書評
『民事訴訟による集合的権利保護の立法と理論』
京都大学大学院法学研究科教授 笠井正俊〔Kasai Masatoshi〕
本書の著者である三木浩一教授は、「集合的権利保護」のための3つの民事訴訟制度、すなわち、①消費者団体訴訟制度(消費者契約法12条から47条に定められている差止請求訴訟制度。その後、対象が不当景品類及び不当表示防止法、特定商取引に関する法律、食品表示法に拡大した)、②暴力団追放団体訴訟制度(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律32条の4から32条の14に定められている差止請求訴訟制度。「暴追センター訴訟制度」等とも呼ばれる)、③消費者集合訴訟制度(消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律(以下「特例法」という)による金銭請求訴訟制度。「日本版クラスアクション」ともいわれる。本書266頁参照)のいずれについても、制度創設をめぐる検討から法律案の策定に至る過程に実質的な関与をしてきた。本書は、著者が、それらの関与と並行し、または制度創設後に、比較法的な見地をも存分に踏まえ、制度設計の在り方、制度の位置づけや法的性質等について理論的に考察した論文の集成である(なお、以下の記述では、分かりやすくするため、各制度の名称の後に括弧書きで前記の数字①等を示すことがある)。
以下、本書の特色のいくつかを挙げ、次いで、各制度に関する論旨について若干のコメントをしたい。
理論的なドキュメンタリー
体裁面でまず目を惹くのは、著者もはしがきで特に書いているように、各章の冒頭に初出の年月が記載されているところである。これが三制度の立法史を時系列で物語るものとなっており、一種のドキュメンタリー的な効果を生み出している。目次と初出一覧を追うだけでも、21世紀の最初の15年間が「民事訴訟による集合的権利保護」にとってどれだけ重要な期間であったかを知る思いがする。
と同時に、本書は民事手続法の理論書である。三木教授の民事手続法理論に対する真剣な姿勢に評者は平素から学ぶところ大であるが、本書では、新制度について、立法論および解釈論の両面で、三木教授ならではの丹念な理論的分析が加えられている。「新しい制度を作る上で、訴訟物、当事者適格、処分権主義、判決効等の民事訴訟の基本的事項との関係をどのように考えていくべきか。」著者は、制度立案過程で、研究者としての役割を誠実に果たすべく、このような問いを常に念頭に置きつつ、考え、行動してきたのであろう。本書を一貫して流れるのはこのような問いと答えである。
それゆえ、本書を読むと、これらの制度について、それらがどのように構想され、いかなる事項が検討・議論され、それに対してどのような立法的決断がされ、さらにその内容にどのような問題が含まれるのかを、理論的なドキュメンタリーとして感じることができるのである。
立案担当者の解説書ではない
制度構築に深く関わった著者の手になるものであるが、本書は、法律のいわゆる立案担当者の解説書ではない。出来上がった法律の規定に対する理論的批判も率直であり、特に、消費者団体訴訟制度(①)の請求権制限効(消費者契約法12条の2第1項2号)については、既判力の拡張で処理せずに、実体法上の権利の制限という構成によったのは、立法技術的には望ましい選択ではなかったとする(本書38頁)。
消費者集合訴訟制度(③)については、制度の構想段階から様々な提案がされていたところ、三木教授の私案(222〜239頁の「集合訴訟に関する私案」。256〜261頁にもまとめられている)は、二段階型手続という骨格を始めとして実際の立法に大きな影響を与えたものである(例えば268頁参照)。しかし、その私案がそのまま法律の内容となったわけではない。また、同制度を分析した講演録である「消費者集合訴訟制度の理論と課題」(第5編第1章)は、立案に関わった者による法案の理論的解説ではあるが、将来に向けての検討課題として、原告適格者と対象事案の範囲の狭さも挙げられている(289〜292頁)。
視野の広さが現れている
本書の第3編は、諸外国における集合訴訟制度(クラスアクション等)を取り上げている。第1章でアメリカのクラスアクションを中心として、比較法制度研究の意義が説かれる。いわゆるクラスアクション・アレルギーを生むのは、クラスアクションの仕組みそのものではなく、ヤンキー・パッケージとも呼ばれるアメリカの民事訴訟制度が有する一群の特徴によるとの指摘(106頁・250頁)は、日本への集合的権利保護訴訟導入についての懐疑的な見方に対する痛烈な反論である。また、ブラジルのクラスアクションの二段階構造は、日本の消費者集合訴訟制度(③)で大いに参照されたところであり、その初めての本格的な紹介・解説であった本書第3編第3章は、日本の立法史上、特筆すべき役割を果たしたといえる。
これらのみならず、本書では、多くの国々の集合的権利保護制度について、その歴史も含めて紹介、検討されており、それらとの対比や類比において、日本の制度が考察されている。また、各制度について、他に考え得る制度との対比を踏まえた分析がされている。著者の視野の広さは、こういった形で本書の随所に表れている。
各制度の解説について
本書は、消費者団体訴訟制度(①)における差止請求権を消費者団体の固有権構成としたことには、政策的な理由もあるが、そもそも理論的な必然性があったとする(31頁・79頁)。これは、消費者集合訴訟制度(③)の基礎となる権利が個々の消費者の権利であることと対比されるものであり、拡散的権利(①の基礎となるもの)と同種個別的権利(③の基礎となるもの)との理論的な対比(32頁等、本書を一貫している)を根拠とする。他方、暴力団追放団体訴訟制度(②)は、団体訴訟であり、固有権構成と訴訟担当構成のいずれもあり得たが、個人の人格権に基づくものであることなどから、任意的訴訟担当の構成がとられたとする(79〜82頁)。さらに、同種個別的権利でも、それが集合的に行使される訴訟で一括して審理されるのは共通争点のみであることから、消費者集合訴訟制度(③)における二段階型手続の仕組み(共通争点と個別争点の区分)は必然ともいえるとの指摘(272〜274頁)もまた重要である。これらは、団体訴訟と集合訴訟という二類型の集合的権利保護訴訟に関する理論的体系的分析として的確なものであり、本書の貴重な価値といえる。
ところで、消費者団体訴訟制度(①)が実体法上の差止請求権と併せて訴訟法上の当事者適格をも同時に創設的に付与したとの説明(34頁)は、やや意表をつくものである。実体法上の権利があれば当事者適格があるのは当然と思われるからである。しかし、その説明の実益は、適格認定が取り消された場合に、訴えが却下されることになって、請求権制限効が働かないとする結論に結び付けることにあると考えると納得がいく。
暴力団追放団体訴訟制度(②)の立法解説と評価(本書第2編)は、これまで全く不勉強であった評者にとって、とても有益であった。民事手続法学者による本格的な検討として、随一のものと思われる。原告である団体に授権をした地域住民等の個人情報は、その平穏で安全な生活の確保のために秘匿される必要があり、その点についても指摘されている(71〜73頁・88〜92頁)。もっとも、訴状や判決書に授権をした地域住民等(被担当者)の住所や氏名を記載する必要はないので、そのような方向での理論構成を示すべきではなかったかと思われる。例えば、権利能力のない社団が当事者となる場合には、その当事者適格の性質について法定訴訟担当と解するか任意的訴訟担当と解するかを問わず、判決効が及ぶ構成員の住所・氏名を訴状や判決書に記載する必要があるとは思われない。ちなみに、既判力の基準時である口頭弁論終結日も、旧民事訴訟法下では、現行民事訴訟法253条1項4号のような定めはなく、判決書に記載されていなかったが、その基礎には既判力の基準時が問題になった場合には訴訟記録を見れば足りるとの考え方があった。既判力の主体的範囲についても、それが後訴で問題になった場合には、前訴(暴力団追放団体訴訟)の記録を見れば分かると考えておけば足りるように思われる。暴力団追放団体訴訟でもそういった後訴でも、地域住民等の個人情報が保護されるように、訴訟記録の閲覧制限、代理人弁護士のみによる閲覧と秘密保持といった工夫が必要になるが、後訴で既判力が問題となる場面自体がそれほど多くないであろう。
本書の消費者集合訴訟制度(③)に関する分析は、大部分において評者も賛意を覚えるが、疑問を感じる部分がないわけではない。評者は、これらについて、一段階目の共通義務確認訴訟についてのみであるが、既に別稿で述べた(拙稿「共通義務確認訴訟の構造︱︱特に、訴訟物、当事者適格、判決効」〔法の支配182号(2016年)〕67頁以下。なお、二段階目の手続に関する本書の記述に特に異論はない)。本書の考え方に特に賛意を覚えるのは、共通義務確認訴訟における特定適格消費者団体の当事者適格の性質が一種の法定訴訟担当であるとするところ(本書279・298頁。拙稿72頁参照)、同訴訟の判決の効力(特例法9条)について、既判力の片面的拡張とはいえないとし(本書282・307頁)、その特徴は判決効の利用手段の有無における消費者側と事業者側の間の非対称性にあるとするところ(本書283頁。なお、評者は、法的な片面的拡張がないことは三木教授の見解のとおりであるが、三木教授のいう利用手段の有無における非対称性を勘案すると、事実上の片面的拡張があると表現することも可能であると考えている。拙稿76頁参照)などである。
他方、共通義務確認訴訟の訴訟物について、それが実体権の成立要件の一部を取り出したものであり、厳密にいえば法律上の争訟に該当しないものを対象とするとの見解(本書295頁)には賛成できない。共通義務確認訴訟でも、特定の義務者に対して一定の属性の対象消費者(権利者)が存在することは原告の請求(特例法5条参照)と請求認容判決の前提となっており、特例法2条4号の「義務を負うべきことの確認」という文言からしても、確認対象は権利義務ないし法律関係であり、法律上の争訟であるというべきであろう(拙稿69頁参照)。
おわりに
本書を通読して思うのは、わが国において、21世紀に入ってから、民事訴訟によって集合的に権利を保護するための法制度が格段に充実したということ、そして、その画期的とも評しうる法制度の創設に対して本書の著者がいかに重要な役割を果たしたかということである。これらの制度は、今後、長く我が国において生き続けるであろう(もちろん、その対象となる行為がなくなるに越したことはないのであるが……)。そして、本書は、それに応じて、長く読まれ続ける価値を有するものといえる。