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コラム

意思表示とは何か

京都大学名誉教授 前田達明〔Maeda Tatsuaki〕

第1 本稿の目的

1、「意思表示」とは、法学上、最も重要な法律用語の1つである。現に、民法第一編「総則」第5章「法律行為」第2節「意思表示」とされ、2017年5月26日に成立した「改正民法」においても同様である。

 では、意思表示とは何か。一般に「効果意思(例えば、所有土地を売ろうという意思)」と「表示意思(その効果意思を外部に表明しようという意思)」と「表示行為(その効果意思を外部に表明する行為)」という3つの要素から成る、とされる。そして、相手方が「買おう」と意思表示(「承諾」)をすれば「売買」という「契約」=「法律行為」が成立する(民法第555条)。

2、しかし、意思表示の構成要素として、「日本民法上は、現在の通説のいうように表示行為と効果意思のみを掲げれば足り」る(川島武宜=平井宜雄編『新版注釈民法⑶』〔2003年、有斐閣〕〔平井宜雄〕41頁)、すなわち、「表示意思」は不要である、というのが通説である。しかし、これには疑問がある。そこで、この通説(権威)に対して挑戦しようというのが、本稿の目的である。

第2 通説の論拠

1、まず、表意「者が推断された効果意思に対応する内心の意思をもたないときは、その理由のいかんを問わず、これを同一にとり扱うべきものと考えるから、表示意思の欠けた場合をとくに問題とする必要はないと思う。従って、表示意思を意思表示の要素のうちに加えない」(我妻栄『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』〔1965年、岩波書店〕242頁)というのである。「その理由は明確とはいい難いが」(川島=平井・前掲書39頁)、これに日本の多くの民法学者が賛同して通説を形成した。

2、次に、「表示意思の法技術的意味が乏しく、かつ意思の心理学的研究が法技術としての意思表示理論とは無縁」であるから「心理学的価値だけのために、わが国の民法学上表示意思の概念に固執することは」疑問である(川島=平井・前掲書41頁)というのである。

3、さらに、“Aが自己所有土地を売るという手紙をB宛に書いたが少し時を置いてから出そうと思って(1)、机の上に置いておいたところ、家人が勝手に切手を貼って投函した” という場合は、「効果意思(売るという意思)」はあるが、その「効果意思」を外部に表明しようという「表示意思」はない(書いただけで、手紙は、まだ自己の支配領域内にある)。このとき、相手方としては「申込を無効とされては予想外の不利益を受けるので、適当でない」から表示意思は不要である(四宮和夫=能見善久『民法総則 第8版』〔2010年、弘文堂〕197頁)というのである。

第3 通説への挑戦

1、まず、我妻説に従う通説の論拠の前提として、ドイツ民法学上の「有名な教室設例」(川島=平井・前掲書39頁)である「トリーア(Trier)市場事件」が採用されている。それは、こうである。トリーア市のぶどう酒市場の競売で、手を挙げると100マルクの増額の申込みを意味する慣習があるが、それを知らない外国人が友人を呼ぶつもりで手を挙げたとき、確かに「表示意思は存しない」。しかし、この例は不適切である。すなわち、この場合、表示意思どころか効果意思さえも存在しないのである。そこで、効果意思が存在しないときは「その理由のいかんを問わず、これを同一にとり扱うべきもの」という議論となる。すなわち、「理由は明確とはいい難い」の原因は、ここにある。したがって、このような設例を念頭に置くことは適切でない。すなわち、通説たる表示主義(客観主義)からすれば、「意思」といえば「効果意思」が重要であり、それが存在しない場合は、全て一括して、「同一」に扱えばよいということになる。したがって、ここでは「効果意思」は存在するが「表示意思」が存在しない場合は、どのように扱うべきかを議論すべきである。

2、次に、「表示意思」は日本民法では「法技術的意味が乏しく」「心理学的価値だけ」しかないというのも疑問である。すなわち、「表示意思」には重要な「根本的法原理」が存在するのである。例えば、“所有土地を売る” と手紙に書き本人が投函したという場合は “相手方が承諾すると売らなければならない(義務を負う)” という「意識」を持ち、その意識を踏まえて「売ろう(義務を負う)」と決断する「意思」(2)が「表示意思」である。その結果として「売る義務」を負うことになる。この「売らなければならない」という「義務」は単なる “道徳的義務” ではなく、任意に履行しないと相手方が裁判所に訴えて最終的には国家権力によって強制履行させられるという「法義務」(民法第555条)なのである。では、何故に、“売ろう” と決断したことによって法義務を負うのか。それは「私的自治原則=意思自由原則」(3)に由来する。すなわち、人は自己の自由意思によって自らの法律関係を形成することができる(憲法第13条「自由、幸福追求」権)ということから、当然に「自由意思」によって形成した法律関係の法的効果は自らが引き受けなければならないとする「意思原理」(4)が導かれる。それが法律行為における法律効果の「帰属原理」となるのである。このように、一般的抽象的法規範(例えば、民法第555条)とは異なって、具体的表意者に具体的内容の法義務を帰属させる「具体的法規範」(5)を設定するのが「表示意思」(具体的法規範設定〔目的〕意思)なのである。

3、さらに、先述の “書いた手紙を勝手に家人が出した” というときに、“表示意思を要素とするならば、それを欠くと無効であるから、相手方は「予想外の不利益を受ける」ので表示意思は不要として有効とするのが適当” であるという論法に従うと奇妙な結論に至る。すなわち、心裡留保(例えば、贈与の〔効果〕意思がないのに相手方の歓心を得ようとして贈与の約束をした。民法第93条)のとき、“「効果意思」を欠くので無効であるとすると相手方が「予想外の不利益を受ける」から効果意思は不要として有効とするのが適当である” ということになる。しかし、このような奇妙な結論を当然に通説も採用していない。正しくは、心裡留保は効果意思がないから本来は無効なのである。しかし、それでは、相手方が「予想外の不利益を受ける」から有効とするのである(民法第93条本文)。もっとも、相手方がそれを知っていた(「表意者の真意を知り」)か知り得た(「知ることができた」)ときは(「悪意」もしくは「善意有過失」)(6)、本来の「無効」となる(通説)(民法第93条但書)。すなわち、相手方が善意無過失のときは、相手方の「(有効であるという)信頼(取引安全)」を保護するために有効とするのである。このとき表意者に表示された効果意思と同一内容の法律効果を帰属させる原理(「帰属原理」)は「意思原理」ではなく「信頼原理」(憲法第13条「公共の福祉」。民法第1条第1項)なのである。同じことは「虚偽表示」(例えば、差押えを逃れる目的で自己所有土地を他人と通謀して他人に移転する。民法第94条)は「効果意思(土地所有権を移転する)」が存在しないから「無効」である(民法第94条第1項)。しかし、「有効」と信じた(善意=その事情を知らない=「信頼」)第三者に対しては「有効」と扱われるのである(民法第94条第2項)。なお、保護に価いする「信頼」であるべきだから、規定にはないが、第三者の無過失(知ることができなかった= “ダマス” つもりの心裡留保でさえ “無過失を要請している”)を要件とすべきであろう(有力説)。さらに「錯誤」(民法第95条)においても同様のことがいえる。すなわち、「効果意思」や「表示意思」のないときは原則として無効であるが(民法第95条本文)、表意者に「重大な過失(著しい不注意)」があると、「有効」とされる(民法第95条但書)。このときの相手方については何ら規定はないが、これも「信頼原理」によって表意者に法律効果が帰属するのであるから、相手の「善意無過失」を要件とすべきである(表意者の “誤り” を知っているか知ることができたとき相手方を保護する必要はない)(有力説)。ところで、この心裡留保も虚偽表示も表意者が「知っている(悪意)」という「帰責性」(責められるべき理由)があり、錯誤のときは表意者に「重過失」という「帰責性」があることに注意すべきである。すなわち、「信頼原理」は「意思原理」の「副次的原理」(憲法第13条は「自由」などを保護することを、まず宣言し〔主たる目的〕、「公共の福祉」はその制限規定〔附属目的〕)であるから、表意者本人に責められるべき理由が必要なのである。

 なお、「心裡留保」においては、(表意者が真意でないと主張したとき)相手方が民法第93条本文の要件事実について主張責任と証拠提出責任(7)を負い、表意者が同条但書の要件事実について主張責任と証拠提出責任を負う。「虚偽表示」においては、表意者が民法第94条第1項の要件事実について主張責任と証拠提出責任を負い、第三者が同条第2項の要件事実について主張責任と証拠提出責任を負い、新たな要件が付加されて表意者が利益を受けるから、その「善意」が「有過失」であることの要件事実について表意者が主張責任と証拠提出責任を負う。「錯誤」においては、表意者が民法第95条本文の要件事実について主張責任と証拠提出責任を負い、相手方が同条但書の要件事実について主張責任と証拠提出責任を負い、新たな要件が付加されて表意者が利益を受けるから、相手方が「悪意」もしくは「善意有過失」であることの要件事実について表意者が主張責任と証拠提出責任を負う(8)、とするのが妥当であると考える。

第4 結びに代えて

1、以上のように、表示意思は「具体的法規範設定意思」として意思表示が「私的自治原則(意思原理)」という重要な「根本的法原理」の発現形態であることを明らかにするものであるから、意思表示の不可欠の「要素」であることが明らかになったと考える。

2、さらに、意思表示に基づく法律効果の「帰属原理」としては「意思原理」と共に、「信頼原理」が存在するという「二元性」(9)が明らかになったと考える。

 したがって、通説を支持される読者諸賢には、是非、厳しい御高批をお願いする次第である。

(1)現実の取引社会においても、「売る」「買う」という「効果意思」を双方当事者が持って後に、種々の手続き等を経て、「表示意思」を持って「表示行為」をする(例えば、契約書作成)までの間にはタイム・ラグがあるのは通例のことである。

(2)したがって、重要なのは「意識」(佐久間毅『民法の基礎1 総則 第3版』〔2008年、有斐閣〕50頁、山本敬三『民法講義1 総則 第3版』〔2011年、有斐閣〕126頁)ではなく、「意思」なのである。

(3)山本・前掲書108頁に優れた分析がある。

(4)「私的自治原則(意思自由原則)」から導かれる「意思原理」には、意思表示の「相手方と内容」についての「自由」も含まれており(山本・前掲書109頁)、その役割を担うのが「効果意思」である。なお、「方式(例えば、口頭か書面か)」の自由は「表示意思」の領域である。

(5)「合意(法律行為=意思表示)」が当事者間の「法律」であることは立法者も認めていた(前田達明『民法学の展開』〔2012年、成文堂〕18頁)。

(6)いわゆる「狭義の心裡留保」の場合も相手方に “保護に価いする” 信頼が存在すべきであろう。表意者 に“ダマス意図” があるとき、標準人(通常人)でも、その “ウソ” を見抜けないときは「無過失」である。詳しくは山本・前掲書148頁。

(7)前田達明「続々・権威への挑戦」本誌640号(2015年)15頁注(19)。

(8)民法第96条(詐欺)第3項類推適用説ではなく、民法第93条但書類推適用説である。たしかに、錯誤者は “誤り” を知らないが「重大な過失」(著しい不注意)があるのだから、不当な解釈ではないと考える。なお、「詐欺」(民法第96条第1項)の場合も、保護に価する信頼が必要であるから、善意無過失の第三者(取消前の第三者でも取消後)のみが保護される(民法第96条第3項)と考える。さらに、「強迫」(民法第9条第1項)の場合は、表意者に帰責事由がないから、善意無過失の第三者にも「取消」を主張できると考える。他方、「詐欺」の場合は、表意者において “欲に駆られて”(例えば、“うまい” 儲け話に乗る)といった帰責事由がある。

(9)前田達明『民法Ⅵ2(不法行為法)』(1980年、青林書院新社)46頁。なお、大村敦志『新基本民法1 総則編』(2017年、有斐閣)131頁は、「契約の拘束力」の根拠として、「哲学的説明(意思理論)」、「功利的説明(交換理論)」、「倫理的説明(信頼理論)」を挙げる。2番目のものは「帰属原理」ではなく「効力要件」(民法第90条)であろう。

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