コラム
著作活動の回想スケッチ ―― 有斐閣創業140周年に寄せて
京都大学名誉教授 杉原高嶺〔Sugihara Takane〕
はじめに
法律学の学習者であれば、「有斐閣」という、どこか老舗の旅館を想わせるような、それでいて風韻に富む出版社名を記憶にとどめる人は少なくないのではなかろうか。年輩の方であれば、戦後の同社の主要事業の一つである『法律学全集』と向き合いながら奮闘された人もおられるはずである。
本年、創業140周年を迎える同社は、今日では社会・人文科学分野を総括する出版社として名を馳せているが、出版業に進出した明治10年代の創業当初は法律書からスタートしたようであり、また、その後も法律関係を基幹事業としてきたのではなかろうか。明治10年代といえば、新政府の悲願であった、いわゆる「条約改正」がすでに重要な外交案件として取り沙汰されていた時期である。改正の実現のためには、周知のように、わが国の法制度の全面的な近代化が必須の課題であった。これが示すように、法制度の整備の重要性は当時から広く認識されていたとみられ、創業者諸氏も、あるいは、こうした時代の要請を鋭く見抜いていたのではなかろうかと推測される。いずれにしても、草創期からこのかた、同社がとりわけ法律学の発展に尽してきた功績は測りがたいものがある。しかるべき顕彰に価するといっても過言ではなかろう。
創業140年の節目ということで、本誌への寄稿のお招きにあずかった。私は、有斐閣か否かを問わず、決して多くの著作を手掛けてきたわけではない。また、それを理想としてきたわけでもない。ただ、有斐閣とは幾年となく親しくお付き合いをいただいたことから、このお招きを喜んでお受けしたのである。原稿のテーマに目当てがあったわけではないが、これにはすぐに助け船を寄せていただいた。私の著作活動の回想録のようなものでよい、ということであった。ささやかな足跡をしるすにすぎないが、他に妙案も見当たらないことから、このご助言をそのまま申し受けることとした。ご理解をいただきたいと思う。
有斐閣との出会い
個人の著作として、私が有斐閣から最初に送り出した書物は『国際裁判の研究』(1985年)である。これは、国際司法裁判所の制度・機能を中心とした、当時の私の主要論文を集成したものである。私はその当時、北海道大学に在職していたことから、本書は、「北海道大学法学部叢書」の一環として刊行されたものである。
ちょうどその頃、当時の江草忠敬社長(現会長)と常務取締役の大橋祥次郎さんのお二人が大学訪問をつづけられていた。北大ご訪問のさいは、いつも私の研究室にもお立ち寄りいただいた。決まって厳冬の1月であった。話の中身は、おおかたはよもやま話に終始したように思う。社長の明朗快活な語り口が今もありありと想い出される。
そんなあるとき、社長脇の大橋さんから、国際法の概説書の執筆はどうか、とのお誘いをいただいた。ありがたいお話であるが、当時の私の力量ではご辞退申し上げるほかはなかった。しかし話の方向はしだいに転じてゆき、結局、単著は後回しとし、まずは共著ではどうか、ということに落着いた。こうして誕生したのが6人の共著『現代国際法講義』(1992年)である(執筆者は私のほか、水上千之〔故人〕、臼杵知史、吉井淳、加藤信行、高田映の各教授)(第5版・2012年)。本書は予想外の健在ぶりを発揮し、版を重ねること5回、4半世紀を経た今もなお活躍中である(私個人の概説書は後述)。
このように、大橋さんには何かと温かいご配慮をいただいたが、本年、不帰の客となられたと先頃うかがった。寂寥の感をぬぐえない。私には、いつも笑みをたたえた温良な大橋さんのお姿が瞼にうかぶ。この機会を拝借し、生前のご厚情を感謝しつつ、ご冥福をお祈り申し上げたい。
新しい学術書の先行出版
以上の2つの著作は、いずれも編集部の堀田一彌さん(すでにご退職)のご協力をいただいた。その関係から、私が東京に出るときなど、いくたびか堀田さんとお会いすることになった。有斐閣本社近くの喫茶店で資料を広げながら話し合うことが多かった。快活かつ几帳面なお人柄の編集者であった。あるとき、彼から思いがけない質問を受けた。私の専門の学術書を出す気はないか、というのである。むろん私の研究テーマを承知のうえでの打診である。突然の質問に私は即答に窮したが、目の前の彼は真顔の表情である。私はその後、彼のこのご厚意にあずかることとした。
その書物の執筆も半ばを過ぎた頃、私は京都大学に転ずることになった(1993年)。引越しの作業に当たり、私は7割方書き終えたその原稿だけは荷物コンテナに積み込むのをためらった。わが身に抱えながら、家族とともに、海路、舞鶴に向かったことが昨日のように想い出される。京大の研究室では、残る原稿の完成を最優先課題として取り組んだ。
こうして、気ながにお待ちいただいた堀田さんにようやく完成稿を手渡すことができた。『国際司法裁判制度』(1996年)である。7、8年ものあいだ抱え込んでいた仕事だったせいか、装丁された本書を手にしたときは、しみじみと達成感らしきものを味わうことができた。本書はその後、身に余る学術上の褒賞を賜わることになった。だからというわけではなく、こうした市場ベースになじまない書物を送り出していただいた有斐閣には、堀田さんのご厚志と合せて、改めて感謝申し上げたい。
ついでにもう1点申し添えると、有斐閣をとおして、お隣りの中国から本書の翻訳出版の許可要請があった。中国がなぜ本書か、しばし小首をかしげることもあったが、しかし学問的見地からすれば歓迎すべきことである。版元と相談のうえ、これに応ずることとした。私の書架には、本書の中国語版が並んで収まっている。
新社長との出会い
本書『国際司法裁判制度』を上梓すると、残る有斐閣の仕事は、後回しとなっていた私個人の概説書となった。全体の構成や水準の目安など、あれこれと思い迷うことが多かった。当時、京都支店におられた稼勢政夫さんや奥村邦男さんからも、折ふし執筆のご奨励をいただいた。
そのような折、京都にお越しの江草社長(現会長)と夕食を共にする機会があった。社長は一人の青年紳士を同伴されていた。「次期社長です」とのご紹介であった。いわずもがな、現在の江草貞治社長である。お年の割に従容として篤実なお人柄をしのばせていた。当時は別の出版社にご勤務とのことで、これも来たるべき重責に備えての研鑽であろうか、とそれとなく思うこともあった。出版界の情勢など、忌憚なく話を交わすことができた。傍らから折々註釈を加えられていた社長は、もはや後顧の憂いなしということか、終始、晴れやかな表情であった。
苦難の峠越え――体系的概説書の執筆
残された私個人の概説書は、時間のやり繰りの問題も含め、なかなか思うに任せなかった。現代国際法の「歴史、理論、実証」(「はしがき」)を総合した体系書という、分不相応な目標を設定したことが最後まで響き、はしなくも苦節10年のたとえを実感する思いであった。同時にそれは、仕事のやり甲斐を身にしみて感じさせるものでもあった。みずからの国際法の世界を大きく深化させることができたからである。
こうして、京都支店の一村大輔さんのご協力を得て送り出したのが『国際法学講義』(2008年)である(第2版・2013年)。前述の大橋祥次郎さんのご助言のときから数えると、実に20年近くにもなる。一村さんにとっては、ご自分のあずかり知らない荷物であったのであるが、万端手際よく運んでいただいた。書物が書物であったため、最終校正の段階では本社編集部の伊丹亜紀さん(現営業部)のご協力もお願いした。伊丹さんは当時、退職された堀田さんの後を継ぎ、前述の6人共著の教科書『現代国際法講義』の改訂作業を担当されていた(第3版から第5版)。その機縁でお願いした次第である。心意気さわやかな仕事ぶりが印象的であった。
気構えを整えて――入門書の執筆
本書『国際法学講義』の刊行を終え、一息入れていた頃であったと思う、一村さんから問い合わせの連絡が入った。小型入門書の照会である。しばし心の整理を要したものの、この種の書物の重要性なり必要性はかねて話題にのぼっていたこともあり、ここは一気呵成に仕上げるのがよかろうと意を決した。入門書固有のむずかしさを観念しつつ、また、それを実感しながらまとめ上げたのが『基本国際法』(2011年)である(第2版・2014年)。本書刊行後、一村さんから時おり寄せられる状況報告は、幸いにも手応えを感じさせるものであった。
振り返って思うこと
以上、有斐閣刊行の5本の著書(うち1本は共著)の執筆の経緯を顧みた。2本が専門学術書、3本が国際法の概説書である(同社には、その他に小田滋先生の還暦記念論文集『海洋法の歴史と展望』〔1986年〕を出させていただいている)。それらの仕事のおかげで、私は絶えず同社向けの原稿を抱え込んでいたように思う。別の仕事に取り組んでいるときでも、前述のいずれかの原稿が机の片隅で出番を待つような状況であった。むろん私の遅筆症によるところも大きいが、顧みると、それが私の学究生活の充実化に一役も二役も買っていたのではないかと思う。
視角を転じて――他社の著作状況
ここで、他の出版社からの著作にひとこと言及させていただきたい。主だったところとしては、まずは三省堂である。同社とは、小田滋・石本泰雄両先生の創刊になる『解説条約集』(1983年初版)、および、その後継版である『コンサイス条約集』(2009年初版)の編修委員あるいは編修代表として、永くご親交をいただいた。教材としての条約集の編纂は予想外に難題であった。三省堂との関係では、2010年創刊の『国際法基本判例50』(酒井啓亘教授との共編)の作成にも携わることとなった(第2版・2014年)。以上の書物は、いずれも国際法学習用の教材である。これとは別に、同社には小田滋先生の古稀記念論文集『紛争解決の国際法』(1997年)の刊行でもお世話になった(その後、図らずも私自身も同様の恩恵にあずかることとなった〔後述〕)。以上の各書物は、同社の「六法・法律書編集室」で取り扱われ、同室の鈴木良明さん(すでにご退職)および井澤俊明さんには温かいご支援をいただいた。
さて、もう一社挙げさせていただくと、有信堂高文社である。同社からは、髙橋明義社長の特段のご配慮の下に、日本海洋法研究会の叢書『現代海洋法の潮流』を、これまで各個別の統一テーマの下に第3巻まで刊行させていただいた(栗林忠男名誉教授との共編)。同研究会の研究成果を世に問うため、会員諸氏によって執筆された学術書である。
真夏の想い出
3年前の夏、私は生涯無二の贈り物をいただいた。私の古稀記念論文集『国際裁判と現代国際法の展開』(浅田正彦・加藤信行・酒井啓亘編、三省堂・2014年)である。編者・執筆者および版元の皆さんの温かい心遣いに、私はひたすら深謝するのみである。本書をいただいたその夏は、登載論文17本をじっくりと味読することが毎朝の楽しい日課であった。
本書の刊行に合わせて、執筆者の皆さんのご厚意により、「古稀祝賀記念論文集及び叙勲祝賀の会」を催していただいた。真夏の京都であるにもかかわらず、北海道、東北を含む各地の執筆者・研究者の皆さん、版元・三省堂の前述の鈴木さんと井澤さん、さらに有斐閣の江草現社長と前述の伊丹さんにもわざわざお越しいただいた。この場を借りて、改めてお礼を申し上げたい。祝賀会の終了後、出版社の皆さんを含めて、われわれは祇園のとある茶寮に移動し、後半の歓談を楽しんだ。懐しく回想される夏のひとときであった。
おわりに――「底力の発揮」
事前のお断りなしに江草現社長には申し訳ないが、私は数年前、同社長から、専門書の版元としての「底力を発揮したい」との添え書きのある新年の挨拶状をいただいた。思わず、わが意を得たりの心もちであった。140年の伝統は並のものではない。この業界では特にそうであろう。出し抜け、奇妙な言い回しをお許しいただくと、江戸の蔦屋重三郎の活躍は斯界の歴史に名高いようであるが、その彼でも、この実績を伝え聞くなら目を白黒させるのではなかろうかとさえ思われる。
有斐閣がもつ「底力」は、永年の事業実績がこれを実証している。だとすれば、社長の主眼とするところは、この力を「発揮する」こと、すなわち底力の具体的実現に向けられたものと思われる。厳しい環境のなか、同社のさらなる躍進と貢献を願ってやまない。