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書斎の窓

自著を語る


『続・千曲川の岸辺――伊藤眞随想録Ⅱ』

続・老書生交友鈔

日本大学大学院法務研究科・創価大学大学院法務研究科客員教授 伊藤眞〔Ito Makoto〕

伊藤眞/著
四六判,224頁,
本体2,200円+税

 前著『千曲川の岸辺』を上梓し、本誌639号に「自著を語る――老書生交友鈔」を掲載していただいたのが2015年5月、今般、その続巻たる本書を公刊し、再び誌面をお借りすることとなった。読者から賜った感想などを拝読するとき、いかに多くの方々の御厚意に囲まれて日常を過ごしているかを改めて心に刻んでいる。

 たとえば、昭和25年(1950年)当時の、信越本線・上田〜軽井沢間の乗車時間に関する記憶が定かでない旨を誌したところ(本書はしがきi頁)、自他ともに鉄道ファンと認める練達の弁護士の方より、往時の時刻表の写しとあわせ、両駅間の勾配、交通事情、混雑状況を考えると、上りに1時間40分程度を要したのではないかとの御教示をいただいた。時空旅行機タイムマシンに搭乗し、67年を飛翔した想いがする。

1 甲武信こぶし岳から雨宮渡あめのみやのわたり(1)まで

 本書を四部構成とし、「第一部 甲武信岳の細流せせらぎ」、「第二部 千曲川を囲む山々」、「第三部 岸辺の月見草」、「第四部 雨宮渡」との標題を付したのは、千曲川が貫く信州南佐久みなみさく郡、小県ちいさがた郡、更級さらしな郡についての想いを表したものであり、また、50年に渉る研究活動に、源流、上流、中流、そして佐渡の海に消える下流という区切りを意識している。

 このうち雨宮渡については、はじめて耳にされる方が少なくなかったようである。永禄年間(1558年〜1570年)、甲斐を本領とする武田晴信(信玄)と越後より発した長尾景虎(上杉謙信)との川中島の合戦は、戦国史を彩る一コマであるが(2)、同4年(1561年)には、長尾方が妻女山さいじょさん(3)に陣取り、海津城に入った甲軍と対峙一旬、深更、水流を徒渉し、払暁、八幡原にて攻撃に移ったと伝えられる。頼山陽の名詩の一節、「あかつきに見る千兵大牙せんぺいたいがを擁するを」(4)は、その情景を謳ったものであり、雨宮渡は越軍の渡河点として知られている。

 〔閑話休題――譜読みと文献読解〕

 ところで、「続・折々の記」中に、稚拙なピアノの練習を続けていることを記している(本書41頁)。牧山奈津子先生の御指導の賜物で、多少の進歩は見られるものの、楽曲を奏でる水準に達する前に、命の灯火ともしびが尽きるような予感がする。愚直さのみを杖とする老書生の学問研究と同様に、才能の不足を努力で補う気持ちだけは失っていないが、老耄のせいもあろう、切ないほどの絶望感に囚われることもしばしばである(5)

 そのことはさておき、読譜の段階は、各種文献の読み込みの期間とよく似ている。熟達者が初見の曲でも弾きこなせるのと同じく、怜悧聡明をもって鳴る方であれば、瞬時に理解できるのであろうが、老書生は、一字一句を追いながら進む以外にない。たとえば、『注釈破産法』(6)のように、上下巻あわせて1800頁に近い文献となると、蹌踉よろめきつつ数百頁まで読み進んだところで、本を閉じ、書架に戻したい誘惑に駆られることもしばしばである。しかし、学習者向けの入門書や受験用の教科書であればともかく、あるべき実務運用の基礎たるべき解釈規範を提示する体系書を標榜する以上、その土台となる自らの論文を発表し続けるとともに、これは決して避けては通れない途である。

2 論文は攻撃、体系書は守備?

 「岸辺の月見草」には、拙書のはしがき類を収めている。研究生活の日々を振り返ると、体系書の執筆や改訂に集中する時期と、論文作成に軸足を置く期間とに分かれる。体系書の場合には、退嬰的であってはいけないと自らをいましめているが、綻びを避けねばならないとの気持ちが無意識に働くゆえであろうか、保守的になりがちである。

 これと比較すると、論文執筆時は、新機軸を打ち出そうとするため、通念に挑む気持ちが強い。研究論文の中に、「通説でよいと考える」などという記述を見い出すとき、そこはかとない違和感を感じるのは、天邪鬼あまのじゃくたる性格ゆえであろう。「論文と体系書とは唇歯の関係にあり、論文に支えられない体系書は虚しく、体系の中に位置付けられない論文はあやうい」とは老書生の信念であるが(7)、両者の均衡を保つのは至難の業である。

 また、基本的な概念や原則に関する考え方の対立に言及し、「いずれの説でも大きな差異は生じない」との結論(?)で終わっている論攷に接することも稀ではない。無意味な論争に化したとの評価なのか、自らの立脚点を明らかにすることからの逃避なのかと問いたくなるのは、加齢のなせるわざかとおそれている。

 〔閑話休題――告朔の餼羊きよう(8)

 研究者の間では、著書や論文を交換する慣習がある。こちらからお送りするときはともかく、頂戴したときの対応は、百人百様である。本来は、精読した上で、印象を付して礼状をお届けすべきであろうが、大著であったり、ジックリ拝読する余裕のないときは、取り敢えずご厚意を謝す旨をお伝えするに止めざるをえない。もっとも、送り状の中に「受領のみの連絡は不要である」旨が記されていることもある。先様の意図としては、形式的な礼状を書く負担をおもんばかってと思われるが、受け取りようによっては、「礼状を寄越すのであれば、キチンと読んでからにしてほしい」との意思表示かと誤解されかねない。

 しかし、郵便であれ、電子メールであれ、礼状が一般的かといえば、必ずしもそうともいえない。学問に社交儀礼なしとの信念か、礼状などを書く時間があれば、自らの研究に専心したいとの判断か、はたまた、「学者子供」的人格(本書4頁)の現れか、一つの理由に帰することは難しい。書札礼も含めて、礼状の交換自体が告朔の餼羊となっているのかもしれない。いずれにしても、合理主義(必要不必要を見極め、義務のないことはしない)と功利主義(利益につながらず、得るものが期待できないことはしない)が支配する時代の変化に後れた老書生のつぶやきと受け取られよう。

3 研究者の専門分野

 「第四部 雨宮渡」では、テレビ広告に関する旧稿と比較的近時の二つの講演録を収めている。講演録の一つは家族法にかかわるものであり、テレビ広告に関する論文と同様に、筆者の専門領域からは程遠い。研究者としての出発点に立った時に選択した専門領域を堅守し、微細にわたり検討するのを尊しとする風潮からすれば、いささか苦々しく、あるいは笑止千万と受け止められるかもしれない。失うもののない老書生ならではの厚顔さでもあるが、法が人の行動や社会の事象に対する一体の規範として機能している以上、ときには視点を変えて、別の分野の問題に取り組んでみることを実践したつもりである。

 また、研究者にとってリスクをとることの大切さは、本書54頁に述べたところである。紛争管理権の概念(本書183頁)は、1978年の発表当時、批判というより憫笑に接した印象があり、せめてもの抵抗として欧米の思潮を紹介したことがある(9)

 故霜島甲一先生(法政大学)より、「外国の制度を勉強して、わが国のあり方を考えるのが普通だが、自分の考え方の正当性を外国の制度によって論証しようとするのはめずらしい」とお誉め(?)の言葉をいただいたのが懐かしい。それを思うと、40年後の消費者裁判手続特例法・規則の制定などによって、訴訟法学の中での「生存権」を認められたと自負するとき(10)、今昔の感を禁じえない。

 〔閑話休題――法律意見書再論〕

 日常、他の研究者の手になる意見書に接することも稀ではない。ナルホドと、その見識に脱帽する場合が多い反面、いかほどの思索を重ねて書かれたものかと思案投首になるときもある。老書生の基本的な考え方は、以前に述べた通りである(11)。

 訴訟代理人の主張書面とは異なって、公正かつ中立の立場からの意見であり、読み手である裁判所なども、そのような視点から目を通されるのであろうから、あまりに党派的な主張に偏し、所与の結論を正当化するためだけの論理と受け止められるような記述は避けるべきであると思う。また、意見書は、適用されるべき法的判断枠組の提示に止めるべきであり、当該事件の結論にまで言及するのはのりを超えていると考えるが、時代遅れの居酒屋の亭主の繰り言といわれよう。

4 おわりに

 理論活動の領域においても実務法曹の活躍が目立つ今日、法律学研究者の存在意義と役割が問われているのではないだろうか。大学院など研究者養成課程の入学者が激減している状況がそれを示しているように思われる。それにもかかわらず、学界の側で危機感が共有されていないように感じるのは、老書生のみであろうか。外国法制の動向について空中線アンテナを張り、情報を受信するのが研究者の存在理由よレゾンデートルであるとの意識と袂別するためには、若手研究者の「思いつき的発想」の芽を育て、存在被拘束性からの飛翔(本書97頁)を促さなければならないと信じている。

(1)「あめのみやのわたし」との読みが一般的であるが、頼山陽(頼成一・頼惟勤訳)・日本外史(中)192頁(1977年、岩波文庫)に従っている。

(2)佐藤正英校訂/訳・甲陽軍鑑397頁(2006年、ちくま学芸文庫)。

(3)幕末の開明思想家・佐久間象山の少年時代を謡った一節、「妻女山から槍が降る。佐久間の門から石が飛ぶ」でも知られている。

(4)み下し文は、揖斐高訳注・頼山陽詩選47頁(2012年、岩波文庫)による。

(5)亀井尚也弁護士による「鍵盤の夢を追い求めて」自由と正義66巻11号5頁(2015年)を拝読したが、幼年期より高校時代までレッスンを受け続けられたとのこと、30年にわたる空白があっても、いわば基礎体力をお持ちであろう。それと比較すると、小学校から高校まで、音楽のクラスでは常に沈澱状態、カラオケで唄えば、リズムも音程も常軌を逸している老書生が、古稀を前にして鍵盤に向かったこと自体が無謀な試みであったのかもしれない。

(6)田原睦夫・山本和彦監修(2015年、きんざい)。

(7)前著・千曲川の岸辺94頁、本書50頁。

(8)単なる形式にすぎないが、ともあれ存続させておくべき儀礼をいう。竹田晃・四字熟語・成句辞典(1990年、講談社)参照。

(9)「米国における当事者適格理論発展の一側面(1)(2・完)――「紛争管理権」の比較法的研究」民商81巻6号、82巻1号(1980年)、「ドイツ連邦共和国における環境保護と団体訴訟(1)(2・完)――「紛争管理権」の比較法的研究・その2」民商83巻2号、83巻3号(1980年)。

(10)山本和彦・解説消費者裁判手続特例法〔第2版〕20頁(2016年、弘文堂)参照。

(11)前著・千曲川の岸辺27頁。

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