連載
“BREXIT”
――イギリスのEU「離脱」の歴史的深層
第4回 民主主義、国家主権、ブリュッセル官僚主義
明治大学経営学部教授 安部悦生〔Abe Etsuo〕
ヨーロッパ合衆国か、諸国家の連合体か
第二次大戦の惨禍を見て、チャーチルが欧州合衆国構想を打ち上げたとき、彼は、イギリスはその傍に立つとして、それには加わらない意向であった。欧州石炭鉄鋼共同体が立ち上がった1952年にも、労働党のアトリー政権は炭鉱閉山などの権限喪失を恐れ、加わらなかった。1961年に初めて欧州経済共同体に加盟申請をしたときの首相は保守党のマクミランであったが、国家主権を手放す気は毛頭なかった。1973年に共同体に加盟した理由も、イギリスの経済状況がまさにどん底(イギリス病の一番ひどい時)で、発展する共同体各国に追いつくためであった(ヒース保守党政権)。このように、経済状況と決定権限(国家主権)との秤量がイギリスの大陸ヨーロッパに対する基本スタンスであった。その点で、政治的な意味からも欧州合衆国を捉えていた大陸諸国とは様相がかなり異なる。ちなみに、東欧がEUに加盟した理由も何よりも経済的動機が一番である。その意味では、イギリスと東欧各国とのEUに対するスタンスは似ている。ただし東欧の場合は、ロシアの頸木から逃れたいといった政治的意味合いも大きかったのではあるが。
EU加盟の動機における違いは、EUの目標として、ヨーロッパ合衆国を目指すか(federalism)、諸国家の連合体に留まるのか(intergovernmentalism)という相違をもたらす。「4つの移動の自由」(ヒト、モノ、カネ、サービス)を通じて、ヨーロッパ市民権、ヨーロッパ大統領、ヨーロッパ議会を目標とするのかというゴールの違いである。あるイギリスの友人が、早くEU大統領が誕生すればよい、そうすれば、イギリス国王はその下位に立つことになるからと言っていた。彼は反王政主義者である。しかし、彼のような意見は少数で、イギリス国民は概して国家主権を手放すことに反対である。
EU組織の複雑さ
EUの組織は極めて複雑である。その歴史も今年で60年を経過し、その過程で様々な変更を経験してきた。現在は、欧州理事会(European Council)、閣僚理事会(Council of Ministers)、欧州委員会(European Commission)、欧州議会(European Parliament)が四大組織体である。欧州理事会こそ各国政府の代表であり、民主的に選ばれた組織体であるが、他の組織、とりわけ行政権、法律提案権を持つ欧州委員会は選挙によって選ばれた組織ではない。欧州委員会は強大な権限を持っているが、その長の選出の仕方が不透明であるのは民主主義に反するという主張も当然である。欧州議会は各国ごとに選挙で選ばれ、概ね人口比でその議員数が決められているが、その投票率は回を追うごとに低下し、民意を十分反映したものとは見做されていない。だがそれ以上に問題なのは、通常の国政選挙の対抗選挙、二次選挙といった趣があることである。国政選挙では、保守党や労働党に投票したが、今度は逆にUKIP(イギリス独立党)に入れてみようかという天邪鬼精神がある。またイギリスの国政選挙では小選挙区制を採っているので、UKIPは下院で650人中わずか1議席しか持っていないが(最新選挙前の状況)、欧州議会では比例代表制が採られているので、イギリスの割当73人中24人も有している。
このような欧州議会の選挙が民意を反映しているかどうかは極めて疑問である。ちなみに、欧州理事会の長(Pre-sident)がEU大統領と表現されることがあるが、常任議長と言うべきである。私の友人の願望は実現していない。
政治力学
2014年の欧州委員長の選出から、欧州議会における多数派と委員長をリンクさせようとするSpitzenkandidatが行われた。そうなると、欧州議会における多数派工作が重要となる。歴史的に、EUでは仏独枢軸が重要であった。現在は、ドイツの経済力が突出したことによって、フランスはドイツの侍女となり、せいぜい独仏枢軸であろう。現実にはドイツのメルケル首相の意向が大きな影響力を持っている。イギリスは1973年加盟の外様であり、大陸欧州には属していないし、さらには国家主権を重視する政治風土である。これに対し、仏独でどの程度ヨーロッパ合衆国派が多いのかは明らかではないが(シャルル・ドゴールは国家主権重視派であった)、EU本部があるブリュッセルを有するベルギー、ルクセンブルクは明らかに合衆国派である。
EU内の政治力学は、独仏枢軸を中心とし、ベルギー・ルクセンブルクの合衆国志向勢力(本部派、この両国は多くの委員長を輩出している)、またラテン民族の多いイタリア、スペイン、ポルトガルなどはフランスと近い関係性を保ち、それにイギリス、北欧グループ、東欧グループという勢力図になる。国家主権の維持という点では、イギリスとポーランドなどの利害は近いが、肝心の域内移民問題では利害は対立する。ポーランドは自由な労働移動を支持しているからである。東欧移民問題の本質は、ポーランドからは多くの人々がイギリスに行きたいのに対し、イギリスからポーランドに行きたい人はほとんどいないというインバランスである。東欧加入前には、主要3か国イギリス、ドイツ、フランス間の労働移動には問題がなかったので、域内移民は深刻な問題ではなかった。
国家主権
イギリスは、2014年、合衆国派と目されるジャン=クロード・ユンケル(ルクセンブルク)委員長の選出に反対したが、独仏枢軸、本部派に阻まれて結局ユンケル委員長が選出された。それ以前には、イギリスの反対でベルギーからの候補者が委員長になれず、ルクセンブルクのジャック・サンテールが委員長となったこともあった(1995年)。このように、かつてはイギリスの意向も重視されたのだが、投票方法の変更や拒否権範囲の縮小で、イギリスの意向は通らなくなってきた。このようなEU内部におけるイギリスの孤立化もブレグジットを後押しした。
民主主義の原則に、「代表なくして課税なし」という原則があるが、現在の欧州議会が代表たることにふさわしいのか否かには疑問がある。国政選挙と欧州議会選挙の両建てでは、どちらが国民の代表か明瞭ではなくなる。またイギリスが多数派工作を行うことにも、独仏枢軸に阻まれて大きな障害がある。そのような状況下で様々な規制が作られると、ブリュッセルからの押し付けと感じられるのである。
主権の問題に関して、スコットランドの立場に触れておこう。スコットランドは国民投票において残留を選択した。イギリス全体では離脱になったので、スコットランドはもう一度スコットランド独立の国民投票を行い、イギリスから「離脱」しようと考えている。イギリスは自らの主権を「取り戻す」ためにEUから離脱するのだが、スコットランドはイギリスから離脱してEUに主権を委ねようとしている。その理由は、イギリスよりEUの方が主権の制約が少ないと考えていること、また、スコットランドは人口500万人で、ベルギーの1100万、ルクセンブルクの50万の中間であり、こうした小国の政治家、官僚は、EUを舞台に国際的な活躍の場を広げられるので、EUに帰属することを望むのである。リトアニアなどの東欧の小国もほぼ同様の考えを持っている。
もう1つの理由は、スコットランドでは移民の数が少なく移民問題が深刻ではなかったことが大きい。元々スコットランドは大陸ヨーロッパからの影響を受けているので、大陸を身近に感じていることもある。イギリス政府がスコットランドの再国民投票を認めるとは思われないが、どのような方向に動いていくかは予断を許さない。逆に、イングランドの側では、スコットランドがウェストミンスター(イギリス議会)に議席を持っているのに、イングランドがエディンバラに議席を持っていないのは不公平だという感覚もある。去年、ロンドンのパブで仲良くなった人に、“Are you British?”と聞いたら、 “I am English.”と答えてきた。スコットランドと一緒にしてくれるなという趣旨であろう。
ブリュッセル官僚主義とイギリス側の対応
普通は、国民が選挙で政府を信任し、その政府が上級官僚を任命するというのが一般的である。しかし、EUの仕組みでは、行政トップの欧州委員長の選出が明確ではなく、したがってその長が行う上級官僚の任命も不透明である。また3万人を超えると言われる行政職員の財政的な負担も大きい。巨額のEU拠出金が国民投票のキャンペーンで問題になったが、毎週3億5000万ポンドもEUに流れているとの離脱派の効果的なキャンペーンもあった。もとよりこれは悪質な誇張であったが(実際は2億ポンド強)、庶民としては国内財政も逼迫しているのになぜ巨額の拠出金を支払わなければならないのか、特に東欧などに対して支払うべきなのかと感情的不満があった。
EUによる規制には、EU法によるものと指令(directive)によるものとの2つあるが、EU法は2万5000もあり、指令も多数ある。その中には、バナナの形状や子供の使う風船など、どう考えても煩瑣で細かな規制がある。また労働条件に関しても、Social Chapterと呼ばれる規制があり、イギリスは長らくこの受け入れに抵抗してきたが、ブレア首相の時にこれを受け入れた。また金融規制も、2008年のリーマンショックの後、アメリカに倣い様々な規制を導入してきたが、これがロンドンの金融機関には気に入らなかった。また新聞、出版、テレビなどのメディア規制、さらには企業間の合併規制もある。
離脱を望んだ勢力の中には、種々の人びと、組織があるが、その一人にルパート・マードックがいる。マードックはニューズ・コーポレーションを基盤に、新聞のTimes、Sun、WSJ、テレビのスカイTVなど、英米にまたがってメディアに大きな影響を持ち、メディア王として君臨している。当然、政界にも大きな発言権を有している。その彼は強硬な離脱論者であった。彼の支配下の大衆紙「サン」、高級紙「タイムズ」を駆使して、離脱の議論を盛り上げたことは言うまでもない。彼の実力は次のエピソードを見てもよくわかる。2016年6月23日の投票で離脱が決まったあと、誰もが離脱派のボリス・ジョンソン(人気抜群のロンドン市長)が最有力の次期首相候補と思ったが、彼は意外にも辞退してしまった。ある推測によると、マードックが次期首相はマイケル・ゴウヴに、君がやったらよいと唆し、彼が立候補を宣言すると、突如ジョンソンが形勢不利と見て辞退を表明した。しかしゴウヴは保守党内の多数支持を集められず、結局テリーザ・メイが首相となった。マードックが離脱支持であるのは、メディアに対するEUの規制に反対であることが主な理由である。
マードック傘下のメディアだけではなく、その他のメディアも概ね離脱支持に傾き、残留派の新聞は“Guardian” “Daily Mail”など少数になってしまった。経済紙の“Financial Times”は残留派寄りであったが中立を崩さなかった。経済界も、たとえばイギリス産業連盟なども表面的には経済的実利を重んじて残留支持を表明していたが、必ずしも強い支持ではなかった。
「イギリスのアップル」と呼ばれる、掃除機で有名なダイソン社創業者のジェイムズ・ダイソンは、離脱支持であった。調べてみると、ダイソンは工場を東南アジアに持ち、EUに対して関税を支払って輸出しているので、EUを離脱しても実害がない。
労働党は残留支持であったが、移民を嫌う白人労働者の意向を忖度し、党首のコービンは積極的な運動を展開せず、本音は離脱と言われていた。残留のために熱心に活動したのは、キャメロン首相、元首相のブレア(労働党)とメイジャー(保守党)であった。
このように、肝心の経済界やメディア、労働界の強い支持も受けられず、残留を強く訴えたキャメロンは敗北したのであった。