巻頭のことば
第3回 説明する
中央大学大学院法務研究科教授・弁護士 加藤新太郎〔Kato Shintaro〕
ある事柄を伝達するためには的確に説明することが必要であるが、よほど上手に説明し、これなら分かったはずだと思っていた場合であっても、必ずしも伝わっているとは限らない。つまり、「調べる」ことは自分だけでできるが、「説明する」は相手方がいて、かつ、その説明を了解してもらうという相互作用があるのだ。そこで、相手方の理解能力に応じて説明することが必須となる。「人を見て法を説け」とはよく言ったものだ(この法は、仏法であるが)。
説明するためには、知っていることが前提となるが、リーガルな話をもともと知っていたということはないから、調べたか、学んだことを記憶して、これを使うという形になる。しかし、知っていることの使い方には、「説明する」こととの関係で、2種類ある。
例えば、ある部屋の空調に不具合が生じた場合には、専門の業者にみてもらう。専門業者は、不具合の状況からみて原因となっている可能性のある故障個所はA、B、Cと認識した上で、「故障の可能性の1番高い個所はBだ」と判断してBをまず点検する。そうすると、果たして、実際にBが悪く、それを取り替えれば直ってしまう【甲】。その専門業者に「どうしてBが悪いとすぐに分かったのですか」と尋ねると、「ああ、それはこういう不具合現象が起こったときには、原因はA、B、Cの可能性がありますが、Aはこの間部品を交換したばかりなので除外し、不具合の態様からするとCよりも、Bの方が可能性の高いことを多く経験しているので、Bではないかと思って見たところ、そうだったのですよ」と説明してくれる【乙】。このように、専門家は、詳しく説明しないでもどこが問題なのかが分かる【甲】と、どうしてそこが問題であるのかを説明できる【乙】という2種類の力が求められる。近時の知識工学の知見によれば、【甲】を「浅い推論」(シャロー・リーズニング)、【乙】を「深い推論」(ディープ・リーズニング)と呼ぶという。法律実務家が能力を実証すべき司法試験にひき直してみると、短答式試験はシャロー・リーズニングの力を試すのに対し、論文式試験はディープ・リーズニングの力を試しているのだ。短答式試験は足切り試験だと割り切るよりも、法律実務家にも、深浅両様の推論をすることができる能力が必要だと心得た方が受験勉強にも力が入るのではなかろうか。
弁護士が、そのケースを一言で適切に言いあらわすことも、「説明する」力である。例えば、金融商品販売における担当者の説明義務違反が争点となる案件について、①年金生活者の虎の子の定期預金を満期時にリスク性の高い金融商品を購入にシフトさせ、その結果リスクが顕在化して購入価格を大きく割り込んでしまったケースであるのか、②高齢者ではあるが資金に余裕のある富裕層で投資経験もある顧客がリスクのあることを理解して金融商品を購入したが、リーマンショックで損失が出たのをダメもとで請求しているケースであるのか。これは、当該ケースのスジを語るもの(加藤新太郎「事件のスジの構造と実務」高橋宏志ほか編『民事手続の現代的使命[伊藤眞先生古稀祝賀論文集]』214頁〔有斐閣・2015年〕)で、個々の証拠を評価する際のスタンスにも影響し、その限りで勝敗を左右させ得る「説明する」力である。
もう1つ例をあげれば、テナントが目的物の建物で老人ホーム(デイサービス型)を運営する目的で賃貸借契約を締結したが、用途変更のためには検査済証が必要で、その存在が前提となっていたのに、それがなかったという案件について本訴・反訴が提起された。この案件は、①検査済証はあると言って建物賃貸借契約を締結し、内装工事まで着手させたのに実は検査済証がなく工事中止を余儀なくしたオーナーの民事責任を問うケースであるのか、②検査済証があるはずだという思い込みで建物賃貸借契約を締結し、内装工事に入り、目的達成困難とみるや工事を中止し放置しているテナントの民事責任を問うケースであるのか。その説明の適切さは、主張・反論の構築、立証・反証の展開にまで及び、まさしく訴訟の帰趨を制するリーガル・リテラシーである。