書評
『数理法務のすすめ』
なぜ法律家は数理的分析を学ぶべきなのか
東京大学社会科学研究所教授 田中亘〔Tanaka Wataru〕
本書は、「数理的分析こそが法律学のさらなる発展を期する最善の方法」(本書まえがきi頁)であると確信する著者が、「その気持ちを一人でも多くの日本の法律家・法学生と共有」(同ii頁)すべく書き下ろした、数理法務の概説書である。「数理法務」とは、「法律問題を数理的技法を用いて分析する学問分野」に対して著者自身が与えた呼称である(同ii頁)。それは大別して、①法の行動分析、②法の統計分析、③法の財務分析および④法の経済分析から成る(同ii-iii頁)。本書はこのうち、主として前三者について解説したものである。④は、既に専門書が多数出版されていることから、本書は基本的に説明を省略している(同iii頁)。もっとも、株式会社が非営利政策をとることがどこまで許容されるべきかを論じた本書第6章6は、法の経済分析の重要な業績と評価できるものである。
前記の①〜④は、それぞれ、関係する社会科学の諸分野(①は意思決定論・ゲーム理論、②は統計学・計量経済学、③は会計学・ファイナンス理論、④は経済学)の研究方法を法の分析に応用するものといえる。その点で、本書は、法律学に社会科学の知見を積極的に取り入れることを提唱するものであるということができる。
数理的分析、ないし、関係する社会科学の知見を法律学に取り入れる必要性は、評者も痛感していることである。少なくとも、評者の主たる研究分野である会社法学では、それはもはや待ったなしというところまで来ていると思われる。現在の会社法の重要問題は、独立社外取締役の選任のような企業統治改革を法がどこまで後押しすべきか、あるいは、敵対的買収やヘッジファンド・アクティビズムといった現象に対して法がどのような態度をとるべきかといった、法文の解釈あるいは直感的な公正判断などによっては到底答えの出せないものばかりである。こうした問題に取り組むためには、仮説の構築と実証研究によるその検証という、社会科学の基本に則った研究方法を採るほかないと考えられる(1)。その点で、冒頭に記した著者の思いを評者も正に共有するものであり、数理法務をわが国の法律学に根付かせようとする筆者の試みを少しでも後押ししたいと考える。そこで、本書評では、以下、数理法務ないし社会科学の知見を用いた法の分析に対して関心は持っているものの、本書を読みこなすほどにこの分析に深く関わっていくことにはなお躊躇を覚えている法律家(以下、「法律家」には法学者も含み、また、未来の法律家である法学生も含むものとする)のために、いくつかのサジェスチョンをしたいと思う。
「人は必ずしも合理的に行動しないのではないか?」という疑問について
本書の第1章と第2章で解説されている法の行動分析は、経済学でいうところの「合理的(rational)」な個人の行動(以下、単に「合理的な行動」という)の分析となっている。合理的な行動とは、自己の行動がもたらしうる結果に対して主観確率を割り振ったうえ、各結果のもとで実現すると予想される効用を主観確率で加重平均した期待効用(本書54頁)を最大にするように行動する、ということである(期待効用の算定のために、利用可能な情報に基づき、本書1章で説明されるベイズの公式を利用する)。
評者が強調したい点は、こうした合理的な行動の分析を法律家が学ぶべきなのは、現実の人々がいつもそのように合理的な行動をとっているからではない、ということである。むしろ逆であり、人々(法律家も含む)の行動が合理的な行動から乖離しがちであるからこそ、法律家は、合理的な行動の仕方を学ぶべきなのである。
現実の人々が、第1章や第2章で説明されるような合理的な行動を必ずしもとらないことは、実証研究(実験)の蓄積によって確認された事実である。たとえば、多くの人は、ベイズの公式を正しく用いず、事前確率を無視して主観確率を形成しがちである(2)。また、ある事象が起こる確率(頻度)を、その事象を「頭に思い浮かべる」ことがどれだけ容易であるかによって判断するといった、簡便・素朴な思考法(発見法 heuristics と呼ばれる)に頼りがちであることも知られている(3)。このように、合理的な行動の分析は、現実の人々の行動を正確に描写したものではない。しかし、それだからといって、合理的な行動の分析に価値がないとか、法律家はそうした分析を学ばなくてよいとかいえるであろうか。
全くそんなことはないであろう。もしも裁判官が、ベイズの公式を理解せず、事前確率を無視して事実認定をするならば(それは、眼前の証拠の価値を過大評価することを意味する)、無罪にすべき被告人を有罪にするような、極めて深刻な誤りを犯す危険がある。また、依頼者が自己の重大な利益が関わる問題について、素朴な発見法に頼った意思決定をしようとしている場合、第2章で説明されている決定分析によった熟慮の上の判断を促すことは、弁護士であれば当然行ってしかるべきである。
法律家はまた、裁判官として法解釈をしたり、行政官として法令を立案するといった形で、法制度の設計に携わることがある。その際、法律家は、その法制度が社会にどのような帰結をもたらす可能性が高いかを、利用可能な情報を合理的に精査することによってではなく、その帰結を「思い浮かべる」ことがどれだけ容易であるかによって判断してよいものであろうか。
なお、法の経済分析では、近時、行動分析(behavioral analysis)と呼ばれる分野が急速に発展している。その内容は、現実の人々が必ずしも合理的に行動しないことを踏まえた上で、望ましい法制度が何かを合理的に探求しようとするものである、といってよい。具体的にいえば、人々が合理的に行動しない場合にどういう帰結が実現するかについての仮説を構築し、その仮説が現実に即しているかを実証的に検証する。そのうえで、社会厚生(社会の人々の効用の集計値)を最も大きくすると期待できる法制度を提唱するのである(4)。
要するに、人々が必ずしも合理的に行動しないという事実は、法律家が合理的な行動について学ぶ必要性を減じるものではない。むしろ、人は自然には合理的に行動するとは期待しがたいからこそ、法律家は、意識して、合理的な行動の仕方を身につける必要があるのである。それは、人を裁き、あるいは人に義務や不利益を課すことにもなる法制度の設計、運営に携わる法律家が、社会に対して負っている責任である。
「数理的分析はその道の専門家に任せればよいのではないか?」という疑問について
本書は、読者が数学の学習を高校2年生程度で止めていることを想定して、丁寧でわかりやすい説明が心がけられている。それでも、数学的議論自体は厳密に行われており、特に、統計学に関する第4章や、ファイナンス理論に関する第5章は、難解に感じる読者も多いであろう。そこで、「このような知識の習得は、法律学の片手間にできるものではなく、むしろ専門家に任せたほうがよいのではないか?」という疑問が生じるかもしれない。
それに対する1つの回答は、現代の法律問題には、本書で説明されているような社会科学に対する理解がなければ満足に解決できないものが多く存在する、ということである。
一例を挙げると、最近、最高裁は、反対株主の買取請求に係る株式の価格決定事件(会社法786条)において、収益還元法によって非上場株式の価値を評価した場合には、当該株式に流動性がないことを理由とする価値の割引(非流動性ディスカウント)をすることは許されない、と判示した(5)。その理由の1つとして、収益還元法は、将来期待される収益を一定の資本還元率で還元することによって株式の現在価値を算定するものであり、類似会社比準法と異なり、「市場における取引価格の比較という要素は含まれていない」から、と判示されている。しかし、収益還元法(より洗練された評価手法であるDCF法も同様)で用いられる資本還元率(割引率)は、通常(この事件もそうであった)、上場株式の過去の収益率をもとに決められる。その点で、市場における取引価格の比較という要素は、収益還元法やDCF法にも当然含まれているのである(資産評価の際に用いられる割引率は、投資家が当該資産に投資するために最低限要求する期待収益率である。従って、上場株式の収益率をもとに割引率を決めるということは、当該資産には流動性があることを前提にして評価を行っているということである)。もしも最高裁が、本書第5章で説明されている資産価格の理論(特に、割引率の意味及びその決定方法)について正しく理解していれば、前記のような理由づけによって非流動性ディスカウントを否定することはなかったであろう(6)。
また、近年は、上場株式の価格決定や損害賠償請求における損害の算定のために、統計的手法が用いられることがある(7)。その場合、統計分析自体はもちろん専門家が行うが、当該分析を主張、立証活動に効果的に援用したり、相手方が提出した統計分析に反論するのは、弁護士の仕事である。また、両当事者が対立する統計分析を提出した場合、それらを評価し、優劣をつける仕事は、裁判所が行わなければならない。さらに、法律家が適切な法制度の設計を行うためには、立法事実の探求あるいは法令の効果や問題点の検証のため、統計分析を適切に利用することが望まれる。このように、法律家が統計分析その他の数理的技法を適切に評価し、利用できるためには、「その技法の拠って立つ仮定が何であり、その技法が妥当性を持つ限界はどこにあるのか」(本書まえがきiii頁)といった、数理的分析の要点(いわば「勘所」)を理解している必要がある。
評者が考える理想の法律家像は、関係する社会科学の要点を理解したうえで、事案に応じて必要な専門家のインプットを得ながら、社会科学の知見を適切に取り入れた法律論を行う者である。本書が、そのような法律家を一人でも多く生み出すことを願ってやまない。
引用文献
Bar-Gill, Oren, 2012. Seduction by Contract : Law, Economics, and Psychology in Consumer Markets (Oxford Univeristy Press).
Bebchuk, Lucian A., Alon Brav, and Wei Jiang, 2015, The Long-Term Effects of Hedge Fund Activism, Columbia Law Review 115, 1085-1156
Black, Bernard S., Hasung Jang, and Woochan Kim, 2006, Does Corporate Governance Predict Firms' Market Values? Evidence from Korea, Journal of Law, Economics, and Organization 22(2), 366-413.
Dahya, Jay, and John J. McConnell, 2007, Board Composition, Corporate Performance, and the Cadbury Committee Recommendation, Journal of Financial and Quantitative Analysis 42(3), 535-564.
Thaler, Richard H., and Cass R. Sunstein, 2008. Nudge: Improving Decisions about Health, Wealth, and Happiness (New Haven and London:Yale University Press).
カーネマン、ダニエル(村井章子=友野典男訳)、2012、 『ファスト&スロー : あなたの意思はどのように決まるか?(上)(下)』 (早川書房)。
田中、 亘、 2017、 「ファイナンスの発想から考える会社法〜NPV、企業(株式)価値評価、増資等」、 司法研修所論集 126号(近刊)。
森田、 果、 2017、 「あえて言おう,カスであると!――会社訴訟・証券訴訟で利用されるマーケットモデルはどこまでロバストなのか?」黒沼悦郎=藤田友敬編 『企業法の進路――江頭憲治郎先生古稀記念』 (有斐閣)。
(1) たとえば、企業統治改革の効果の検証として、Black, et al. (2006)(韓国)、Dahya and McConnell (2007) 参照。また、ヘッジファンド・アクティビズムに関する検証としてBebchuk, et al. (2015) 参照。
(2) カーネマン(2012)第14章で「代表性」ヒューリスティクスおよび「基準率」(事前確率を意味する)の無視という用語で説明されている現象である。
(3) カーネマン (2012)第2部参照。本文で説明した発見法はその中でも特に有名なものであり、利用可能性ヒューリスティクスと呼ばれる。ある事象を思い浮かべることの容易さと、客観的な頻度との間に乖離がある場合には、この発見法は、人々の判断に深刻なバイアス(たとえば、大きく報道される事象の頻度は過大評価するといった)をもたらすことになる(同・第12章参照)。
(4) このような分析方法によった近時の代表的な業績として、Thaler and Sunstein (2008); Bar-Gill (2012) 参照。
(5) 最決平成27・3・26民集69巻2号365頁。
(6) 本文で述べた点を含め、本最高裁決定の批判的検討として、田中 (2017)第6節参照。
(7) 森田 (2017) 参照。