連載
人生の智慧のための心理学
第2回 将来の学力は幼児期に決まるの?
東京大学名誉教授(質問者) 繁桝算男〔Shigemasu Kazuo〕
お茶の水女子大学名誉教授(回答者) 内田伸子〔Uchida Nobuko〕
繁桝先生からの質問1
「マスコミでは経済格差が学力格差をもたらしている」という説をよく聞きます。この説は、親の年収などの社会経済的指標と学力との相関であるとか、社会経済的階層間の違いで比較した子どもの学力や教育年数に差があることを根拠としています。しかし、相関データだけから直接因果を語ることはできないのです。またこの見解は一種の宿命論的な考え方を導きかねません。各家庭の置かれている状況や経済格差を乗り越える子育てはどのようなものでしょうか?
内田先生の回答1
教育社会学者やマスコミは、「学力格差は経済格差を反映している」ので、「保育園に通園している家庭の所得は幼稚園通園家庭よりも低いためではないか」というコメントを発表しました。私はこのコメントに疑問をもちました。経済格差と連動して動く要因(媒介要因)があるのではないかと思ったのです。何よりも、経済格差は子どもの発達や親子のコミュニケーションに一体どんな影響を及ぼすのだろうか? この疑問を解いてみたいと思いまして大規模国際比較追跡調査を行いました。
幼児のリテラシー(読み書き能力)の習得に及ぼす社会・経済・文化的要因の影響はどのようなものかを明らかにするため、日本(東京)・韓国(ソウル)・中国(上海)・ベトナム(ハノイ)・モンゴル(ウランバートル)、各国3000名の3・4・5歳児を対象に個人面接調査を実施しました。彼らが小学生になるまで追跡し、小学校でPISA調査を受けてもらいました。テストを受けた子どもの保護者全員とこの子たちを保育している幼稚園と保育所の先生方全員に文字環境やしつけ、絵本の読み聞かせの頻度、塾や習い事の種類、子どもの学歴への期待度、家庭の蔵書数、所得などについて、アンケート調査を行いました。
①家庭の所得は読み書き能力とは関係ない 読み書きの成績は家庭の所得(2009年度の子育て世帯の平均所得691万円を境に高低を定めた)との関連はありませんでした。ところが、絵画語彙検査で測定した語彙力(知的能力)は高所得の家庭の子どもの語彙得点が高いという結果でした。高所得層では塾や習い事をさせているのかもしれないと考え、早期教育の要因を調べました。その結果、習い事をしてない子どもよりも、習い事をしている子どものが成績が高かったのです。しかし、芸術系、運動系、ピアノやスイミング、体操教室などの習い事をしている子どもと、受験塾や英会話塾など学習系の塾に通っている子どもの間には語彙得点の差はありませんでした。語彙に影響するのはコミュニケーションが多様で豊かな場合であり、塾の学習内容とは関係がなかったのです。
②子ども中心の保育(自由保育)でこどもは伸びる 語彙得点の差は幼稚園か保育所かという園種の違いではなく、保育の仕方の違いによることが判明しました。小学校1年生の国語や算数、英会話などの先取り教育や、鼓笛隊や体操の訓練をしている「一斉保育の」幼稚園や保育所の子どもに比べて、自発的・主体的な遊びを大切にしている「自由保育(子ども中心の保育)」の幼稚園や保育所に通っている子どもの語彙力がずっと豊かであるという結果が明らかになったのです。しかも、年長になるほど、この差は広がっていくことが明らかになりました。この子たちには小学校でPISA型学力テストを受けてもらいました。子ども中心の保育の幼稚園・保育所卒の子どもの方が学力テストの成績が高かったのです。上海(保育所のみ)を除く他の国の結果も同じでした。同じ子どもを追跡しているので、学力テストと保育形態の関連は、単なる相関関係ではなく因果関係があるということなのです。つまり、幼児期に、どんな保育形態の園で保育を受けたかが、小学校での学力テストの成績を左右することが明らかになったのです。
③親のしつけ方も影響因 語彙得点が高い子どもは「共有型しつけ」を受けており、語彙得点が低い子どもは「強制型しつけ」を受けていることが明らかになりました。共有型しつけとは、親子のふれあいを大切に、子どもと楽しい経験を共有したいというしつけ方を指しています。高所得層に多いのですが、分析を進めてみると、低所得層であっても、家庭の蔵書数が多く絵本の読み聞かせをよく行っている家庭では、子どものリテラシーや語彙得点が高く、逆に子どもがすべきことをするまで事細かに指示し、悪いことをしたら罰を与えるのは親の役目、日ごろから禁止や命令のことばかけが多い「強制型しつけ」を受けた子どもはリテラシー得点と語彙得点が低くなりました。この子たちが小学校1年に受けたPISA型学力テストの結果、家庭の所得に関係なく、共有型しつけのもとで育った子どもの成績は高く、強制型しつけを受けて育った子どもの成績が低くなりました。幼児期のしつけと学力テストの成績には因果関係があることがわかりました。
結論 その後、親子の会話分析(1)やウェッブ調査の結果(2)もあわせて、乳幼児期から親も保育者も子どもの自発性や主体性を大切に、3H(ほめる・はげます・[視野を]ひろげる)ことばかけで我が子に丁寧にかかわることが経済格差を凌駕する鍵を握っていることが明らかになりました。
繁桝先生からの質問2
わたしも経済格差が教育格差を生むという説に疑問を持っていました。内田先生の回答は、経済格差が教育格差を生じるとしても、それを介在する変数があり、それしだいによって子どもは成長するという力強い考えを述べられております。どのようにすれば、子どもの持っている本来の可能性を育てられるのか。やはり、内田先生には、「子どもの自発性や主体性を大切に、3H(ほめる・はげます・[視野を]ひろげる)ことばかけで我が子に丁寧にかかわる」ということをもう少し具体的にお答えいただきたいと思います。たとえば、若いお父さんやお母さんは、子どもの将来像として、オリンピック選手、音楽家、学者などになることを考え、子どもに早期教育に受けさせることも多いと思います。これは、私は良いことだと思いますが、早期教育を受けさせる場合にどのような点に気をつければいいのでしょうか。
内田先生の回答2
①早期教育の効果 先ほどの調査結果の通り、語彙得点に関しては、習い事をしていない子どもよりも、習い事をしている子どもの方が成績が高いものの、習い事の内容は語彙得点に影響はありませんでした。これは習い事に通うことで、コミュニケーションが多様になるためであろうと推測されます。
杉原隆東京学芸大学名誉教授らは3・4・5歳児全国9000名の運動能力を調査しました。体操教室やバレエ、ダンス教室に通っている子や、体操の時間を設けている幼稚園・保育所に通園している子どもの運動能力が低く、運動嫌いの子どもが増えてしまうのです。その原因は、第1に、特定の部位を動かす同じ運動をトレーニングのように繰り返しているので子どもは飽きてしまう、第2に、説明を聞く時間が長く実際にからだを動かす時間が少なくなっている、第3に、競争意識が芽生える5歳後半ごろになると他人よりうまくできないと教室には行きたがらなくなり運動嫌いになるという悪循環が起こっていることを突き止めました。
②共有型しつけの効果 年収900万円以上の高所得層で母親は大学や大学院を修了した高学歴の専業主婦である家庭を200世帯選び出し、しつけ調査を行いました。「共有型しつけ」と「強制型しつけ」の家庭を30組ずつ合計60組選び、家庭訪問してパズルを解く場面や絵本の読み聞かせ場面での親子のやり取りを観察しました。
共有型しつけの母親たちは、子ども自身に考える余地を与えるような共感的で援助的なサポートをしていました。子どもの言動に敏感で子どもに合わせて柔軟にことばかけを調整しています。特に、『3Hのことばかけ』、つまり、「ほめる」・「はげます」・「(視野を)ひろげる」ことばかけ(愛情深い情緒的サポート)がとても多いのです。
強制型しつけのもとでは、母親は、子どもに考える余地を与えない、指示的・トップダウン的な介入をしばしば与えています。過度に介入します。禁止や命令、強制的な指示のことばかけが多く、子どもをほめたり励ましたりなどしません。かわりに、「ママが言ったとおりにすればよかったのに。ママの言うことを聞かないからできないじゃない」などの「勝ち負け」のことばかけが多いのです。
強制型しつけのもとではどうして子どもは伸びないのでしょうか。社会心理学では楽しい気分のときには記憶力が高まり、不快なときには記憶力が低下するという「気分一致効果」が報告されています。脳科学でも強制型しつけやドリル学習の強制のもとで記憶力が低下してしまう証拠が見出されています。大脳辺縁系のストレスを感じる「扁桃体」で緊張や不快を感じると、記憶を司る「海馬」で失敗例がよみがえり、ほかのことを考えられなくなり、頭が真っ白になってしまうのです。叱られながらやった勉強は身に付きませんが楽しく活動しているときには「好きこそものの上手」という状態になり、子どもの学力も伸びるのです。
③自尊心が育つ親のかかわり方 幼児期の親のしつけの影響は大人になるまで続くのでしょうか? この疑問を解くため、23歳〜28歳までの成人の息子や娘を育てたご家庭2000世帯を抽出して、親は子どもが乳幼児期〜児童期に何に配慮して子育てしたか、ウェッブ調査をしてみました。その結果、受験偏差値68以上の難関大学・学部を卒業して難関試験(司法試験や国家公務員試験、調査官試験、医師国家試験など)を突破した息子・娘をもつ親は、「子どもと一緒に遊び子どもの趣味や好きなことに集中して取り組ませた」と回答しました。どんなふうに親は子どもに接していたかを尋ねると、子どもとの触れ合いを大切にし、親子で楽しい経験を共有する「共有型しつけ」をしたと回答した人が多かったのです。
では、どうして乳幼児期のしつけが、大人になるまで影響を与えるのでしょうか。親が子どもの自発性・内発性を大事にしていて、子どもが熱中して遊ぶのを認め、「面白そうだね」と共感してくれる。大好きな親にほめられると嬉しいし、達成感も倍加します。小さな成功経験を重ねながら自信もわき自尊心が育っていきます。難題に直面しても、「きっと自分は解決できる」という挑戦力やリジリエンス(ストレスに耐えて挑戦する気力)もわいてきます。こうして大人になるまで、自分で目標にしたことはなんとか自力で達成するという成功経験を積み重ねた結果が、難関試験を突破する力や生きる力を育むことにつながったのでしょう。
(1) 内田伸子『発達の心理――ことばの獲得と学び』サイエンス社、2017年。
(2) 内田伸子『子どもの見ている世界――誕生から6歳までの「子育て・親育ち」』春秋社、2017年。