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書評


『民事手続原則の限界』

大阪大学高等司法研究科教授 名津井吉裕〔Natsui Yoshihiro〕

長谷部由起子/著
A5判,356頁
本体5,400円+税

1 本書は、情報開示と秘密保護(第一部〔主に文書提出命令〕)、暫定的実体権を実現する手続(第二部〔満足的仮処分〕)、集合的権利の実現と「裁判を受けない自由」(第三部〔集合訴訟・クラスアクション〕)の3部から構成される(〔 〕内は研究の素材)。3つの論文群を1つにまとめた論文集という本書の構成からして、全体を1つの視点から紹介することは困難である。著者もこのことを自覚したのであろう、本書のタイトルは「民事手続原則」の「限界」とされた。確かにこれならば、民事手続法領域にもさまざまな「手続原則」があるから、各部で扱われる素材に対応した手続原則が、個々の事案において考慮すべき事情や他の手続原則との関係で、どこまで通用するのかという一貫した視点を設定することができる。読者は、各部においてどのような「手続原則」が検討され、どのような「限界」があるのかを考えて読んでいけばよい。本稿は、この作業に取り組んだ一読者の覚書である。

2 第一部は、文書の開示請求をめぐって文書の所持者が求める情報秘匿の要請と適正な裁判の要請の相克を主題とする。文書提出命令制度はこの点が最も顕在化する場面の1つである。

(1) 金融機関が所持する文書

 最2小決平成11年11月12日(民集53巻8号1787頁)によれば、文書提出義務が自己利用文書(旧220条4号ハ〔現行ニ〕)として免除されるのは、当該文書が外部非開示性・不利益性および特段の事情の不存在の要件を満たす場合である。最高裁が、実質的な判断を担うべき不利益性を判断する際に、団体の自由な意思形成を阻害することが不利益になるとしたため、団体の意思形成過程で作成された文書は定型的に提出が免除された観があり、批判の的にもなっている。著者もこの判決に批判的であり、文書所持者の一般的提出義務の根拠を相手方の裁判を受ける権利(憲32条)の実質的保障に求め、これと文書所持者の内心の自由(憲19条)を対峙させる。内心の自由は証言拒絶権(民訴196・197条)において何に対しても優先する価値ではなく、証人義務と文書提出義務を区別する理由もないため、文書提出義務を常に排除できる絶対的価値ではない。よって、当該文書が要証事実の証明に必要な限り、たとえ団体の意思形成過程で作成された文書であっても全面的な不開示は許されない(55〜58頁)。最2小決平成18年2月17日(民集60巻2号496頁)が、金融機関の社内通達文書が自己利用文書に該当しないと判断したのは正当である。

 もっとも、文書提出命令が申し立てられても、裁判所が当該文書の証拠調べを必要と認めなければ意味がない(民訴181条1項)。実務が書証の申出をこの理由から採用しないことは稀と言われるが、理論上は裁判所が証拠の採否を適切に判断する限り無駄な証拠調べがなくなるため、適正な裁判にも資する。著者は、証拠調べの必要性の前提にあたる関連性(訴訟物たる権利義務の存否の判断にとって意味があること)に着眼し、無駄な証拠調べを排して必要な証拠調べを実施するための準則の抽出を試みる。すなわち、①対象文書に立証事項が記載されていない場合、②–1顕著な事実・裁判上の自白が成立した事実に関する場合、②–2等価値陳述の理論(被告は、原告が請求を理由づけるために主張した事実を争っているが、同時に原告の請求を基礎づけうる別個の事実をみずから陳述している場合)が適用される事実に関する場合、③複数の事実によってはじめて基礎づけられる訴訟物についてその一部の不存在が明らかな場合の他の事実に関する場合、④主張自体失当であるときの原告主張事実に関する場合の証拠調べは、関連性がなく実施すべきではないとする(66〜73頁)。しかし、①〜④に該当しないため関連性があり、代替証拠が存在しないため必要性もあるときは、裁判所は文書記載情報の保護の必要性と必要な証拠に基づく適正な裁判を比較衡量すべきだが、よほど深刻でない限り後者を譲ってはならないとする(93〜96頁)。

(2) 公務文書

 公務文書を所持する行政庁は、文書の開示請求を拒絶する理由として、①行政内部の自由な意思決定が阻害されること、②公務の遂行に著しい支障が生ずることを挙げる。しかし、著者は、単に①・②の不開示理由を指摘するのみでなく、行政庁がこれらを具体的かつ合理的に説明しない限り、不開示は正当化されないとする(101〜102頁)。例えば、労災事故に関して労働基準監督官(調査担当者)が作成し、労働基準監督署長に提出される災害調査復命書(最3小決平成17年10月14日民集59巻8号2265頁)の不開示理由とされた②については、記載内容には調査担当者の一定の裁量があるほか、調査担当者の質問に対して事業者が回答を拒んだときは法令上の罰則が適用されるため、開示により調査担当者が関係者の信頼を失うことはないのであるから、②は成り立たない。他方、不開示理由とされた①は、平成11年判決と同様、不開示を正当化する理由にはならないとする(135〜141頁、159〜161頁)。

(3) 証言拒絶権と文書提出命令の除外事由

 証言を供述するとき情報保有者は表現形態選択の利益を保有するのに対し、文書化されるとき情報保有者は表現形態固定の利益を享受する、と論じた最近の学説が検討の対象である。しかし、著者は、証人尋問の実情に照らせば、証言に関する情報保有者の利益は普遍的とは言い難い。同じ学説が、文書の作成・保管の促進を公益として位置づけ、文書提出義務を免除しなければ、萎縮効果が生じて公益の実現が阻害されると主張する点についても、著者は金融機関が所持する貸出稟議書の提出義務の免除を正当化できるものではないとする。こうした著者の評価の根底には、イングランド法における「公益を理由とする不開示特権」の法理があり、国防・外交・治安維持という国家機関の活動や民間団体の公益活動に関する文書が公益を理由に不開示とされることはあっても、営利目的で作成・保管される文書について不開示特権が付与される道理はないとする(175〜182頁)。

(4) 情報公開訴訟における秘密保護

 行政文書の開示請求に対する不開示決定の取消しを求める情報公開訴訟において、文書の所持者が不開示を決定した文書に不開示情報(情報公開5条)が含まれるかどうかをどのように審査すべきか。最1小決平成21年1月15日(民集63巻1号46頁)は、インカメラ手続(裁判所のみが文書を閲読する非公開手続)の利用は、「民事訴訟の基本原則」に反すると判示した。民事訴訟では、公務秘密文書(民訴220条4号ロ)の提出命令が申し立てられた場合、裁判所はインカメラ手続を利用することができる(民訴223条6項)。情報公開訴訟について明文規定がないならば、民事訴訟の規律に従う余地がありそうであるが、それが「民事訴訟法の基本原則」に反するとされたのはなぜか。著者は、この観点から双方審尋主義、当事者の弁論権の保障および上訴審の判断資料を検討し、情報公開訴訟におけるインカメラ手続は「基本原則」である双方審尋主義を制約しないとする(6〜11頁)。

3 第二部は、「暫定的実体権」(著者の旧稿では「実体的経過規定」)を軸とした仮の救済(仮処分)と本案訴訟との関係の究明を主題とする。

(1) 仮の救済と暫定的実体権

 暫定的実体権は「争いのある権利の存否が本案訴訟において終局的に確定されるまでの期間に限り、暫定的に存在する権利」(187頁)である。理論上この権利の存在を認める場合、仮の救済(とくに仮処分)はこの権利を実現する手続と位置づけられる。この概念はドイツの学説に由来するが、彼地の具体例は訂正記事請求権にとどまる。しかし著者によれば、①占有訴権、②株主の会計帳簿閲覧権、③患者の診療録閲覧請求権、④環境アセスメントを行う義務は、暫定的実体権と見ることができる(187〜220頁)。通説は、「保全訴訟において審理の対象となる請求権=本案訴訟において実現される請求権」(223頁)の定式を前提として、仮処分の執行後に本案訴訟で債権者が敗訴した場合、債権者の損害賠償責任(過失責任か無過失責任かはさておき)を認める。これに対して、暫定的実体権によって仮処分を把握する著者は、被保全権利と本案訴訟の請求権をまったく同一とは解さないため、債権者は前述の場合でも損害賠償責任を負わないのが原則である。もっとも、著者は、仮処分命令の発令時に暫定的実体権が存在せず、よって違法な仮処分の執行により債務者に損害が生じた場合でも、債権者が当該権利の不存在を知っていたか、過失により知らなかったのならば、債権者は損害賠償責任を免れない、という折衷説を主張する(222〜225頁)。つまり、暫定的実体権は保全訴訟で被保全権利として主張され、保全執行によってその目的を達する性質をもつが、仮の救済と本案訴訟の関係が切断されるわけではない。なお、プロバイダ法に基づく発信者情報の開示請求権も暫定的実体権である(271〜272頁)。

(2) 仮処分の本案代替化

 暫定的実体権は、その理論の性質上、仮の救済の存在意義を高度化する契機を内包する。そうである以上、「仮処分の本案代替化」(仮の地位を定める仮処分によって紛争が解決され、本案訴訟が提起されない現象)に対する応接いかんは避けて通れない問題だろう。従来この現象は、仮の地位を定める仮処分の中でも、金員仮払いの仮処分・不動産明渡断行仮処分・出版差止仮処分・地位保全の仮処分・意思表示を命じる仮処分に代表される、いわゆる満足的仮処分(断行仮処分)において確認されている(228頁)。かつての実務は、仮処分命令を発令する際に被保全権利と保全の必要性の具備を求めたために満足的仮処分には消極的であった。これに対して学説は、被保全権利の本格的な審理を本案訴訟に留保し、被保全権利の疎明がなくても保全の必要性と利益衡量により仮処分命令を発令すべきと論じ、被保全権利を慎重に審理して保全訴訟を長期化させていた「仮処分の本案化」を批判した。実務家にもこの方向を擁護する有力説があるが、著者は懐疑的である(228〜235頁)。すなわち、仮処分命令手続において被保全権利を実質的に審理すれば十分といった議論もあるが(234頁)、口頭弁論と債務者審尋(とくに双方対席の債務者審尋)のいずれを選ぶか、手続を公開するかどうか(憲82条)の判断を裁判官の裁量に委ねるときは、裁判の正当性(legitimacy)が損なわれると批判する(242〜245頁)。司法には裁判の内容を第三者(国民)に説明する責任があり、裁判の公開は司法の説明責任を具現したものである。よって、実際いかに裁判が適正・公平に行われようとも、裁判の公開はそれとは無関係に必要であるから、適正な裁判の担保としての手段的価値ではなく、独自の価値を有する(245頁)。

4 第三部は、オプトアウト型集合訴訟の立法化のための課題を主題とする。集合訴訟は、「共通の事実上または法律上の原因から生じた同種の権利を有する者が多数存在する場合に彼らの権利を糾合して訴訟上請求することを認める制度」(294頁)を意味し、オプトアウト型(アメリカ合衆国のクラスアクション〔連邦民訴規則23条〕)とオプトイン型(選定当事者〔民訴30条〕)がある。オプトイン型は個人主義と相性はよいが、参加メンバー(権利者)数が伸びない難点がある。権利の実現に対する無関心が原因の1つだが、法律問題や制度に対する無知、氏名の公表に対する躊躇、相手からの報復に対する畏怖等の心理的・社会的な阻害要因の方がより深刻である。この状況を打開するにはオプトアウト型が優れているが、他方で、適切な代表者を得られるか、総額をどのように把握するか、勝訴した場合に賠償金をメンバーに分配する手続を適切に実施できるか等の問題がある。にもかかわらず、著者は多数人の権利を糾合できるオプトアウト型を導入すべきであるとする(301頁)。もっとも、判決効がメンバーに有利にも不利にも及ぶ以上、手続からの除外を申し出る機会を保障するための通知・公告を用意しなければならない。この点についても、公告で十分か、通知の確実な実施は現実に可能か、誰が費用を負担すべきか等、問題は山積する。著者はここで「オプトアウト型の理念と、集合訴訟において個人主義を徹底することとは相容れない」(324頁)、除外を申し出る権利を合理的理由から制約しても憲法上の問題を生じない(323頁)と喝破して、メンバーの手続保障は代表原告の適切性と裁判所の後見的関与を通じて確保すべきであるとする(324頁)。

5 本書を振り返ると、各部で主題とされた「手続原則」は、適正な裁判の実現(第一部)、公開主義(第二部)、および手続保障(第三部)であったように思われる。しかし、第一部では文書の開示を求める者の裁判を受ける権利に力点があり、第三部では自ら提訴しない者の裁判を受ける権利の保障と提訴を望まない者の裁判を受けない権利との相克という難問に踏み込んだ検討が加えられたこと、また裁判の公開は適正な裁判の担保であるとする手段説的な見解には懐疑的であることにかんがみると、公開法廷における裁判を受ける権利の保障こそが、本書を貫く「手続原則」なのではなかろうか。私見は誤解かもしれない。それはともかく、憲法的価値につながる奥行きのある思索の展開こそが本書の魅力であり、読者は、著者に導かれて、慣れ親しんだ「手続原則」の「限界」を再考させられるに違いない。

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