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書斎の窓

連載

途上国の経済発展――インドから考える

第2回 デリーに住む

一橋大学経済研究所教授 黒崎卓〔Kurosaki Takashi〕

デリー、ニューデリー、オールドデリー

 前回、私の南アジア地域経済研究の遍歴を紹介し、2016年9月末からサバティカルの1年弱をインドの首都デリーで過ごすことになった経緯を説明した。予定通りインドに到着し、受け入れ先のジャワハルラール・ネルー大学(JNU)でのオフィスと、そこから数キロほどの住居に落ち着いた。今回は住環境をめぐる話をしたい。

 最初に背景情報として、地名を整理しておく。前回の原稿に対して、「インドの首都はデリーではなくて、ニューデリーではないか?」とのコメントをいただいた。日本人の多くは、デリーはオールドデリーとニューデリーから構成され、首都があり、近代的な商業地区や住宅地区が広がっている地域はすべてニューデリーだと思っているが、これはあまり正確ではない。

 私の連載で「デリー」と書いた場合、「デリー首都準州」(National Capital Territory of Delhi:NCT)を基本的にさす。NCTは、インド連邦制度の下での「準州」として、「州」とほぼ同じ機能を持つ広大な地域である。1947年の独立直後はその多くが農村地域だったが、今や商業地区・住宅地区が広がり、ほとんどが都市地域となっている。さらには、実質的な首都圏はNCTを超え、ハリヤーナー州のグルガオン(グルグラム)市やウッタルプラデーシュ州、ラージャースターン州の一部にまで広がった。このため、これら周辺を含んだ公式の地域概念としての「首都圏」(National Capital Region:NCR)が、憲法に規定されている。2011年人口センサスによると、NCTの人口は1700万人、NCRの人口は4600万人だった。世界有数の規模と言えよう。

 デリーは永らく、3つの地方自治体に分かれていた。国会などが位置する中心部を管轄するのが「ニューデリー市議会」(New Delhi Municipal Council:NDMC)、その南西部、デリー国際空港などが位置する地域を管轄するのが「デリー軍屯地評議会」(Delhi Cantonment Board:DCB)、そしてそれ以外の地域はすべて「デリー自治体」(Municipal Corporation of Delhi:MCD)の管轄だった。デリーNCT人口の97%はMCD地域に居住し、NDMCとDCBはそのわずかな残りを占めるに過ぎない。地方自治体としてはあまりに巨大すぎたため、2012年にMCDは、「北デリー」、「東デリー」、「南デリー」の3自治体に分割された。すなわちデリーは現在、5つの地方自治体から構成されていることになる。他方、デリーの行政区分は、11の県(district)から構成されており、そのうち、人口規模が最小の「ニューデリー県」の領域が、NDMC管轄地域と一致している。

 イギリス植民地期に整備された緑多いNDMC地域に、最高裁判所、国会、および連邦政府省庁の主要オフィスが位置するから、インドの首都はニューデリーであるという記述は正しい。しかし以上の説明から分かるように、デリーの近代的商業地区や住宅地区のほとんどは、ニューデリー市議会管轄地域の外に位置する。話をややこしくするのは住所表記で、ニューデリー中央郵便局が担当する地域では、通常、県名は記載せずに、ニューデリーと表示される。他方オールドデリーを公式に定義する地域区分は存在せず、通例として、NDMC地域に接する北デリーの旧市街、ムガル帝国期までに築かれた城壁に囲まれた狭い地域を指す。

2010年英連邦競技会の選手村に住む

 私の住み処はデリー首都準州南西デリー県ヴァサント・クンジュ地区にあり、住所表記はニューデリー、ヴァサント・クンジュ、D6ブロック(+アパート名・家番号)となっている。2010年発行の地図だと、D6ブロックのほとんどは、ブロック番号のみ振られ、建物が何もない荒れ地の記載だ。そこには現在、中層アパート群が大きく4か所に分かれて建ち、そのうちの1か所、4階から9階建ての10棟からなる一角に私の住むアパートがある(写真参照)。

筆者の住むアパート群の眺め(インド、デリー。筆者撮影)

 知人の紹介でここに住むことを決めてから、このアパート群の経緯を知った。これらは、2010年10月にデリーで開かれた第19回英連邦競技会(Commonwealth Games:CWG)の選手村として建てられ、CWG終了後に民間に払い下げられた物件だった。経済の急成長に自信を深めたインドは、スポーツ界での国際的地位の向上に力を入れるようになり、近い将来の五輪招致も視野に入れている。2010年CWGは、その試金石として招致され、デリーメトロという地下鉄・近郊鉄道路線がこれに間に合わせて急速に拡張された。1964年の東京五輪に向けて、1958年に東京でアジア競技大会が開催された歴史を思い起こさせるストーリーである。

 世界中からトップアスリートが集まるイベントの選手村と聞くと、現在も代々木公園近くにその一部が残る東京五輪選手村をイメージする方も多いかもしれない。ゆったりとした3LDKの間取りと明るい採光、各フロアに設けられたゴミ出し用ダスト・シュートなど、なかなか近代的な設備が私のアパートにもある(はずだった)。

 しかし実際の建物は、壁の漆喰があちこち剥げ落ち、水漏れや壁の穴などが目立つ、インドの中古アパートの朽ち果てた雰囲気を全身に集めたような状態だった。本当に2010年築なのか、信じられないメンテナンスの悪さである。突貫工事で作られた手抜きもあったかもしれない。そもそも選手村のかなりの部分はCWG開会に間に合わず、本来の機能を果たさないまま、払い下げられたのだ。

 「住めば都」とすべく、徹底した掃除と細かな修繕を始めた。住み始めた翌日、たまったゴミを捨てようと思ってダスト・シュートに行くと、なんと捨て口が溶接されていて使えなくなっていた。事前下見の時からシステムが変わったのだ。翌朝その謎が解けた。ゴミ集め人が毎朝各戸を訪問して、彼らにゴミ箱をそのまま渡すと、彼らが中身を分別し、空になったゴミ箱を戻してくれた。ゴミを出す量に関係なく、月定額の料金設定である。これらは、デリーの廃品回収業の研究(速水[2005年]などを参照)に描かれていた伝統的システムである。ダスト・シュートで24時間ごみが捨てられるというモダンなやり方を衛生的に維持できなくなり、古くからのシステムに先祖返りしたのだ、と管理組合に関わっている隣人から聞かされた。

外国人居住登録

 住居の整備と並んで、外国人居住登録を進めた。前回、インドは外国人研究者が研究のために長期滞在するのをあまり好まず、その意味で社会主義的な体質を持つ国だと言われ、リサーチ・ビザもなかなか発行されないと書いた。

 180日を超える長期滞在ビザで入国した外国人は、商用、留学、リサーチ・ビザなどの場合には入国後14日以内に外国人居住登録が義務付けられている。まずウェブで登録手続きを開始し、必要事項を入力し、必要書類のPDFファイルをアップロードすると、登録のための役所訪問日を予約できる。このウェブが不親切な設計で、必要書類が何で、そのアップロードの様式(かなり小さいファイルでないと受け付けてもらえない)がどうなっているかが、入力を始めないとわからず、しかも入力は入国後でないと開始できない流れになっている。幸い私は、日本を発つ前に知人から必要書類のリストを教えてもらっていたので、効率よく必要書類とPDFファイルを揃えることができた。

 リサーチ・ビザの場合の必要書類は、写真、パスポートの関連ページのコピー、住居証明、インドでの在籍研究機関による在籍証明である。住居証明は、賃貸物件に住む場合には、公益上問題のない賃貸契約が成立したことをインドの複数の役所が確認しないかぎり、証明書が発行されないので、14日以内に手続きを終えるのは至難の業である。所属機関の在籍証明も、巨大大学の一般留学生だと書類が出るまでに結構な日数がかかるらしい。加えて私が入国してからの2週間には、全国レベルの祝日が2日あり、州レベルの祝日も入っていた。締切りのカウントに祝日分の調整はない。これでは14日期限を満たすのは無理だな、と当初はあきらめていた。14日を超えた場合、結構な額の罰金を取られる。

 所属研究機関のカウンターパートの尽力で、必要書類を素早く揃え、入国1週間後に役所訪問の段階に達することができた。ウェブで既に必須情報と必要書類のPDFファイルを提出しているのだから、「予約」すればすぐに担当オフィサーに会える、という期待は、登録役所の待合室に延々と並んだ人々の列で裏切られた。2時間近く待たされ、ウェブには記載がなかった追加書類を提出した(関連する書類のハードコピーを念のため持参しており、幸い、その追加書類がこの中にあった)。そして担当オフィサーが出した結論は、この在籍証明書が正規のものであることの証明を在籍機関の長から電子メールで受け取ってから、再審査。この後に祝日が控えていたため、再審査の予約日は、入国からちょうど14日目となった。

 こうして再審査の日を迎えた。再び長い列。1時間半待たされて、やっと自分の番。書類の詳細をチェックして登録証明書を作るオフィサーと、登録証明書に署名するオフィサーは別で、両方でそれぞれ待たされる。そしてついに外国人居住登録証明書を受け取った。めでたし、めでたし。ただの1枚の書類だが、これがないと、該当外国人がインドを出国する際に深刻なトラブルになるらしい。

 この経験からは、外国人長期滞在に対する面倒なインドの手続きの本質は、社会主義などとは無縁の官僚主義的非効率と結論せざるを得ない。多くの役所が関わるだけでなく、同じ役所内での書類の流れがとにかく遅い。プロセスごとに担当オフィサーが異なり、その間をそれだけの仕事に特化した雑用係が書類を束ねたファイルを持って移動する。限界生産性がゼロに近い労働力が、ここにはどれほどいるのだろう。前号に書いた古きインド世界「バーラト」(Bharat)をここに見た気がした。登録手続きをウェブでまず開始すること、在籍機関の長からの確認を電子メールで行うことの2つを見ると、急成長する近代的インド世界「インディア」(India)の香りがしないわけではない。とはいえ、外国人居住登録に関する限り、インターネット導入による効率改善は微々たるもののように思えてならない。

引用文献

速水佑次郎「インド・デリー市における廃品回収業者:都市貧困層の分析」『経済研究』第56巻1号、2005年1月、1〜14頁(岩波書店)。

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