連載
ウェーバーの社会学方法論の生成
第2回 人文学と自然科学の間で
東京大学大学院総合文化研究科教授 佐藤俊樹〔Sato Toshiki〕
1.
前回、M・ウェーバーの社会学方法論が、哲学者のリッカートと生理学者で統計学者のフォン・クリースという、2人の学者の影響の下に形成されたことを述べた。日本語圏では今日でも、ウェーバーの方法論はリッカートの延長上で解説されることが多いが、実際には(a)リッカートの主張の重要な一部をウェーバーは明確に否定した、そして(b)そこにはv・クリースの方法論が決定的に関わっていた。
その点を考えると、リッカートの「文化科学/法則科学」の図式を使って、ウェーバーの社会学を位置づけることも適切とはいいがたい。例えば「「文化科学」的「法則科学」」(折原浩『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か』勁草書房、2007年、13頁、傍点は著者による)のような表現は、誤解をうむだけだろう。ウェーバーの社会学は文化科学でも法則科学でもないのだから、法則科学的文化科学でもなければ、文化科学的法則科学でもない。ウェーバーがマイヤー批判論文で「法則論的知識nomologischeWissen」と呼んでいるのは、主に経験的知識を援用した反事実的因果命題(訳書191、208頁、GAzWL S.275-276,287など)(注1)、いわゆる「反事実的知識counterfactual knowledge」である(J・パール、黒木学訳『統計的因果推論』共立出版、2009年、35頁、原著第2版ではp.34など)。
こう整理すると、ウェーバーの方法論のもつ現代的な意義がいっそう際立つ。よく言われる文科系/理科系という分類を、むしろすでに超え出ているのだ。社会科学は文化科学的な意味での文科系でもなければ、法則科学的な意味での理科系でもない。そのどちらでもないものとして、ウェーバーは社会学の方法論を組み立てた。それはいわば第3の分野としての社会科学の登場を告げるものだった。
何よりもまずその意味で、ウェーバーの方法論の生成はきわめて
(注1)折原浩はウェーバーの因果帰属の方法を次のように要約している(前掲、同頁)。
個性的な「原因」と個性的な「結果」との関係について、かりに前者がなかったとしたら、後者は生起しえたろうか、との「思考実験」を企て、「人間が通例、所与の状況にいかに反応するか」に関する「法則的知識」に照らして、その個性的「因果」関係の「合法則性」=「適合性」を論証する「客観的可能性判断」
この要約は「客観性」論文の用語法からみれば適切かもしれないが、マイヤー批判論文やクリース2論文の用語法からみれば、そしてリッカートの用語法からみても、適切ではない。
リッカートの文化科学において、「個性的」という術語は独自の強い意味で用いられる。それは法則性のような一般的な記述をうけつけないものとされ、反事実的な形もふくめて、他の何かと比較すること自体ができない。だからこそ「個性的因果関係individuelle Kausalverhältniss」には独自の因果同定手続きが適用される、と彼は主張した。
また1906年以降のウェーバーの用語法では、本文中で述べたように、「法則論的」は主に経験的知識を援用した、反事実的な形をふくむ、因果関係の命題をさす。折原の言葉づかいを借りれば、もし「前者がなかったとしたら、後者は生起しえなかった」だろう、という命題にあたる。それをつかった判断が「客観的可能性判断」である。
折原の著作もふくめて、マイヤー批判論文やクリース2論文での“nomologisch”は、「法則的」とも「法則論的」とも訳されるが、「法則的」と訳される場合、これが反事実的条件法にあたることに気づかれていないか、無視されていることが多い。
ただし、例えば厚東洋輔「ウェーバーと『意味』の社会学的把握」(『大阪大学人間科学部紀要』3号、1977年)は「法則」を用い、反事実的条件法にも言及していないが、「虚構的な行為連関」(253頁、傍点は著者による)という表現を導入することで、マイヤー批判論文での「客観的可能性判断」の内容をほぼ正確に復元している。したがって、方法論の理解と“nomologisch”の訳し方との関連性は実際には疑似相関で、むしろマルクス主義的な法則科学観との近さが影響していると考えられる。
2.
現在の日本では、学術研究や高等教育への公的支出が、頭打ちどころか、先細りにされている。そのなかで、「文系」とされる学術分野を縮小しようとする動きまでおきている。大学教員の1人である私にも、それは当然関わってくるが、私自身の立ち位置は、率直にいえば、少し微妙なところがある。
最も大きな区分けでいえば、理科系/文科系のうち、文科系は人文社会科学から構成される。つまり、人文学humanitiesと社会科学social scienceからなる。
この2つは名称だけではなく、中身もかなりちがう。大きくいえば、社会科学には2つの特徴がある。
1つは反省的な形式化だ。少し誤解をまねくかもしれないが、あえてわかりやすい言葉にすれば、「論理性」とも言える。
社会科学は自然科学の手法をかなり取り入れてきた。例えば、数理モデルや計量分析を自分で使える必要はないが、それらを使った既存研究をある程度理解できる素養は求められる。そして、たとえ数理や計量に全く関わらなくても、形式論理にしたがった論証は必ず求められる。簡単にいえば、「あなたの議論は論理的でない」といわれたら、研究者生命をかけて反論せざるをえない。
学術の世界では論理性はつねにそれ自体価値があるが、社会科学にとって一番重要な役割は、二重基準を回避することにある(=「二重基準だ」という反証可能性は必ず確保する)(注2)。だから、「反省的な形式化」といった方がより正確な表現になる。
もう1つは、社会に関わる具体的な因果のしくみの探究である。そもそも因果とは何か、それ自体が大きな問題だが、その反省的検討もふくめて、というか、その問いを手法の反省として内部化しながら、社会科学は因果のしくみを基本的な探究課題としてきた。いや、そうすることから逃れられなかった。
この2つが社会科学の特徴であり、人文学や思想との主なちがいもそこにある。
もちろん一言で「人文学」といっても、さまざまな分野がある。例えば、前回もふれた『反事実的条件法』の著者D・ルイスのように、分析哲学は数理論理学をとりこんでいて、社会科学以上に反省的な形式化が進んでいる。あるいは、社会科学の成立のはるか以前から、歴史学は社会に関わる具体的な因果の探究に取り組んできた。現在の社会科学もこの2つの分野とは特に関わりが深い。
したがって、反省的な形式化と社会に関わる因果の探究をともに追求するところに社会科学の特徴がある、といった方がよいだろう。この2つをいかに組み合わせるか、すなわち因果のしくみを特定しうる手法を反省的に形式化しながら、それによって社会の事象を経験的に分析していく営みが社会科学だ、といえる(注3)。
そこには独特の困難がついて回る。社会科学では、自然科学とはちがって、実験室のような閉じた系で因果を同定することができない。さらに、観察者と観察対象が多くの場合、同じ社会の人間であるため、観察者側の認識に絶対的な優位をおけない。それらの点で、社会科学は内部観察性がきわめて強く、反証可能性を保ちながら因果を同定することが、自然科学よりはるかに難しい(佐藤俊樹『社会学の方法』ミネルヴァ書房、2011年参照)。
それゆえ、因果の探究は一方で、社会科学に大きな負荷をあたえてきた。C・ヘンペルらがめざしたように、因果の概念を棄てた方が、議論の整合性はとりやすい(注4)。計量的手法をつかう場合もそうだ。
統計的因果推論が見せてくれたように、統計的な関連性と因果とを明確に区別した上で、因果をデータから推論しようとすると、より複雑な手法と慎重な考察がさらに必要になる(パール前掲、星野崇宏『調査観察データの統計科学』岩波書店、2009年など)(注5)。社会調査でいえば、簡単な2×2クロス表の検定ですら、カイ2乗検定にすべきか、それともマクネマー検定にすべきか、で悩むことになる(注6)。
(注2)だから、体系化という面はむしろ弱い。それも自然科学とは大きくちがう点である。そこには数学の言語が使える範囲が狭いため、純粋に理論的な探究が成立しにくいという事情もある。その分、自明でない同義反復(トートロジー)の命題も成立しがたい。佐藤俊樹「一人称と三人称の間で ――遠藤知巳『情念・感情・顔』」『UP』524号の注5参照。
(注3)こう述べると、今度は、自然科学の理論モデルを社会の因果の探究に応用する「社会物理学」のような研究はどうか、といわれそうだが、経済学の一部をのぞけば、こうした研究は、自然科学のモデルがどの程度あてはめられるのか、という適用限界に関する反省を欠いたまま、自然科学で成功したから社会にも当然使えるはずだ、という思い込みに頼って進められることが多い。そうした使い方は「喩え」の域を出るものではない。
なお、その事例の1つに関しては、佐藤俊樹「サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ」『思想地図5』(NHK出版、2010年)の、特に「補論1 社会物理学(ソシオフィジックス)の可能性」で、簡単にだが、ふれている。
(注4)ちなみに、ヘンペルの「DNモデル」のNもnomologicalであり、文字通りには「演繹的・法則論的モデル」になる。演繹的なモデルの場合、「法則的」でも「法則論的」でもあまりちがいはないが。
(注5)例えば重回帰分析などの要因統制でいえば、これはいくつかの仮定を暗黙におくことで、その結果から因果を解釈していることになる。星野前掲、51〜55、136〜141頁など参照。
(注6)この2つの検定法は入門的な解説書でも紹介されているが、「対応のない(=独立な)2群」ではカイ2乗検定を用い、「対応のある(=独立でない)2群」ではマクネマー検定を用いる。両者のちがいは数理的には、集計する2つの変数の統計的誤差が独立か独立でないかによる。統計学的な解説としては、それで十分である。
けれども、少なくとも社会調査の観察データにつかう場合には、因果の水準まで考える必要がある。例えば「二つの変数の間に何らかの因果関係がある」という仮説は、多くの場合、両者の母相関係数が0でないことを意味する。社会調査のデータでは、それは2つの変数の誤差項が独立でないことも意味する。したがって、マクネマー検定の方がよいと考えられるが、理論的に想定される誤差は(有意水準が同じであれば)マクネマー検定の方が大きい。
観察される変数群の誤差項が互いに独立だと仮定すれば、反事実的な期待値の計算もより容易になるが(パール前掲、7章2節など)、社会調査では2×2クロス表でも、その仮定が必ずしもみたされない。これは直接には、社会調査での統計的誤差が、標本抽出という具体的な因果的なしくみを想定していることによる。したがって、無限母集団を想定したデータにそのままあてはまることではないが、統計データと因果のしくみとの間には、そんな関係性もある。
なお最新の研究動向に関しては、例えばWolfgang Wiedermann and Alexander von Eye (eds.), Statistics and Causality, Wiley, 2016など参照。
3.
そのため、社会科学ではある種の単純化がつねに出てくる。すなわち、因果というとらえ方を部分的にせよ棄てたり、(実質的に同じことだが)強い前提をア・プリオリな真理としてもちこんで、「こう見えている」という現象論をそのまま因果へ短絡させたりする。あるいは、(やはり同じことだが)因果の具体的な特定を何らかの形で飛び越える理論を求めたりする。20世紀の社会学でも、T・パーソンズの機能要件論やN・ルーマンの「因果から機能へ」のような、因果を超える方法論の提案がくり返されてきた。
しかし、それらも最終的には受け入れられず、具体的な因果のしくみの解明につねに差し戻される。20世紀以降の社会科学はそのくり返しのなかで、一歩一歩進んできた。先ほど「因果のしくみを基本的な探究課題としてきた。いや、そうすることから逃れられなかった」と述べたのは、そういう意味だ。社会学の方法論がウェーバーに立ち返ることをくり返すのも、その一環だろう。
現代の社会科学にも、もちろんそれはあてはまる。この連載でも少しずつ解説していくが、現代の社会科学では、反事実的条件法をつかった因果同定手続きが標準化されつつある。実はウェーバーの因果分析は、それと問題設定と解決の方向を共有している。その意味でも
予告をかねて少しふれておくと、無数の先行変数の候補のなかから原因と結果をいかに特定できるのかは、マイヤー批判論文でも中心的な課題になっている(訳書182〜184頁、GAzWL S.269-271など)。さらに1920年の「社会学の基礎概念」論文では、因果の有無の判定基準が確率的に定式化されて(Ⅰ章1節7項)、「平均的因果効果average causal effect」の考え方にかなり近づいてくる。「量vs.質」の対立図式もそのなかで解消されていく。その先見性にはやはり驚かされる(注7)。
そこには、社会科学は何をする営みなのか、が関わっているのだろう。それは、①社会における事象の成り立ちやしくみを解明し、②他の人々に伝えることだ、と私は考えている。気づきにくい問題やその広がりを発見したり、制度の挙動を分析したり、それをモデル化した上で改善案を提案したり、特定の事態の成り立ちの責任帰属を判定したり、と具体的なあり方はいろいろあるが、どれも①②に含まれる。
だからこそ、因果という説明様式にこだわらざるをえない。私たちは日常的に、社会のしくみや責任のありかを因果の形を通じて理解しているからだ。端的な例をあげれば、データがいかに生じてきたのかを反省するにも、因果の形で考えるしかない(注8)。そして「反事実」という言葉が示しているように、だからこそ、観察者の前提仮説への依存(=「反」)と観察されたデータによる修正効果(=「事実」)とを、ともに取り込める枠組みが社会科学では求められる(注9)。私はそう考えている。
(注7)もちろん、だからといってウェーバーが統計的因果推論まで考えていたわけではない。例えば、中心極限定理や無作為割当てにつながるような、無作為(ランダム)化という発想はウェーバーには見られない。
(注8)社会調査のデータにおけるカイ2乗検定とマクネマー検定の使い分けも、これにあたる。注6参照。
(注9)ベイズ統計学の術語をつかっていえば、これは、事前分布に観察されたデータを取り込んで事後分布へと変換することにあたる。
その点でいえば、行為の意味が事後的に同定されるという私の主張も(佐藤俊樹『意味とシステム』勁草書房、2008年)、意味とは何かという定義論としてではなく、特定の制度や領域で、行為の意味が具体的にどのように特定されているのか、そのしくみを因果の形で経験的に記述したものだとして、明確に位置づけるべきだった。詳しくは佐藤俊樹「自己産出系論のsemantics、あるいは沈黙論の新たな試み」(『社会が現れるとき 消え去るとき(仮題)』東京大学出版会に寄稿、近刊)で述べたので、(無事刊行されたら)参照してほしい。
4.
ウェーバーの方法論の生成も、まさにそこに関わる。
ともに科学であるという点では、ウェーバーはリッカートよりv・クリースに近いが、v・クリースの考え方を単純に取り入れたわけではない。逆にいえば、リッカートとv・クリースの方法論を両方とも知らなければ、ウェーバーがどのように、そしてなぜ独自の方法論を組み立てたのかを十分には理解できない。
リッカートはウェーバーの幼馴染で、親しい友人でもあった。フライブルク大学の教授に就く際には、ウェーバーの熱烈な支持が大きな力になったとされる。その著作をウェーバーが熟読したことは、議論の展開や用語からも容易にみてとれる。
他方、v・クリースもフライブルク大学の教授で、こちらは同僚というより、偉大な先輩のような存在だった。彼の『確率計算の諸原理』に関しては、注記で特定の頁まであげている(マイヤー批判論文、訳227頁など)。ウェーバーは統計学の専門書を読んでいたのだ!(注10)
その方法論の成り立ちを知るために、有名な哲学者と有名な統計学者と、どちらの著作も読まなければならないとは……。手術台の上のミシンと蝙蝠傘じゃあるまいし、とぼやきたくなるが、しかたがない。
ウェーバーの方法論が現在の文科系/理科系の図式におさまらないとすれば、現在の社会学、そして社会科学全体もまた、文科系/理科系の二分法ではとらえきれない。あるいは、この図式では系統的に誤解されてしまう。それは学術に携わる全ての人々、それこそ日本の学術政策の方向をきめる一般の有権者の人たちもふくめて、全ての人々にとって不幸なことであり、良くないことだろう。
私は、理系の学問が一流で文系は二流だとも、逆に文系の学問が一流で理系は二流だとも思っていない。けれども、それぞれの分野が本当はどういうもので、どんな性格をもっているかは、できるだけ的確に知ってほしいと思う。
そしてそれは、学術の研究教育の現場に携わる多くの人が共通にもっている想いではないだろうか。もう十数年以上続いている「大学改革」の嵐のなかで、大学教員は「学術の未来を拓く」という美辞麗句の下に、カタカナ英語をならべて、夢のような文章を書かされてきた。「こんなのありえないんだが」「自分は信じていないんだけど」と呟きながら、「こうすれば予算がつくのだから……」と言われて、企画書づくりに勤しんできた。
断っておくが、私は「予算がつく/つかない」の経路を通じて学術が評価されることに、反対しているのではない。民主主義の社会において、財政による政策管理は不可欠である。
ただ、それに対応した結果、学術の中身を歪めた自己宣伝になるとすれば、自殺行為だ。研究者という仕事は厳しい自己規律が求められる。その最も重要な1つは、研究や学術に関してはまちがえてもいいが、意図的に嘘をついてはいけない、というものだ。たとえ自分が直接関わらないものであっても、研究や学術に関して嘘をつくようになれば、やがて自分自身の研究のなかでも嘘をつくようになる。
だからこそ、実態とあわない学術観や学問論で判断されたくない。それにあわせれば、嘘をつかざるをえなくなるからだ。今日の社会学、今日の社会科学は、「価値を創造する」文科系/「法則を追求する」理科系、という二分法が通用しなくなった地点から出発した。
だからこそ、「理科系のように役に立たない学問だからダメだ」とも「いやだからこそイイ」とも言われたくない。あるいは、「価値を創造する学問だからイイ」とも「だからダメなんだ」とも言われたくない。まちがった学術観、より正確にいえば、学術的な手続きでその信頼性のなさが論証できる学問論で、褒められるのも貶められるのも、どちらもごめんこうむりたい。
(注10)マイヤー批判論文の注記をみると、ウェーバーは当時の統計学の研究をかなり調べている。この時点では、自然科学に関する知識の水準もリッカートとは全くちがうものになっていただろう。
5.
「まちがった」学術観の一例をあげておこう。
よく現代の学術の欠陥として、「学問が縦割りになって蛸壺化した」と批判される。私はこの批判は、少なくとも社会科学には全くあてはまらないと考えている。もちろん、1人1人であれば、頭が固くなって視野狭窄におちいる事例は、いくらでもあるだろう。いや、私自身もやがてそうなっていくだろう。特定の分野の現存する研究者全てがそうなる可能性も、否定はできない。
けれども、社会科学という学術自体は、決して縦割りでも蛸壺でもない。例えば、ウェーバーは社会学の創始者の1人であるが、社会科学全体にも大きな影響をあたえた。そんな彼の方法論が哲学者と統計学者の著作を重要な基礎としているとすれば、社会科学はその出発点において、人文学と自然科学をいわば横断せざるをえなかった。
そうした歴史と実態を無視して、「文科系の学問は……」とか「現代の学術は縦割りで……」みたいな学問論が横行しているのをみていると、正直、ため息が出てくる。批判するのはかまわない、だがその前に、それぞれの学術が本当はどんなことをやっているのか、自分の目と手で確かめてから言ってくれ、と大声で叫びたくなる。
まあ、でもそれもことさらに
これは日本語圏に特有の事情で、ドイツ語圏や英語圏ではv・クリースの影響は広く知られている。前回ふれたように、影響の範囲に関しては論争があるが、逆にいえば、そのくらい共有知識になっている。その辺をみると、別の意味で「蛸壺かなあ」という気もしてくる。
……余計な前置きが長くなった。こういう話をしていると、つい愚痴っぽくなる。まあ、そのくらい、現代の社会科学者にとっても身近で切実な問題でもある。その一端につきあってもらった、ということで先に進もう。
ウェーバーにとって、リッカートはたしかに偉大な先行者の1人であった。ウェーバーの方法論はリッカートでは終わらないが、リッカートから始まるのである。
リッカートからの影響は、歴史学をはじめとする人文社会科学に価値判断、現代風にいえば意味づけがどう関係するのか、に関するものだ。そう言うと、「価値自由wertfei」のことがすぐに連想されるだろうが、この言葉もリッカートが『自然科学的認識構成の限界』で使っている。
リッカート自身は「価値中立的」あるいは「没価値的」という意味で使っているが、大学1年生のテクニカル・ライティングの授業でも、「出典は明確に」と教えられる時代だ。「価値自由はウェーバーによって導入された術語で」などとうっかり書いて、恥ずかしい思いをしないように気をつけたい(というか、私自身、どこかでこう書いた気がしていて、他人事ではない……)。
リッカートのこの著作は、やはり前回述べたように、19世紀のドイツ語圏での人文社会科学の方法論争のなかから生み出された。このなかでリッカートは、文科系と理科系の学術を文化科学/法則科学として定義した。そして文化科学である人文社会科学には意味づけ(価値判断)が必ずともない、それゆえ意味づけについて考えざるをえない、とした。
現代風にいえば、文化科学は意味を主題化せざるをえない。だから恣意的なのではなく、だからこそ優れていると彼は主張したのだ。