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書評


『法と社会科学をつなぐ』を読む

成蹊大学法学部准教授(行政法学) 巽智彦〔Tatsumi Tomohiko〕

飯田高/著
四六判,316頁
本体2,100円+税

はじめに

 みなさんは本書のタイトルに、まずどんな印象を持つだろうか。法と社会科学とを「つなぐ」とあるけれども、法学は社会科学の1分野なのだから、わざわざ「つなぐ」必要があるのか、と思われる方もいるかもしれない。

 たしかに、法は社会科学の重要な分析対象である。社会学の方法論を用いて法を分析する「法社会学」は、比較的歴史の深い分野であるし、経済学や心理学の方法論を用いて法を分析する「法と経済学」や「法と心理学」も、今日では大きく発展を遂げている。しかし他方で、法学と社会科学との間には、今でもその考え方に「架橋しがたい大きな断絶があると思われていることがしばしば」ある(本書ⅰ頁)。とりわけ「法と経済学」をめぐっては、いまだ不正確な理解に基づく非生産的な議論が絶えず、この分野に身を置く論者の嘆きの種となっている(例えば参照、田中亘「訳者まえがき」スティーブン・シャベル〈田中亘=飯田高訳〉『法と経済学』ⅵ頁〈日本経済新聞出版社、2010年〉)。

 本書の著者の飯田高氏は、「法と社会科学」を研究分野に掲げ(researchmap調べ)、諸社会科学の知見を総動員して法(学)を分析し、こうした法学と諸社会科学との「断絶」を埋めることに邁進してきた、気鋭の法学者である。本書は、その「法と社会科学」を表題に冠する、まさに著者の本領が発揮された著作である。他方の私は、法学以外の学問分野には嗜む程度の素養しか持たず、古典的な法学の方法論を(それ自体が何なのかも確信できないまま)踏襲している実定法学者であり、本書の評価はもとより私の手に余る仕事である。とはいえ、そんな私が本書によっていかに社会科学に「つながる」ことができたのかをお伝えできるならば、本稿にもささやかな意味があろう。

本書の概要

 本書はまず、第一章「個人の意思決定」から、第二章「複数の個人の意思決定」、第三章「意思決定から社会現象へ」にかけて、個人の意思決定が社会現象を形作る様を描写する。ここでは、サンクコスト、限界効果、パレート効率性といったミクロ経済学の基礎概念や、囚人のジレンマ、スタグハントゲーム、調整ゲームといったゲーム理論の基礎、さらには社会ネットワーク分析といった近時の研究領域の概要が紹介され、そこで法がどう捉えられるのかが解説されている。続いて、第四章「ルールを求める心」および第五章「人間=社会的動物の心理」では、経済的合理性に必ずしも合致しない人間の行動の構造が深堀りされる。ここでは、互酬性や社会的選考、認知バイアス、フレーミングといった心理学、社会学の基礎概念から、感情、アイデンティティといった、自然科学をも含めた科学分野全体の関心事までが、幅広く法に関連付けられる。いずれの叙述も身近な例と印象的な挿話で巧みに彩られ、すんなりと読み進めることができる。

 このように本書は、個人と社会との間で視線を往復させながら法の機能を浮き彫りにしていく。個人(ミクロ)のレベルの分析と社会(マクロ)のレベルの分析とを組み合わせるのは、社会科学における一般的な手法であるが、本書の特色は、個人から社会へと論を進めたのちに、再び個人へと立ち戻った点にあろう。より正確に言うならば、本書は、合理的経済人というモデル化された人間を想定する経済学の手法により、個人から社会への意思決定の連鎖を分析した後、経済的に非合理な選択を行う生身の人間を正面から問題とする心理学の手法により、再び個人の「認知」の分析へと立ち戻ることで、法の機能を多面的に描写することに成功している。

 こうした分析視点は、著者が当初から用いてきたものである。著者のデビュー作は「法と経済学」と銘打ってはいるが、経済的合理性に必ずしも合致しない「社会規範」にアプローチするに当たって、当初から人の「認知」を問題とするものであった(飯田高『〈法と経済学〉の社会規範論』1頁以下、159頁以下〈勁草書房、2004年〉)。著者自身、本書において「自身の研究関心が最も強く投影されている」のは、心理学の知見に依拠する第四章であると述べている(本書ⅲ頁)。いわば本書は、著者の研究のライトモチーフを示したものとしても、重要な意味を持つ。

著者の示した「世界」

 本書はもともと、法学教室391号(2013年4月号)から同414号(2015年3月号)にかけて連載された、「法の世界へのバイパスルート――社会科学からみる法制度」という、毎号3頁ずつの読み切り論稿であった。毎号読み切りのスタイルは、前号での展開を忘れてついていけなくなるという(月刊誌にありがちな)事態を避け、多くの読者を獲得したと推察されるが、本書は連載時の読者にとっても改めて読み直す価値がある。というのも、読み切りであったがゆえに相互の関連が見えづらかった個々の論稿が、章立てを整えられ、導入、まとめ、コラムを補完されることによって、1つの世界を織りなすものとして蘇っているからである。

 本書で著者が示した世界とは、要するに、現代社会の諸問題の解明・解決のために、社会科学諸分野が協働する空間である。著者曰く、社会科学諸分野は、「どのようにより良い社会を創って人々の幸福を増進するか」という大きな目標を共有しており、その目標を達成するためのアプローチを異にしているに過ぎない(本書ⅰ頁)。他分野の議論は、法学の分野から見れば、この目標へ至るための「バイパスルート」(迂回路)であるが、この共通目標の側から見れば、法学と他の社会科学諸分野とをつなぐ「道」に他ならない(本書282頁)。また、どの学問分野も一枚岩ではない(本書248頁)という認識に導かれ、経済学や心理学という他の社会科学同士がつながれてゆく様も、本書の見どころである。「社会」と「社会科学」の二節で構成される終章は、こうした協働空間それ自体に光を当てて、本書のクライマックスを然るべく飾っている。

「法」とはなにか

 こうした世界に親和する本書のもう1つのモチーフは、「道具としての法」にある(本書285頁)。社会統御のための「道具」として法を捉える発想は、私の専攻する行政法学においては、もはや一般的といってよい(例えば、大橋洋一『行政法Ⅰ 第3版』1–2頁〈有斐閣、2016年〉)。

 こうした「道具としての法」の局面において、本書の内容は直接の示唆を多く含む。例えば、他者の選択を考慮した意思決定により意思決定が伝染していくカスケード現象(本書142頁以下)は、エコマーク、JISマークや、不適正事業情報の公表による、いわゆる誘導行政の仕組みの実効性を分析するうえで有用であろう。また、努力義務を典型とするサンクションなき「義務」の意義を分析するに当たっては、著者が長らく注目してきた「フォーカルポイント」という考え方(本書96頁。さらに、飯田高「フォーカルポイントと法⑴⑵――法の表出機能の分析に向けて」成蹊法学63号275頁、同65号137頁〈2006年–2007年〉)が、大いに示唆的である。

 このように法を「道具」として捉えるならば、人の行動に影響を与え得るルールの総体を法として捉え、その内部での差異を相対化する(例えば、ソフトローとハードローとを連続的に捉える)のが素直であろう。しかし他方で、行政法学においては、ある現象が「法」的作用と性質づけられるか否かが結論を左右することが多い。言い換えれば、人の行動に影響を与え得るルールの中で、「法」的なものとそうではないものとを区別するという発想は、行政法学においてやはり根強い。例えば、ある業者が不適正事業情報を公表されても、それは当該業者に「法」的な不利益を課するものではないとされ、それゆえに、行政による情報の公表を事業者がいかなる方法で差し止めることができるのかが、重要な論点となっている。ここで、「法」的な不利益とは何かという問題に立ち入ろうとするならば、一群のルールの中で「法」と呼ばれるものが一体何なのかという問いに、否応なしに直面することになる。

 法とはなにか、ひいては法学とは何かという問いに答えることは、まさに法学者の任務であり、夢でもある。しかし、他者なくして自己を認識することが難しいように、法ないし法学をもっぱらそれ自体において認識することもまた、夢物語なのかもしれない。いずれにせよ、法ないし法学は、やはり他の学問分野との比較においてこそ、その特徴が際立つ(例えば、柳川隆ほか『エコノリーガル・スタディーズのすすめ』2頁以下〈高橋裕=柳川隆〉〈有斐閣、2014年〉)。こうした観点から見れば、本書は法とは何か、法学とは何かを飾らず淡々と明らかにしてゆくものであり、それゆえに読者の学問的好奇心を刺激して止まない。

おわりに

 著者の研究はいわゆる「法社会学」の一部に位置づけられることが一般的であろうが、本書を含め著者のこれまでの業績は、社会学の方法論に全く限定されず、まさに著者の掲げる「法と社会科学」と呼ぶにふさわしい。そもそも、一定の分析手法が、社会学、経済学、心理学といったそれぞれの学問体系に固有のものであるという理解自体、偏狭に過ぎよう。さらに、著者の関心は脳科学等の自然科学分野にも及んでおり、「法と社会科学」という分野設定さえも、過渡的なものであることを予感させる。

 そして、本書の完成度の高さもまた、こうした膨大な研鑽に支えられている。私は、短い期間同僚であった縁もあり、その旨をもとより承知しているのであるが、著者と直接の交流を持たない方も、本書を読み終えたとき、その旨を十分に理解することができるだろう。また、本書を十二分に味わうために、みなさんには「あとがき」は最後までとっておくことをお勧めしたい。「あとがき」をもって本書を読み終えたとき、著者の学問に対する真摯な姿勢を支えるのが、著者の誠実さ、実直さであることを、みなさんもきっと窺い知ることができるはずである。

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