の問題を扱ったものはなかったとしても、広義の『民法小説』を考えるならば、話は違ってきますか?」
「う〜ん、いい質問だね。君は、Y閣のユン・ソラさんって会ったことがあったっけ」
「この前、仙台の学会の時に、Y閣の方から紹介していただきました」
「あっ、そう。実は、彼女から同じような質問をされてね。今週末にでも、君と彼女宛にメールを送るよ。君もそろそろ研究室に戻って、論文の続きをやった方がいいだろう?」
「そうします。ごちそうさまでした。それではメールをお待ちしています」
3 散歩から帰った花村は、勝手口にステッキを置き、台所から中廊下を抜けて書斎に入った。妻に脇を支えられながら家の裏にある公園を1時間ほどかけて歩くのが、休みの日の日課だ。里山の地形を残したままの自然公園なので、アップダウンがある。大きな広場で一度、細長い池のほとりでもう一度、休みをとりながらようやく一周りするのである。春には広場の桜が満開になり、秋には池に沿って植えられたモミジが紅葉する。木の葉が落ち始めると、代わって目立つのは様々な野鳥たちだ。
いつもなら日曜日は次の週の講義ノートを作っているが、幸い来週はもう授業がない。久しぶりにゆっくりと過ごすことができる。もっとも年内最後の競馬レースを見なければならない。花村は若いころからの競馬ファンで、在外研究中にもロンシャンやエプソムを訪れた。日本の競馬場に足を運ぶことは少ないが、テレビ観戦は欠かさない。中継の始まる3時までにはまだ少し時間がある。花村はメールをいくつか書いてしまうことにした。
「ユン・ソラさま
cc黒岩雄介さま
中国から戻ってきたあと、年末の雑用に追われて、メールを書く時間がありませんでした。財産法の改正はなぜ国民の関心事になりにくいのか。ユンさんのご質問にお答えしようと思いつつ、時間がたってしまいました。
ところで、民法の助教に黒岩くんという人がいます。ユンさんとは仙台で会ったと聞きました。先日、彼との間で、日本には「家族(法)小説」はあるが「財産(法)小説」はないという話をしました。以下のメールはこの話とも関連するので、黒岩くんにも同報の形で送ります。
確かに戦前(1945年まで)の日本には、財産法に関する小説は少ないかもしれません。『金色夜叉』のように金貸しの話があるほか、貧しい農民がダム建設によって土地を奪われる石川達三『日蔭の村』(1937年)などがあるぐらいでしょうか。戦後の消費社会が到来するまで、財産法というのは貸主・地主(金融資本・土地資本)の支配の道具として使われることが多かったからでしょう。このことは星野英一先生も指摘しています。
戦後になると、「家族小説」のほかに「労働小説」が増えます。労働問題が大きな社会的関心事になったことを反映していることは言うまでもありません。前述の石川達三には『人間の壁』(1958年)という作品がありますが、1960年代・70年代に流行していた作家でいえば、三島由紀夫の『絹と明察』(1964年)や高橋和己の『我が心は石にあらず』(1967年)などがその典型例でしょう。それ以外でテーマになりやすいのは不法行為でしょうか。ややノンフィクション的かもしれませんが、公害・環境問題が騒がれた時代には、石牟礼道子の『苦海浄土』(1969年)や有吉佐和子の『複合汚染』(1975年)などが広く読まれました。
その意味では、不法行為法(財産法)に関する小説はなかったわけではありません。そして、この種の小説が読まれた時代には、たとえば公害訴訟はメディアにおいても大々的に取り上げられていました。つまり、一般の人々の不法行為法への関心もとても高かったのです。同じような状況は、その後は消費者法(これも財産法の一部でしょう)について生じました。1980年代にはサラ金被害が問題になり、2000年前後には、食品偽装やリコール隠しが問題になりました。小説でいえば、宮部みゆきの『火車』(1992年)や池井戸潤の『空飛ぶタイヤ』(2006年)などがあります。
これに対して、契約法や債権法はどうでしょうか。消費者契約を別にすれば、なかなか一般の人々の関心の対象とはなりにくい。このことは、簡単に想像できるでしょう。だからこそ、というのは、少し変なのですが、債権法改正の際には、マス・メディアは「消費者保護が図られた」という報道をしました。債権法改正によって「消費者保護が図られた」かと問われれば、ほとんどの民法学者はそんなことはない、と答えることでしょう。しかし、新聞は消費者保護と書かなければ、一般読者の関心を引くのは難しいのです。
では、契約法や債権法はなぜ一般の人々の関心の対象とならないのでしょうか。この点は、現代日本において「民法」というものをどのように位置づけるかという大きな問題にかかわってきます。だから簡単に断ずることはできないのですが、さしあたり、私は次のように考えています。
大正デモクラシー期以降の民法学は、家族問題のほかには、まず小作問題・労働問題に関心を寄せ、続いて戦前戦後を通じて住宅(借地借家)問題に、1960年代・70年代には公害問題に、そして80年代・90年代には消費者問題に関心を寄せてきました。つまり、20世紀の民法学は「社会問題の民法学」だったのです。ところが、21世紀に入ってからは状況が変化しています。いくつかのトレンドを抽出することができるのですが、その一つが市場整備(創出)のための民法学です。そこで論じられるのは、一般の人々の日常生活からは遠い(関連性が理解しにくい)抽象化された法理であることが多い。たとえば、将来債権の譲渡などというのが、その典型例です。
こうした問題に対応するために民法を改正し、人々にとってより関心の高い問題――消費者問題はその一つです――については、民法の外で対応するということになると、民法改正はもはや国民一般の関心事とはなりえない。ある意味で、それは当然のことかもしれません」
ここまで書いて、花村は送信しようとしたが、最後に次のように付け加えた。
「もっとも、今回の債権法改正は国民一般の関心の対象とはなっていないかもしれませんが、経済界ではそれなりの関心がもたれています。それはそれで結構なことだと思いますが、それだけでいいのか。一般の人々が関心を持つのが難しいとしたら、どうすればよいのか。この点についてはさらに考えてみる必要があります」
そろそろ競馬中継が始まる。あとは年明けにしよう。花村は送信ボタンをクリックした。
第10話 何のための法学か?
1 左右に花屋がある霊園の入口を入る。すぐ右に渋沢家の墓地がある。大きな敷地は塀に覆われていて外からは見えないが、この中に穂積陳重・重遠親子の墓がある。少し進むと右手に小さな公園がある。かつてはここに五重塔があった。そんなことを話しながら、大通りをゆっくりと進む。着物姿の3人連れのご夫人方、続いて、4、5人の若者グループとすれ違う。一方はご朱印帳を、他方は地図を手にしていた。反対周りで上野に向かう人々だろう。今日は月曜日で大学の授業もすでに始まっているが、正月三が日ほどではないものの、七福神めぐりの人々の数はまだかなり多い。
七福神めぐりは花村ゼミの恒例行事だ。午後2時ごろにキャンパス内の大講堂前か重要文化財になっている門の前に集合、まずは大学病院の脇を抜け、大通りの向こうの池の中の島にある弁財天にお参り。そのあと、鷗外旧居を左に見て坂を上り、東京藝大近くの大黒天へ。これから向かうのは3つ目の毘沙門天だ。少し前までは鶯谷の駅の向こうに降りて団子を食べて一休みしていたが、最近は休みはなしで、霊園の中を引き返して寿老人に向かう。
冬の陽が落ちるのは早いので、谷中銀座の途中を折れて細い通りを通って、5番目・6番目のお寺に着くころには暗くなり始め、少し寂しい雰囲気が漂う。そこから福禄寿を祀る7つ目のお寺までが遠い。最後のお寺から出てくるのは5時ごろ、あたりはかなり暗くなっている。北風に吹かれて寒さが身に染みるが、我慢してゴールインの集合写真を撮る。その後は新年会だ。このあたりはかつては文士村と呼ばれたことなど、話して聞かせたいことはいろいろあるが、ともかく暖かいところに落ち着きたくなる。
2 「いらっしゃい」という声に迎えられて、学生たちは順番に狭い玄関に入っていく。最後に花村がドアを閉めた。今年はゼミ生のほか、Y閣研修生のユン・ソラも参加している。助教の黒岩を加えて総勢11人。部屋の角にソファーが2つ置かれているが、全員はとても座りきれない。花村は食卓の椅子を持ってきて、何人かを座らせた。
「狭いところで申し訳ないね。まあ、我慢してください」
「皆さん、寒かったでしょう。今日は風も強かったし」
「先生、いつもお宅で新年会、やるんですか」
「紅谷君、質問は後回しにしてさ、ともかく乾杯しよう」
「乾杯!」
「新年おめでとうございます」
「テーブルの上のお鍋におでんがありますから、皆さん、適当にとって食べてください」
「紅谷君、新年会をやるときには、いつもおでんなんだよ」
「新年会じゃなくて、忘年会の年もありますよね」
「黒岩君の言うように、忘年会をやる年もあるね」
「前年度はカレーの会でした。年越しそばだった年もあります」
「年越しそばって、どんなおそばですか?」
「大みそかに食べるおそば、でも普通のおそばよ」
「ユンさん、韓国では大みそかに食べるものってないの」
「どうでしょうか。お正月にはありますけど」
「雑煮みたいなものがありますよね。ご馳走になったことがある」
「先生、私の故郷ではやっぱり餃子です」
「東北地方はやっぱり餃子か。ところで、ユンさんや鄧さんは、正月には帰国するの?」
「帰りますけど、旧正月なので今年は2月初めです。ユン先輩もそうですよね」
「中国や韓国はそうだね。新暦でお正月を祝っている国では、韓国みたいに年明け早々に司法試験というのは、ちょっと厳しい」
「先生、そういえば、日本では今年から法科大学院の入試制度が少し変わりましたよね」
「ユンさん、その話は長くなるから、少し食べてからにしましょう。みなさん、どんどんおでんを食べてください」
3 若い人の食欲はすごい。大鍋いっぱいだったおでんがもうほとんど残っていない。おでんの湯気と大勢の熱気でガラス窓も曇っている。法科大学院の話など最初は多少難い話が続いたが、例によってムードメーカーの紅谷が年末の紅白歌合戦のことを話題にしたところから、アジアの芸能人の話で盛り上がった。花村もテレサ・テンや李香蘭の話をした。テレサ・テンはともかく李香蘭は知らないだろうと思ったが、白川彩香が知っていて、満映のことなど話題にしたのには驚いた。
その白川彩香が花村の研究室を訪れたのは、七福神めぐりから10日ほど後、センター試験の終わった次の週のことだった。学年末の試験を控えて学生たちは忙しい時期だが、進路のことで相談したいことがあるというので、研究室に来てもらったのだ。
「やあ、白川さん、進路の相談でしたよね?」
「はい、そうなんです。学年末のお忙しい時期にすみません」
「いや、それは構わないんだけど、白川さんは法科大学院への進学が決まったって言ってなかったっけ」
「おかげさまで、試験には合格したのですが、ちょっと迷っていることがありまして……」
「法科大学院への進学を止めるということ?」
「いえ、そうではないんですが、休学して留学しようかと考えていまして」
「いつから、どこに行きたいの?」
「実は、私は将来は、法整備支援にかかわる弁護士になりたいと思っているのですが、先生のゼミに出させていただいて、これからの法整備支援は立法や法曹養成だけでなく、国民の法意識を高めることが大事なのではないかと考えるようになりました。そして、そのためには、日本や韓国・中国などの法学教育の歴史、というよりも、何と言えばいいのでしょうか、法の普及のための試みを歴史的に検討する必要があるのではないかと感じています」
「なるほど、それはわかったけど、それで法科大学院を休学して、どうしようというの?」
「韓国や中国のことを勉強するには、やはり現地に行くのが一番いいと思うのですが、どうでしょうか」
「それはそうだろうけど、韓国語や中国語はできるの? それと、中国はともかく、韓国は新年度がもうすぐ始まりますよね。手続きはもう終わっているんじゃないの?」
「中国語は、子どものころに2年ほど北京にいましたので、少しできます。ゼミの鄧さんとは中国語で話すこともあります。韓国語は、後期になってから、鄧さんの友だちの朝鮮族の人から教わっています」
「なるほどね」
「この間、ゼミの新年会に来ていらしたY閣のユンさんも、以前に鄧さんに紹介していただきました。新年会の帰り道、ユンさんと方向が一緒だったんですが、留学のことをちょっとお話したんです。そうしたら、2、3日後にメールをくださって、ユンさんの母校のS大学は、日本や中国との交流を重視していて、夏休みに日本人を受け入れる短期留学のプログラムがあるとおっしゃるんです。まだ十分に調べていないのですが、もし可能ならば、ソウルに2ヵ月留学し、そのあと、9月から半年間北京に行けないだろうかと思い始めています。まだ、迷っているんですが、もし、留学するなら、韓国も中国もすぐに手続きを始めなければならないようです。それで、先生にお話を伺ってみようと思って、面談のお願いをいたしました」
「S大に行くなら、北京のR大に留学するルートがあるかもしれませんね。S大とR大との間には交流プログラムがあるはずだから」
「そうなんですか。知りませんでした。先生はよくご存じですね」
「教え子の一人が、S大の教授になっているんでね」
4 白川彩香の相談は悩ましい内容だった。韓国や中国の法学教育(あるいは法教育)の歴史を研究するというのは、それ自体は興味深いテーマだと思う。もっとも、本格的な歴史研究を行うとなると、短期留学の間に片づくような話ではない。また、新年会の折にも話題になったが、日本の法科大学院、韓国の法科大学院は、それぞれ何を目指して設立されたのか、両者の違いはどこにあり、その原因はどこに求められるのかといった現状分析も必要だろう。
日本では法科大学院を創ったのになぜ法学部を廃止しなかったのか。ユン・ソラが一番関心を持っているのは、この点らしかった。より正確に言えば、韓国では法学部を廃止したのは法科大学院を設けた大学だけだ。だから、法科大学院を設けていない大学の法学部はいまでも存在し続けている。しかし、法科大学院を持つ全国の有力大学に関していえば、法学部は廃止されたということになる。これに対して日本では、T大もそうだが、法学部と法科大学院は一つの大学に並存している。
確かに、この点は重要な点だ。マーサ・ヌスバウムは人文学を擁護する著書の中で、韓国の「法学部廃止」を挙げて、人文学重視に舵を切った例であるとしていた。ヌスバウムは花村が好きな著者の一人であるが、この議論は十分に説得的だとは思えない。本当にそう言えるかどうか、韓国の現状をきちんと理解して議論する必要がある。たとえ短期留学であっても、このくらいのことは調べられるかもしれない。その意味では白川彩香がソウルに行こうというのは、悪いことではない。
韓国が法学部を廃止したのに対して、日本では法学部廃止論には反対が強く、結局、法学部は存置されることになった。その背後には近代社会において、法学部が果たしてきた役割に対する認識の違いがあるようにも思われる。この点を明らかにするというのも、なかなか時間のかかることで、短期留学ではとても無理だろう。じっくりと腰を据えて、日韓の大学史・法学部史を研究する必要がある。もっとも、将来に備えて短期留学をしておいて、韓国の社会を体感しておくこと自体は有益なことだろう。
問題は中国の方だ。少なくとも花村にとっては、こちらは韓国よりも難しい。現代中国における民法典制定の経緯、法学教育・法曹養成の現状、国民の法意識、そして政府が推奨する「文明」「法治」などの基本価値。どれをとっても日本との比較のためには、正確な知識を蓄積することと適切な分析軸を設定することが必要になるが、どちらも容易なことではない。さらに言えば、補助線として台湾についての理解が有益であるが、そうなると勉強しなければならないことはさらに増える。歴史によせ現状にせよ、今日では日本の中国法研究にも厚みが出てきているので、まずは日本国内で勉強をしてから留学する方がいいのかもしれない。また、明治日本について理解を深めることが、実は、現代中国を理解する上で役立つという面もある。
5 小一時間、こんなことを話した後で、花村は付け足した。
「まあ、中国や韓国に関心があるならば、留学してみるというのは、それ自体、いいことだと思いますよ。欧米だけでなくアジアのことを知っている法律家は、これからますます必要になるでしょうし。ただ、繰り返しになるけれども、いまおっしゃっていた研究を、短期留学中に完成させるのは無理でしょうね。でも、研究計画そのものは素晴らしいと思います。諦めるのはちょっともったいない」
「短期留学中に研究を完成させるというのは無理だろうと、私も思っています。今回は第一歩ということで、また将来、機会があれば、より本格的な研究にチャレンジするつもりです」
「機会があれば、というのは、法科大学院終了後に研究者の道を選ぶことも考えている、ということですか?」
「実は、その点も先生にご相談したかった点です。私は法整備支援に関心を持っており、そのために働ける弁護士になりたいと思ってきました。ですが、最近では、今日お話ししたような問題に関心があり、それらについて研究したい。それは日本を含むアジアの国々の将来にとって、意味のあることではないか。そう思い始めてもいます」
「実務と研究のどちらにも関心がある、ということですね」
「はい。その場合に、どちらか一つを選ばなければいけないんでしょうか」
「それは難しい問題ですね。実務家でありつつ研究を続けることは不可能ではない。あるいは、研究と実務を往復することも不可能ではない。個人的にはそう考えていますし、そう考える人が増えてくることが望ましいと思っています。ただ、現時点でそうした道を行くことは、そう簡単なことではない。口で言うのは簡単ですが、トレーニングの面でもキャリアの面でも実際にはなかなか難しい。パイオニアになるという気持ちを持って、困難に立ち向かう必要がありますね」
「わかりました。留学のこととは別に、将来についてはもう少し考えてみます。今日はありがとうございました」