自著を語る
『建築ものづくり論』『新興国市場戦略論』
「広義のものづくり論」は越境する
東京大学大学院経済学研究科教授 藤本隆宏〔Fujimoto Takahiro〕
東京大学大学院経済学研究科教授 新宅純二郎〔Shintaku Junjiro〕
1 「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」の成り立ち
東京大学ものづくり経営研究センター(MMRC)を中心に10年近くかけて有斐閣で刊行してきた「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」も、今回の『建築ものづくり論』と『新興国市場戦略論』で9冊となった。今世紀に入って十数年、我々は、国内外の産業現場(以下「現場」)の観察をベースにした「ものづくり論」(Manufacturing Management Research)の構築に注力してきた。その過程で、ごく自然に、領域的にも地理的にも越境を試み、アウェイで研究することが常態となった。その意味で『建築ものづくり論』はさらなる学際的越境、『新興国市場戦略論』はさらなる国際的越境の試みともいえる。
ものづくり論が「現場」を研究対象とする実証社会科学である限り、それはごく自然なことである。なぜなら、付加価値を生む場所である諸産業の現場、たとえば工場、開発センター、店舗、サービス拠点、病院、農場などは、各々が様々な顔を持つ多面的な小宇宙であり、単一の学問領域では把握が困難だからである。
現場は、企業や産業の一部分であるとともに、地域社会の一部分でもあり、また多くの人が人生の重要な部分を経験する場所でもある。これを分析するには、長期的、動態的、かつ多面的な視点が不可欠である。よって、ひとつの学問では分析しきれない。本シリーズの執筆者も、経営学系の研究者が多いが、それ以外にも、近代経済学、政治経済学、経済経営史学、社会学、法学、そしてハード系・ソフト系の工学など、様々なバックグラウンドの研究者が執筆陣に加わっている。
我々実証経営学者は、こうしたダイバーシティを持つ研究プロジェクトにおいて、いわば「蕎麦の繋ぎ」的な存在である。我々にその役割が務まると考えるのは、現場の共同観察こそが学際研究・国際研究の根本だと信じるからである。とりわけ、複数学部が連携した文理融合の共同チーム研究の機会は最近増えている。『建築ものづくり論』はその初期の一例である。
藤本も新宅も、国内外の産業の現場を、年間数十か所は回っている。そこで出会う技術者や管理者は、当然、多くが理科系である。東大MMRCで毎年行う現場改善の師範学校である「ものづくりインストラクター養成スクール」の修了生は11年で130人だが、その大半は技術系だ。我々の間にはコミュニケーションギャップはほとんど存在しない。「いやあ先生のお話は難しくて分かりませんなあ」などというのは、むしろたいてい、現場をちゃんと見ていない文系の経営者だったりする。文理の相互越境は、現場では日常茶飯事である。
実態調査における国際的な越境も、グローバル化の今日、当然である。訪問する産業現場が世界中に展開するのはむろんのこと、でかける調査チームも、教員・学生ともにたいてい多国籍である。MMRCの研究室で昨年度仕事をしていた特任教員や研究員は韓国2、台湾1、日本2であった。研究打ち合わせをしていてふと気がつくと日本人は私1人などということもある。西東欧、北南米、東・東南・南アジアの仲間が加わることも多い。
そして、世界中の現場を多国籍チームで歩き、共同で取材ノートを作り、それを共有し、研究成果と産学連携成果に持って行く。最近は、過去数十年の膨大な取材ノートのアーカイブ化も進めている。かくして、現場発の学問はごく自然に越境する。
2 建築ものづくり論
近年の成果として、まず2015年に発刊された『建築ものづくり論』から。この本は、文字通り建築学と社会科学の架橋を試みた書で、東京大学生産技術研究所の野城智也教授を中心とした建築学の専門研究者・実務家と、MMRCの経営・経済学者のコラボレーションによる成果である。当初より双方から学際感覚の強い研究者が終結したため、相互越境というよりはむしろ、当初から和気あいあい、定期的な共同研究会として始まった。
しかし時間はかかった。古い手帳を見ると、どうやら、国土交通省の建築産業研究会に出ていた藤本が野城教授と最初の会合を持ったのはMMRC設立後の2005年5月。初めから意気投合したと記憶する。2005年の秋には共同研究会が2カ月に1度のペースで始まった。2006年ごろからは高層ビル建築現場やプレハブ住宅やユニットバスの生産工場などの共同見学会もやった。研究会の開催所は、本郷3丁目にあったMMRCオフィス、野城教授が生産技術研究所長であった時期は駒場の生産技術研究所の会議室、最終段階では本郷キャンパスに引っ越したMMRCの会議室と、場所も相互提供した。2010年に書籍化を決めて「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」に入れてもらってから出版まで5年かかった。
中身については本書の序章などに譲るが、要するに、建築を特殊な産業とはあえて考えず、むしろひとつの「大地に根を張った大型人工物」と考え、建築物の「ものづくり」プロセスや付加価値、機能、構造、工程、設計思想(アーキテクチャ)などを、製造業と出来るだけ同類の分析ツールを使って分析することによって、製造業と建設業、工学と社会科学の知恵を融合しようとの狙いがあった。とくに建築物の機能的・付加価値的側面を重視し、人工物の機能構造関係を学際的に分析する設計アーキテクチャ論を共通の分析ツールとして駆使した。本書の英語ニックネームが「Architecture as “Architecture” 」となっているのは、単なる親父的なダジャレではなく、もうちょっと深い意味がある。
とくに民間向け建築業が付加価値を獲得するためには構造重視(坪単価主義)から機能重視(建築サービス論)への発想転換が必要なこと、日本の建築はインテグラル型設計思想に傾斜し、設計品質やプロセスの面では良いところがあるが、これを経済価値に転換するのがやや下手であること、建物のタイプにより異なる位置取り戦略が必要であること、大型建築物の設計施工には自動車などとは少し異なる円卓会議型のプロジェクト組織が必要なこと、等々を主張した。建築独特の話もあったが、案外他の製造業と似ている「日本的」な側面も、あちらこちらに出てきた。建築業を特別視しないという本書の分析は、一応の成果を生んだと多少自負する。
執筆には、建築学の側からは建築のサービスあるいは機能的側面を重視する野城教授、ビルディングプロセス論から日本型建築論まで幅広く論じる安藤正雄教授、精緻な建築アーキテクチャ論を提示する吉田敏教授、実務家の立場から建築のアーキテクチャ戦略論の膨大な分析を完成させた志手一哉准教授が参加。一方の経営・経済学の側からは、広義のものづくり論で経営学・経済学・工学の接点を探る藤本、産業財の重層的デュマンドチェーン論を応用する富田純一准教授、契約理論など主流派経済学を駆使する渡邊泰典准教授、これに経済学研究科の大学院生であった向井悠一朗氏(大型人工物開発論)や森泰一郎氏(経営戦略論)が加わった。特に富田氏は、事実上の監修者として裏方の仕事を良くやってくれ、おかげで執筆者が多い割に(自画自賛ながら)まとまりの良い本になった。また、全体のまとめや、建築の戦略論や組織論の章では、文字通り両分野の専門家の共著が実現し、これまでにない新機軸が打ち出せたのではないかと考える。
とはいえ、全く出自の違う建築学と経営学なので、越境にはそれなりの苦労はある。コンセプトの擦り合わせには多少時間がかかった。たとえば「建築物の機能とは何か」は研究会設立当初からのテーマだったが、経済経営系は価格論から入るので顧客の言葉での「機能」を考えるのに対し、建築の方々は当然テクニカルな建築機能を重視するため、話がかみ合っていないことに後から気付くということもあった。本の表題も二転三転したが、最終的には『建築ものづくり論』という良い本ができた。良い人間関係もできた。学際越境の成功例と言ってもよかろう。
3 新興国市場戦略論
一方『新興国市場戦略論』は、国際ものづくり論の第2弾である。2008年に新宅・天野編で同じく「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」のひとつとして出版した『ものづくりの国際経営戦略――アジアの産業地理学』の続編に位置づけられる。第1弾の『ものづくり国際経営戦略』では、地域としてはアジア(中国、韓国、台湾、アセアン)、活動としては開発と生産が主たる分析対象であった。とりわけ、2000年代に入って、韓国企業や台湾企業に液晶などの分野で後塵を拝した電子産業、あるいは中国企業の脅威と戦った二輪産業などをとりあげた。その分析の鍵概念は、藤本が提唱した製品アーキテクチャであった。製品・工程のモジュラー化が進んだ製品分野では、韓国、台湾、中国など後発国の企業のキャッチアップが急速に進むというのが、その主要な結論のひとつである。この種の分析は、藤本・新宅編により2005年に出版した『中国製造業のアーキテクチャ分析』がその先駆けであり、『ものづくりの国際経営戦略』は中国からアジア地域にその分析対象を広げたものである。そういう意味では、『中国製造業のアーキテクチャ分析』、『ものづくり国際経営戦略』、『新興国市場戦略論』を3部作としてとらえることもできる。
『新興国市場戦略論』の課題は、新興国市場における日本企業の戦略を明らかにするとともに、その実行に必要な組織の設計と能力構築についてまとめることであった。このような課題を設定したのは、日本企業のアジアでの活動を現地に赴いて観察していると、徐々にその主要な課題が変わってきたことを感じたからである。当初は、いかに生産を立ち上げて管理するかであったが、2000年代半ばになると、現地市場での販売の問題についての議論を頻繁に耳にするようになった。しかし、その新興国市場で日本企業は、製品の価格が高すぎて売れない、販売している製品がそもそも過剰スペックである、現地のニーズに応えられていない、現地での流通網の開拓が不十分で店頭に置かれないなど、多くの問題点が指摘されてきた。その一方で、試行錯誤の中から成功例も生まれてきた。新興国市場での成功戦略をつかんだ企業やそのための組織再編を着実に進める企業が見られるようになった。本書は、そういった成功戦略の事例とその論理を整理し、また新興国市場開拓に利する組織体制や能力構築のあり方を示していく。そのために、さまざまな地域と産業の事例を取り上げながら具体的に議論を展開した。
また、本書の分析対象地域としては、インドなども含めた広域アジアのほか、ブラジル、ロシアなど様々な新興国が含まれており、前作よりも格段に多様な国に調査対象が広がった。我々の研究方法は、フィールドベースの調査に立脚することを信条としているので、本書をまとめるまでに実に多くのフィールド調査をこなしてきた。2008年から2012年の間、本書に向けて新宅が出向いた海外現場調査を改めてふり返ってみると、実に多様な国に頻繁に出かけていたことに我ながら驚く。2008年は、1月韓国、3月ポーランド、5月韓国、7月タイ、9月台湾・中国、11月韓国、12月ベトナム。2009年は、3月シンガポール、4月スロバキア・チェコ・ポーランド、8月タイ・中国、10月インド、11月タイ。2010年は、3月ロシア、5月中国、8月ブラジル、9月中国、11月インド。2011年は、2月インド・フィリピン、7月中国、8月ブラジル・トルコ、12月タイ・韓国。2012年は、1月インド、8月インドネシア・タイ・中国、10月韓国、11月メキシコ、12月バングラデシュ。平均して、2カ月に1回はどこかの国の現場に出向いて訪問調査をしていたことになる。
我々は、このような調査を3人から多いときは10人近いメンバーで実施してきた。まずテーマと訪問先地域が決まると、訪問先への依頼、日程調整を経て数人が共同でフィールド調査を実施する。訪問メンバーが問題意識を共有した上で、現地に赴き、各社で聞き取りや現場調査を実施する。日程は短いと3日、平均的には1週間である。平均して1日2社から3社を訪問するので、5日間調査すると10社以上になる。土日の企業訪問はできないことが多いので、土日は販売店まわりなど市場調査にあてる。中国の自動車ディーラーが集積したモール、電脳市場、各種の量販店などは非常に良い調査対象になる。
このような数多くの海外現場調査は、現場情報を得るだけでなく、問題意識を煮詰めていくためにも、きわめて有用な機会であった。海外調査では、バスによる長い移動時間や食事の時間など、純粋な調査以外の時間も多い。我々は、移動中に激しく揺れるバスの中、レストランの喧騒の中などでさまざまな議論をかわしてきた。同じ現場を見聞し、議論することで問題意識を共有していった。研究は研究室の中のみにあらず、むしろ現場を中心とした場所と時間が研究にとって重要であると我々は考える。
4 「広義のものづくり論」の将来
以上のように「ものづくり経営学」は、学際的・国際的な越境を平和裏に進めている。それは今後も続くだろう。むしろ今後は、それがより活発化すると予想される時代の変化がある。
第1に、国内では、少子高齢化と労働力人口減少が続く中で、生産性向上は製造業・貿易財の現場のみならず、非製造業とくにサービス業にとっても必須の課題となっている。要するに、労働力の確保が容易でない時代に、現場が現有の人員で仕事の増加にきっちり対応するには、能力構築による物的生産性や迅速性や品質の向上しかなく、それは製造業でも非製造業でも本質的には変わらない。さらにサービス業の生産性向上は、平均すれば製造業より相当に低いサービス部門の賃金向上にも貢献しうる。実際、現場の「流れ改善」の運動は、大企業の製造現場から中小製造業、さらにサービス業や農業にも波及し始めている。全国の各地の「ものづくりインストラクター」がその知識移転の主体として活躍を始めている。
第2に、国際面においては、2010年代は「グローバル能力構築競争」の時代になりつつある。戦後、約半世紀の冷戦期と、4半世紀のポスト冷戦期を経て、世界産業は、能力構築が先進国でも新興国でも重要性を増す段階に入ったのである。たとえば日本の20分の1であった中国製造業の平均賃金は、2005年ごろから急騰に転じ、いまや5分の1から3分の1前後。これは日本の現場が頑張ればコスト競争力で逆転できるレンジである。逆に言えば、中国を含め主要新興国では、低賃金のみでは輸出拠点の維持が困難になっている。彼らにとっても今や能力構築は必須だ。
そうした中で、最も厳しい逆境を生き抜いた日本の国内現場が、再び世界中の多くの貿易財の企業や工場から再注目されている。「闘うマザー工場」たる日本の優良現場による知識移転の重要性はむしろ高まろう。
かくして、「広義のものづくり論」という現場発・日本発の知識体系の移転はさらに続く。学際的には医療やファッションや農業、国際的には主要先進国や主要新興国に加えて、アジアや欧州の小国、中南米、アフリカなど、南極以外の全地域が対象となりうる。今後の「東京大学ものづくり経営研究シリーズ」にそれらが反映されていけば嬉しいことである。