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第2回 経済学で進むフィールド実験革命

京都大学大学院経済学研究科教授 依田高典〔Ida Takanori〕

1 ランダム化で因果性が分かる

 近年、日本でも、エビデンスに基づく政策立案(Evidence Based Policy Making: EBPM)が知られるようになり、科学的根拠となるエビデンスが重視されるようになっている。その際、重要なのが、因果性と相関性を分けて考えることだ。因果性分析とは、2つの出来事の原因と結果を識別し、その間の効果を測ること。相関性分析とは、2つの出来事の間に、強い関係があり、その強さを測ることである。

 因果性と相関性は別物だ。例を挙げて説明しよう。2011年3月の東日本大震災以降、原子力発電所が次々と稼働を停止し、老朽火力発電所に頼らざるを得ないために、発電費用が跳ね上がり、電気料金が20%程度高まった。また、震災後、電気消費の最大需要は、20%程度下がっている。この関係から見ると、震災前と震災後を比較して、電気代が上がったために、電気需要が下がったように思われる。実際、そのような報道も多い。

 しかし、本当にそうだろうか。必ずしも、そうとは言い切れないのが、難しいところだ。というのも、震災後、政府や自治体から、家庭を含めた需要家に対して、節電要請が発令され、実際に、その節電要請に従って、多くの需要家が一生懸命、節電に努めたと考えられる。そうなると、20%の節電効果において、価格上昇と節電要請の効果をそれぞれ識別するのは簡単ではなく、変数の間に相関性はあるとは言えても、因果性があるとは言い切れないのだ。

 因果性の識別戦略が、現代経済学の先端研究のトレンドになっている。2つの出来事のデータを回帰するだけでは、因果性は分からない。それでは、どうすれば、因果性が分かるのだろうか。そのために考案された新しい経済学潮流が、「フィールド実験」である。フィールド実験は、ランダム化比較対照実験と呼ばれ、実験参加者に日常生活の中で現実的なタスクを行ってもらうのだが、ランダムに介入を受けるトリートメント・グループと介入を受けないコントロール・グループに分け、両者の結果を比較する。両者の結果が違うとしたら、介入の効果である。

 先ほどの電力需要を例にとれば、ランダムに半分の実験参加者は既存の固定電気料金に割り当て、半分の実験参加者は時間帯別変動料金に割り当てて、両者の電気需要を比較すれば、電気需要の価格弾力性を測定することができるのだ。因果性を識別できるフィールド実験は、時には、「最強の経済学」と呼ばれ、2000年代に入って、経済学のフロンティアを切り拓いている。

2 貧困を実験で救う

 フィールド実験を駆使して、経済学のフロンティアを走っている分野が、開発経済学である。特に、その分野のスター経済学者が、エステル・デュフロだ。デュフロは、MITに勤務するフランス出身の女性経済学者で、40歳以下のアメリカの優れた経済学者に授与されるクラーク賞を2010年に受賞している。

 デュフロは、「配管工としての経済学者」を自任し、開発経済学のフィールド実験を専門としたJPALという組織を立ち上げ、社会問題の解決のために、八面六臂の活躍を続けている。また、デュフロは、発展途上国で、初等教育へのアクセスは改善したにも関わらず、なぜ多くの子供たちが読み書きも割り算もできないままなのか、言い換えると、どうしたら子供達が学べるようになるのかと問うことから、フィールド実験を用いた研究を始めた。また、女性の地位向上に関する政治学の話題にも、鋭いメスを入れている。

 デュフロは、共著『貧乏人の経済学』の中で、貧困研究の成果を要約している。

 

アビジット・V・バナジー(著)、エステル・デュフロ(著)、山形浩生(翻訳)『貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える』みすず書房、2012年

(みすず書房のサイトに移動します)

 以下、著作のエッセンスを抜粋しよう。

 

 「『貧乏人の経済学』は結局のところ、貧乏な人の暮らしや選択が、世界の貧困と戦う方法について教えてくれることについての本です。例えばマイクロファイナンスは便利だけれど、なぜ一部の人が期待したような奇跡ではないか理解できるようにします。あるいはなぜ貧乏人が、便益より害のほうが大きいような健康保険にしか入れないのか。なぜ貧乏人の子供たちは、何年も学校に通うのに何一つ学べないのか。なぜ貧乏人が健康保険をほしがらないか。そして本書は、なぜかつて万能の解決策と言われた施策が、今日の失敗したアイデアの山に投げ捨てられるかを明らかにします。本書はまた、希望がどこにあるかもいろいろ述べています。なぜ形ばかりの補助金が、形ばかりなどでない効果をもたらせるのか。保険をもっとうまく売る方法、なぜ教育では少ないほうが成果が高いこともあるのか。なぜ成長のためにはよい職が重要か。そして何よりも、なぜ希望が必須で知識が不可欠かも明らかにし、なぜ課題があまりに大きく見えても、努力を続ける必要があるのかも明らかにするのが本書です。成功は必ずしも、見た目ほど遠いわけではないのですから。」(『貧乏人の経済学』12-13頁)

3 この世界は実験室だ

 フィールド実験を活用して、人間の様々な経済行動の分析を掘り下げているのが、異色のブルーカラー経済学者、シカゴ大学教授のジョン・リストだ。多くの優秀な経済学者が、ハーバード大学、スタンフォード大学出身者であるのに対して、リストはワイオミング大学という地方大学の出身であり、働き始めのスタートも中央フロリダ大学という無名大学であった(失礼!)。父親もトラック運転手であり、銀のスプーンと一緒に生まれてきたわけではない。

 しかし、フィールド実験で求められる能力は、紙と鉛筆の数学的センスというよりは、重要な経済問題について、どうやったら因果性まで識別できるかというビジョン、様々な利害関係を持つ研究パートナーとの調整を行いつつも、目標に向かって突き進むマネージメント能力である。リストには、そうした能力が備わっていたと考えられる。

 リストは、共著『その問題、経済学で解決できます。』の中で、彼らの問題意識を、次のように要約している。

 

ウリ・ニーズィー(著)、ジョン・A・リスト(著)、望月衛(翻訳)『その問題、経済学で解決できます。』東洋経済新報社、2014年

(東洋経済新報社のサイトに移動します)

● 女性と男性が同じだけ働いても、女性の方が収入が少なく、役職者も少ないのはなぜだろうか。

● 同じものやサービスを買うのに、ある人は他の人よりも多くのお金を支払い、ある人は他の人よりも少ないお金しか支払わないのはなぜだろうか。

● どうして、人間はお互いを差別するのだろうか。どうしたら、差別を止めさせられるのだろうか。

● どうして、最も豊かな国アメリカで、地域によっては、高校中退率が50%を超えるのだろうか。

● 厳しいグローバル競争の中で、どうやったら、企業はイノベーションを持続させられるのだろうか。

● 非営利組織が、人々を動かして、慈善活動をもっと有効に働かせるには、どうしたら良いのだろうか。

 読者は、リスト達のフィールド実験の経済学がカバーする領域が、実に広いことに驚かれることだろう。経済学のイメージが変わるのではないか。今や、経済学は、日常の疑問に答えてくれる訳に立つ学問といってもよい。リスト達は、共著の中で、フィールド実験の必要性を説く。

 

 ぼくたちは社会全体として、教育や差別、貧困、健康、性別間の公平、環境、その他たくさんの分野に横たわる、大きくて根強い問題との戦いで、大きな進歩を遂げられていないのはなぜか、この本で繰り返し繰り返し書いてきた。それはぼくたちが、力を合わせて思い込みを捨てる努力を、まだちゃんとやっていないからだ。何がうまくいくか、そしてそれはなぜかをぼくたちは見つけ出せてはいない。一番差し迫った問題に科学的な研究の道具を持ち込むチャンスを、ぼくたちはみすみす見過ごしている。本当はこの世は実験室で、みんな自分で発見したことに学ばないといけないのがわからない限り、決定的に大事な分野で前に進むなんて望むべくもないだろう。」(『その問題、経済学で解決できます。』353-354頁)

4 日本でも始まった革命

 このように、世界の各地で発展しているフィールド実験だが、日本でも、幾つかの取り組みが既に始まっている。筆者達の研究チームは、経済産業省の支援を受けて、スマートグリッド技術の社会実装化をめぐって、日本で初めての試みとなる大規模なフィールド実験の運営を行った。そうした事情は、次の著作に詳しい。

 

依田高典(著)、田中誠(著)、伊藤公一朗(著)『スマートグリッド・エコノミクス――フィールド実験・行動経済学・ビッグデータが拓くエビデンス政策』有斐閣、2017年

(有斐閣の書籍詳細ページに移動します)

 「本書は、2011年3月11日に発生した東日本大震災とその後の福島第一原子力発電所事故の後、2012年から2014年までの3ヶ年にわたって、横浜市・豊田市・けいはんな学研都市・北九州市の4地域で実施されたスマートグリッドのフィールド実験の研究成果をわかりやすくまとめ、それに基づき、現在進行中の電力システム改革を展望するものである。思えば、著者の3人が2010年3月にアメリカのカリフォルニア州バークレーで集い、研究プロジェクトを思い立ってから、奇遇にも、経済産業省から同様の研究協力の申し入れがあり、東日本大震災に見舞われてからは、プロジェクトの社会的意義が大きく高まったこと等、数奇な運命があった。したがって、「スマートグリッド・エコノミクス・プロジェクト」は、われわれ3人の研究成果というよりは、多くの研究パートナーとの、一筋縄では行かない協力物語である。」(『スマートグリッド・エコノミクス』1-2頁)

 

 フィールド実験を運営すると、生身の人間の行動の不思議に直面する。人間行動が、伝統経済学のホモエコノミカスの想定に従うことはまれであり、行動経済学的な説明が必要不可欠になる。その意味で、フィールド実験と行動経済学は、表裏一体の関係にある。今や、経済学は、行動経済学的な仮説を、原因と結果を識別できる形で、実証的に検証する学問となっている。インターネット技術の発展に伴い、パーソナルなビッグデータの蓄積が進みつつある現在、経済学は、未来に向かって、社会問題解決型の実践的学問と変貌したのだ。

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