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書評


『銀幕の大統領ロナルド・レーガン――現代大統領制と映画

東京大学大学院法学政治学研究科教授 久保文明〔Kubo Fumiaki〕

村田晃嗣/著
四六判,614頁,
本体3,900円+税

 レーガン大統領と映画。

 この2つは、簡単に結びつきそうでいて、学問的な形で密接に関連付けるのはそれほど容易でない。本書は果敢にこの困難な知的作業に挑戦したものである。

 著者は次のように主張する。

 

 これまで、一方で、映画史研究は豊かな成果を上げてきたが、反権力というイデオロギーやレトリックに自縛されて、レーガンすなわちタカ派や軍国主義者といったステレオタイプに陥りがちであった。他方、政治外交史研究は映画のような大衆文化を見下し、せいぜいエピソード的な扱いしかしてこなかった。こうした断絶は、アメリカよりも日本で著しい。

 

 このような理解は概ね妥当だと思われる。

 さて、本書には複数の柱がある。中心は何と言っても、ロナルド・レーガン大統領の人生である。その意味で、本書にはレーガンについての伝記的研究という性格が濃厚である。レーガンの人生の相当部分は、実際に映画の世界にあった。「銀幕の大統領」という書名が成り立つ所以である。

 本書の第2の柱は、アメリカの政治史、それも大統領を中心とした現代政治史であろう。ケネディ、ニクソン、カーターらについて頻繁に言及され、また比較の対象として論じられている。読者は本書を読むことによって、1930年代以降のアメリカの内政と外交の歴史的展開、とくに大統領のあり方の変化について深く学ぶことになる。

 第3の柱は、アメリカにおける映画の歴史、とりわけハリウッドと政治の世界との関係である。本書では、この側面に多くの紙数が割かれており、ここが、通常の政治史、外交史、政治学の研究書と大きく異なる部分である。

 ただし、これら3つの側面の相互関係は、扱う時期によって異なってくる。レーガンが俳優である限り、映画界は彼の職場そのものである。著者はレーガンを論じながら、同時に映画と映画界について語ることができる。しかし、カリフォルニア州知事に就任した後は、レーガンの動向と映画界の傾向は当然乖離してくる。この2つの時期の間、レーガンは、ゼネラル・エレクトリック社(GE)が提供するテレビ番組で司会役を務める契約を結び、知名度を上げていく。およそ1953年から1967年初頭までが、レーガンにとって、俳優から政治家への転換期ないし過渡期であった。

 レーガンの大統領時代になると、彼の映画との関係は、俳優としての経験が生かされる点、娯楽として映画を楽しんだ部分、映画が大統領を、そしてレーガンの時代をどのように描いたかという部分などに分けることができる。叙述の仕方もそれなりに工夫が必要となる。

 

 本書は、俳優としてのレーガンについて詳しく述べている。わが国では若き日のレーガンついてはあまり知られていない面もあり、本書の貴重な貢献でもあろう。

 本書から、いくつかの点でレーガンは過小評価されていたとの印象を得た。

 第1に、これまでこの時期のレーガンについては、「二流役者」として一蹴してしまう見解が多数派であったように思われる。確かに超一流の俳優であったわけではない。しかし、彼は十分な収入を得、資産を蓄える程度には成功していた。すでに1950年代初頭、レーガンは360エーカー(145ヘクタール)にも及ぶ広大な牧場を保有し、新たに高級住宅を購入していた。上で触れたGEの仕事も、年間の出演料が当初から12万5000ドルであった(すぐに15万ドルになった)。すなわち、経済的には、すなわち一般的な尺度でいえば、十分に成功していた。

 もう1つは、レーガンの学習努力についてである。大統領としては、政策の細かい点に疎いとのイメージが付きまとっていた。しかしながら、彼はGE時代、『リーダーズ・ダイジェスト』の熱心な読者であり、そこからエピソード、ジョーク、統計などを拾い出しては丹念にメモを取り、自分のスピーチに磨きをかけていた。また、この時期、彼はウラジミール・レーニン、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエクらの著作を読んでいた。とくにハイエクの『隷属への道』に強い影響を受けたようである。

 『隷属への道』は第二次世界大戦末期、レーガンの愛読誌であった『リーダーズ・ダイジェスト』に要約版が掲載されたことからベストセラーとなった。おそらく彼も最初はこちらで読んだものと著者は推測している。ただ、彼は講演旅行中にハイエクをあらためて熟読し、その議論を自分なりに消化した。

 第3点として、レーガンの政治的訓練について、多くの研究者は認識を新たにする必要がある。レーガンは連邦政府での職務経験なしに、いきなり州知事から大統領に当選し、しかもその前の職業が俳優であったことから、素人政治家との烙印を押されてきた嫌いがある。

 そもそも、カリフォルニア州知事2期を務めた経験自体、決して軽視されるべきではない。

 しかし、肝心なのはその前である。すでに触れたGEとの契約により、レーガンは単に番組の司会を担当するだけでなく、全米39州に広がる同社の工場施設を講演して回った。いわば、GEの「移動親善大使」であった。著者はここで、レーガン自身の言葉を引用する。「八年間にわたり私はGEのため、汽車や自動車で国中をかけ回り、百三十九の工場のすべてを訪問した。中には数回訪問した工場もあった。この間、二十五万人以上のGE従業員に会い、単に握手するだけでなく、話しかけたり、彼らの心の内を開いたりした」

 レーガンは多い時には1日に14回もの講演をこなしたという。やがて、GEの施設のみならず、さまざまな団体を相手にスピーチの腕を磨いた。まさに、GEとの契約は、彼をしてGEによる「政治学の大学院コース」での訓練を受けさせ、それを修了させたのである。

 1964年の秋に行われた共和党大統領候補バリー・ゴールドウォーターへの応援演説(ザ・スピーチと呼ばれる)がいきなり生まれたわけではなかった。その背景には、このような長期にわたる「研修」期間が存在したのである。

 

 大統領在任中、レーガンは確認できるだけで360本の映画を鑑賞していた。だが、意外にも在職中にもっとも頻繁に映画を見た大統領はカーターであり、その数は4年間で400本に及ぶ。ニクソンも映画愛好家であり、5年7ヵ月の在職中に鑑賞した映画は500本を数える。

 レーガンは大統領として映画の科白を巧みに用い、映画のような価値観・物語性を政治に持ち込んだ。これは、著者によると、古典的なハリウッド映画の手法を用いた、現代大統領制再建の試みであった。

 それに対して、ハリウッドは1980年代前半、リンカーンやフランクリン・D・ローズヴェルト、ケネディのようにレーガンを映画に描くことはなかった。レーガンの演説する映像が断片的に切り取られて、主として否定的な文脈で映画の中に挿入されることがしばしばであった。

 著者はまた、レーガン登場によって、セレブの政治化がいっそう進んだと指摘する。すなわち、ハリウッドの主流派はレーガンの大統領当選を阻止しようとし、その後も彼の政策を批判して、ますます政治的な言動を増していったのである。

 著者はさらに、この時代の映画のテキストは社会とどのように連動していたのかについて、戦争、人種、性、そして階級に分けて検討している。戦争との関連でいえば、この時期の映画は一方でベトナム戦争の影を引きずっており、他方で1980年代半ばまでは露骨な反共産主義映画を多数生み出した。

 人種に関しては、映画は市場として黒人に迎合しながらも、彼らを保守的な価値観に誘っていた。性に関しては、1970年代の急進的なフェミニズムへの反発という側面が存在しており、「自立した女性や、男性に優越し、男性を拘束しようとする女性は応分の報いを受ける」とのメッセージを発していたと著者は特徴づける。階級という面では、制作者は市場で影響力を持つに至った大都市に住む専門職をもった若い上流中産階級に迎合せざるをえなかった、と著者は指摘する。

 ただし、こうした傾向は、1980年代の終わりに変化を被ることになる。著者が「きわめてレーガン的な作品」として注目しているのは、89年に公開された『フィールド・オブ・ドリームス』である。映画の舞台はレーガンの生まれ育った中西部で、主人公はレーガン同様父との葛藤を抱えていた。信じる者にしか見えない亡霊の登場という、ファンタジーと現実の交錯も、著者によると「レーガン的である」。主人公はトウモロコシ畑の中に野球場を作ることになる。「何よりも、[野球という]大衆文化を通じて、家族の絆や信頼、信念を称賛する点で、『フィールド・オブ・ドリームス』はレーガンの政治を体現している」。1980年代末期から90年代初頭は、レーガン的な価値観を体現した映画が数多く制作されている。

 本書は、表題から推測すると、やや柔らかい対象をテーマにしている本であるとの印象を与える可能性がある。しかし、全体にわたって膨大な註が付けられており、展開される議論は重厚な文献渉猟によって支えられている。

 これまでのアメリカ政治・外交、あるいは外交史研究などでは、たとえばウォルター・ラフィーバーなどが、エピソードとして映画に比較的頻繁に言及している(たとえば、『アメリカの時代――戦後史のなかのアメリカ政治と外交』久保文明他訳、芦書房、1992年)。ただし、それはあくまでいわば装飾品に過ぎず、間歇的に本論に挿入されるに過ぎない。

 それに比して、本書は本格的にレーガンの経歴を追いながら、同時代の映画の動向も分析の射程に入れ、政治動向との関連を説明しようとしている。

 おそらく個々の映画の誕生には多分に偶然性が作用しており、なおかつ、映画界全体の動向も、当然政治から一定の影響を受けつつも、多くの独立性を有している。映画界の全体的傾向すら、容易に断定できるものではない。本書は、このような意味で、不可能を前提にしつつ、それに挑戦した書であった。

 しかしながら、一方でレーガンの政治的経歴を詳細に辿り無数の映画に言及しながら、政治的潮流との関係性や傾向を指摘しようとした本書が提供する知見は大きい。とりわけ政治家としてのレーガンにしか関心がなかったアメリカ政治やアメリカ史の専門家、ハリウッドのみに興味を抱いていたアメリカ映画ファン、あるいはそれぞれに関心を持ちつつ、それらの関係性には関心を払ったことがなかった読者は、本書から多くのことを学ぶであろう。本書は、政治史と映画史を架橋する試みのパイオニア的研究書として高く評価できる。

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