連載
ブランド戦略論の原理
第2回 交換とブランド価値
中央大学ビジネススクール教授 田中 洋〔Tanaka Hiroshi〕
なぜブランドは重要課題なのか
本論での「作業仮説」があるとすれば、それは、ブランドは交換行為を持続的に維持する基礎力として働く、という命題にある。ここで言う交換とは、もっぱら貨幣による交換を指す。つまり、売り買いの関係を長期的に維持するため、ブランドが有利に働くという仮説である。この仮説は一見すると自明のように見える。確かにすでに多くの経営者にとって、ブランドが重要であるという認識は十分浸透しており、自社ブランドが強ければ、継続的な売上が見込める、という認識自体はありふれたものにすぎない。
しかしながら、問題はそれほど自明ではない。ここであらためて問いたいのは、マーケティングの基本的問題である。私見によれば、マーケティング論の持っている基本的問いかけとは、「持続的交換はいかにして可能か」という課題である(田中、1997年)。どの企業も長期的に自分の会社の売上や利益が持続し発展していくことを願っている。多くの企業は単発的な「ヒット」だけでは企業活動を持続させていくことはできない。
そして、持続的関係を作り出すためにブランドが重要な役割を果たしているとしても、その役割を担うのは必ずしもブランドだけではない。例えば、流通は持続的関係を構築するための、もうひとつの解決方法である。売り手と買い手との間に、流通機構を介在させれば、取引関係は安定する。つまり、ブランド以外にも、売り買いの持続的かつ長期的関係を維持させていくための諸力は存在することになる。
ここで問うべき問題とは、ブランドがいつ、どのように働くために、交換関係は長期的に持続するのか、という問いである。つまりブランドは長期的な交換関係を築くために、どのように有効なのであろうか。この問題について考察してみたい。
ブランド力を行使しない企業
では企業がブランド力を使うとき、使わないときについて考えてみよう。考えてみればブランド力をもたない商品は数多くある。むしろブランド力を行使する企業は少数派であると言ってもよい。実際、スーパーマーケットやコンビニエンスストアに行っても、ブランド名を知って購入している商品はごく一部にとどまっている。
ブランド力を行使すべきかどうかは、その財の品質を買い手が購入に際して判断できるかという、その財のもつ性質に依存している。例えば、生鮮食料品の多くにはブランドがない。「関サバ」のように一部にブランドと見える商品もあることはあるが、ごく少数にとどまる。これはひとつには消費者が購入する際、消費者自身がある程度品質を購入以前に見分けられるという財の性質による。消費者=買い手は購買前に自分で品質を見分けられるならば、ブランドは必要とされないことになる。
しかし食品や薬品・家庭用品のような包装された消費財=パッケージ財においては、パッケージされているために事実上購入以前に品質を見分けることが不可能な財であり、ブランドが必要となる。また、美術品やコンサルティングサービスのような高度なサービス財は「信頼財」という商品カテゴリーに分類され、購入した後ですら買い手はその商品の品質を見分けることができない。こうした場合、ブランドは売り手にとっても買い手にとっても非常に重要になる。
ブランド力と売り手の判断
もうひとつブランド力を行使すべきかどうかは、ブランド力を用いずに交換を実現するかどうか、という売り手の判断に依存している。それはマーケティングで言うプッシュまたはプル戦略に相当している。プッシュ戦略とは、商品の売り手が、流通機構に交渉して商品を店頭に「押し出す」戦略を指す。一方、プル戦略とは、消費者を店頭に呼び込んで商品を購入する機会をつくる戦略である。一般的にはプッシュ戦略の場合、ブランド力はさほど必要なく、プル戦略の場合はブランド力が重要になる。
例えば、コンタクトレンズで「クーパービジョン」というブランドはさほどよく知られておらず、ブランド力があるとはいえない。「ワンデーアキュビュー」、「ボシュロム」、「シード」、「メニコン」はコンタクトレンズで、よく知られているブランドである。しかしこうした無名のブランドでありながら、クーパービジョンは世界で第3位、日本では第2位の地位を誇っている。なぜクーパービジョンはブランド力がなくても売れるのか。それはプッシュ戦略、つまり流通対策に力を入れ、店頭でクーパービジョンの商品を購入する機会を増大させるような戦略を取っているためである。
ブランド力と配給制度
3番目のブランド力を行使するかどうかの判断は、経済・社会制度に組み込まれた販売を行うかどうかによる。もし商品が国家の配給制度に組み込まれるとしたらブランドは必要なくなる。また、その企業が国家によってある程度の独占を認められている場合は、やはりブランド力を行使する必要はなくなる。
風呂(2009年)によれば、第二次世界大戦の当時、日本の流通は価格・流通の両面から統制され、最終的には消費統制にまで及んだ。興味深い史実とは、ブランド品をもつ企業が商品一律の公定価格に抵抗したことである。
昭和15年に第一次公定価格制度が実施されたとき、「銘柄別の公定価格」つまりブランド別に価格が設定されたことである。例えば、ミツワ石鹸は1個あたり16銭であり、花王石鹸はミツワより安い1個10銭と決められた。この決定は花王にとって不満であり、自社ブランドの公定価格の引き上げに花王は奔走した。
また昭和戦時においては、ブランド=商標が禁止された。これはブランド品の買いあさりを防ぐためであった。「味の素」は同種類の製品に比べてグルタミン酸純度が高かったため、消費者が殺到し、福岡市で「一企業独自の切符配給制」を行い、ブランドマーケティングを守った。
現在では国家による配給制度は存在しないものの、さまざまな形の「統制」はあちこちで続いている。例えば、新聞・雑誌・書籍販売における再販価格制度の維持は、良いことか悪いことかは別として、純粋なブランドによる競争が妨げられている。一方で、デジタル化・オンライン化は電子書籍やニュースの分野において新たなブランドによる自由競争が繰り広げられている。
ブランド使用を決める
米菓(あられや煎餅)の業界では、国家的な統制があるわけではないが、地域ごとに米菓業者が存在し、嗜好の違いにより、全国で400社近い零細な米菓製造業が存続している。またそこでは亀田製菓のような全国的な米菓製造業も同時に発展し、ここではブランドによる競争が行われている。豆腐業界にもやはり長い間ブランドは存在しなかったが、相模屋食料という企業が大量製造の仕組みを整えた結果、豆腐の全国ブランドが成立するようになった。
ようするに、ブランドは原則的に言って、大量生産と自由な競争の産物であり、買い手に選択の自由が与えられない限りブランドは必要とされない。そして、自由な競争は、国家の統制や市場の性質によって規定されているのである。
興味深い例として、犯罪組織の例を挙げることができる。文化人類学者のヤコブ・ラズは、ヤクザ社会を観察調査して、日本のヤクザが自己呈示する様子を描いている。「ヤクザは、自らすすんでヤクザの烙印とイメージを自己のアイデンティティの中心にしている。」(179頁)「ヤクザは自分がヤクザであると宣言する」(180頁)。テキヤという存在が示すように、彼らは祭りなどの市民社会の周辺で生息し、そこから収益を得ている存在である。このため、ヤクザは常にヤクザとしてのアイデンティティを必要としている。いわゆる「代紋」や「刺青」はこうした市民社会でヤクザが受け入れられるためのブランド記号として機能していた。
しかしアメリカのマフィアはそうではない。1963年にジョー・バラキ(Joe Valachi)がコーザ・ノーストラ、つまりマフィアという存在をマクレラン委員会で証言するまでは、マフィアが存在するかどうかすら警察やFBI当局に不明であった。それほどマフィアは自身を外に誇ることはなく、秘密の犯罪組織として機能していた。これはおそらくアメリカンマフィアがヤクザと異なり、いわば正業である労働組合や一般企業に根ざして活動していたためと考えられる。こうした「普通の」組織においては自分がマフィアであることをことさら誇示する必要性はない。むしろマフィア、あるいはコーザ・ノストラという組織が人知れず存在することが望ましかったのである。
この2つの犯罪組織の対比は、いわば、ブランド戦略を実行するか、あるいはしないかは、その組織が外部に対して採る関係性の中に決定要素があることを物語っている。
ブランド力を行使すべきか
売り手はどのようにしてブランド力を行使するかどうかを決定すべきだろうか。1つの重要な決め手は、ブランドを用いることがその「市場の性質」に合っているかどうかだ。「市場の性質」とは、まずもってその市場に自由な売り買い関係が出現しているかどうかである。もしも市場的にブランドを自由に売り買いすることが可能であると判定されたならば、その市場への投資を考えるべきである。
もしその市場にそれまで確たるブランドが成長していない場合は、その市場はブランド企業にとって大変魅力的な市場であると考えて良い。ブランド戦略の要諦は、競合に先んじて、ブランドがなかった市場にブランドをもたらすことにあるのだ。
【引用文献】
田中洋(1997年)「マーケティングの基礎概念としてのブランド」『最新ブランド・マネジメント体系――理論から広告戦略まで』(青木幸弘・小川孔輔・亀井昭宏・田中洋編著)(87頁―102頁)日本経済新聞社
風呂勉(2009年)『第二次大戦日米英流通史序説』晃洋書房
ヤコブ・ラズ(Jacob Raz)(2002年)『ヤクザの文化人類学』(高井宏子訳)岩波現代文庫
Crime Hearings Told of ‘Cosa Nostra’ Syndicate
http://library.cqpress.com/cqalmanac/document.php?id=cqal63-1315434
Joe Valachi