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書斎の窓

巻頭のことば

化石の言い分

第3回 AI杜氏の時代

法政大学大学院法務研究科教授 交告尚史〔Koketsu Hisashi〕

 以前夏の京都に1週間ほど滞在した折、府警の近くの饂飩屋で波紋と巡り合った。これは地元の酒ではなく、女将の解説では岐阜県産とのことであった。日記を繰ってみて、2011年8月22日に呑んでいることが確認できた。おそらくこの日が初体験であったろう。ピリッとした口当たりだが、やがてほのかな甘味が舌を転がっていく。私は岐阜県の出だが、こんな酒があったのか。それ以降、知人と飲むたびに波紋、波紋と口泡を飛ばしていたら、ついには思わぬ大波を呼んだようで、我が家の書斎(と呼んでおく)に2本の波紋が並んだ。1本目の贈り主は京都在住のAさんで、この人はたしか例の饂飩屋にお連れしたのだった。すでに記憶がないのだが、あの夏の日から1年ぐらいは経っていたと思う。その時は、もう波紋はなかった。もうないんですという女将の声を聞いて、もう店に置かなくなったということかなと理解した。しかし、そうではなかった。2本目を持参したB君が、この酒は製造中止になったようですよと言う。ということは、B君は確実に、そしておそらくはAさんも、どこかに残っていた1本を探し出してきてくれたということではないか。私は恐る恐る1本目に手を付け、その壜を空にした頃に考え始めた。美味い酒が造られなくなるのはどういうわけかと。

 その後しばらく思索を怠り、波紋の件も未だ詳らかにできていない有り様であるが、最近になって、また考えざるを得なくなった。「AI使い酒造り 岩手、職人技をデータ化」(2018年5月15日・日経夕刊)という新聞記事に接したからである。二戸市の酒蔵「南部美人」がAIを使った日本酒作りに挑戦しているという。米を蒸す前に水を吸わせるしんせきと呼ばれる作業にAIを使う心積もりのようである。同社では、通常、5トンタンクに米と水を投入し、杜氏らが米の品種や精米歩合、水温などを勘案して、ストップウォッチで計りながら吸水時間を調整している。その作業は職人技であるから、若者を一人前に育てるには時間がかかる。他方で、高齢のために離職する者が増えてきた。その結果として生じた人材難をどう解消するか。

 私の乏しい知識によれば、酒造りの担い手は元々季節労働者であった。奥地の農民が秋の収穫を終えた後に、灘、伏見のような酒所に出てきて作業を開始し、春が来れば酒と土産を頂戴して郷里に帰って行く。寒期が酒造りの適期とされたために、冬場に仕事のない農民にとって酒所は都合の良い働き場であった(坂口謹一郎『日本の酒』岩波新書、1964年・112頁以下)。酒所とは全然違う地域で酒造りの技術が伝承されたというのは面白いことである。だが、今日ではそもそも農業自体が後継者不足であるから、冬場だけ雇用の場を求めて移動するというようなことは想像し難い。農村と酒所の関係はやがて断ち切られてしまうのではないか。そうだとすると、現在は、どこのどのような人々が酒造りを支えているのか。すでにオートメーション化してしまった酒メーカーであれば、人材育成の問題は生じないであろう。しかし、南部美人の計画は、これまで職人技でやってきた大切な部分をAIに任せようということであるから、目下のところは職人が残っているわけである。

 私も南部美人が存続することについては諸手を挙げて賛成するが、心配なのは職人たちの自負の行き所である。行き所というよりも、もはや行く所がなくて消滅するしかないのではないか。それは南部美人に限ったことではない。また、酒造りに限ったことではない。化石を自称する私でも、人間の暗黙知を可視化して匠の技を残す試みが諸処で進んでいることを知っている。多くの人はそれを讃嘆するであろう。しかし、私は社会のこの変化を憂える。長い時間をかけて技を身に付けた人は、それを誇りに生きているはずである。AI化の進展は、そういう生き方を消してしまうことにならないか。

 昨晩頂き物のズワイガニを肴に残りの波紋をちょっとだけ飲った。ズワイガニの送り主は、AIによる自動運転を研究中の弁護士さんである。AI嫌いの私もAIと無縁で人生を終えるわけにはいかないようだ。

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