連載
“BREXIT”
――イギリスのEU「離脱」の歴史的深層
第5回 ブレグジットの経済的側面とユーロ
明治大学経営学部教授 安部悦生〔Abe Etsuo〕
2016年6月23日の国民投票で、ブレグジットが勝利した理由は、「感情」が「理性」に勝ったからだという解釈がある。
移民嫌いという感情が、離脱すれば経済生活は悪くなるという合理的計算、つまり理性に勝ったからというのである。これは一面で当たっている。EUを離脱すれば生活が悪くなるぞ、という脅しはある程度は有効であったが、それ以上に移民嫌いの感情が強かったこと、さらには脅されて残留に投票するのはイギリス人魂が許さなかったこと、こうした分析である。たしかに、ブレグジット直後のインタビューでも、脅されるのはごめんだという回答があった。オバマ大統領やEUの首脳など海外著名人はこぞって、キャメロン首相を先頭とする残留派に、EUから離脱することがいかにイギリスに不利益をもたらすかといった援護射撃を行った。しかしそれは結果的に逆効果だったように思う。海外から余計な干渉をされたくないという反骨精神が掻き立てられたこともあるし、自分のことは自分で決めるという主権が争点になっていたからである。
さらに、離脱派の多くの文献は、イギリスが離脱しても経済的に決してEU諸国に劣らないどころか、世界中と自由貿易をすることにより、EUのほとんどの国よりも高い成長が期待できると論じた。もちろんこれは国民投票に勝たんがための誇大広告であるかもしれないが、一抹の合理的根拠はある。例えば、EUを離脱すればイギリスからの輸出には無関税であったのに10%の関税が掛けられ、著しく不利になるという。しかし、EUの関税に対して報復関税(この言葉は穏当でないので対抗関税)10%を掛ければ、それほど変わらない。むしろ有利な場合もある。自動車産業は部品なども含めると、EUから457億ポンド輸入しているが、輸出は321億ポンドである。したがって10%ずつ関税を掛け合えば、イギリスに有利になるであろう。多くの日本企業は大陸に輸出できなければ工場移転も考えざるをえないとするが、自動車産業などのように輸出入バランスを見れば、必ずしもそうとも言えない。日系自動車企業は、イギリス国内でのシェアをかなり高めることができるのではないか。またサンダーランドの日産は、イギリス政府から離脱になっても不利益にならないような言質を取ったという情報もある。貿易面でさほど不利益は起きないのではないかという私の見立てである。もちろん、トヨタは75%、ホンダは80%をヨーロッパ大陸に輸出しているので、かなりの影響はあるだろうが。
投資の面で急速に大陸のEU諸国に工場移転する必要もそれほどないであろう。すでに2000年代から、パナソニック、ソニー、NECなどの日系企業はチェコ、ハンガリーなどに工場を移転しており、1980年代・1990年代と比べれば、製造業における日系企業、ドイツ企業のイギリス展開は大きくはない。すでに移転すべきものは移転しているのである。残っているのは、自動車関連、鉄道車両関連などの比較的アドバンテッジをもっている産業である。
しかし、イギリスが得意とする金融では問題がある。シングル・パスポート制度といって、EU内のどの国で認可されても、他国で銀行業が営めるという便利な制度である。この制度の恩恵を受けられなくなると、アメリカ、アジアの金融企業が支社をEU内、特にパリ、ダブリン、フランクフルトに移す可能性は大きい。そうなると、ロンドンの国際金融業における地位は低下せざるをえない。ロンドンに所在するイギリス系、アメリカ系、アジア系の企業が実質的な本社をインフラの整ったロンドンに置き、ダミーの支社(現地法人)をダブリンなどに置くと、EU内の金融活動が自由に行えるという搦め手も考案されてはいるが、EU委員会はそれを認めない可能性が高い。ロンドン証券取引所とドイツ証券取引所の合併にも暗雲が立ち込めている。このように、イギリスが最も得意としている金融分野で不利な影響を蒙る恐れがある。
ユーロの問題点
しかし、EUにも大きな弱点がある。それはユーロの置かれた構造上の脆弱性である。現在、ユーロ参加国は19か国である(EUは28か国)、その中には、ドイツのような経済強国、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどの優等国、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、キプロスなどの問題国、そして何度も危機を惹き起こしている超問題国ギリシャなど、経済力に格差がある国々が含まれている。
各国が独自の通貨を持っていれば、通貨の切り下げ、切り上げを通じて、貿易収支、経常収支はバランス方向に動くことができる。しかし、マルクやフラン、リラ、ドラクマがなくなると、各国は為替変動を通じて経済競争力を調整できず、相対的に実質的な為替安を享受するドイツなどが有利になり、ギリシャなどの競争力が弱い国は経常赤字を増大させていく。この経常赤字が資本移転(例えばギリシャ国債の購入)によってカバーできれば、各国の経済はバランスするのだが、いつまでも経常赤字国に資本移転は行えず、ある時点で資本逃避が起きる。そうなると、国家財政は破綻するのである。
財政同盟、つまり財政的に豊かな国から貧しい国への資金投入が可能であれば、貧しい国の破綻は避けられるのだが、それは国情が違うので極めて困難である。東西ドイツ統一以降、西ドイツは膨大な額(毎年20兆円以上)を東ドイツに投じてきた。そのために東ドイツは破綻しないで済んでいる。同じことを、ドイツからギリシャに行えるのが財政同盟であるが、東西ドイツは同じドイツ人なので無理をして救援したが、ドイツがギリシャに経済支援をすることは困難であろう。ドイツの納税者が納得しないからである。このように、未だ国別の相違が厳然として存在している。また同じ国の中でも経済格差が大きな南北イタリアでは、北から南への財政移転が大きな不満の元である(イタリアの政党、北部同盟はこれを止めさせるために存在している)。さらにまた、このような国を跨いだ財政支援は、EUの基本条約であるリスボン条約の禁ずるところである。
ユーロには、銀行が破綻した場合の救済措置を可能とする銀行同盟も存在していない。それを防ぐには事前の銀行監督機能が必要であるが、それも現在は存在していない。あるいはユーロ共通債を発行できれば、実質的な財政移転になるのだが、それも実現していない。ドイツがギリシャなどの財政放漫の尻拭いを嫌っているためである。
だが、EUもいろいろ打開策は考案中である。ユーロ紙幣の発行は、ヨーロッパ中央銀行(ECB)が行うのではなく、各中央銀行が行う。当然、その発行量は無制限ではなく、許可が必要である。しかし、特別な場合には特別発行枠が認められ、財政逼迫回避の弾力性を与えている。さらには、2010年にドイツが主導した財政協定により、TARGET(中央銀行間の大口資金決済システム)が強化され、これが部分的な財政移転の抜け道となった。ただし、基本的には財政移転は可能ではなく、なおユーロ諸国間の対立の火種となっている。
イギリスは、ユーロには加わらなかった。というのも、ヘッジ・ファンド王ジョージ・ソロスらによるポンド売りを受け、1992年、当時のExchange Rate Mechanism(為替相場メカニズム)から離脱せざるをえなかった苦い経験があったからである。
2010年、ギリシャ金融危機が起きたとき、イギリスのキャメロン首相はユーロに入っていなくてよかったと発言し顰蹙を買ったが、その後、ドイツ主導の財政協定や単一破綻処理基金の設立に関してイギリスは独仏枢軸と対立した。だが、イギリスの意見は通らなかった。この頃からユーロ国と独自通貨国の対立が深まり、つまりは独仏対イギリスの対立が深刻化した。独仏などのユーロ圏がイギリスを外して様々な意思決定を行なうことに疎外感・不利益感を持つようになったのである。これもブレグジットの一因となった。
イギリスの復活はサッチャー改革のお蔭か、EU単一市場のお蔭か
イギリスが1973年にECに加盟した時、イギリスの経済状況は最悪であった。インフレと高い失業率という従来の経済学ではありえない状況が出現していた。スタグフレーションと呼ばれたこの状況は、イギリスだけのものではなくアメリカや日本、他のヨーロッパ諸国においても見られたのだが、経済成長率や他の分野でもイギリスの経済パフォーマンスの悪さは際立っていた。
サッチャーが1979年に首相になり改革を始め、民営化、労働慣行の柔軟化、労働組合勢力の弱体化、外国企業の誘致など、様々な政策を打ち出した。しかし、1980年代はなお10%の失業率など、その成果は目に見える形では現れなかった。だが1990年代に入り、保守党のメイジャーが首相となるころから顕著な改善効果が現れ、2000年代のブレア労働党政権の下では、他のEU諸国を上回る成果をあげるようになった。ドイツはこの頃、西ドイツマルクと東ドイツマルクの交換比率を1対1とした統合の負担で不振に喘ぎ、イギリスの好調さが際立つことになった。「イギリス病よ、さようなら。ドイツ病よ、こんにちは」の世界である。しかし、1999年にユーロが導入され、単一市場(ヒト、モノ、カネ、サービスの自由市場)が拡大するとドイツが復活し、2010年代には圧倒的な強さを誇ることになった。ただし、イギリスもドイツに次いで好調を堅持した。
こうしたイギリス復活の原動力はサッチャー改革にあるのだろうか、それともEU単一市場拡大のお蔭なのだろうか。言い換えると、5億人の人口、20兆ドルの巨大なEU市場のお蔭でイギリスは好調になったのだろうか。イギリスは、ERMから離脱して通貨の自由を取り戻した時から好調になったように見える。1979年にERMが発足した際には、イギリスは加わらず、1990年に至って加盟したものの、すぐさま離脱した。
イギリス好調の要因として、EUのお蔭が第一であれば、EUから離脱することによって、イギリスは打撃を受けるであろう。しかし、サッチャー以来の改革がイギリス好調の基本要因であるならば、離脱後もイギリスは好調を持続するであろう。あるいは、両要因が等しく寄与していたとするならば、イギリス経済は減速し、ドイツに水をあけられることになるだろう。その答えは誰も知らない。エコノミストの予想はだいたい当てにならないのである!