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書斎の窓

連載

市場ゲームと福祉ゲーム

第6回 合理という権力

東洋大学ライフデザイン学部教授 稲沢公一〔Inazawa Koichi〕

 世界の始源を問うとき、すなわち、すべてはどのようにして立ち現れたのかという問いを突きつめるとき、創造主を仮定するかどうかにかかわらず、「A=非A」といった超論理が現れ、合理が成り立たなくなる地点にたどり着く。この超論理は、繰り返し見てきたように、福祉ゲームのルールである「A→非A」を直接的に支持し、さらには、ここから市場ゲームのルール「A→A+α」もまた間接的に導出されるのだった。

 ところが、いくらゲームのルールは無根拠であるといっても、非合理をルールの出自に位置付けることは、人々を納得できない状態におくことになり、過剰な緊張感とともにある種の不全感をも強いることになってしまう。もちろん、そういう状態を自覚するからこそ、人々は、非合理と向き合うための宗教や思想といったものに、全力をあげて取り組んできたのだといえる。

 逆にいえば、非合理を目の当たりにするからこそ、合理の光に照らされることのない暗闇への跳躍にも似た信仰が求められたり、「すべては、ゼロである」などといった極北の思想が語られたりした。いずれも、合理に収まりきらない現実をそのまま生きていくための手立てなのであった。

 では、合理を出発点におくとき、どのような事態が生じるのであろうか。

1 「歩かせていただく」

 日常で耳にすることはあまりないのだが、「お山を歩かせていただく」という言い方を口にする人々がいる。ここにいう「お山」とは、奈良県の金峯山(吉野から南の山上ヶ岳までの連峰の総称)を指す。また、こうした表現を口にする人々とは、修験道の本山であるきんせんにかかわる行者(山伏)たちのことである。

 修験道とは、古来の山岳信仰に密教的な要素が加味されて、山林での修行を中心とする日本独自の宗教であるが、吉野の金峯山寺は、修験道の開祖とされる役小角が山上ヶ岳にて感得した蔵王権現を本尊としている。

 飛鳥時代に活動していた役行者については、数々の伝承が平安時代から江戸時代にいたるまで綿々と作られてきた。その最初の記載は、死後百年頃に編纂された正史『しょくほん』に残されており、妖術で人々を惑わしたとのざんげんにより伊豆大島へ配流されたとのことである。また、その約20年後に書かれた『日本霊異記』では、まさに仙人として大空を飛びまわり、海の上を陸地のように歩き、鬼神を自在に使役することができたと伝えられている(銭谷武平『役行者伝記集成』)。

 さらに、役行者と蔵王権現との結びつきについては、平安時代末期の『今昔物語集』で初めて簡単に触れられているが、その後、室町時代の初期に書かれた『金峯山秘密伝』になると、役行者が金峯山にて一千日の厳しい修行を重ね、濁世に魔をごうぶくして下さる仏尊の示現を祈ったところ、まずは釈迦仏、次いで千手観音菩薩、さらには弥勒菩薩が現出した。だが、いずれもこの悪世にはふさわしくないと申し上げると、最後に蔵王権現が激しい忿怒相で、怒髪天を衝く姿にて盤石より忽然と湧き出たという(藤巻一保『役小角読本』)。

 このように修験道の本尊である蔵王権現は、山上ヶ岳の頂上近くにある岩盤から湧出したと伝えられている。ここから修験道では、金峯山という「お山」そのものが権現という神様の身体であると考えられてきた。したがって、「お山」を歩く抖擻とそうは、神様の身体の上で行われるものということになり、行者が自分勝手に歩くのではなく、お許しを頂戴して「歩かせていただく」ことになるわけである。

2 「可畏かしこき物」

 このように、山そのものをご神体と捉える一つの例を見てきたが、日本では、山岳を神仏の宿る場所と捉えて畏敬の念をいだき、あるいは、死者の霊が集う山として信仰の対象とすることも少なくはなかった。こうした山岳信仰は、より広い文脈でいえば、山に限らず自然界の森羅万象に神の現れを見て取る宗教観に基づいている。

 これら日本古来の神概念は、万物に精霊が宿るとするアニミズムにも似た多神教といえるが、結果的に神々は数えきれないほどとなり、「八百万やおよろずの神」と総称されることになる。この言葉は、『古事記』において、スサノオの乱暴な振る舞いが激しくなるのを見て畏れたアマテラスが天の岩屋にこもった際、高天原も葦原中国も暗闇となり、「八百万の神」(ありとあらゆる無数の神々)が天の河原に集ったという箇所に初出する。

 では、古代の人々は、どのようなものでも無節操に神として崇めたのかといえば、そういうわけでもない。たとえば本居宣長は、それまで訓読さえ怪しかった『古事記』に取り組み、35年にわたって訓を付し注釈を加えて『古事記伝』を完成させたが、その三之巻において古代の日本人にとっての神とは何であったのかと問うている。

 そして、これまでの解釈を検討してみたものの妥当とは思えないとの前振りをした上で、古来より神とされてきた諸々を整理し、天地の諸神、社の御霊、人をはじめとして鳥獣木草海山などをあげ、それらの共通点から「尋常よのつねならずすぐれたることのありて、可畏かしこき物をとは云なり」と結論付けた。

 また、この「すぐれたる」とは、尊いことや善いこと、勇ましいことや優れたことだけでなく、悪しきものや怪しきものであっても、それが「すぐれて可畏き」であれば神とされるとの注釈を付している。このように、古代の日本人にとっての「八百万の神」は、節操なしに増えていったわけではなく、「可畏し」といった心情が感じられるものであったということになる。ではそのとき、人間は、どのような存在と考えられたのか。

 『古事記』において、イザナミに会いに黄泉の国へ行ったイザナキは、「見るなの禁」を破り、おぞましい死体となったイザナミを「かしこみて」逃げ帰ろうとする。イザナミは「辱をかかせた」と逃げるイザナキに次々と追手を遣わせた。地上に近づいたイザナキがそこにあった桃の実を投げつけたところ追手が退散した。そのとき、イザナキは桃の実に「私を助けてくれたように、『うつしきあおひとくさ』(現世の人々)が苦しんでいるときに助けてくれ」と語りかけた。

 さらには最後にイザナミ自身がイザナキに追いつくが、現世との境界で巨大な岩をはさんで言葉を交わす。イザナミの呪いの言葉は、「こんなことをするなら、あなたの国の『人草』(人々)を一日に千人殺しましょう」であった。これら「人草」という表現には、人である草、あるいは、植物である人といった発想が見られ、古代の人々が人間と草木とを重ね合わせて見ていたことがわかる。

3 「すべては仏である」

 古代の日本では、山や川といった自然がそのまま神や仏であり、人は草や木と何ら変わるものではないという意識が人々の基底に流れていた。そして、こうした宗教観や自然観は、仏教思想の流れに乗って日本独自の思想に結実する。

 紀元前五世紀頃誕生した仏教において、紀元前後には、出家者中心から在家者中心へと改革を進める運動が起き、大乗仏教が生まれた。その根本的な主張は、在家者を含む誰であってもブッダ(目覚めた人=仏)になることができるというものであった。

 こうした思想が中国に伝わると、仏になる可能性を表すのに「仏性」という言葉が用いられるようになり、「いっさいしゅじょうしつぶっしょう(あらゆる人々には、一人残らず仏になる可能性がある)」と宣言されることになった。

 さらには、誰もが仏になることができるのであれば、もともと仏であったからではないかとも考えられるようになった。全く仏とは縁のない状態から仏になるのは理屈に合わないので、そもそも仏であったのに、煩悩を抱えて仏からは遠ざかってしまったけれど、煩悩を払拭すれば、誰でももとの仏になる(戻る)ことができるというわけである。この「もともと仏であった」とは、「本来さとっている」ということと同義なので、本覚ほんがく思想と呼ばれる。

 中国で生まれた本覚思想を日本に持ち帰ったのは空海であった。彼が日本に伝えた密教は、宇宙全体を大日如来という法身として捉える汎仏論に基づいているため、そもそも現実すべてをそのまま仏として肯定する傾向が強い。ただし、本覚思想は、高野山の真言宗ではなく、円仁や円珍によって密教を取り入れた比叡山の天台宗において、秘教化しながら伝えられていく。

 本覚思想によれば、人々(衆生)はもともと仏であった。また、これまで見てきたように、日本では、古来より山や川といった自然に対しても、それが「可畏かしこき物」でありさえすれば、そのままの神として、あるいは、仏が仮の姿をした神(権現)として崇められていた。さらに、「人草」という表現が用いられていたように、人々と草木との境界は曖昧であったといえる。

 とすれば、中世にいたって、衆生のみならず、山川草木に至るまで、そのまま仏であると説く思想、すなわち天台本覚思想が現れることは、もはや必然であったといってもよい。実際、鎌倉時代に入って撰述され、天台本覚思想の主張を網羅的に集大成した『さんじゅうかのことがき』(日本思想大系九『天台本覚論』所収)において、心なき草木は、心をもってから仏になるのではなく、心情がないままに仏であると断言されている(「草木成仏の事」)。

 中世の天台本覚思想では、古来の神仏に対する「可畏し」という制限すらも取り除かれてしまったことになる。すなわち、人々も自然も、ということはこの現実世界が丸ごとそのままで仏として無条件に肯定されることになったわけである。

4 無為の神々

 日本古来の自然観が仏教の本覚思想と結びつくとき、自然すべてをそのまま仏という善きものとして受け入れる日本独自の思想が生み出された。

 これは、「すべては、そのままで、善きものである」という宣言であるので、前回までに見てきた、「すべては、Xである(一であれゼロであれ)」と強引に語る超論理「A=非A」と同型であるかのようにも見える。

 ところが、日本では、すべてを「善きもの(仏)」として等号でつなぎつつも、価値を反転させること(=非A)が強調されているのではなく、善きものであることを前提としながらも、「すべては、そのままで(A=A)」の方に力点が置かれている。すなわち、この「すべては、そのままで、善きものである」とは、「A=A(=非A)」を表しており、すべてがそのままであること「A=A」の受け入れを表明しているにすぎない。

 つまり、一見すると非合理な「A=非A」を示す思想であるかのようだが、実は、「A=A」という形式論理的な合理を語っているだけなのである。しかし、合理というと聞こえはいいが、「A=A」とは、単なるトートロジーであって、そこからは何の情報ももたらされることはない。「AはAである」とは、口にするまでもないほどに当たり前のことだからである。

 ところが、日本では、古代においても、こうした情報量ゼロを体系の中心に位置付けることが意識されていた。

 『古事記』の冒頭で、最初にその名が告げられる神々は、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三柱であるが、いずれも「ひとりがみ」であり、身を隠したとされている。とはいえ、タカミムスヒはアマテラスと並んで幾度も登場し、カミムスヒはオオナムチ(オオクニヌシ)を生き返らせるのに協力したりする。ところが、アメノミナカヌシは二度と登場することがない。つまり、何の役割も果たすことがない無為の神なのである。

 そのため、この神の位置づけについては、諸説が提示されてきたものの定説はいまだに存在しない。そんな中、上山春平は、タカミムスヒ―イザナギ―アマテラスといった高天の原の系譜とカミムスヒ―イザナミ―スサノオによる根の国の系統とがそれぞれ陽/陰、乾(天)/坤(地)を表しているのに対して、アメノミナカヌシはどちらにもかたよらない中立の立場、あるいは、中性の理念をとして提示されているのではないかと述べている(『神々の体系』)。

 さらに、この上山の説を踏まえた上で、河合隼雄は、アマテラスやスサノオと一緒に生まれたツクヨミが、そして、ホデリ(海幸彦)やホオリ(山幸彦)とともに生まれたホスセリが、アメノミナカヌシと同様に、登場はするものの、その後何の言及も役割もない存在であることに注目して、『古事記』の神話体系がその中心に無為の神をおくという一貫した構造をもっていると指摘し、日本神話の「中空性」と呼んだ。

 ここから、日本の神話は、対立する原理について、正・反・合といった統合を目指す止揚の論理ではなく、あくまでも対立と融和を繰り返しつつも微妙なバランスを取ることで、決して「合」に達することのない均衡の論理で成り立っており、そうした論理構造は、日本人の心性にもマッチしているのではないかと示唆している(『中空構造日本の深層』)。

5 人々を服従させる合理

 古代の神話体系において、中心におかれた神々には何の役割も与えられていない。すなわち、それはまさに中空であり、ゼロであった。しかし、ただゼロであるにとどまらず、中世の人々は、仏教を巧みに取り込んで、そこに「すべては、そのままでOKである」という思想を入れ込んだ。それが可能であったのは、この思想が端的に「A=A」を表し、同じく何の役割も果たさない情報量ゼロの思想にすぎなかったからである。

 人は、たとえば「A=非A」などといった非合理を目の当たりにするからこそ、それを何とか合理化しようと知力を尽くす。ところが、トートロジーを中心に据えてしまえば、そうした努力は全く不要になる。「A=A」は、非常に平和な思想であるともいえるのだが、しかし、そこでは、何らの目的も方向性も示されることはない。

 そんな日本の近代に市場ゲームが押し寄せてきた。そして、そのルール「A→A+α」は、「A=A」に対して親和的であった。というのも、「+α」を右辺に加えるだけで、何らの動きも生み出さない「=」を「→」へと変換し、「+α」を目的とすることができたからである。

 とはいえ、そこでは、合理を出発点とするからこそ、何の疑念もなしに「α」の増殖が目的として設定されることになる。そして、人々は、「α」の内実を自ら吟味することもないまま、一方的に与えられるだけの「α」の増殖をひたすら追求していくようになる。合理の装いが、「+α」の実現を異論も反論も許さない権力的なルールへと変容させたのであった。非合理は人を思索に向かわせるが、合理は人を目的追求に服従させる。

 

 では、合理的な市場ゲームがどこまでも版図を拡大していくとき、非合理はどこに追いやられていくのであろうか。

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