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連載

新・民法小説 第4回

東京大学法学部教授 大村敦志〔Omura Atsushi〕

第7話 民法小説、いまは不可能?

1 ソラは、時計を気にしながら信号を待っている。地下鉄の出口を間違えて、ちょっと遠回りをしてしまった。シンポジウムが始まるまでにはまだ時間があるのだが、先輩方のうちの誰かはもう会場に来ているかもしれない。研修生の私が一番に着いていなければならないのに。信号が青に変わる。この通りをまっすぐ進めば、法学部の脇の通り、中善並木だっけ、そこに出るはずだ。「中善」というのは中川善之助という先生の名前に由来するらしい。昨日お目にかかった東北大学の先生がおっしゃっていた。空は抜けるような青空、空気が澄んでいる。せっかく仙台に来たなら学会なんかに出ないで、松島や山寺に行くか、せめて青葉山に登るとか、観光をした方が楽しいですよね。そうおっしゃっていたのも東北大学の先生だったかしら。

 ソラは会社の先輩たちとともに、金曜日に仙台にやってきた。土曜・日曜の両日、日本私法学会の大会が東北大学で開催されている。学会誌や学会資料の作成を担当しているY閣は、特別に学会会場に書籍販売コーナーを設けさせてもらっている。出版物の宣伝・販売もさることながら、この機会にいろいろな先生方とお話をし、場合によっては原稿のお願いや督促をするのも大事な仕事のようだ。だから毎年、Y閣からはかなりの数の社員が学会に参加している。韓国でもそうだが、日本には法律関係の学会がたくさんある。10月は最大の学会シーズンで、年1回大会を開く学会の多くは、この時期に開催される。

 1日目の昨日は若い先生方の個別報告が中心だったが、2日目の今日は民法と商法に分かれてシンポジウムが開催される。ソラは民法のシンポジウムを覗いてみようと思っている。「強行規定の適用」がテーマらしい。債権法改正が実現するまでは、その関係のシンポジウムやワークショップがいくつも開催されたと聞いたが、これがひと段落したということで、少し理論的なテーマが選ばれたのかもしれない。あれこれと思い出しながら歩いていると、あっという間に会場に着いた。よかった、先輩方はまだ誰も来ていない。

2 ホールの中は閑散としている。さっきまでの賑わいがうそのようだ。シンポジウムが始まって1時間、遅れてくる会員の姿ももうほとんど見られない。販売コーナーの社員たちも手持無沙汰だ。昨年の学会の際には新しい債権法の解説書などが売れたようだが、今年はそれほどでもないらしい。隣のブースのS社の人たちもそう言っていた。

 ソラは9月から雑誌編集部に異動になったが、雑誌でも一時は債権法改正に関する特集が相次いだものの、現在は富樫先生企画の連載がひとつ続いているだけだ。部長によると、新法の施行される2020年にはまた関心が高まる、いまはひと休み、ということらしい。確かに、書籍編集部では新法の施行に備えて教科書の改訂が続いており、大変なことになっているみたいだ。会社としては、というよりも法律出版社はどこも、新法対応の教科書の売り上げに大いに期待している。

 でも……とソラは無意識に首をかしげる。Y閣にいると債権法改正は大きな出来事のように感じる。でも、それはあくまでも法律の世界の話で、一般の人々の関心はそれほど高いとは思えない。この間だって……ソラは2週間前の日曜日のことを思い出した。

 その日、ソラは3人の友だちとともに、神楽坂のレストランでランチを楽しんでいた。3人は大学の同級生だが、2人は日本に住んでいる。残る1人が出張で東京に来るというので、9月20日生まれのソラの誕生祝いも兼ねて、せっかくだから集まろうかということになったのだ。韓国語で話せる久しぶりの女子会、4人の会話は切れ目なく賑やかに続いた。2杯目のコーヒーも飲み終えて、さあそろそろ、というころに、ふと思いついてソラは聞いてみた。

 

「ねえ、みんな、日本では、去年、民法が改正されたのよ。知ってた?」

「そんなの知ってるわけないわよ。韓国のテレビじゃ、日本のニュースは、安倍総理がどうしたって話ばかりよ」

「あなたはそうね。ほかの2人はどう?」

「聞いたこと、ないかな。日本の新聞、読んではいるけど」

「私も知らない。それって大事なことなの?」

「ソラは仕事が仕事だから、法改正とか大事かもしれないけど、韓国だって、民法が変わってもニュースにはならないでしょ?」

「でも、中学か高校のころ家族法が変わったとか、結構騒いでいたような気もする」

「そう言われれば、そうかも。戸籍が変わったんだっけ」

「戸籍だけじゃないけどね。確かに2005年の民法改正は大改正だったわね」

「そのあとは……ああ、ほら、高齢者の財産がどうしたとかいう話」

「それは最近の成年後見の改正ね」

「で、日本ではどう変わったわけなの?」

「それを話すと長くなるから、また今度ね」

「私、年明けにまた出張で東京に来るから、その時にまた会おうよ」

 

3 ソラは急ぎ足で階段を上り、発車間際の「やまびこ」に駆け込んだ。東京行きの最終列車なので、乗り遅れると仙台にもう1泊になってしまう。自分の席を探して座り、息を整えて、ショルダーバッグの中からiPadを取り出した。私法学会で花村先生に会ったら、聞いてみたいと思っていたことがあった。ところが先生はシンポジウムの司会を終えると、荷物をまとめて逃げるように帰っていた。明日の便で台湾に行くらしい。東京まで2時間、この間に先生へのメールを書こう。

 

「花村先生

 Y閣編集部研修生のユン・ソラです。私法学会での司会、お疲れ様でした。私も会場におりましたが、ご挨拶の機会を逸してしまい、大変失礼いたしました。

 先日は、『明治民法と民法小説』につき、詳しいコメント付きのメールを頂戴し、ありがとうございました。明治時代の『民法小説』は2種類あったとのお話、大変びっくりいたしました。2つともあまり売れなかったようだが、期待したほどに売れなかったのはなぜか。読者層の問題を考慮に入れて考えてみる必要があるという先生のご指摘、編集者の卵として、大変興味深く拝読いたしました。

 ご指摘に関連すると思うのですが、今日の日本における民法改正への関心のあり方は、どのように理解すればよいのでしょうか。法律出版社であるY閣で働いておりますと、民法改正はとても重要なことのように感じられます。ですが、一般の国民の受け止め方はどうなのでしょうか。私は外国人なので本当のところはわかりませんが、印象としては、一般の方々の関心はあまり高くはないようです。

 今回の民法改正は120年ぶりの大改正だと伺っています。それにもかかわらず、国民の関心は高くないとすると、それはなぜなのでしょうか。また、明治時代の出版社とは異なり、現代の出版社はこのことを当然のことと受け止めているように感じられます。実務家や法学部生・法科大学院生に民法の本が売れるからといって、Y閣がいま『民法小説』のような一般向けの本を出すことは考えにくいように思います。このような差が生じている理由も、私にはよく理解できません。

 もしかすると問いの立て方が悪いのかもしれません。民法典の母国であるフランスは別にして、もともと民法は一般国民の関心の対象にはなりにくいのでしょうか。そうだとすると、それにもかかわらず、『民法小説』の版元は広範な読者を獲得できると見込んだのはなぜなのか。そう問うべきなのでしょうか。」

 

 列車は大宮を過ぎた。このあたりでやめておこう。ソラは最後の一節を書き足し、全体を読み直して送信した。

 

「先生は明日の便で台湾にご出発と伺いました。到着からしばらくの間はお忙しいことと存じますが、落ち着かれました後、何かのついでにでもお考えをお聞かせいただけますと幸いに存じます。」

 

4 仙台から戻った翌日は祝日だった。前夜の帰宅は12時過ぎだったが、それでもソラは早起きをして、朝から掃除洗濯をすませた。午後は上野の美術館に行き、ついでに谷中の墓地を散歩してみた。どこかに民法の起草者・穂積陳重の墓があると聞いたが、見つからなかった。霊園の入口まで引き返し、長い坂を下って地下鉄の駅に出た。暁月のアパートが近くだったことを思い出した。探してみようかとも思ったが、アウトドア派の暁月のことだから、連休の昼間に下宿にいることは考えにくい。代わりに地下鉄の駅を通り越して少し坂を上って、森鷗外記念館に立ち寄ってみることにした。展示の説明によると、この場所にはかつて鷗外の家が建ち、2階からは東京湾が見えたという。そして、帝室博物館、今の国立博物館の館長だった時代には、ここから上野まで鷗外は馬で通っていたという。どちらも今では考えられない。

 帰宅したソラは窓を開けて空気を入れ替え、洗濯物を取り込んだ。この連休は晴天続きで、洗濯物もよく乾いていた。一人暮らしにしては大きめの冷蔵庫には、少し前にソウルのお母さんが送ってくれた食料品が詰まっている。キムチはもちろん、ソラが大好きなチャンジョリムもある。しばらくは母の味が楽しめる。今日はゆっくりと晩御飯を食べよう。でも、その前にメールチェック……何通かのメールが届いており、その中には花村先生からの返信もあった。

 

「ユン・ソラさま

 メールを拝見しました。ユンさんも仙台にいらしていたんですね。お会いできず残念でした。私は今朝の便で羽田を立ち、先ほど台北の宿舎に着きました。実は9月中旬からこちらに来ており、一時帰国して学会に出席し、またこちらに戻ってきたというわけです。

 民法改正に対する国民の関心が低いのはなぜか。これは、とても重要な問いだと思います。マス・メディアが報道しないから、というのが直接の原因ですが、これでは答えにはならない。メディアが報道しないのは、国民が関心を持っていないと思っているからです。この現象は実は日本だけでなく、民法典の母国・フランスでも見られる現象です。W大の野方先生が昨年発表された論文に書いていましたが、フランスの「債務法改正」も新聞等では大きく報道されることはなかったようです。つまり、フランスでも債権法改正に対するメディア(国民)の関心は高くない。そして、これはいま始まったことではない。『フランス社会の構成原理』であるのは家族法であって債務法ではない、ということは、日本でも十数年前から指摘されていました。反対に言えば、同じ民法改正でも家族法改正ならば大々的に報道され、国民の関心も高まるというわけです。

 確かにそうかもしれません。この点は日本でも同じです。ユンさんもたぶんご存じのように、昨年、相続法の改正が実現しました。この改正は債権法改正に比べると小規模な改正でしたが、マス・メディアの関心は債権法改正よりも高かったように思います。また、2013年の非嫡出子相続分、2015年の再婚禁止期間・夫婦別姓、これらの問題に関する最高裁判決はいずれも全国紙の一面トップで大々的に報道され、人々も高い関心を示しました。

 ここで振り返ってみてください。ユンさんもご存じの通り、駸々堂版の『民法小説』の主たるテーマは離婚、親子、後見など家族法に関するものでした。明治民法が人々の関心の対象となったのも、実はそれが家族に関する規律を含んでいたからなのです。明治民法は明治29年(1896年)に公布された前3編と明治31年(1898年)に公布された後2編からなりますが、民法小説が現れたのは後2編の家族法部分の登場後のことです。

 その後もずっと、家族法は社会の関心の対象であり続けてきました。大正期の改正案や占領期の全面改正は別にして、もっと近い時代のことを挙げましょう。先ほど触れた夫婦別姓問題、これは1990年代から今日に至るまで、社会問題・政治問題の一つとして議論されてきた問題です。高校の授業で討論の題材とされることも多いので、広く国民に知られた問題となっています。

 正確なところはわかりませんが、おそらくは韓国でも事情はほぼ同じではないでしょうか。また、私がいま生活している台湾でも同様だろうと思います。特に台湾では、蔡英文が総統になる以前から同性婚立法を推進する旨を表明しており、昨年(2017年)5月に、大法官会議が同性婚を認めない現行法は違憲であると判断したため、同性婚立法が大きな関心事になっています。

 では財産法は、なぜ国民の関心の対象にならないのか。これは、ユンさんのもう一つの問い――『民法小説』は家族法を対象としていたにもかかわらず、なぜ売れなかったのか――とともに、残された問題ですね。しかし、ずいぶん長くなりましたので、これらの問題については別のメールで、私の考えを述べることにしましょう。」

 

 長文のメールを読み終えたソラは、立ち上がって台所に向かった。チャンジョリムを温めて、夕食にしよう……

第8話 明治人は民法がお好き?

1 連休明けの火曜日の午後、机に向かって校正をしていたソラは、ゲラから目を上げて小さなため息をついた。あれソラさん、どうしたの、連休疲れかな? 編集長が元気よく声をかけてくる。ソラは9月から雑誌編集部で働いているが、11月に入ってからは月刊誌からムックに配置換えになった。新しい編集長の下で働き始めてまだ3日目だが、噂によるとこの人は疲れを知らない体育会系らしい。編集長に声をかけられたソラは、微苦笑をしながらゲラに視線を戻した。しかし、赤ペンを持った手は直ちには動き始めない。やはり昨日のことを思い出してしまう。逃がした魚は大きいわ……でも、考えても仕方ない。ソラは邪念を払おうと意識的に深呼吸をした。

 2時間ほど仕事に集中し、ソラはトイレに立った。席に戻る前にコーヒーでも飲もうと思って給湯スペースに立ち寄った。窓の外に眼をやる。眼下に大通りが見えるが、昨日のような人通りはない。平日だから当然かもしれないが、連休の賑わいは特別だった。前の週末から始まっていた「古本まつり」に加えて、「ブックフェスティバル」が開催されたからだ。「古本まつり」に古書好きの人々が集まるのはわかるが、「ブックフェスティバル」は、太鼓の演奏があったりフラダンスがあったりと、文字通りのお祭り騒ぎで、会場には古本とは関係のなさそうな人たちの姿も見られた。

 ソラが働くY閣は、世界でも有数の古書店街に位置する。韓国でもプサンには古書店街があるが、これほどの規模ではない。ソラが住んでいたソウルにはそもそも古書店は少ない。連休の最終日、つまり昨日だが、ソラは噂に聞く古本まつりを見てみようと思って、休日にもかかわらず会社に来てみた。地下鉄を降りて階段を上り、いつもの出口から地上に出ると、小さな広場に何件も露店が出ていた。信号をわたった先のS通りにはいくつもワゴンが並んでいた。今日の昼休みにS通りを通ってみたら、ワゴンはすべて消えていた。イベントが終わったのだから当然なのだが、その当然のことを目の当たりにすると、昨日、あの本を買わなかったことが、改めて悔やまれた。

2 その本を見つけた時には、ちょっと信じられない思いがした。はやる心を抑えて値段を見たら、三千円もする。千円なら買おう、二千円でも……と期待したのだが、予想は裏切られた。しばらくの間迷ったのだが、いったんは手に取ったその本をワゴンに戻してしまった。

 コーヒーカップを持って席に戻ったソラは、花村先生宛のメールを書き始めた。校正が終わったのでゲラをお届けしたいが、いつがよろしいですかというお尋ねのメールだ。その末尾に次のように書き足した。

 

「追伸 昨日『古本まつり』の会場で、『民法小説』を発見しました。まさか、と思ったのですが、表紙に龍の絵が描かれたもので、以前に先生がおっしゃっていた、もう一方の系列に属するものではないかと思います。できれば購入して先生にご覧いただこうと思ったのですが、値段が三千円で私にとってはちょっと高かったので、見送ってしまいました。今日になって失敗だったと後悔しています。」

 

 ソラが退社するころになって、花村先生からの返信が届いた。ゲラの届け日についての指定があった後に、次のように書き添えてあった。

 

「『古本まつり』で、中村鐘美堂版の『民法小説』を発見されたようですね。珍しいものなので現物を入手できなかったのは残念ですが、内容そのものは同じ系統のもう1冊も含めて、国会図書館の『デジタルコレクション』で見ることができます。ちなみに以前にお送りした駸々堂版のコピーも、デジタルコレクションからダウンロードしたものでした。デジタルコレクションに関連することでお話ししたいことがありますが、これから外出しますので、また改めて。もし時間があるようでしたら、私の『フランス民法』にデジタルコレクションを利用して書いたコラムがあるので、ご覧下さい。」

 

3 ソラは食器を洗い終えて、手を拭いた。食卓の上にキムチが入ったタッパーが残っているのに気づいて、冷蔵庫に戻した。祖母の手作りのキムチも残りわずかだ。そういえば、ソウルではそろそろキムジャンの季節だなあ。キムチを漬ける祖母の表情や韓国の秋の様子が思い浮かんだ。冷蔵庫からゆずのジャムを取り出す。これも祖母の手作りだ。お湯に溶かせばゆず茶ができる。小さなポットなので、お湯はすぐに沸いた。ゆず茶を作って、ソラはこたつに入った。寒がりのソラはもうこたつを出している。日本の冬を知る人はみな口を揃えて言っていたが、オンドルに慣れた韓国人にとって、日本の家屋で過ごす冬はちょっと厳しい。

 ソラは手を伸ばしてショルダーバックから本を取り出した。花村先生の書いた『フランス民法』だ。帰りがけに会社の資料棚から借りてきたものだ。Y閣の資料棚にはかなり多くの法律書がある。校正の時などにとても助かる。『フランス民法』のコラム欄を順番に見ていくと、「日本におけるフランス法学文献の翻訳」というコラムがあった。花村先生が言っていたのは、たぶんこれだろう。そこには1870年代から80年代、日本式に言えば明治初期に日本で翻訳されたフランス法学文献が10点ほど引用されている。先生によると、これらは「いずれも司法省が刊行したもので、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに収録されている」という。ネットで調べてみると、ここに出てくる「近代デジタルライブラリー」が今では「デジタルコレクション」の一部になっているようだ。

 さらに先生は次のように書いている。「こうした翻訳書は、法典編纂の準備を進める司法省のみの関心事だったわけではない。裁判官たちも関心を持ったであろうし、さらに注目すべきことは、一般の好学の士によって好んで読まれたらしいということである。たとえば、民権運動に関心を持っていた三多摩地方の豪農たちの蔵を開くと、これらの文献が出現することが稀でなかったという」と。

 なるほど、フランス民法の解説書のような専門書にせよ、民法小説のような通俗書にせよ、民法の本は自由民権運動と結びついていたんだ。デジタルコレクションを見ると、このことを示すような本が次々と見つかるということかしら。さっそくアクセスして、「民法」というキーワードを入れて期間指定をすると、1870年代、1880年代、おのおの約200点の資料がデジタル化されていることがわかった。「移民法」などというのも出てくるので、必ずしもすべて民法の本ではないが、かなりの点数であることは確かだ。次に「民法小説」と入れてみると、確かに駸々堂版四冊のほかに中村鐘美堂版二冊が出てくる。

 ソラは面白くなって、しばらくの間、いろいろなキーワードを入れてみた。

4 花村先生の研究室を訪れるのは2度目だ。最初の時には碧海先輩と一緒だったが、今回は一人での訪問だ。ソラがいま編集に参加しているムックは、日本に特有の判例教材だ。債権法改正に伴う改訂をお願いしているが、先生が担当されている総則や親族の部分の判例にはほとんど影響がない。これぐらいならば、一人でも大丈夫だろう。編集長はそう思ったのだろう。予想に違わず、用件はすぐに済んだ。そして、先生は例によっておしゃべりを始めた。

 

「ユンさんはこのあいだ、デジタルコレクションで民法関係の本を見たとおっしゃっていましたよね」

「はい、先生のフランス法のご著書を拝見し、そこに出ているものなどを探してみました。それとやはりご著書を拝見して、自由民権運動と民法の関係にも関心を持ちました」

「そうですか。自由民権と民法の関係は興味深いですね。夏学期のゼミでもこの点は話題になりました」

「どうして自由民権運動の人たちは民法に関心を持っていたのですか?」

「フランスから伝わった『民法』というものを、これからの社会のかたちを示すものとして受け止めたのでしょう」

「民法が社会運動にとっての理想だったということですか?」

「そうですね。だから法学を学ぶということが自由民権につながった。あるいは、政治的な力としての自由民権運動を知的にバックアップしたのが自由民権法学だったと言えるかもしれません。このあたりはもっと精密な議論が必要なところです。しかし、1880年代に相次いで創設された私立法律学校が、民権運動の流れをくむものであることは確かだと思います」

「私立法律学校というのはどんな学校ですか?」

「和仏法律学校や明治法律学校、あるいは英吉利法律学校などですが、これらはいまでは法政大学、明治大学、中央大学になっています」

「当時、私立法律学校で教えていた法学は、国立大学の法学とは違ったんですか?」

「それはいい質問ですが、そろそろ講義に行かなければなりませんので、続きはまた今度」

 

5 その日のうちに、花村からのメールがまた届いた。今回も長いメールだ。最初のうちはちょっと驚いたが、先輩方によると、花村先生は編集者にエッセイのようなメールを送るのが好きらしい。また気忙しい性格なので、先生の「そのうちに」や「また今度」で安心してはいけないとも聞かされていた。追って「さっきの話はどうなりました」という電話が来ることもあるという。

 

「ユン・ソラさま

 先ほどはわざわざお越しいただいて、ありがとうございました。

 お話ししたように、台湾から帰ってきたばかりなのですが、また来週、今度は中国に行きます。しばらくはお会いする機会がなさそうなので、話の続きをメールに書かせていただきます。

 私立法律学校と国立大学とで法学教育に違いはあったか、というご質問でしたね。私が私立法律学校=自由民権法学であるかのような言い方をしたので、国立大学はどうなのかと疑問に思われたのでしょう。

 まず前提を確認しておきますが、私立法律学校が相次いで設立された1880年代、日本には国立大学は1つしかありませんでした。T大に続いて2つ目の京大ができるのは1897年のことです。それと、もう1つ大事なことがあります。1886年の帝国大学令によってT大は帝国大学と改称されます。その際に、私立法律学校は特別認可学校として帝国大学の監督下に置かれました。その代わりに卒業生には官吏(公務員)になる上での特権が与えられたのです。

 そこで、たとえば和仏法律学校は『大改革』に乗り出します。具体的には帝国大学に準ずる形でカリキュラムが組まれるようになります。つまり、そこでの教育もまた帝国大学の教育をモデルとしたものとなっていくのです。では、それ以前はどうかと言えば、必ずしもカリキュラムは整ったものではありませんでした。私立法律学校は自由民権派の代言人(弁護士)たちの私塾(代言社と呼ばれます)からスタートしたという側面を持っていますが、初期の私立法律学校はその雰囲気を色濃く残していたと言えるでしょう。これは明治法律学校の話になりますが、創設期の学生たちは、権利の思想を定着させて国家に貢献するという気概を持ち、討論会では時事問題を熱っぽく論ずるという風潮だったと伝えられています。その意味では1886年は一つの転換点だったと言えるかもしれません。

 この先は私の推測にすぎませんが、一口に法学学習熱と言っても、1880年代と90年代とでは性質が違っているように思います。1880年代には自由民権の熱気を残す混沌とした法学学習熱があったのに対して、90年代の法学学習熱はある意味ではもっと冷静な・功利的なものになっていったのではないでしょうか。政論の時代は立身の時代に変化した。これが言い過ぎだとすれば、自由民権法学は制度の中に組み込まれたと言えばよいかもしれません。

 この先は実証的な検討を要するのですが、このような変化の中で、私立法律学校の学生、あるいは地方に住む入学希望者は、階層的に見れば以前よりも上、知的に見ても以前よりも上に位置する若者たちになったのかもしれません。駸々堂の『改正日本民法正解』をはじめとする民法普及書は、これらの層に受け入れられた。この層と「探偵小説」の読者層は異なっている。ところが、出版社側はこのことを十分には理解していなかったらしい。「民法小説」の失敗の原因はこのあたりにあった。私にはそう思われるのです。

 日本では近年、大学史の研究がとても進んでいます。自由民権運動の研究にも新しい世代が登場しているようですし、日本近代法史の領域でも明治期の法律家に関する研究が盛んです。大学・民権運動・法律家、これらと民法がどのように関係するのか。本格的な研究の登場が期待されます。私自身もいずれこの問題に取り組みたいと思っています。」

 

 最後の部分は、先生の研究計画ね。Y閣で本にできるといいわ。碧海先輩に伝えておこう。こんなことを考えるなんて、私もちょっと編集者らしくなってきたのかな……

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