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連載

“BREXIT”
――イギリスのEU「離脱」の歴史的深層

第6回(最終回) ブレグジットの行方――イギリス、EUはどうなるのか

明治大学経営学部教授 安部悦生〔Abe Etsuo〕

 2016年6月の国民投票でブレグジットが決まった後も、投票キャンペーンに誇張などフェイクニューズがあったとして、再投票を求める声もあった。私も、キャメロンの後継首相が国民投票を再度実施するかもしれないと思っていた。しかし、後継のテリーザ・メイ首相は再国民投票を実施するどころか、2017年3月には、EUに脱退通告をしてしまった。この結果、イギリスとEUの離脱交渉が不調に終わった場合でも、2年後(2019年3月)には自動的にイギリスはEUを離脱することが確定した。

 メイ首相の下で、幾度かの交渉がもたれたが、分担金問題一つを取り上げても、交渉は進展していない。ブレグジットの要である移民問題に関して、メイ首相は譲歩しないと言っているので、こちらも膠着状態である。しかし、EUを離脱しても、実際に移民をどの程度制限できるかは不確かである。EU側からは、現時点でイギリスに居住しているEU市民は、離脱後も家族を呼び寄せることができ、また将来の配偶者、生まれた子供も呼び寄せることができるなど、イギリスとしては飲みにくい条件が提示され、交渉は進展していない。現在、320万人の在英EU市民がおり、逆に120万人の在EUイギリス人がいる。こうした人々が、EU提案のような地位を得ることができるのか否かに関しては、移民制限と絡んで難しい問題となっている。さらにまたEU域外移民も、現実問題として、どの程度移民を減らすことができるか、はなはだ疑問である。毎年の15万人をかつての5万人程度にはできないであろう。

ポスト・メイ

 2017年6月に、自らの政治基盤を強化しようとして、メイ首相は総選挙に打って出たが、結果は却って保守党下院議員の減少をもたらし、過半数割れとなり逆効果となった。北アイルランドの民主統一党(DSP、プロテスタント系)と閣外協力で連携し、かろうじて過半数を確保し、政権を維持できた。総選挙を行った理由は、総選挙で勝利することにより政治基盤を強化しようとの意図であった。これは、2人の首相補佐官が進言したからと言われている。しかしその目論見は外れ、結果的に保守党内右派議員の反発を招き、補佐官2人は辞任に追い込まれた。閣僚を軽視し、側近政治を行っているという批判を受けたメイ首相は、補佐官の解職という詰め腹を切らされ、以後求心力を完全に失った。

 10月の保守党大会で、メイ首相は大演説を行うことによって起死回生を狙った。だが、肝心の演説が、妨害者の登場によりペースを乱され、おまけにひどく咳き込むなど、健康面にも不安を持たれ、散々な結果になった。サッチャーのように、保守党を強いリーダーシップで率いていくのを、もはや期待できないことは衆目の一致するところである。しかし、後任を噂されるボリス・ジョンソン外相やデービスEU離脱担当相、ゴーブ環境相、ハモンド財務相なども、いずれも党内主流に人気がないか、リーダーシップに難があると言われている。キャメロンと一緒に、残留の旗を振ったオズボーン前財務相が首相となる芽もない。とすると、メイが辞めたのち、誰が首相になっても舵取りは上手くいかないであろう。

 総選挙に打って出た4月には、保守党と労働党には支持率に大差があった(48%対24%)。だが、6月8日の総選挙当日にはその差は大幅に縮小していて、結局労働党が躍進し、保守党が議席を減らす結果となった。近頃ではその差は逆転し、労働党の方が支持率が高くなっている。いま総選挙を行えば、労働党のジェレミー・コービンが首相になると言われているほどである。

 かつて泡沫候補と言われていたコービンがなぜこのように人気が出たかについては、ブレイディみかこ氏の『労働者階級の反乱』(光文社新書・2017年)という、優れた「肌感覚」の本で説明されている。それに拠れば、キャメロン=オズボーンの緊縮政策に痛めつけられた白人労働者階級が、移民がその原因であると誤解して、反移民となったことがブレグジットの主要原因であった。現在は、緊縮政策反対の主張が白人労働者階級あるいは若者(特に学生)に受け入れられつつあるので、労働党の支持率が上昇したのだという。その政策には、大学授業料の無償化(かつてイギリスの大学授業料は無料であった。拙著『ケンブリッジのカレッジ・ライフ』(中公新書・1997年)参照)、低賃金労働の禁止(特に「ゼロ時間労働契約」)、鉄道事業の再国有化など、時代錯誤としか思えない政策もある。メイジャー、ブレア、ブラウン、キャメロンの時代が嘘のような変わり様である(ただし、労働時間を保証しない待機労働契約である「ゼロ時間労働契約」の禁止はあまりにも当然であろう)。しかし、現在のイギリスでは、こうした「古き良きイギリス」を取り戻す政策が人気を博しているのである。それを実行する財源については、まったく明らかにされることなく。

ヨーロッパの政治情勢

 2017年には、ヨーロッパで多くの選挙があった。3月にオランダ、5月にフランス大統領選挙、9月にドイツ、10月にオーストリアなどである。オランダ、フランス、ドイツではEU統合派が一応勝利したが、反EU勢力も伸長した。オーストリアでは、右翼の自由党顔負けの反移民を唱えた国民党が第一党となり、自由党と連立政権を樹立し、反統合派の政権ができそうである。社民党は退潮した。以上のように、全体としては、EUの政治情勢は排外主義、自国ファーストに極端に傾いているわけではないが、それでも徐々に右傾化・排外主義・反リベラルの方向に動いていることは事実である。「イスラム国(IS)」が瓦解して、その残党がヨーロッパに舞い戻り、テロがさらに多くなり、庶民レベルで反イスラムの感情、雰囲気が強くなることも予想される。経済的にも、ユーロの本質からして、「ドイツ一人勝ち」の様相は大きく変わらないであろう。

 さらに10月には、カタルーニャがスペインからの独立投票を実施し、それを受けて州政府が独立宣言を行った。ヨーロッパでは、スコットランドやイタリア北部、ベルギーの一部など、「国民国家」から離脱して、独自の国家を築きたい願望を持つ地域がある。しかし、EU委員会は、EUの構成国が極端に増加することを警戒して、地域の独立を歓迎していない。カタルーニャの独立も認めない方向である。だが、このカタルーニャの動きはスコットランド独立の動きを刺激し、いっそうイギリスのEU離脱を複雑にするであろう。もっとも、カタルーニャの先般の投票(違憲とされている)でも、独立への支持は9割と圧倒的に独立派が多いように喧伝されているが、全体の投票率は43%に過ぎず、実質的な独立賛成派の比率は5割にも達していないのではないか。独立反対の大規模なデモも行われ、カタルーニャ内部での対立が激化するかもしれない。スコットランドでは独立派が負けたので、一応今は収まっているが、今後どのような展開になるか、予断を許さない。

 以上のような不安定要因もあるが、近い将来にはEUは崩壊しないであろう。また、エマニュエル・トッドの予言と相反して、ユーロも持続するであろう。EUに加盟していること、およびユーロの効用はほとんどの国にとって大きいのである。

イギリスの経済状況

 いわゆるハードブレグジットは、EUの単一市場から離脱すること、ソフトブレグジットは単一市場に残りながら、移民制限も可能とすることだが、EU側が後者を認めることはないだろう。そうだとすると、あれこれ交渉しても結局時間切れでハードブレグジットになる可能性が高い。その後二国間交渉で、スイスのようにFTA(Free Trade Agreement)を結ぶか、上手くやればノルウェーのようにEEA(European Economic Area)に残るか、あるいはトルコのように関税同盟に入るか、以上の選択肢しかなくなる。

 もっとも離脱派は、国民投票の時に、EUから離脱すればヨーロッパに囚われないグローバルな経済活動、企業活動が行えるとして誇大な論陣を張っていたのだが、そうはうまく行きそうもない。というのも、離脱決定後の半年は堅調だったが、2017年に入ってから、イギリスとユーロ圏との経済的な差が目立つようになった。2017年1月〜3月のイギリスの経済成長率は前期比0.2%であったのに対し、ユーロ圏は0.6%であった。またポンド安を受けて、物価上昇率が年率換算で3%近くに上昇している。この物価の上昇はイギリスの消費マインドを冷まし、小売の売上も好調とは言えなくなってきている。

 イギリス経済にとっては、金融の盛衰が死活的意味を持っているが、その金融でも徐々に本部をフランクフルト、ルクセンブルク、ダブリン、パリなどに移そうという動きが活発になっている。ダブリンでは、金融機関の移転を見込んで建設ブームが起きている。あと1年たてば、金融界でも結果は自ずと判明しよう。シティがゴーストタウンになっていることはないだろうが、かつての活気が嘘のような静けさに取って代わられていることは十分考えられる。

結びに

 2016年6月に、イギリスはブレグジットの決断をした。キャメロン首相の跡を襲って首相となったテリーザ・メイは投票結果を尊重するとして、ブレグジットの方向を変えなかった。国民投票では国の意思を決めるには不十分で、議会制民主主義を取るイギリスでは、議会承認が必要だと、西インド諸島出身の女性経営コンサルタントが訴えた。最高裁は議会の承認が必要であるとの判決を下し、メイ首相はそれを受けて議会承認を行なった。元々下院では、保守党、自民党、労働党を併せれば、4分の3は残留派であったにもかかわらず、メイは承認の方向に引っ張っていった。最初から議会で議論・承認していれば、残留派が圧倒的に勝利していたのである。

 イギリスは、今後ブレグジットの影響を受けて漂流を開始するのかもしれない。東欧からの移民や、あるいはインド亜大陸、中東、アフリカ、西インド諸島などからの移民の流れを大きく止めることは難しいであろう。

 経済的には、EUから離脱したのちも、サッチャー以来の規制緩和、民営化の自由競争の流れの中で、従来の好調な経済を維持できるかどうかも不明である。いわゆる「新自由主義」じたいが大きな批判にさらされているからである。

 しかし、ある種の期待を込めて、次のような論を紹介したい。1970年代にイギリス経済がどん底に喘いでいた時を描いて、経営史家のバリー・サプルが、エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』という小説のタイトルを引用し、恐れを乗り越えることが大切であると述べたことがあった(1992年)。また、1930年代大恐慌時の、恐れそのものが一番の敵であるとのフランクリン・ルーズベルトの言葉も思い出す。自らが下した判断を、恐れを持ってではなく、信念を持ってやり抜くことが必要であろう。たとえブレグジットが最善の選択ではなかったとしても。

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