連載
市場ゲームと福祉ゲーム
第5回 「すべて」ではない何か
東洋大学ライフデザイン学部教授 稲沢公一〔Inazawa Koichi〕
本連載では、現実に対する私たちの「否定/肯定」という評価を二極化させた上で、それらを現状否定による「市場ゲーム」と、現状肯定に基づく「福祉ゲーム」という二つのゲームとして描くことを試みている。
そして、福祉ゲームのルールである「A→非A」と市場ゲームのルールである「A→A+α」とがいずれも「A=非A」という超論理に基づいているということを確認した上で、前回は、創造主である超越神からの救済を希求するのであれば、そこにおいては、「A=非A」といった非合理を最大限に活用した教義が構築され、死守されなければならないということを見てきた。
では、創造主を仮定しないとき、世界は合理的な姿で立ち現れるのであろうか。
1 「生まれた」世界
創造主という絶対的かつ超越的な神を想定するとき、世界は「つくられた」ことになる。しかし、そうした一者のイメージがない場合、まず、この世界は何かから「生まれた」というように描かれることが多い。その代表的なストーリーが世界は一個の卵から生まれたとする「宇宙卵型」の天地創造神話で、世界的に分布を示しているタイプである。
これと相並ぶストーリーが世界は巨人の身体から生まれたとする「巨人型」の創造神話であり、たとえば中国における天地開闢は、盤古神話と呼ばれているが、そこでは、盤古が誕生したことによって天地が分かれ始め、1万8千年をかけて身の丈9万里の巨人に成長したのちに死を迎えて、その左目から太陽が、右目からは月が生まれ、また、その血は海に、毛髪は草木になって、涙が川、息が風、声が雷になったとされている。
あるいはまた、古代インドでは、『リグ・ヴェーダ』にある「プルシャ(原人)の歌」が巨人型神話になっており、それによると、千個の頭、千個の目、千本の足をもつ原人プルシャを祭供として神々が祭祀を執り行うことによって、眼から太陽が、思考器官から月が、口からインドラ神とアグニ神が、気息より風が生じたとされている。
もともと『リグ・ヴェーダ』では、天をはじめ、太陽、(暴)風、雨、地、火、河川など自然現象のほとんどが神格化されている。だが、この書の中でも最後に書かれたとされる「宇宙開闢の歌」は、「そのとき(太初において)無もなかりき、有もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護の下に」と書き出されており、これまでの人格化された神々を排した抽象化が行われていて、「リグ・ヴェーダの哲学思想の最高峰を示すもの」(辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』訳者解説)と位置付けられている。
とはいえ、その末尾は、「この創造はいずこより起こりしや。そは〔誰によりて〕実行せられたりや」と疑問形で結ばれており、現象界の出現という創造の全体像を語りつくすにはいたっていない。インドにおいて、世界創造を語る体系は、ウパニシャッドの登場を待つことになる。
2 「なった」世界
神々への讃歌であるヴェーダの掉尾を飾り、奥義書とも呼ばれるウパニシャッドの中でも最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ』には、この世の始まりとして、「太初には、この世は実にブラフマンのみであった。それは自己自身を『われはブラフマンなり』と自覚した。その結果それは一切となった。(中略)現在でも、このように『われはブラフマンなり』と知る者は、この世の一切となるのである」(服部正明『古代インドの神秘思想』)と謳われている。
『リグ・ヴェーダ』では、世界の創造が人格神を排して語られ始めていたが、いまだ疑問形にとどまっていたのに対して、ウパニシャッドでは、宇宙の根本原理が「ブラフマン」として極限まで抽象化され、それが自分自身をブラフマンであると自覚することによって一切となったとされている。すなわち、ここには、「つくられた」世界や「生まれた」世界ではなく、自らを自覚することによって一切に「なった」世界が生み出されたのであった。
「ブラフマン」の原義については、見解が錯綜している状況だが、たとえば、パルメニデスが「一者」と呼び、スピノザが「神」としたように、この宇宙や自然を一つの何かとして捉えようとする動機に基づく概念であって、本連載の言い方では、ゲーム(宇宙)を成り立たせているルール(原理、始源、根拠)のインド版ということになる。
しかし、他と大きく異なる特徴としては、宇宙原理ブラフマンと同時に、一人ひとりの個体原理を「アートマン」として概念化していることがあげられる。もちろん、古代ギリシャでも、とりわけヘラクレイトスが生命原理としての魂(プシュケ)について語ってはいるのだが、宇宙(コスモス)との二大原理として位置づけられていたわけではない。
さらに、ウパニシャッドの核心思想は、先に引用した後半部「現在でも、このように『われはブラフマンなり』と知る者は、この世の一切となる」に表されている。すなわち、「われはブラフマンなり」と知ることは、個体としての自己原理であるアートマン(我)が、そのまま宇宙原理のブラフマン(梵)であること(「梵我一如」)を覚知することなのである。そのように、自己のアートマンとブラフマンとの一体性を自覚するとき、その者は、「我は宇宙なり」となって、「この世の一切となる」わけである。
この「私は宇宙である」とは、やはりまた「A=非A」の表明に他ならない。したがって、本稿最初の問いに対する回答は「否」であることになる。ということは、創造主を仮定するかどうかが問題なのではなく、世界の立ち現れである「始源」を問うと、そこには必ず「A=非A」という非合理が待ち構えている。あるいは、始源を問うということそのものが非合理であるといってよい。
というのも、連載第1回でふれたように、そもそもいかなるゲームのルールにも根拠がない。そのため、世界の始源を語ろうとすることは、無根拠なルールを根拠づけることに等しく、合理的に語ることなどできないからである。しかし、ルールに根拠がなくても、ゲームを楽しむことは十分にできる。したがって、たとえ出発点が非合理であったとしても、そこから語られる世界に魅力がないなどということにはならない。
3 親子の会話、夫婦の会話
神々を讃えるヴェーダ文献とは異なり、ウパニシャッドには、日常生活での場面設定がなされている場合もある。
たとえば、ウパニシャッドの代表的な哲学者の一人であるウッダーラカ・アールニの息子シヴェータケートゥは、バラモンの常として12歳より師匠に弟子入りし、全ヴェーダを学び終えて24歳で意気揚々と帰ってきた。だが父親は、ヴェーダに精通したと得意になっている息子が、何よりも肝心な「神秘的同一化の原理(梵我一如)」(「チャーンドーギヤ」第6章『世界の名著――バラモン教・原始仏典』)について何も教わっていないことに気づき、自ら教えを説き始める。
その出だしは、「太初には、愛児よ、この世界には『有』だけがあった。それは唯一のもので、第二のものはなかった」と始まる。これを先の引用と重ね合わせると、ここで「有」と呼ばれているのは、世界の始源に唯一あった「ブラフマン」を言い換えたものであることがわかる。そして彼は、こうした「有」(ブラフマン)が万物の本質であることを身近な事象を例にあげながら息子に説いていく。
たとえば、透明な塩水を持ってきて、息子に塩辛いことを確かめさせたうえで、このように塩が見えなくても、水の中に塩が存在すると説き、「この微細なもの、――この世にあるすべてのものはそれを本質としている。それは真にあるもの、それはアートマンである。シヴェータケートゥよ、おまえはそれである」との文言について、たとえを変えながら何度も繰り返していく。
「おまえはそれである」は、個人のアートマンがそのままブラフマンと一体であること、すなわち、ウパニシャッドの根本思想である梵我一如について、その核心を具体的かつ簡潔に言い切った名文として、先の引用文「われはブラフマンなり」とともに、古来より全ウパニシャッド中の「大文章」として重要視されてきた。
あるいはまた、哲人ヤージニャヴァルキヤは、ウッダーラカ・アールニの弟子とも伝えられているが、バラモンの習いとして、家を捨てて家長としての生活をやめ、遊行者として放浪と祈りの生活に入ろうとした。彼には二人の妻がいたので、財産の分配を行おうとしたところ、内一人のマイトレーイーは、たとえ財産をもらっても不死になることはできないので、夫の知っていることを話してほしいと頼んだ。
これに応じて、彼は、まず「妻を愛するがゆえに妻が愛しいのではない。そうではなくて、アートマンを愛するがゆえに妻が愛しいのである」(「ブリハッド」第4章同書以下同)と個人の本質をアートマンとして捉えた上で、「アートマンが見られ、聞かれ、思考され、認識されるとき、この世のすべては知られるのである」と、それを感受するよう求めた。
しかし、再び塩水のたとえから、塩が水に溶けるように、アートマンが万物の中に溶け込んでいるため、「見る目」が自分自身の目を見ることができないように、認識する主体となっているアートマンそのものも認識される対象となることができない。したがって、アートマンについては、それが何であるとはいえないがために、「Aに非ず」「Bに非ず」、すなわち「非ず、非ず」といった否定を重ねることによってしか指示されないことになると教えた。
4 否定の極北
宇宙原理のブラフマンと個人原理のアートマンが一つである、というのがウパニシャッドの説くところであった。それは、端的に「A=非A」の表明にすぎないのであるが、ヤージニャヴァルキヤによれば、アートマンは否定的にしか語れないのであった。
ここで一旦ヴェーダーンタの思想を離れ、あらためて「すべては、Xである」とする。一神教では、「すべて」であるところのXは、創造主による被造物とされた。では、超越神をおかない場合、どのように考えられるのか。
まず考えられるのは、このXが「すべて」には含まれていないだろうということである。もし、Xが「すべて」に含まれているのであれば、Xは「すべて」の一部分になるので、「すべては、Xである」という文章は「全体は、部分である」という奇妙な事態を示すことになる。
もちろん、現代では、無限集合に含まれる要素の濃度について、全体が部分に等しくなることがわかっている。たとえば、分数の形で表記できる有理数は、1と2の間にも無限に存在しうるので、0、1、2……と続く自然数より濃度が大きくなると思われがちだが、カントールによって、有理数全体の濃度と自然数全体の濃度は、等しいことが証明されている。とはいえ、それは19世紀になってからことであって、古代において理解されていたわけではない。
そのため、古代の人々にとって、Xは、「すべて」ではないものということになる。すなわち、「すべてに非ず」として、否定的に語られる。
しかし、そもそも「すべては、Xである」が前提であったはずなのに、ただちにそこから、「Xは、『すべて』ではないもの」が導き出されてしまうというのは、背理を過ぎて冗談にしか聞こえない。だが、にもかかわらず、「『すべて』ではないもの」とされるXとは、一体どのようなものなのかと思索を進めることはできる。
ここで、文字通りに受け取ると、「『すべて』ではないもの」とは、そのまますべてでは「ない」ものなのだから、何ものでも「ない」のであって、何ものでも「ない」のだから、ただ「ない」にすぎないことになる。
もし、Xが「何か」であったら、この「何か」は、かならず「すべて」に含まれてしまうので、「何か」では「ない」、すなわち、ただ「ない」(非ず)となる。こうして否定の極北にたどり着いた。そのため本来であれば名前さえつけられないのだが、それでは名指すこともできないので、とりあえず、「ゼロ」と呼ばれるようになった。ここから「すべては、ゼロである」と宣言されることになる。ちなみに、この文が中国に渡ると「一切皆空」になる。
そして、「すべて」とは、無限でもあるから、このとらえ方によれば、無限とはゼロであるということになる。すなわち、「∞=〇」であり、まさに、「A=非A」の式そのものである。というのも、もともと「すべて」(A)であるXを「『すべて』ではないもの」(非A)と位置づける背理から出発し、それをそのまま採用し続けたために、こうした結論が導き出されたのであった。
5 「すべては、ゼロである」
「すべては、Xである」と仮定し、創造主を立てないとき、Xは、何ものでも「ない」ことになり、「すべては、ゼロである」とされた。ちなみに、この「ゼロ」は「存在しない」という意味ではない。連載第2回にふれたが、「ある」には、「Aがある」(存在)と「Aである」(述定)との二面が含まれている。ここで「ゼロ」と名付けられたのは、存在の否定(何もない=「無」)ではなく、述定の否定であって、「何かではない」ということを表している。
すなわち、「『すべては、〜である』わけではない」ということを意味している。では、たとえば「これは机である」とはいえないのか。もちろん、「これ」も「すべて」に含まれるので、「すべて」がゼロである限り、「これ」もゼロである。しかし、私たちは、「これ」をゼロのまま受け取ることができず、本来ゼロであるところの「これ」を「机」として受け取っている。
だが、あくまでも「これ」はもともとゼロであって、「机」なのではない。場合によっては、その上に腰掛けたり(椅子)、横たわる(寝台)こともあれば、電球を交換する際に用いる(足場)こともある。たとえ普段は「机」として使っているとしても、解体して「薪」にすることもできれば、地震の際に身を隠す場所にすることもできる。
このように、「これ」が永久不変に「机」でしかないわけではない(=「諸法無我」)、というのが「すべては、ゼロである」の意味するところであり、その都度、他との関連において何かとして捉えているにすぎない(=「縁起」)ということを表している。
こうして超越神を仮定しないと、「すべては、ゼロである」に行き着く。これまで見てきたように、西洋では、「∞=一」としていたために、「一」を神の創造に置き換えることができた。ところが、「∞=〇」としてしまうと、絶対的一者の居場所がなくなってしまうのであった。
いずれも「A=非A」に基づいているのだが、「すべて」を「一」と捉えるか、「ゼロ」と捉えるかによって世界観が明確に異なってくる。では、日本は、「すべて」をどのように捉えてきたのであろうか。