連載
ブランド戦略論の原理
第5回 交換と価値
中央大学ビジネススクール教授 田中洋〔Tanaka Hiroshi〕
ブランドの解明課題
ブランドの基本的かつ最大の解明課題(explanandum)とは、ブランドになぜ独自の価値を生じるのか、という問題である。ブランドとは単に商品の名前であったり、記号や象徴であったりする「表層的な」存在である。しかしこうしたブランドそのものに顧客が価値を認め、ブランドのついていない商品より高い(低い)価格を支払うのはなぜか、という問題は多くの研究者の関心を引いたし、いまだに十分解明されてはいない。今回はこの問題に交換という観点からアプローチを試みる。
ここでいう交換とは、二者あるいはそれ以上の当事者との間で行われる異なる価値の対象物を相互に与え、受け取る行動を指す。貨幣による交換は、一方が商品を与え、一方はその商品の対価として貨幣を与えることである。物々交換とは、異なる商品と商品とを与えまた受け取ることである。贈与交換であれば、それは一方がある価値のモノを無償で、あるいは、何らかの返礼として与え、もう一方はそれを受け取ることで、返礼として受け取り、あるいは、心理的債務を負うことになる。
Alderson(1957)も論じたように、マーケティング論が米国の大学で講義されるようになった初期から、マーケティング行動の基礎に「交換」(exchange)がある、という見解は繰り返し、研究者によって表明されてきた。それ以降、90年代になってから、交換パラダイムは関係性パラダイムにシフトした、とも論じられてきた。しかしこうした議論には大きな疑問がある。交換は長い間、マーケティングの基礎的な原理と考えられながらも、交換そのものについて深く論じられることがなかった。ある意味で、交換を問題としながらも、そこからは何も得ることがなく終わっていたのである。例えば、流通機構がどのように機能しているかについては、初期から論じられてきたものの、交換行為そのものから出発してマーケティング論が組み立てられることもなかった。
また、関係性パラダイムに移行したという議論にも疑問がある。交換という概念自体に決定的な問題があったわけでもなければ、「パラダイムシフト」が生じて関係性が交換に代わったというわけではない。そもそも関係性自体、交換がなければ生じないということを考えてみれば、交換から関係へパラダイムが移行したという論理の不十分さは明らかである。交換が基底にあって関係性が生じるのであって、交換がなければ関係性も存在しないことになる。
交換行為の困難
では、交換をあらためてマーケティングの基礎として論じなおすとはどのようなことだろうか。それは交換行為に内在する困難をあらためて認識しなおすことである。
もっともありふれた日常的な行為のひとつである貨幣交換を例に考えてみよう。貨幣と商品とを交換することは我々が日常において行っている。しかしこうしたありふれた交換であっても、そこには大きな困難が存在している。それは自分が買おうとするものが果たして支払おうとする商品の価値とつりあったものかどうか、という問題である。
例えば、スターバックスのラテ(ショート)が一杯330円だとして、この価格はどのように正当化されるのだろうか。我々は「参照価格」などの心理的メカニズムを通じて、慣習的にこうした価格を支払っている。しかし、この価格が、得られる効用に見合ったものだとどのように説明できるのだろうか。
交換につきまとう困難は文化人類学などで考察されてきた「沈黙交易」のような行動をみれば理解できる。モノとモノとを交換しようとする二者が相対して取引するよりは、顔を合わせず「沈黙」して交換を行ったほうがよりスムーズなのである。
こうした交換の困難はいくつかの方法によって解決されてきた。その代表的なものが、貨幣と流通機構という制度である。
貨幣を導入することによって「等価形態」(カール・マルクス)が生まれ、商品と商品との間に内在する共通の価値があるかのごとく見えてくるのである。実際、缶コーヒーが自動販売機で120円だったとして、文房具のノートが120円で売られていたとき、缶コーヒーとノートが同じ価値(効用)をもっているとは我々は思わない。しかし同じ価格をつけられることによって同じ価値を有しているごとくに見えるのである。
商人や小売業のような流通機構が歴史的に生じたのも同じように、交換の困難を解決する仕組みとして生じたと理解できる。売り手にとって買い手を見つけるのは至難であるし、買い手にとっても自分にベストな商品がどこにあるかを見つけることは難しい。また交換をスムーズに進めるためには、売りたい価格と買いたい価格とをマッチングさせる必要がある。こうした困難について、流通機構は、こうした売り手と買い手の困難を解決してくれるのである。
そしてブランドもまた交換行為の困難を解決する手段として生じている。ここでの交換の困難とは大きく言ってふたつある。ひとつは、売り手が独占的に販売したいにも関わらず、競合する相手が出現し、これを売り手が排除したいと思ったときである。売り手の商品の独自性を表現するために、商品に何らかの区別や差別性を付加する。これはブランドのひとつの起源である。
交換と価値判断
ブランドにはもうひとつの交換に伴う課題を解決する機能がある。それは、買い手は商品の価値を正しく判断できないという問題である。消費者行動論でも明らかにされたように、消費者は商品の価格を必ずしも正確に記憶していないし、自分が商品から感じた効用(満足)を正確に価格で表現することはできない。なぜ買い手は商品の価値を正しく判断できないのか。その原因は3つに分けて考えることができる。
第1に、商品の価値というものが、交換価値と使用価値に分化していることだ。人間にとって、水のように生存に必要な使用価値の大きな商品であっても、交換価値としては低い場合がある。またダイヤモンドのように、交換価値が高い場合でも、使用価値は低い場合がある。交換価値を形成するのはマーケティング活動であり、ブランドはこうした交換価値を表わすことによって、使用価値とは異なる価値を伝達することができる。
第2に、行動経済学などで示されたように、人間の価値に対する判断には一定のバイアスが存在することである。例えば、人間は同じ価値であっても、得するよりも損することに対してより敏感に反応する。ブランドは商品価値判断の基準を導入することによって、こうしたバイアスを克服しようとする。
上記のふたつの事態、つまり買い手が商品の価値を正しく判断できない事態を、ブランドがすべて解決できるわけではない。ブランドが解決できる交換の困難は主に次の第3の困難である。
交換に内在する第3の困難とは、交換の過程そのものが「不透明性」を帯びていることである。つまり、買い手は商品の価値を購買前に正しく判断することができないことだ。これは今日売られている多くの商品やサービス商品に対してあてはまる。例えば、コンビニの店頭に並んでいる飲料はパッケージで包装されているため、購入以前に味を試すことはできない。しかし逆に、生鮮食料品の場合は、一定程度ではあれ、その商品が新鮮であるか、悪い品質ではないかを消費者は購入以前に見分けることができる。
こうした商品の品質を事前に判別することの困難は、「包装革命」と呼ばれる19世紀の終わりに生じた。商品が大量生産され、大量に流通することができるようになったこの時期、商品を定型化された包装物として販売することが行われるようになったのである。このとき商品はほぼ均一な品質が保証されるようになった。
しかし包装されているために、顧客は店頭で品物の中身を検証することができず、包装を信頼して買うしかなくなった。こうしたとき、ブランドが機能するようになったのである。石けんなどの消費財パッケージ商品においてブランドが歴史上先駆的に生じたのはこうした理由による。またこうしたブランドの機能はサービス産業やサービス商品が発達した20世紀になってより必要性が増加した。サービスの品質は、買う前には判断ができないからである。
ここまでの考察でわかることとは、ブランドは交換に伴う困難を解決する手段として、貨幣や流通と同じように歴史的に生じた事象であったことだ。ブランドは購入する商品の品質を判定し、表示するために登場して、結果としてブランドは中身を反映し表示する記号として機能するようになった。この意味でブランドは商品の品質を反映した存在である。
異なる価値体系
しかしブランドに独自の価値を生じたのは、交換の問題を解決したからだけではない。
異なった価値体系の間で商品が交換されることでも、ブランド価値は生じる。岩井(1997)は次のように言っている。
「なんらかの奇跡によってこの交換が成立すると、事後的に価値体系のあいだの差異から利潤が発生することになる」(p.182)
岩井は「始原」に起こったはじめての交換は「奇跡」であると考えている。これを我々は何らかの偶然的なイノベーションによって生じた交換と考えればよい。たまたま起こったイノベーションによって画期的な商品が成立し、そこで交換が成立した後、ブランドがそこから生じ、さらに継続的な交換関係が生じるのである。
ではどのように異なった価値の世界からブランドが生じるのか、この考察は別の機会に行いたい。
【参照文献】
Alderson, W.(1957). Marketing behavior & executive action: A functionalist approach to marketing theory. Manfield Centre, CT: Martino Publishing.
岩井克人(1997年)『資本主義を語る』ちくま学芸文庫
田中洋(2015年)「ブランド力の源泉」毎日新聞SPACE