連載
新・民法小説 第3回
東京大学法学部教授 大村敦志〔Omura Atsushi〕
第5話 民法は売れる?
1 夕方になってようやく気温も下がってきたので、暁月は下宿の窓を開けた。セミの声が聞こえてきた。外から戻ってしばらくの間は、冷房をかけずにはいられなかったが、暁月はあまり冷房が好きではない。東京の下町では、軒先に風鈴をつるすとか路地に打ち水をするとか、あるいは朝顔の鉢を置くとか、涼しさを五感で感じる工夫がされている。暮らしの小さな知恵に暁月は感心していた。
まだ明るいうちに銭湯に行き、路地に縁台を出して、夕涼みをしながら冷ややっこと枝豆でビールをきゅっと飲む。この地域には、そんなおじさんたちも多い。大手町や丸の内のオフィスに通勤するのではなく、地元で商店を営んだり、物づくりをしている人たちだ。仕事しなくていいのかあ、と思うこともあるが、どうやら半ば引退しているらしい。幸せな人たちだ。最近では、近所の人たちと顔なじみになったので、「ちょいと、ギョーちゃん、一杯ひっかけて行かないかい」などと呼び止められることもある。
ビールと言えば、夏休みに両親たちと一緒に中央大街のビア・ガーデンでビールを飲んだっけ。由緒あるホテルの脇の小広場に夏の間だけ鉄骨が組まれて、空中空間にビア・ガーデンが現れる。夜になると音楽がかかり、下の広場で人々がダンスを始める。一杯機嫌の父は母を誘ってその中に加わった。スローな音楽は若者向きじゃないからか、踊っているのは中高年のカップルばかりだった。楽しそうな両親の様子を思い出して、暁月は一人微笑んだ。
思い出し笑いをしているときじゃない。暁月は椅子に座りなおして、机の上のディスプレーを覗き込んだ。画面には書きかけのレポートが表示されている。花村ゼミのレポートの締切は8月末日、締切までもう何日もない。暁月がテーマに選んだのは、民法典の普及のための出版物の検討だ。
2 ハルビンの実家に帰る前に京都の叔母を訪ねたが、その時に叔父から『民法小説』の版元だった駸々堂のことを教えてもらったので、府立図書館に何日か通っていろいろ調べてみた。その結果、駸々堂は『民法小説』のほかに『改正日本民法』『改正日本民法正解』など民法関係の出版物を出していたことがわかった。当時、民法に関する本はずいぶん売れたらしく、駸々堂の百年史には「『民法』のヒット」という項目もあった。
そこで暁月は、民法典に関する駸々堂の出版物について調べてみようと思ったのだった。ところが、話はそう簡単には進まなかった。最初の日に、府立図書館で暁月が借り出した駸々堂の本は、どれも法律とは関係のないものばかりだった。次に行ったときに暁月は、『改正日本民法』『改正日本民法正解』を探してみたが、どちらも収蔵されていなかった。『判決例引用土地家屋に関する法律顧問』という本があったが、明治期のものではなかった。
困った暁月は、同じゼミに出ている助教の黒岩にメールで相談した。黒岩は、何か関連する文献がないか、あったら借りられないか、花村先生に聞いてみたら、と言う。何事にも積極的な暁月も、さすがに教授から本を借りるのはちょっと図々しいのではないかと思って、その旨をメールに書いて黒岩に返信した。黒岩は、「『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず』と言います。大丈夫ですよ」と言う。大丈夫って、私は男の黒岩さんとは違いますよ、と言いたいところだったが、“A drowning man will catch at a straw.” 。黒岩の助言に従って、暁月は花村先生にメールを送ってみた。
つい今しがた、暁月は大学から戻ってきたばかりだが、花村先生の研究室を訪れ、先生から本を借りてきたのだ。このことを黒岩さんに報告したら、「案ずるより産むが易し」と胸を張るだろうなあ。すぐにことわざや成句を口にする黒岩の口ぶりを思い出して、暁月はまた笑った。それぐらいなら、私もわかるよ。
3 花村先生が貸してくれたのは3冊の小冊子だった。そのほかに暁月は、大判のコピーを何枚か持って帰ってきた。
最初の1冊は『営業税法注解・営業税法実施施行規則注解』。表紙には発行所駸々堂、明治30年1月発行と書かれているが、奥付では、明治30年2月3日印刷、同年2月4日第5版発行となっている。そうすると、印刷の翌日には五回目の増刷がされたということになる。本当かしら、本当なら、大ヒットね。暁月はそう思った。表紙には著者名はないが、奥付には「編輯兼発行者大淵渉」とされている。『民法小説』と同じで、駸々堂の店主である大淵渉自身が執筆しているわけだ。
暁月はちょっと驚いた。駸々堂百年史によれば、大淵渉はお寺の跡継ぎだった人物だ。もともとお寺の二男だったが別のお寺の養子として育ったのだ。確かに「駸々堂」などという難しい店名を付けられる学識を持ってはいたが、法律の勉強をしていた様子は見られない。それでも自分で法律書を書いてしまった。民法を題材とした「小説」ならばともかく、「注解」と題された全くの法律書を。そんなこと可能なのだろうか。
もっとも中を見てみると、疑問は半ばは解けた。「注解」と題されているが、それほど高度なことが書かれているわけではない。たとえば、営業税法3条とその解説は次のようなものだ。
第三条 営業税ヲ課スヘキ金銭貸付業及物品貸付業ハ一定ノ店舗其ノ他ノ営業場ヲ設テ貸付ノ業ヲ営ム者ヲ謂フ普通ニ物品ト称セサルモノノ貸付ヲ為スモ亦同シ資本金額五百円未満ノ者ニハ営業税ヲ課セス
(店を張るか又は店を張らずとも一定せし場所にて金なり物なりを貸し利を取る者も営業税を課せらるるなり尤も仮令普通にては物品と云ひ難きものを貸す商売も同しく課税せらるるなり去れともこれにも取除け方ありて資本金五百円以下を以て商売する者へは課税せさるなり)
括弧内が三条の注解だが、これは条文を言いかえているだけだ。「一定ノ店舗」「其他ノ営業場」とは何か、「貸付ノ業ヲ営ム」とはどのようなものか。当然ありうる疑問には全く答えていない。これぐらいのことならば、ある程度の学識があれば、法学の素養を持たなくても書ける。とはいえ、一定の知識を持っていないと書けない部分がないわけではない。冒頭の一条がその例で、本文は「左ニ掲クル営業ヲ為ス者ニハ営業税ヲ貸ス」と定め、24種の業種を掲げているだけだが、著者は「営業税法は地方税法に属し各地方庁にて徴収し且つ其支消する費途も専ら地方の事業に限りしが今此の税法の発布になりし以上は営業税も国庫に入る者となれり……(24種の)中には従来課税なかりしものもありしが本法に依つて更に課税せらるることとなれり」と説明している。このあたりは条文を読んだだけではわからないことであろう。
60頁足らずの本を閉じて、暁月は思った。この程度の解説を求める人がたくさんいたということね。条文の文章は当時の一般の人々にとっては、とても難しく感じられたんでしょうね、きっと。実際、留学生の暁月にとっても、現行法の条文はまだいいとして、明治時代の条文は文章も難しいし、カタカナ書きも読みにくい。括弧内の「注解」は、『民法小説』のように話し言葉ではないものの、条文よりはわかりやすいことは確かだ。
4 暁月は2冊目、3冊目に取りかかった。やはりどちらも薄い小冊子で「民法俗解」という共通のメイン・タイトルが付されている。「みんぽうはやわかり」とふりがなが付されているのも同じだ。一方には「万民必読」という副題が、他方には「実益活用」という副題が掲げられている。奥付によると、前者は明治31年7月28日発行、編輯兼発行人は榎本松之助、著者や発行所は書かれていないが、表紙の方には「平民子著」「大阪平民館発兌」とある。後者は明治31年10月3日発行、発行兼編輯人は岡田常三郎、発売元は日本館とされている。やはり著者名はないが、表紙に「バリストル間島好一君閲、帝国研法学院講師戸橋賢男君著」とある。どちらも民法典の施行まもない時期に刊行されている。やっぱり、この時期に民法ブームがあったわけね。
中を見ると、対象はどちらも親族・相続に限られている。特に「実益活用」の方には戸籍法の解説と各種届書の書式が付いている。『民法小説』もそうだったけど、この時期の人たちって、家族のこと、もっと言うと、家族に関する様々な届出をどうしたらいいのかということが気になっていたのかしら。暁月はそう思った。
実際のところ「実益活用」は戸籍法から始まっていて、しかも戸籍法は逐条解説になっているのに、親族・相続の方は章節ごとにまとめて簡単な解説があるだけ。ともかく届出さえできればいい、という感じだ。たとえば、「男は満十七年女には満十五年にならぬで婚姻せる事は出来ないつれあい在るものは重ねて婚姻する事ができない」という程度の解説が続いている。
「万民必読」の方は戸籍法を含まず親族・相続のみを対象とし、しかも親族編では第三章婚姻と第四章親子、相続編では第一章家督相続と第二章遺産相続だけが取り上げられている。その分だけ内容は少し詳しくなっていて、たとえば、婚姻の章の最初の二ケ条の解説は、次のようになっている。
(七六五条)男の方はまる十七才女の方はまる十五才に成らねば嫁を貰ふたり嫁入りしたりする事はできぬなり
(七六六条)配偶者とは連合(つれあひ)といふ事なり女房ある男や亭主ある女は外(ほか)の男女と結婚することはならぬ
「満」を「まる」と言いかえ、「配偶者」を「連合(つれあひ)」と言いかえ、「女房ある男」「亭主ある女」は「外の男女と結婚することはならぬ」と一歩踏み込むなど、「実益活用」よりは少し親切だ。この説明を読むと、当時はきっと「満」「配偶者」という言葉はあまり一般的ではなかったんだろうなと想像される。「婚姻」よりも「結婚」の方が、一般の人々には分かりやすかったのだろうし、「夫」「妻」はなじみが薄くて「亭主」「女房」という言葉が使われていたのだろう。
5 暁月は、「実益活用」にはない「はしがき」が、「万人必読」には付されていることにも気づいた。次のような文章が全文ふりがな付きで書かれている。
民法早わかり
愈(いよいよ)七月十六日より実施せられんとす夫(そ)れ我国の法律多きが中に上は高楼の紳士より下は九尺二間の棟割長屋に住む者に至るまで最も広く適用せられ我々の権利に最も直接の関係を有するものは民法なるべし今其(その)民法中殊(こと)に一般の要用なる部分の条項に注釈を加へ女子供にも其意の分る様親切に説き示し名づけて「民法早わかり」といふされば其便益云ふまでもなし必ず一冊求めて男女共に国民として得たる権利をば十分に行ひ給(たま)へよ
平民館主しるす
「女子供」にもわかるように書いたとされているが、それは比喩ではないようで、著者は「国民として得たる権利を十分に行う」ことを「男女共に」求めている。当時すでにこんな考え方もあったんだ。暁月はこの文章の著者に対して好感を持った。この文章の著者は「平民館主」と称しているが、表紙の著者名は「平民子」だった。暁月は最初は漠然と、「平民子」は「たいら・たみこ」だと思っていたが、「平民子」は「へいみんし」というペンネームで、平民館主=平民子なのだろうと思い当たった。よく考えてみると、当時、女性が著者だという可能性はかなり低い。
ネットで調べてみると、発行元の「大阪平民館」は編輯兼発行人の榎本松之助が営む出版社で、後に「榎本法令館」と名前を変えていることがわかった。このころには『裁判勝利法』だとか『現行契約諸証書文例』などといった本を出していたがようだが、後には「少女小説」や「コドモヱバナシ」なども出している。その出版物を全体としてみると、榎本は大渕渉と同様、売れる本であれば何でも出すという人だったようだ。これも大渕渉と同様に『万民必読民法俗解』も平民子と名乗って自ら書いたのかもしれない。
6 最後に暁月は、折りたたんだ大判のコピーを何枚か、机の上に広げた。明治時代の新聞の別冊だ。花村先生に教えられて、先生の研究室からの帰りにキャンパス内にある明治文庫に寄ってみた。地下室への階段を下りて扉を開けると、天井の低い暗い室内が広がる。奥の部屋にいる職員に頼んで新聞を探してもらい、コピーをとったのだ。どれにも民法の条文が掲げられている。つまり、新聞社はわざわざ別冊を作って、新しく制定された民法典の内容を紹介したということだ。しかも、東京の新聞社だけでなく地方の新聞社も別冊を作っていたことがわかった。
やっぱり民法を知りたい人が多かったのね。レポートの結論は決まったわ。暁月はキーボードをたたき始めた。
第6話 民法小説はすでに知られていた?
1 ちょっと失敗したわ。玄関ホールでエレベーターを待ちながら、ソラはそう思った。
今日は、午前中、調べ物があって国会図書館に行っていたが、持ち帰ったコピーを整理して、その一部を封筒に入れて宛名を書いていたら、昼休みに大分食い込んでしまった。手早く食事を済ませようと部屋を出て急ぎ足でエレベーターに乗り込んだら、社内の中年男性二人と鉢合わせしそうになった。慌てて頭の中で検索。一人は雑誌部長、こちらは考えるまでもない。今週から直属の上司で、毎日同じ部屋で働いている。問題はもう一人、そうそう、この人は編集部全体を統括する編集局長だった。
ソラは4月から法律出版社のY閣で研修を行っている。母国の勤務先、やはり法律出版社のP社から1年間の予定で派遣されている。最初は書籍編集部に配属されたが、夏休みに入ってからは六法編集部を手伝うように指示され、9月1日からは雑誌編集部に移ってきたのだった。編集局長には4月最初に挨拶しただけだった。一瞬誰だかわからなくてドキドキしたけれども、思い出せてよかった。
「あれ、ユンさん、お昼これから?」部長にそう尋ねられて、ソラは「はい」と答えてしまった。韓国では上司や同僚から「お昼食べた?」と聞かれることが多いが、これは挨拶代わり、適当に答えておけばよい。でも日本ではそうではない。「お昼これから?」と聞かれて「はい」と答えれば、「じゃあ一緒に行こう」と言われる可能性が高い。「しまった」と思った時には遅かった。「じゃあ、一緒に行きましょうよ」。隣の局長からそう声をかけられていた。
局長や部長と一緒に食事をするのが嫌なわけではない。食事をしながら社内のことや、日本の出版界や大学のことなど、有益な話が聞けるかもしれない。ただ、今日は食欲がなかったので、中年のおじさんコンビとの昼食はちょっと辛いなと思ったのだった。行き先は、案の定、ソラが苦手なタイプのお店だった。狭い店内はおじさんたちで混み合っていて、脂ぎった感じがどっと押し寄せてくる。同じ中華でも、書籍部長が連れて行ってくれたお店の方が上品だったなあ……
ソラの箸があまり進まないのを見て、部長は「ソラさん、餃子嫌いだった?」と気遣ってはくれるが、「いえいえ」と答えたら安心したらしく、局長とゴルフの話で盛り上がっていた。日曜日にT大の富樫教授とゴルフに行ったらしい。ソラはなんとかこの場を乗り切って、食後、二人と別れて郵便局に立ち寄り、いま会社に戻ってきたのだった。
2 金曜日の夕方、仕事を終えてPCの電源を切る前にメールをチェックしたら、花村先生からのメールが届いていた。一昨日ソラが送った郵便に対するお礼のメールだ。
「ユン・ソラさま
郵便で送っていただいたコピー、確かに拝受しました。ご多用のところ、わざわざありがとうございました。
先日、『宿題』を受け取った旨の返信を差し上げた際に、『民法小説』に関する論文を見つけたが、あいにくT大には掲載書が所蔵されていない旨を付記しましたが、結果として、どこかで探してください、とお願いをしたようなことになってしまい、大変恐縮しています。
内容はいろいろな意味で興味深く、ご配慮に感謝しております」
確かに、先生からの前のメールには、「明治民法と民法小説――明治民法と文学についての覚書」という論文があることがわかったが、この論文を収録した本がT大図書館にはないと書かれていた。そこで一昨日、国会図書館に行った折にコピーを取り、送って差し上げたのだった。先生のメールはさらに続く。
「この論文は10頁ほどの小論文ですが、これまで『民法小説』について書かれた唯一の先行研究なのではないかと思われます。その内容について、やや細かい感想は別紙に書きましたので、お手すきの折に読んでいただくことにして、ここでは書籍編集者としてのユンさんが関心を持ちそうな点だけを記しておきます。それは、『民法小説は売れたのか』という点です。
以前にユンさんが研究室にいらした時にはお話しませんでしたが、実は、『民法小説』には二系統のものがあります。1つはユンさんがすでにご存じのもので、駸々堂が出版したものです。私の手元に現物があった3冊をお貸しし、もう1冊のコピーを後でお送りしました。もう1つは中村鐘美堂という出版社が出版したもので、こちらも『民法小説』という表題で2冊刊行されています。時期的には、駸々堂よりも少し早く、第一編の刊行は明治31年10月4日とされています。
論文の著者は、民法小説が数冊で終わった事実をとらえて『出版社の予期したような読者を獲得できなかった』という推測を示しています。その理由として著者が挙げるのは、実用性の乏しさと小説としての出来の悪さの2点です。民法小説の営業的失敗もその理由も、おそらくは著者の推測の通りだろうと思います。
しかし、ではなぜ、2種類もの『民法小説』が企てられたのか、という点に注意する必要があります。駸々堂にせよ中村鐘美堂にせよ、『民法に関する小説は売れるはずだ』と思ったのでしょう。論文の著者も指摘していますが、駸々堂店主・大渕渉が出版した『改正日本民法正解』はよく売れたようです。また、著者によれば、中村鐘美堂版の『民法小説』の著者・川原梶三郎は『改正新民法注釈』を刊行しています。私はこの論文を読むまで川原の解説書のことは知りませんでしたが、こちらもおそらくよく売れたのでしょう。
つまり、民法解説書がよく売れたので民法小説が企画された。しかしながら、小説の方は思ったほどは売れなかったのです」
3 花村は秘書が机の上に置いてくれた郵便の束の中に、Y閣の研修生ユン・ソラからのものを見つけた。大判の封筒を開くと、中からは論文のコピーが出てきた。送り状を見ると、先日話題にした「明治民法と民法小説」という論文のコピーをとって、わざわざ送ってくれたらしい。この論文のことはしばらく前から知っていたが、掲載書が珍しい本でT大でも所蔵されていないものだったので、そのうちコピーを入手しようと思いつつ、そのままになっていた。短い論文なのでさっそく目を通し、ユン・ソラにお礼のメールを書いた。その際に次のようなメモを作って添付した。
「Ⅰ『覚書』の長所
・『民法小説』という『文学史では忘れられた作品』を取り上げたこと。これによって『民法の実施と文学』という課題を設定したこと。
・『民法小説』を自由民権運動と密接な関係を持つ『政治小説』の延長線上に位置づけうるとする見方を示したこと。他方、『民法小説』を当時大ヒットした『探偵小説』の延長線上に位置づける見方を示唆していること。
・『民法小説』の着想につき、『小説という方法で、その民法の実際的な内容を伝えようとする考え方は、明治にもなお生きていた伝統的な小説観に合致する』という指摘をしていること。他方、『民法小説と「金色夜叉」が共通の問題圏に参画している』とする見方を打ち出していること。
Ⅱ『覚書』の短所
・例として挙げられている『家督相続ノ特権』に関する理解が不十分であること。そのため、『以下がその修正理由であるが、内容は曖昧である』とすることになり、『露骨な統治を目的としたイデオロギー性を持つことを先の民法小説は指摘したのである』という立論が十分に説得力を持たないこと。
・家族制度に関する理解につき川島説に依拠し、そこから『明治民法が、いかに強圧的なものであ(るか)』と論じ、また、民法改正論議に関する星野通の説に依拠し、『民法の欠陥の指摘は早くからあったし、それは誰もが承知していたのである』と論じているが、その立論に飛躍があること。
・『それまでの旧民法の慣習法に基づいた家や家族のありかたに根本的な変改を強いることになる新民法の実施』という、今日では疑いの投じられている見方に影響されていること。
Ⅲ『覚書』の問題提起
・駸々堂の『民法小説』を『明治社会での家族や金銭をめぐる問題を新しい民法と関連づけることに失敗している』と評すると同時に、『民法小説とは、民法の解説書のまた解説書との目論見であったためか、小説が法的な問題を取りあげることへの問題意識が希薄であり、またそれを支える思想性が欠落している』という指摘をしていること。
・川原梶三郎の民法小説に『民法への批判的視点』を見出していること。具体例として挙げられた例は必ずしも説得的ではないが、『社会の恩恵からほど遠い人達の状況を設定して、明治民法がそのような状況にどう対処しえるかという、そのような問いをこの民法小説が持っている』という指摘をしていること」
4 生真面目なソラは、花村先生が添付ファイルで送ってくれたメモを何度か読み返してみたが、よくわからないところがいろいろあった。政治小説って何? 伝統的な小説観ってどんなもの? 「金色夜叉」は「金色の鬼」? 「家督相続」には「特権」があるのね? それから、川島説や星野通の説というのは何かの学説なのね? ソラの頭にはクエスチョン・マークが次々と浮かぶ。論文(「覚書」は副題の一部ね)の著者が、『民法小説』を文学史のいろいろな文脈に位置づけようとしているという点がメリット、これに対して、民法や家族制度についてある特定の見方に立っているという点がデメリット。全体としては、花村先生はそんなふうに考えているらしい。ここまではいいとしても、「問題提起」の意味がさっぱりわからない……
こんなもやもやした思いを抱いたまま週末を過ごし、月曜日に出勤したら、花村先生からまたメールが届いていた。
「ユン・ソラさま
送っていただいた論文に対する感想をメモにしてお送りしましたが、送った後でちょっと反省しました。反省点は2点あります。
第1に、外国人のユンさんには、内容がちょっとわかりにくかったと思います。日本の文学史や法学史に関する知識を持っていないと、何を言っているのかわかりませんね。大変失礼しました。また、説明が舌足らずの部分もありました。最後のⅢの部分が特にそうでしたので、少し補足します。論文では、駸々堂版と中村鐘美堂版に対する評価は対照的で、前者はダメだけれども、後者には評価すべき点があるとされています。この評価には異論はありませんが、さらに考えるべき点も少なくありません。その意味で、この論文は興味深い問題提起を含んでいるように思います。
駸々堂の民法小説は、確かに文学作品としての魅力は乏しいのですが、民法普及の観点から考えた場合にはどうかと言うと、話は少し変わってきます。たとえば、ユンさんがレポートでも指摘してくれたように、第三集の「小作の争」では、法典編纂についてかなり立ち入った考え方が示されています。また、小作料の減免に関する説明は、地主・小作人の双方の観点からなされており、法的な考え方をよく示されていると言えます。20世紀後半の日本では、当事者双方の観点に立ち、ある規定(ある解釈)がそれぞれの利益といかにかかわっているかを吟味する利益考量論という考え方が説かれましたが、これに似た感じもします。
他方、中村鐘美堂版の民法小説は、作品としてより完成された形になっており、読み物としてもずっと面白い。これは確かです。また、駸々堂版が常に「金満家」の視点に立って書かれているのに対して、中村鐘美堂版はそうではありません。しかし、読者はどのような階層の人だったのでしょうか。当時の小説は、社会から疎外された人々を読者として想定していたのでしょうか。もしそうだとして、それらの人々に(「探偵小説」ならばともかく)「民法小説」への切実な関心はあったのでしょうか。また(解説書の解説書であれ)これを読みこなす能力があったのでしょうか。論文の著者は、中村鐘美堂版の著者・川原梶三郎と自由民権運動の関係に言及していますが、駸々堂版の著者・大渕渉もまた自由民権には相当の関心を寄せていたようです。そうなると、二人が想定していた民権運動の担い手とはどういう人々だったのかということも問題になりそうです。
第2点は簡単にすませます。「覚書」の短所をいくつか挙げましたが、こうした短所があることによって、この論文の意義は全く失われないことを付言しておく必要があります。著者はたぶん文学部の先生でしょうから、正確な法知識を持つのは難しいことです。また、川島説のようにかつては影響力のあった考え方をそのまま受け入れてしまうのも無理のないことです。私自身も専門外のことについては、誤解や不十分な知識を前提としていることが多々あります。しかし、法学・文学の双方から議論をすれば誤解は正され、議論の幅は広がっていきます。私のなかで新たな問題がいくつか形になりつつあることは、すでに述べた通りですし、長所として指摘した点につき、文学史について全くの素人である私も、少し勉強してみようという気になっています」
このメールを読んでも、ソラの疑問はすべて解けたわけではない。それどころか、さらに疑問が増えたところもある。でもわかったことがひとつある。論文のコピーを読んで、先生は喜んでいらっしゃるようだ。学者ってそういうものなんだろうなあ。