コラム
ハイデルベルク・ゼミ
東京大学大学院法学政治学研究科教授 山本隆司〔Yamamoto Ryuji〕
Ⅰ ゼミとテーマの設定
2015年9月から1年間、所属する研究科から研究専念期間をいただき、ドイツのハイデルベルク大学で在外研究に従事する機会を得た。当初は、これまでまとまった時間をとれなかったために着手できなかった研究に専念するつもりで、じっくりと文献を読み進めていた。しかし、居候させていただいた同大学のドイツ・ヨーロッパ行政法研究室で開かれたクリスマスのお祝い会で、研究室の主任であるヴォルフガング・カール教授から、日独比較行政法のゼミを開講してみないか、と水を向けられ、年明けまでに考えるように促された。今ドイツで「東アジア」といえば、まず中国であり、日本の行政法のゼミを開いたところで、多くても3、4人の学生しか来ないであろう、それならば、それほど大変ではなかろう、と軽い気持ちで引き受け(てしまっ)たのが、話の始まりである。
まず、非常勤講師として任命を受ける必要があったが、これは学部長が了承するだけで手続が済んだ。次に、参加学生の募集をすぐに行った。カール教授によると、学生から、学期中は事例問題の答案作成のために忙しいので、学期開始前にある程度ゼミの準備ができるように配慮してほしい、との要望が多く寄せられるようである。そこで、夏学期の開始に先立ち、1月半ばに研究室のウェブサイトと学部の掲示板によりゼミの告知をし、定員を10名として先着順で申込みの受付を開始した。ところが、2月半ばには、予想に反して申込者が18名に達したため、急遽定員を1名増やすことになった。
ゼミの告知にあたっては、学生に割り当てるテーマを提示し、学生には申込みの際に、第1希望から第3希望までのテーマを申し出てもらって、当方で割当てを決定した。学生に馴染みのある行政法総論の基本的なテーマで、近時において立法・判例・学説のいずれかの発展が見られるために学生の関心を喚起でき、日本法とドイツ法とを比較しやすく、かつ、日本法についてもドイツ語または英語の文献により調査できるものとなると、自ずと限られる。提示したテーマは次の通りであるが、概括的なテーマについては、3月に非公式の打合せをした際に、割当てを受けた学生に趣旨を説明して論点を絞り込んだ。
①憲法と行政法との関係。②行政の行為形式(3月に、インフォーマルな行政の行為、日本流に言えば行政指導にテーマを絞った)。③行政手続。④情報公開。⑤行政組織(3月に、日本の独立行政法人とドイツの営造物法人にテーマを絞った)。⑥行政訴訟法の基礎(3月に、訴訟形式と仮の救済にテーマを絞った)。⑦公権(日本流に言えば、行政訴訟の原告適格)。⑧行政裁量。⑨立法に係る国家賠償。⑩行政の権限不行使に係る国家賠償。⑪地方自治法の基礎(3月に、条例論と関与手続にテーマを絞った)。
人気が集まったテーマは①と④、逆にあまり希望者がいなかったテーマは②と③であった。参加学生に対しては、それぞれのテーマについて、日本法の調査にあたり手掛かりとなる文献・法条・判例の他、キーワードを示した。⑨に係る最大判平成27・12・16民集69巻8号2427頁がすでに英訳され、裁判所ウェブサイトで閲覧できたことには、大いに助けられた。「日本法令外国語訳データベースシステム」も、地方自治法が含まれていないことを除けば、大いに活用させていただいた。
Ⅱ 俯瞰講義とレポート準備
こうして夏学期の正式な日程に入り、4月の終わりと5月の半ばに計2回、各2時間余、日本の行政法を概観する小講義および質疑応答を行った。日本の行政法の個別のテーマについては、日本あるいはドイツの研究者・実務家の手になるドイツ語の文献が蓄積されている。例えば、最近3年分を除きオンラインで公開されているZeitschrift für Japanisches Recht(「日本法雑誌」)は、民商法の論文が中心を占めるが、行政法の論文も相当数掲載している。しかし、日独の行政法がどのような共通性と差異をもつかを解説し、ドイツの行政法の概論を学んだ学生が日本の行政法の全体像を把握できるようなドイツ語の論考は、存在しないように思われた。そこで、日独の行政法(学)の関係史、日本の立法機関と裁判制度から説き起こし、前記①から⑪に挙げた行政法総論の諸論点につき、学生が自分で調査・考察すべき部分は問いかけの形式にとどめながら概説した。①から⑪以外の行政法総論の論点としては、行政不服審査法の改正や損失補償に言及した。これに対し寄せられた質問には、「行政手続法や行政事件訴訟法が﹁処分﹂を中心的な概念として用いつつ、それを定義していないのはなぜか。それでも困らないのか」、「ドイツではヨーロッパ化が行政法のイノヴェーションを促しているが、ドイツほど紛争化が好まれない日本で、行政法のイノヴェーションを推進する動因は何か」等、日本の行政法の全体像に関わるものもあった。俯瞰講義の目的がある程度は達成できたと思う。
各学生はその後、割り当てられたテーマにつきA4判で20頁以内(脚注を含めて、末尾の文献表は除いて計算する)にレポートをまとめ、6月下旬に提出した。レポートの形式の指定については、研究室で通常使われている基準をそのまま使わせていただいたが、フォント、行数・行間、頁の空白部分等、かなり詳細なものであった。ゼミは集中方式で開講でき、毎週定時に開く必要がないため、この間、全員で集まることはしなかった。数名の学生から、どのような問題に重点を置いてレポートをまとめたらよいか、相談があったが、これにはメールのやり取りで対応できた。
Ⅲ レポートの報告と評価
そしていよいよ、7月に2回、各3時間余、各学生が提出したレポートについて報告する会を設けた。ゼミでの報告時間は、1人当たり15分か20分に設定されることが多いと聞いたので、1人当たり15分の報告の後、15分の質疑討論を行うことにした。パワーポイントは、ゼミを開いた研究室の図書室に機材がなく、各自の報告時間も短いため、使用しないこととした。報告原稿を用意した学生もいたが、情報カードに論点ごとのメモを作成し、カードをめくりながら報告を行う学生もいた。
特に感心したレポートおよび報告は、②⑤⑨に関するものであった。大阪大学で勉強した経験をもち、「行政指導」について報告した学生は、私にとっても難解な邦語論文まで読み、インフォーマルな行政の行為に関するドイツの最新の論考を踏まえ、日本の行政指導の特殊性という既成観念を超える考察をしていた。「独立行政法人」は、日本の学生にとっても特殊で手がつけにくいテーマであるが、このテーマに取り組んだ学生は、民主的正統化の点では問題が少ない反面、自律性・参加の契機が薄いという独立行政法人の特徴を的確に捉えていた。「立法に係る国家賠償」については、ドイツ法上も日本法上も判例・学説が錯綜しており、さらにこれらを比較するには手腕を要するが、学生は、立法に係る国家賠償が制限される根拠と範囲が日独でどのように共通し、どのように異なるかを、簡潔明瞭にまとめていた。
討論も興味深いものであった。日本の行政法に係る制度で、学生にとって最も理解し難かったものは、やはり、執行停止に関する内閣総理大臣の異議の制度であった。日本の地方公共団体は、法律の根拠がなくても条例を根拠に通常の侵害作用をなし得ることも、ドイツとはっきり異なるが、この点については、日本法の方に理解を示す学生もいた。行政裁量の日独比較に際しては、背景事情として、日本では裁判所・裁判官が多くの場合に行政事件に専門特化していないことを考慮すべき旨が指摘され、私からは、上級国家公務員についても人事ローテーションの速度が早く、ドイツほど専門性が重視されていないことを指摘した。情報公開請求の数が、日本の方が桁違いに多く、逆に言えばドイツでは比較的少ないのはなぜか、という点も議論になったが、はっきりした解答は出せなかった。
学生のレポートの出来は、当然ながらばらつきがあったものの、全体としては大変満足できるものであった。レポートはデータ形式でも提出されているので、提出された紙媒体は返却した方が親切であるし、日本に運ぶのは荷物になるでしょう、と研究室秘書に指摘され、その通りにレポートは返却した。もっとも、すでに紙媒体には他人が読むことを想定せずに万年筆で走り書きをしてしまっていた。成績は、学生が研究室で博士論文を書くことを希望する際に考慮されるとのことであったので、突出して甘い評点を付すわけにもいかず、結局、ゼミの平均的な評点よりやや高めの点数を付けた。日本の大学と同じような形式で、私も学生から授業評価を受けた。自由記載欄では、学生に随分気を遣っていただき、「このような日本法に関する企画に参加できる機会が将来もっとあるとよい」、「親切な教授、快適な雰囲気」、「レポート作成中に世話をしてもらえたことがよかった。レポート作成に要する作業量が適切に計算されていた」等、日本では接したことのない言葉をいただいた。
ともあれ、ゼミ最終回の終了後、これまで散々でたらめなドイツ語を聴かせてしまった罪滅ぼしとして、学生をネッカー河畔の日本料理店に誘い、ごちそうした。ハイデルベルクでも法学部のほとんどの学生が補習校に通っていることなど、学生生活の一端を聞くことができた。
Ⅳ 献辞と展望
喜ばしいことに、相当数のドイツの学生が、試験に直接には関係ない日本の行政法に関心をもち、熱心に取り組んでくれた。潜在的には、その数はもっと多いのではないか。それならば、日本の行政法について、もっと海外に発信して議論を深めることが、日本の研究者の責務ではないか。そこで、俯瞰講義に用いた原稿について、問いかけにとどめた部分を簡潔な答えに置き換え、また、ゼミでの報告や討論を踏まえて若干の記述を付加し、公刊を想定した原稿を完成させた。日本の公務員が高い社会的な地位と権威をもつという言説が、今でもかなり流布しており、こうした言説をもとに考察をしていた学生がいたことから、日本の行政機関・公務員に関する簡単な説明も加えた。当初は、この原稿を日本の「法学教室」に当たる学生向けの法学雑誌に掲載させていただくことを考えていた。しかし、学生向けの論攷としては、分量が多くなったことと、引用文献が専門的になったことから、研究室のエバーハルト・シュミット–アスマン名誉教授から助言を受けて、行政法の専門誌であるVerwaltungsarchiv(「行政論叢」)に掲載を依頼した。同誌は、日本の公法学界と深いつながりがあった故カール・ヘルマン・ウレ教授が、かつて編集委員をつとめていたことから、日本法に関する論攷をしばしば掲載してきた。同誌には1964年に高林克己判事が「日本の行政訴訟法入門」という論攷を掲載しており、今回はその伝統を受け継がせていただき、「日本の行政法総論入門」と題して論攷を入稿した。掲載されるのは少し先になる。
ここまでほぼ一人称で書いてきたが、今回のゼミはチームで実現された。カール教授には、ゼミの企画から雑誌編集委員への依頼に至るまで、助言とご助力をいただいた。研究室で博士論文を執筆中であったエラーブロックさんには、日程の設定、案内文の作成、資料収集への協力、ゼミへの出席、そして何より、俯瞰講義の原稿および雑誌掲載予定の論攷の修文という大変時間と労力を要する作業を引き受けていただいた。研究室のヒルベルト博士にも、ゼミの一部に出席していただき、議論の水準を高めることができた。論攷の修文には、博士論文執筆中のハルトマンさんの手も煩わせた。研究室秘書のイーリさんには、学生および学部との事務上のやり取りと、成績関係の文書作成をしていただいた。こうして教育の内容に集中できる環境を整えていただいたことは、感謝に堪えない。
最近は、研究・教育・語学いずれの能力においても優れている若い研究者が多い。今後は、法学の国際学術交流に資するもっと本格的なゼミや授業が増える可能性があるし、増えなければならないはずである。しかし、法学の研究・教育、とりわけ国際交流に随伴する事務作業で教員自身に課されるものを、ドイツの水準とは言わないとしても、日本でも本来の許容限度まで減らさなければ、それを継続的に実現することはできないであろう。帰国から半年が経ち、ハイデルベルク・ゼミの日々は、すっかり夢の中の世界へと消えてしまった。