連載
お墓事情と墓地法制
第6回(最終回) 日本の墓地と墓地法制
愛媛大学法文学部教授 竹内康博〔Takeuchi Yasuhiro〕
「墓地と墓石(石塔)」
明治期以降のわが国の伝統的な墓地は、墓石が所狭しと林立する形態をとっており、墓石も時代とともに個人墓から夫婦墓、家(家族)墓へと変化してきた。明治後期から大正、昭和期にかけては「○○家之墓」、「○○家先祖代々之墓」が主流となったが、近年では「愛」、「絆」などの文字を刻む墓石も見受けられるようになってきた。
写真は、筆者が現在、墓地整備計画策定懇談会の会長を務めている高松市営姥ヶ池東墓地であり、墳墓(墓石)数6064、その内2739は祭祀承継者が不明な、いわゆる無縁墳墓と考えられている。
ところで、以下は「平成26年度衛生行政報告例(厚生労働省)」に見る墓地数である。
全国の墓地総数 864,365カ所
地方公共団体墓地 30,588カ所
宗教法人墓地 57,899カ所
民法法人墓地 632カ所
個人墓地 692,100カ所
その他墓地 83,146カ所
「明治以降の墓地法の変遷」
わが国では、幕末から明治初期の時点においても個人墓地、同族墓地、集落墓地、寺院墓地などの様々な形態の墓地が各地に存在していたが、これらの墓地には、近代法的な意味での「私有」という考え方が極めて希薄で、葬祭の習俗的規制と同様、その地方の慣習的規制に委ねられていた。
このような状況の中で出された明治以降の墓地ないし埋葬に関する法令は、次の2つの特色を有していた。第1は、行政的取締法規として、主として衛生および都市行政管理の見地から墓地埋葬に関して規制したものであり、第2は、租税徴収の目的から、墓地使用についての従来の曖昧かつ不明確な墓地共同体としての規制をはずし、これを官有地・公有地・民有地に区分しつつ近代法的な規制を加えようとしたものである。以下に、代表的な法令を列挙する。
「行政的取締に関する法令」
(1)明治3年12月20日第944号 新律綱領 人名律下
これは、現在でいう刑法に当たるもので、これにより、死者が出た際の行政機関への報告が義務づけられた。
(2)明治5年9月14日教部省第17号
これは、寺院側の承認があれば寺院墓地へ神葬することも可能であるということを、管内の各寺院に達するようにとのことであり、このことは、当時埋葬に関する権限が寺院側に委ねられていたことを物語っている。
なお、明治政府は、明治5年6月28日太政官第192号布告によって自葬祭を禁止し、葬儀はすべて神官または僧侶に依るべきこととした。さらに、同日太政官第193号布告によって、神葬祭葬儀は神官が取り扱うこととなった。また、明治初期の廃仏毀釈運動による神葬祭観念が離檀思想を推し進め、神葬祭地として東京市営墓地が敷設されることになり、明治5年7月に青山墓地が、同年11月には、谷中墓地、雑司ヶ谷墓地、染井墓地が開設された。これらの墓地は、当初神葬祭墓地として出発したものであるが、明治6年7月18日太政官第253号布告によって火葬が禁止された(ただし、この布告は明治8年5月23日太政官第89号布告によって廃止された)ことや、都市開発問題とも絡み合って、後述する明治7年6月22日東京府墓地規則によって、共葬墓地として宗旨宗派の如何を問わない全ての人々の埋葬場所となった。
(3)明治6年6月13日太政官第206号布告 「改定律令」移地界内死屍条例
これは、前述した「新律綱領」と共に当時の刑法規定であり、死者遺棄や墳墓盗掘に対して刑罰を設けることにより、その尊厳性を要求している。
(4)明治6年10月23日太政官第355号達 墓地設置禁止ニ関スル規則
これにより、民有地であっても墓地の新設はもとより、墓地の拡張にも官庁の許可が必要となった(この達は後述する明治17年太政官第25号布達により廃止された)。
「墓地税制に関する法令」
(1)明治5年9月4日大蔵省第126号布達 地券渡方規則第15条以下頒布
これにより、墓地が無税地とされたわけであるが、第30条に「従前ノ通」とあるように、これ以前においても墓地は無税地であったと考えられる。
(2)明治7年12月7日太政官第120号布達 地所名称区別法改正
これにより、墳墓地(墓地)は官有墓地と民有墓地に区分された。また、墓地が無税地であることに変わりはないのであるが、民有墓地には地券が発行されることになった。
(3)明治8年11月28日 地租改正事務局達第8号別報
これによって、上地した神官およびその家族の墓地は、税金を取ることなく、民有第三種として地券が与えられることになった。
(4)明治16年5月8日大蔵省第23号達
これにより、民有地である耕地・宅地を共葬墓地にした際にも地租は免除されることとなった。また、墓地の拡張及び新設の許可権については、大蔵省だけではなく、内務省が管掌する墓地も存在していたと思われる。
以上の布告や達によって、墓地の所有は官有と民有に分類された。そして、民有墓地は無税とされ、地券が発行されることとなったが、地券名義からこれらを見ると、村持、代表者名義(個人有)、共有などがあった。
「東京府墓地取締規則」
これは、明治7年6月22日に太政大臣三條實美の名前で9月1日から施行されたもので、新たに設けられた9カ所のいわゆる東京府営墓地に関する規則ある。
第2則により、これらの墓地の管轄は、会議所に設置された墓所取扱所となった。
第6則によれば、墓地の区画毎に等級表によって地価が決められており、地価を払った者には墓地券が渡される事になっているので、一見各区画の分譲とも考えられる。しかし、墓地全域の所有者は東京府であるので、ここにいう地価は、現在でいう墓地使用料である。
ちなみに第7則で、取扱所と墓地の修繕費用について、地価で不足する分は墓地の等級と面積に応じて賦課するとしているので、これが現在でいう管理料である。
第14則は、旅行客が死亡した場合、埋葬費用を持っていない場合の処置が定められているが、とりあえず墓地内の一定の場所に仮埋葬し、家族・親戚等からその費用を徴収する事などを定めている。但し、本籍地がわからない者については、3カ月間標示することになっているが、標示方法、その後の扱いについては不明である。
この規則には、いわゆる管理料未納者の規定はなく、そもそも管理料の未納については想定していなかったとも考えられる。
また、追加において、地価を一括で払えない者には5年の分割払いを認めるとともに、男女を問わず孤独者は地価を徴収しないが、埋葬地は下々の場所となるとしている。
この規則は、明治15年第49号布告行旅死亡人取扱規則が制定される以前の規則ではあるが、既に東京府では天涯孤独の者の埋葬地を確保していたことになる。
「墓地及埋葬取締規則」
これは、わが国における最初の体系的な墓地法であり、明治17年10月4日太政官第25号布達として施行された。
第一条 墓地及火葬場ハ管轄庁ヨリ許可シタル区域ニ限ルモノトス
第二条 墓地及火葬場ハ総テ所轄警察署ノ取締ヲ受クヘキモノトス
第三条 死体ハ死後二十四時間ヲ経過スルニ非サレハ埋葬又ハ火葬ヲナスコトヲ得ス
但別段ノ規則アルモノハ此ノ限ニ在ラス
第四条 区長若クハ戸長ノ認許證ヲ得ルニ非サレハ埋葬又ハ火葬ヲナスコトヲ得ス
但改葬ヲナサントスル者ハ所轄警察署ノ許可ヲ受クヘシ
第五条 墓地及火葬場ノ管理者ハ区長若クハ戸長ノ認許ヲ得タル者ニ非サレハ埋葬又ハ火葬ヲナサシムヘカラス又警察署ノ許可證ヲ得タル者ニ非サレハ改葬ヲナサシムヘカラス
第六条 葬儀ハ寺堂若クハ家屋構内又ハ墓地若クハ火葬場ニ於テ行フヘシ
第七条 凡ソ碑表ヲ建設セント欲スル者ハ所轄警察署ノ許可ヲ受クヘシ其許可ヲ得スシテ建設シタルモノハ之ヲ取除カシムヘシ
但墓地外ニ建設スルモノ亦之ニ準ス
第八条 此規則ヲ施行スル方法細則ハ警視総監、府知事(県令)ニ於テ便宜取設ケ内務「卿」ニ届出ツヘシ
右布告候事
ここで注目すべきは、墓地には管理者が置かれることになったことと、所轄警察署の取締を受けるとされたことである。さらに、第四条では改葬についても、所轄警察署の許可で足りるとしている点である。
「墓地、埋葬等に関する法律」
これは、昭和23年5月26日・28日に開催された衆議院厚生委員会(実質的な審議は26日)と5月27日・28日・31日(実質的な審議は27日と28日)に開催された参議院厚生委員会において審議・可決され、昭和23年5月31日法律第58号として公布、施行された。これにより「墓地及埋葬取締規則」は廃止された。以下は、特に重要と思われる規定である。
第一〇条 墓地、納骨堂又は火葬場を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない。
第一二条 墓地、納骨堂又は火葬場の経営者は、管理者を置き、管理者の本籍、住所及び氏名を、墓地、納骨堂又は火葬場所在地の市町村長に届け出なければならない。
第一三条 墓地、納骨堂又は火葬場の管理者は、埋葬、埋蔵、収蔵又は火葬の求めを受けたときは、正当な理由がなければこれを拒んではならない。
「地方自治法と墓地」
地方自治法は、昭和22年5月3日に施行されたものであるが、翌23年7月20日の改正により普通地方公共団体の事務に墓地が追加された。その後、地方分権一括化法の施行に伴う平成11年7月16日の改正で削除された。
ところで、平成26年度厚生科学研究「墓地埋葬行政をめぐる社会環境の変化等への対応の在り方に関する研究」(代表者 浦川道太郎)によれば、全国の普通地方公共団体の内、墓地の経営管理を行っているものは約7割で、3分の1近い普通地方公共団体においては、現在もなお墓地は未整備のままである。
「新たな墓地と葬法の出現」
(1)樹木葬墓地
樹木葬墓地は、岩手県一関市にある大慈山祥雲寺の住職であった千坂
樹木葬墓地は、美しい里山を後世に残すという目的のもと、墓地として許可された里山(総面積約2万7千㎡)の一定の面積(半径1メートル以内の円内)を墓所として、遺骨を埋蔵し、墓石の代わりとなるヤマツツジ、エゾアジサイ、バイカツツジなどの墓地環境に適した低木類を選んで植樹するというものである。
その後、従来のような墓石(石塔)を必要としない樹木葬墓地は、全国各地に開設されることとなった。
さらに、都営墓地の不足に悩む東京都では、平成20年2月の東京都公園審議会答申「都立霊園における新たな墓所の供給と管理について」に基づいて、平成24年3月から新たな形式の墓地として小平霊園内に樹林墓地を整備し、募集を開始している。この樹林墓地とは、樹林の下に設けた共同納骨施設に多くの遺骨を一緒に埋蔵するというもので、面積843平方メートルに対して、埋蔵予定数は約10,700体とされている。
(2)散骨葬
散骨葬とは、焼骨を粉状に砕いてこれを海や山に撒くという葬法である。我が国における散骨葬は、平成3年2月の「葬送の自由をすすめる会」の結成に始まる。この会は初代会長安田睦彦氏が中心となって発足した団体で、散骨葬を「自然葬」と名付け、平成3年10月5日に初めて、相模灘で散骨を行った。なお、この会は平成14年にNPO法人格を取得し現在に及んでおり、この間に約1600人以上の散骨を行ってきた。
ただし、散骨葬については、前述した「墓地、埋葬等に関する法律」制定の際、昭和23年5月27日参議院厚生委員会において、以下の議論がなされている。
○姫井伊介君 埋葬、埋蔵等に関してでありますが、世の中にはいろいろ面白い人があって、骨を粉にしていわゆる風葬を行う、空からばら撒いてしまう、或いはインドのガンジーみたいに遣骨をガンジス河へ流してしまうと、こういつたようなものもないではないのであります。こういうものはこの法律適用外になるのでありましようか。それを先ず一つ伺いたいと思います。
○政府委員(三木行治君) 私も新聞でいつか、風葬というのを、飛行機で骨粉を撒くという記事を見たことがございます。実はこの法律案におきましてはさような場合を予想いたしておりませんが、若しさようなことがあるといたしましても、今日大多数の国民感情といたしまして、風のまにまに撒くことが死者の冥福を祈る一番いい方法であるとかいうことにはちよつと賛成いたしにくいのじやないかと思います。まあ特別な理由があるかも知れませんが、私共といたしましてはやはりこの法律で取締って行きたいと、かように考えるのであります。
しかし、結果としては法律で取り締まることはなく、「葬送の自由をすすめる会」からの電話取材に、当時の厚生省生活衛生局は「法は散骨のような葬送の方法については想定しておらず、法の対象外で禁じているわけではない」と回答した。また、法務省も「刑法190条(死体損壊等)の規定は社会的習俗としての宗教感情などを保護するのが目的だから、葬送のための祭祀で節度を以て行われる限り問題はない」とした。
とはいえ、散骨による地元とのトラブルや風評被害等もあり、地方公共団体においては条例でこれを禁止するところも現れた。
平成17年に北海道長沼町で施行された「長沼町さわやか環境づくり条例」を初めとして、北海道七飯町、北海道岩見沢市、埼玉県秩父市、埼玉県本庄市、静岡県御殿場市、静岡県熱海市なども規制している。
今後の国の対応が注目される。