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連載

ブランド戦略論の原理

第6回(最終回) ブランド価値はどのように生じたのか

中央大学ビジネススクール教授 田中洋〔Tanaka Hiroshi〕

ブランド価値の生成

 前回、ブランドが交換の問題を解決する手段として、つまり交換を促進させる機能を担うために発生したことを述べた(注1)。しかしながら、問題は、なぜブランドに独自の価値が生じたのか、という点にある。これは交換の困難をブランドが解決したというだけでは説明ができない。ブランドに価値が生じた原因は、同じ交換にあるけれども、交換という行為そのものに内在する別の価値創出的なメカニズムがあるからである。

 交換はつねに異なった価値体系をもつ主体(個人や共同体)の間で行われる。ブランドに価値が生じるためには、何らかの「価値の差異」あるいは異なった価値体系が必要となる。例えば、主婦・主夫が八百屋で野菜を買う場合であっても、やはり異なった価値体系に属する主体同士の交換と考えることができる。主婦・主夫は野菜を得るために必要な手段を持たないために、野菜に価値を見出す。一方、八百屋は遠方で収穫された野菜を、野菜がすぐには入手できない地域で販売し、異なった地域と地域の空間の差を活用して利潤を得ているのである(注2)

交換と差異

 交換は差異のある価値体系をもつ主体の間で発生する。その差異とは、①空間、②時間、③制度、④社会、⑤自然の5つの差異から生じる(図1)。

図1 5つの〈差異〉から生じたブランド価値

 拙著「ブランドの歴史」(田中、2014年)において、平安時代の「ブランド」について触れたように、異なった地域から輸入された商品に高い価値がつくことは古代から起こっていた。こうした価値は①「空間的」差異によって生じた価値と考えられる(注3)

 フランスで生産された高級ハンドバッグが日本で高い価値を持つことがあるのは、フランス産という価値やハンドバッグブランドにまつわる様々な情報的価値によるものである。

 メイド・イン・XXのような原産地表示を活用したブランドは空間的差異を価値としてできたブランドである。例えば、「ロクシタン」は南仏のプロヴァンスを想起させるビジュアルやメッセージを用いていており、「ロレアル・パリ」はパリという都市ブランドを意図的に用いたブランドである。

 一方、②「時間」を基にして発生したブランド価値がある。技術的な革新をベースにしたブランドが価値をもつのはこのためである。ある企業はほかの企業に先駆けて、新しい価値をイノベーションによって創造する。これはいわば未来から来た価値であり、時間的差異をもとに生じたブランド価値と言うことができる。

 ③「制度」的基礎をブランド価値の差異としたブランドとは、歴史的に国家や政府との関わり合いによって、つくり出されてきた企業や組織を基礎としたブランドを指す。旧日本電信電話公社や日本専売公社、日本国有鉄道が、今日のNTTやJT、JRとなり、大規模な企業ブランドとなっているのはこの例である。

 また、三菱や住友のようにもともと民間の財閥であった企業グループは、制度的に政府や幕府との関係において財をなしてきた歴史をもっている。江戸年間、住友は幕府領であった別子銅山を1691年以来、幕府からの請負として経営してきた。これが今日の住友グループの大本となっている。三菱は、1884(明治17)年に官営長崎造船所を借り受けて始まった造船業が、今日の三菱重工業となり、また、1890(明治23)年、明治政府の要請で丸の内と神田の土地10万余坪を買い取り今日の三菱地所として事業の基礎とした歴史をもっている。つまり、これらの事業体は国家の制度と関わり合いながら、今日まで大規模な企業グループブランドとしてその価値を維持してきたのである。

 ④社会的差異とは、これは主に階級や階層の差異として表現されるブランド価値のことである。歴史的に、いくつかのブランドは、従来の階級社会が変化することによって登場している。たとえば、18世紀に創設された英国のウェッジウッドは、貴族階級によって使われていた高級な陶器を、中産階級の人に普及させることで、陶器ブランドを確立した。中産階級の人たちは、自分たちのライフスタイルを上流の階級に求めて模倣したのであり、このようなほかの階級・階層の消費スタイルを取り入れる行為は準拠集団の概念として知られている。

 ⑤自然的差異から生じるブランド価値とは、人間界と「異界」、つまり宗教的または現世超越的な考えをベースとして、世俗的な世界と想像世界との観念的差異から生まれるような価値のことである。無文字社会でまだ歴史が形成されていなかった先史時代にも、ブランドは存在していた。こうした石器のような先史ブランドでは「呪力」というような形でブランド価値が表現されてきた。異なった価値世界とはこの場合、異界や神の世界である。そこからもたらされた「神秘的」な力がブランドに反映しているのである。

 現代ブランドでも、「グリーンジャイアント」という冷凍野菜ブランドには「ジョリーグリーンジャイアント」という緑色の巨人が登場する。また「クロムハーツ」というアクセサリーブランドでは、クロスやドクロがデザインされている例を見ることができる。

イノベーションとブランド

 筆者が「ブランドの歴史」でも論じたように、近代的ブランド、つまり今日我々がパッケージ消費財で見るような、ブランド名、シンボル、パッケージデザイン、広告や販促のイメージなどの要素がそろった近代的ブランドが生じたのは19世紀末以降である。近代的ブランドが生じた大きな要因はイノベーションにある。

 イノベーションとは、新しい技術とそれらの組み合わせによって、それまでの商品のあり方に変革が起こり、顧客にとって生活や仕事の新しいパターンが生じ、生活や仕事上の優先順位が変化した事態を指す。例えば、パソコンのOSが改良されただけではイノベーションとは言えない。一方、スマートフォンの登場は我々の生活のパターンを変え、生活の優先順位を変えたという意味でイノベーションなのである。商品の進化にとってイノベーションとは不連続な進化であり、種々の発明が顧客のニーズに従って束ねられたものがイノベーションと呼べる。

 今日、われわれの周りでブランドとみなされているものを眺め渡してみると、その多くが歴史のどこかの時点でイノベーションを起こしていることがわかる。例えば、ソニー、マイクロソフト、Apple, GoogleなどのIT関連ブランド、マクドナルド、スターバックス、イケア、ユニクロなどの製造・サービス業などはみやすい事例である。これらの企業の多くが、1回だけのイノベーションではなく、数回にわたるイノベーションの創出を通じて、自らをブランドとして確立してきた(注4)

 ナビスコ(1898年〜)やアメリカンタバコ(1890年〜)など、歴史的に有力であったブランドのいくつかは19世紀末にすでに設立されている。こうした近代ブランドは「包装革命」(Pomeranz & Topik, 2006)の下で起きた。19世紀末以降20世紀中葉までに成立したブランドは、文字通り「包装」とともに成立した歴史をもっている。第2次産業革命の結果として消費財商品が大量に生産されるようになると、これらの商品を保存・貯蔵・運送される必要が生じた。タバコ・食品・日用品などが小分け包装されて販売されるようになった。小分け包装されることで、遠方まで商品を運ぶことができ、店頭に並べやすくなり、かつ、消費者が購買前に中身を試し、品質をチェックすることができなくなったのである。

 包装がブランドを形成した例は数多くある。米国でアンハイザー・ブッシュ社の「バドワイザー」ビールは1876年に低温殺菌法を採用し、瓶詰めにして鉄道網を利用し、全米に売ったことで、初めてのビールの全国ブランドが確立された。

 ミツカン(中埜酢店)の7代社長中埜又左エ門(政一、当時は襲名前)は1940年代、ほかの業者によって、自社の商標が刻印された空き樽に価格は安いが品質は劣悪な合成酢が詰められ流通しており、自社ブランドの価値が傷ついた(株式会社中埜酢店、1986年)。このため断行された施策が、それまでの樽詰め・壺詰に変わる、お酢の全面的な瓶詰化であった。

 つまりブランドは、20世紀の前半までには包装の革新の結果としてあらわれ、20世紀に入ってからは主に技術的革新によってブランドが成立するようになった。

 では、なぜイノベーションが起こるとブランドが成立するのか。それはイノベーションの結果として、顧客が生活の変化を自ら経験し、その生活の変化をもたらしたブランドを強く認識することに帰せられるだろう。コピー機におけるゼロックス、コンピューターにおけるIBM、インスタントカメラにおけるポラロイド、パーソナルコンピューターにおけるマイクロソフトなどはこうした例に当たる。

 しかしブランドとイノベーションの関連において、より重要なポイントがある。ブランドがイノベーションによって成立するにも関わらず、実際にブランドがブランドとして社会や市場に浸透していくのは、そのイノベーションが「忘れられた」ときである。ブランドは、イノベーションの「最初の一撃」から生まれる。しかしイノベーションがブランドに進化するためにはまだ別のメカニズムが必要となる。それが「起源の忘却」である。

 「起源の忘却」とは、ブランドがもともと持っていたイノベーションの意味が忘れられ、その名前だけが消費者の記憶に残り、社会的に名前だけが流布する、という事態のことである。つまりブランドがブランドとして成立するためには、イノベーションが起きるというだけではなく、ブランドの起こしたイノベーションそれ自体がいったん忘れられることが必要なのだ。

 例えば、マクドナルドが世界的に知られたブランドであることは言を俟たない。しかし、マクドナルドがどのようなイノベーションを起こしたかを多くの消費者は知らないし、知る必要もない。マクドナルドは1940年代にマクドナルド兄弟によってその画期的な製造とサービスのシステムが考案され、50年代になってレイ・クロックがその価値を見出しフランチャイズ制度によって世界に広まった。しかしこうしたイノベーションの事実は消費者にとって関係ない事実に過ぎない。

 この「起源の忘却」という考え方は、ベネディクト・アンダーソンに負う。彼は『想像の共同体』において国民国家、つまりもともとそれぞれが異質な存在であったナショナリズムと国家とが結合した制度として成立したのは、資本主義と出版産業が興隆し、そこに新たな想像上の共同体が必要とされ、また国家がそれを活用したためだとする。そして「国民」はこうした国民国家が、起源は新しいにも関わらず、古い過去から脈々と続いてきたものだと「錯覚」するに至る。

 これに似た事態がブランドでも起こった。イノベーションによってもたらされた新しい生活パターンを消費者が享受し、その生活スタイルが一般化すると、消費者はブランドがイノベーションを起こした主体であったことを忘却する。しかし、ブランドには広告などによって新しい「イメージ」が付与され、ブランドと新しいイメージとが結合する。こうして当該ブランドは以前から有名であったがゆえに有名であり、価値があると消費者から信じられるようになる。もともと起こした起源としてのイノベーションとは離れてブランドが社会的な水準で成立するのである。

 ブランド価値が成立した背景を考察することは、我々の交換行為の無意識的側面を考察することにほかならない。

 

注1 この他に、競争をベースとしたブランドの発現形態があるが、ここでは紙幅の関係で省略する。

注2 この事例について一言添えておくと、野菜は買い手が品質を購入前に見分けられることが多いために、ブランドが生じにくい「探索財」である。ただ「京野菜」のような場合、京都で産したという特別な、同時に購入前には見分けがたい価値が生じ、野菜にもブランド価値が生じる可能性がある。これは2節で述べる「空間的差異」を利用したブランド価値である。

注3 空間的差異・時間的差異については、柄谷(2001年、360頁)を参照した。

注4 自身でイノベーションを起こしてはいないが、先にイノベーションを起こしたブランドに追随した結果、ブランドになった「二番手」のブランドも存在する。


【参照文献】

ベネディクト・アンダーソン、白石隆・白石さや訳(2007年)『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山

株式会社中埜酢店(1986年)『七人の又左衛門――風雪、ミツカン百八十年の足音』同社発行小冊子

柄谷行人(2001年)『トランスクリティーク カントとマルクス』批評空間社

Pomeranz, K. & Topik, S. (2006). The world that trade created: Society, culture, and the world economy, 1400 to the present. M.E. Sharp. (ケネス・ポメランツ、スティーブン・トピック、福田邦夫、吉田敦訳(2013年)『グローバル経済の誕生 ――貿易が作り変えたこの世界』筑摩書房

田中洋(2014年)「ブランドの歴史」田中洋編『ブランド戦略全書』有斐閣、207–235頁

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