巻頭のことば
第2回 保育の質は長い目で見るとわかる
東京大学院教育学研究科教授 秋田喜代美〔Akita Kiyomi〕
「生活の質」(QOL クオリティ・オブ・ライフ)という言葉は、高齢者福祉やワークライフバランス重視の働き方改革などの領域でも、よく使用される言葉である。では、保育の質とは何だろうか。保育は、質に関して難しい問題をはらんでいる。高齢者や労働者の「生活の質」を問う時には、本人の満足や幸福などが問われるだろう。しかし、赤ちゃんは、大人に対して質の良し悪しや不満を自分の口から言うことはできない。子どもを保育園等に預けることを決断するのは子ども本人ではなく、保護者である。そして保護者に対してなされるサービスとしての質と、子どもの生命の保持や健やかな育ちにとっての保育の質の高さは必ずしも一致はしない。目先の保護者の都合が優先になる危険性が常にある。
そのために先進諸国では各国とも、規制や基準を構造の質として設けている。たとえば、子どもの年齢に応じて、一人の保育者が担当する子どもの数が法令上決められている。日本は、乳児に関しては先進諸国とほぼ同水準だが、幼児、特に5歳児クラス人数は他国からは驚かれる多さである。また保育者一人あたりの担当児人数だけではなく、1クラスの人数を決めている国も多いが日本にはこの規定はない。また認可保育所では資格を持った保育士が保育にあたるが、長時間の延長保育ではそれが難しくなっている。昨年度から始まった企業主導型保育では資格を持った保育士は半数でも設置できることになっている。また、保育園での園児一人あたりの最低基準面積は、戦後ずっと変わっておらず基準の算定根拠も必ずしも明らかではない。一方、現在の家庭の多くでは、ちゃぶ台でご飯を食べ、その場で布団も敷いているよりも、食寝分離がなされている。しかし保育園では必ずしも食寝分離が物理的に出来ない園も多い。こうしたことを保護者は最低限入園を決めるに当たっては、知っている必要があるだろう。認可、認証、認可外と言う名称により何が違うのかは知っていた方が良いだろう。
そして実際には、保育者と子どもの関わりやそこで行われる保育プロセスの質が問われなければならないのは言うまでもない。いまだ子どもを預かって面倒をみてくれている場所としか考えていない方も少なくない。しかし実際には、子どもがどのように育つかの育ちの見取り図としての保育の全体計画をもって、保育者は保育にあたっている。しかも乳幼児への教育は、言語で教示したりテキストを使うわけではない。「環境を通しての教育」として、子どもが自ら関われるように環境の中に教育の意図を埋め込んでいる。今からが「教育(授業)の時間、今は休み時間」と言う区切りはない。文化的な生活の中で育ちそこで子どもたちは学んでいる。大事なのは、子どもがどれだけ安心感・居場所感をもって養育者と愛情の絆を築いているか、まわりのものや人、こととの関わりにどれだけ夢中になり深く没入できるのかが、質である。これは大人が良い時間を持てたと感じる経験ともつながるだろう。
寝返りがもう少しでできそうな子どもには、どこの位置におもちゃを置いたらその子が手を伸ばし運動の支援になるのかを保育者は考えておもちゃを置く。抱っこ一つでも子どもはお構いなしに抱っこする人もいれば、子どもが抱っこされたいという意志や身体の動きを認めて応じることで子どもの主体性を伸ばそうとする保育者もいる。質の高い保育は見えにくいところに手をかけ気にかけているプロの専門性により形作られる。それは一瞬見てもわかりにくいが、長い目で子どもの育ちを見ると歴然とする。保育者をお母さん代わりと言う言説には誤解がある。保育は他者の子どもたちを育てる専門家の営みであり、地域の文化に根づき園独自の良さをもって行われている。その誇りと努力が、日本の子どもの幸せと保育の質を支えている。次回は、子どもの遊びについて考えてみよう。