巻頭のことば
第1回 保育の質は人生を決める
東京大学院教育学研究科教授 秋田喜代美〔Akita Kiyomi〕
日本は、少子化と高齢化が同時に進行する課題先進国と国際的に呼ばれている。その中で、連日のように新聞等メディアでは、待機児童の問題が報道されて、「婚活」「妊活」に続き「保活」という言葉も生まれている。人が社会に貢献できるよう、仕事を継続していくためには、保育の場の確保は切実な問題となっている。国でも平成29年度末までには保育の受け皿整備を40万人分から50万人分に増やし、企業主導型保育などの新たな制度を導入している。それでも待機児童は増え続けている。それは働く母親の増大に伴い、乳児保育の需要が大幅に増大していることによる。1、2歳児保育所等利用率は平成20年度には27.6%だったが、平成27年度には38.1%まで増えており、今後もさらに増えていくであろうことも見込まれている。出生率は増えないが乳児保育ニーズは高まっている。
そして保育施設を作ろうにもそのための場所がない、保育施設を作ってもそこで保育をする保育士が足りないのが実情である。
保育の問題は、若い親という一部の人の問題だけではない。企業にとっては良質の労働力保障の問題でもあるし、社会にとっては少子化に向かう国で、日本社会をこれから作っていく子ども達の人生をどのようにデザインをするかという未来創造の問題である。幼児期になって幼稚園や保育所に通う時代から、人生最初期に育つ場所が、家庭だけではなく、園へと比重が大きく変わっている時代である。日中大半の時間を園で過ごす子どもたちが増えている。子育ては親だけでする時代から、親と保育者が協働し子どもを育てる時代へと変わってきている。これは、親が親としての子育ての知恵やスキルを得るあり方もその伝承の仕方も変わってきていることを意味している。私の個人的な子育て経験からいえば、子どもを中心として園で築いた保護者のネットワークは、その後子どもが大きくなっていく中でも、地域ネットワーク形成のもとになる場、大人の絆づくりの場でもある。
だからこそ、ただ園に入れればよいという発想での保育所の量の拡大だけではなく、子どもが育ち、親が関係を取り結ぶ園での「保育の質」が子どもにも親にも大事な意味を持つ。ロンドン大学のイングリッド・ショーン教授は、欧米で戦後実施されてきた30を超える乳幼児期から大人になるまでの長期縦断研究を概括し、3–5歳において自分で見通しをもって自分の行動や考えを表現し主張したりする自己主張や、状況に応じて抑制できる自己調整能力、自分が行動主体であるという主体性の感覚などの非認知能力といわれる能力が、42歳時点でのその人の幸福感や社会経済的地位を始め、さまざまな側面において、最も有力な予測因となることを実証的に示している。コミュニケーション力は、あらゆる領域において成人になってからのさまざまな領域の成果や達成を予測する。これに対し、数唱や数量操作などの数的能力は学業達成や社会経済的な地位や身体的健康には影響を及ぼすが、その効果はコミュニケーション能力ほど広く大きいものではないという。児童期から大学までの間には、学力などが重視されがちで、非認知能力は親からは重視されにくい。しかし乳幼児期に育つ非認知能力は、大人になってから、社会人として職業に就き、パートナーをもち家族を形成したり親になることの選択への予測因子でもあり、また反対にアルコール中毒などのリスク要因の低減にも影響することもわかってきている。だからこそ乳幼児期の育ちの質が高齢化社会の幸せへの礎となる。また、家庭が社会経済的に恵まれなかったり、子どもたちにさまざまなハンデイがあったとしても、保育の質がよければ将来的に健やかな育ちを保障し、発達上のさまざまなリスクを回避する予防の働きをすることもわかっている。保育はこのような意味で、これからの社会を支える基礎となっている。では保育の質がいいとは具体的にどのようなことをさすのか、またその日本の現状を次号では紹介したい。