自著を語る
『合理的配慮――対話を開く、対話が拓く』
合理的配慮の可能性を学際的に探る
岡山理科大学総合情報学部准教授 川島聡〔Kawashima Satoshi〕
はじめに
本書のちょうど出版日(2016年7月16日)に、東京大学の松井彰彦教授が率いる科研費プロジェクト「社会的障害の経済理論・実証研究」(REASE)の主催で、本書を題材に公開講座を開催していただき、出版早々、本書の内容を公開の場で議論する機会をもつことができた(http://www.rease.e.u-tokyo.ac.jp/act/160716reply.html)。それからひと月が経ち、書籍編集第2部の松井智恵子さんから、本書の売れ行きが好調で重版されるとのご連絡をいただいた。お世話になった方々のおかげだと思う。
私は、この場をお借りして、共著者の飯野さん、西倉さん、星加さん、書籍編集第2部の櫻井堂雄さん(現在は「ちとせプレス」代表)と松井さん、そして松井教授に感謝を申し上げたい。また、私が非常勤講師をしている神奈川大学大学院法学研究科の「障害法特講」の受講生にも謝意を表したい。この授業で、私と共著者3名(ゲストスピーカー)は本書の草稿を素材に受講生と議論し、草稿を改善する機会をもつことができたからである。
本書の背景と特色
思い起こせば、9年前である。飯野さん、西倉さん、星加さんとは、私が2007年に上京した前後に知り合った。私は、この共著者3名と専門分野を異にする。飯野さんはジェンダー/セクシュアリティ研究、西倉さんと星加さんは社会学、私は法学(国際人権法、障害法)を専門としている。異なる専門分野ではあるが、職場が同じまたは近いこともあり、研究上の話をする機会が少しずつ増えていった。2012年2月末、何かの勉強会の機会に4人で立ち話をしたときに、話題は合理的配慮という新しい概念にも及んだ。本書を4人で執筆するのはごく自然な流れであったと思う。
もっとも、2012年2月末の段階では、まだ日本は障害者権利条約を批准しておらず、差別解消法も成立していなかった。私は内閣府障がい者制度改革推進会議(障害者政策委員会)差別禁止部会の構成員を務めていたが、この段階ではまだ差別禁止部会は活動を終えていなかった。そのような状況下ではあったが、私たちは、いずれ法律は成立するであろうといささか楽観的な気持ちで、2012年4月に本書を企画する会合をもった。この会合では、4人のそれぞれの持ち味を生かし、学際的なアプローチから、合理的配慮の意義と可能性を明らかにする本を執筆するとの方針を決め、大まかな目次に沿って執筆担当者を割り当てた。
以上が、4名の著者によって本書が執筆されることになった大まかな背景である。この背景から分かるように、本書は学際性を大きな特色としている。一般に、複数の学問領域の研究者たちが集う学際研究は、互いの学問領域の「常識」を当然には共有できていないため、相当な苦労を伴う。しかし、学際研究は、互いに自己の学問領域を他の学問領域の者に理解してもらうなどのコミュニケーション・プロセスを通じて、他の学問領域の方法と知見を学ぶ機会をもたらすと同時に、自己の研究を相対化・対象化して批判的に吟味する機会をも与えてくれる。また、ある考察対象を学際的に検討することにより、ひとつの学問領域からでは得難い知見が得られる。本書で合理的配慮の意義と可能性を明らかにする際にも学際的なアプローチは有益であった。
序章と3部9章
本書は、序章から始まり、3部9章構成をとり、終章で閉じる。序章では、合理的配慮とは何か(第1部)、なぜ合理的配慮の義務は正当化されるか(第2部)、どのように合理的配慮を社会に行き渡らせるか(第3部)という3つの問いに加え、障害分野を超えて合理的配慮の可能性をいかに引き出しうるか(終章)という問いを立てることにした。それぞれ濃淡の違いはあるが、これらの問いに対する各部各章の検討内容は、数多くの研究会・Eメール・電話における著者4人の学際的議論を踏まえたものとなっている。
第1部のうち、私は第1章(障害者権利条約)と第2章(差別解消法と雇用促進法)を担当し、飯野さんが第3章(ポジティブ・アクション)を執筆された。私はとりわけ第2章の執筆に苦労した。先に触れたとおり、本書を企画した2012年4月時点では、まだ差別解消法は成立しておらず、雇用促進法は改正されていなかった。それから1年以上が経ち、2013年6月になって差別解消法が成立し、雇用促進法が改正されたが、合理的配慮の規定内容を理解する助けとなる、政府の基本方針や各省庁の指針はなかなか出てこない。さらに1年半以上が経ち、ようやく2015年2月に基本方針が閣議決定された。そして同年3月に雇用促進法の合理的配慮指針が、同年11月に文部科学省と国土交通省の対応指針がそれぞれ策定された。これらの動向に気をもみながら執筆するのはなかなかに大変であった。
ともあれ私は、基本方針と指針に加え、内閣府と厚生労働省のQ&Aなども素材に、2つの法律に定める合理的配慮の概念を分析・検討し、どうにか「内容」と「手続」という切り口からこの概念を明らかにすることができた。だが、あれこれと検討を重ねた結果、気が付いたら、差別の概念なども詳しく書き込んだ第2章の草稿は4万3000字を超えていた。各章の文字数は1万5000字を目安としていたため、かなり削減しなければならず、悩んだ末に差別の概念などはごく簡潔に記すにとどめた。
第2部では、『障害とは何か』(生活書院、2007年)などで障害の社会理論を精力的に構築してこられた星加さんが、第4章(能力主義)と第6章(社会政策)を担当され、鋭利な考察を繰り広げておられる。私は以前から合理的配慮義務を道徳的に正当化する可能性を探っていたこともあり、この機会に第5章(コスト負担)を星加さんと一緒に執筆することになった。私たちは――2013年に出版された『障害学のリハビリテーション』(生活書院)の序章のときと同様――それぞれ執筆した部分を結合させたうえで、草稿全体を互いに幾度となく繰り返し修正し合う、という粘り強い学際的作業を経て本章を完成させた。
第3部では、西倉さんが第7章(障害者の定義)と第8章(プライバシー)を、飯野さんが第9章(複合差別)を担当された。西倉さんは『顔にあざのある女性たち』(生活書院、2009年)などで容貌障害に関する研究を、飯野さんは『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』(生活書院、2008年)などでジェンダー/セクシュアリティ研究を、それぞれ着実に蓄積してこられた方である。第3部で扱った3つのテーマは法学分野でも重要な論点となっているが、お2人は自身の専門分野を生かして各テーマについて鋭い分析を加えておられる。
終章と副題
前記のように「何」(what)、「なぜ」(why)、「どのように」(how)という観点から障害分野の合理的配慮を検討した3部9章の検討を経て、終章は障害分野を超えた合理的配慮の可能性を論じている。その際に着目したのは「対話」(interactive dialogue)である(なお、“interactive”と“dialogue”のどちらも「対話」の意味合いをもつ)。
そもそも、差別解消法を含む障害法に定める合理的配慮の意義は、その達成目的(共生社会)のみならず、その達成手段(対話)にもある。というのも、誠実かつ建設的な「対話」というコミュニケーションのプロセスがあってこそ、合理的配慮の目的は効果的に実現されうるからである。
ここで簡単に確認すれば、障害法にいう合理的配慮の概念は、個々の障害者の求める配慮を「ズルイ」「ワガママ」「ワカラナイ」などとして簡単に片づける前に、まずは「理由」(reason)があるものと考え、「対話」のテーブルに載せて、それと誠実に向き合うよう、障害者の相手方に要請する。このことが重要であるのは、非対称的な社会構造に置かれたマジョリティとマイノリティという関係性のなかで、しばしば後者の配慮要求が――たとえ深刻なものであったとしても――前者の無知、無理解、偏見などにより、まともに取り上げられないことがあるからだ。また、合理的配慮の概念は、ある配慮要求が過重負担を課す場合には、その「理由」を障害者に誠実に説明することを相手方に求めるのみならず、何か別の妥当な配慮ができないか互いに知恵を出し合って考えるという建設的な「対話」を両当事者に要請する。その際、相手方には個々の障害者の意向を十分に尊重することが求められる。
合理的配慮の概念は、以上のような意味合いを帯びた「対話」のプロセスを両当事者に開くことを通して、障害者が非障害者と平等な機会を享受し共生しうる社会への道を拓く。さらに、私たちが障害分野を超えて、他の様々な社会問題(セクシュアル・マイノリティ、民族的なマイノリティなどの問題を含む)に取り組む場面でも、この特有な「対話」の様式を活用する可能性を広く開いていけば、より多様な立場の者がより豊かに共生しうる社会への道が新たに拓かれるのではないか、というのが終章のメッセージである。本書の副題は、こうした内容を端的に記した表現、「対話を開く、対話が拓く」となった。
4人の著者は、終章で示した合理的配慮の可能性を――合理的配慮の限界という論点を含めて――さらに深く掘り下げて検討する意義は大きい、と考えている。これは本書の残した大きな課題である。この課題に取り組む際にも学際的なアプローチはきっと有益であろう。