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書斎の窓

コラム

いそげ夫婦別氏選択制

日本の社会研究所 関口礼子〔Sekiguchi Reiko〕

平等な結婚だけはダメですよ

 「男女に平等な結婚だけは法的に登録させません」と同じことを日本の民法750条が言っていることが問題視されてから、すでに数十年たっている。750条と同じ思想基盤の上に構築されている日本社会の男女平等度は、今政権の必死の宣伝にもかかわらず、客観的指標で算出された世界142国中の調査で、104位(WEF, 2014)である。

 法の不具合を少しでも軽減しようと、人々は、2つの便法をとってきた。「事実婚」と「通称使用」である。

 このうち「事実婚」からのアプローチは、婚外子に対する差別解消の法改正によって、一応解消された。「通称使用」からのアプローチは、以前にくらべてずっと進んだとはいえ、遅々としている。

「通称」の進み具合

 『書斎の窓』の2010年3月号に、その時点での状況を詳細に整理してあるので、見てほしい。ごく簡単に重要なものだけを述べると、次は通称名のみで可能である。

  確定申告・住民税

  共済組合の健康保険証(国家公務員共済、私立学校共済)

  国家公務員としての人事記録

  年金(国家公務員共済、基礎年金、私立学校振興・共済)

 その後の大きな変化を、次に報告しておこう。停年退職して共済保険から離脱しなければならなくなった。共済保険は、2年間は継続使用で凌げる。しかし、その後は国民保険にならなければならない。次のものが「通称名」になって、保険証が出た。

  国民健康保険被保険者証(練馬区、平成23年3月)

  後期高齢者健康被保険者証(東京都後期高齢者医療広域連合、平成24年9月)

  介護保険被保険者証(練馬区、平成25年2月)

 いずれも、事実上日本国民としての権利を放棄しなければいけないかな、との覚悟をしての交渉の結果ではある。しかし、その覚悟で真剣に臨めば、現行法内でもここまでは可能であることがわかった。年金のときもそうであったが、既存の規則を応用し、手続きを考えてくれた。いずれも厚生労働省にまで、話は通じてくれている。

 手続きは、後期高齢者健康保険の場合を例にとると、次の通りである。平成24年9月25日付けの回答で通知してきた。

  ①戸籍の個人事項証明書(旧姓から婚姻性に変更したことが確認できるもの)

  ②念書

  ③後期高齢者医療被保険者資格の取得届書

それに、

  ④パスポートおよび銀行口座預金通帳

上記①〜③の提出をし、④は念の為という感じで、名前のあるページのコピーを取る許可を求められた。

 ただし、問題がないわけではない。

 年金は、3つとも、毎年、生存しているとの報告を出さなくてはならない。住民票通りの氏名であるならば、生存は先方で確認してくれるのであるが、自分で生きていることを証明しなければならず、わずらわしい。

名前の変更は、他者にも負担である

 人生の途中での名前の変更や、「通称」使用は、本人にとってはもちろんのこと、周囲にも、認める、認めない、その基準は、その手続きは、と多大な労力とストレスを与える。それに、1人の人に2つの名前を、場合によっては3つも、4つも、5つも(筆者は、5回結婚した男性を3人知っている)、覚えてあげなければならない。

 上記に記した範囲の「通称使用」でも、認めてもらうまでに、ずいぶんの労力的・時間的・金銭的損失を要したし、周囲にも、労力をかけた。「通称」、なんといやな表現であろうか、「本来の名前」であるのに。私の周囲にたまたま、問題の性質を理解し、また、問題解決のための事務手続きの方法を考え出すことのできる有能な人物(主として公務員)がいたからここまでできているに他ならない。同じことを求めても、上の機関の顔色を窺わなければ自分の存立さえ全うできないような弱小の機関では、面倒くさいことはしたくないと、雇用者の人権など考えない。「そんなことを言うなら雇えません」と言った機関も、大学を含めて、存在する。

 大学についても、人事記録、健康保険証、給与、税務関係、もちろん研究・教育の業務にすべて「通称」名で統一できているのは、大きな、自立した、自分たちの業務と使命に自信をもった大学に限られているようである。

 多くの人々は、研究・教育等の学内業務は「通称名」、税務関係、給与や保険証は「戸籍名」と使い分けているようである。

 もっと弱小な機関や大学では、本人たちに圧力をかけ、本人たちはしかたなしに事実婚に切り替えて凌いでいる。事実婚で子どもを設けるのは、ひじょうに勇気のいることらしい。

 晩婚化、少子化、非婚化の原因はもちろん夫婦の氏の問題のみではないが、女性が第1子を産んだ平均年齢は、30・4歳(2013年)というのは、人間の生理を考えると、筆者には空恐ろしい数字に見えるのである。肉体の限界にまで挑戦している女性たち、それは、当然なこと、妊娠に成功した人もしなかった人も、限界的な精神的ストレスを伴っている。医療の局限的協力も伴っている。

最近問い合わせが増えた

 最近の問い合わせがまた増えているが、次はその1つである。その大学関係者は、若い時いた大学が戸籍名を強要するので、やむなく事実婚に切り替えてずっとやってきた。しかし、法律婚時代の科研のデータベースが1つ、法律婚時の戸籍氏になってしまっている。どうにかならないであろうか、というものであった。

 筆者の図書館情報大学時代の研究も1つ、事務局が勝手に報告書の名前を婚姻氏に書き換えて、データベースにも登録したので、それが残っていて困っているものがある。研究の生命はオリジナリティなので、類似の研究を2人の人物が行っているというのは、その人物にとっても、その人物が所属する大学にとっても致命的な損失である。

 先の人物の新しく所属することになった大学では、それを理解し、データベースの名前を修正するように、学術情報センターに申し入れてくれた。学術情報センターは抵抗していたそうであるが(それはそうであろう、1度その名前で周知したのであるから)、文部科学省の応援を得て、名前を現在も用いている名前に変えてくれるようになったとのことである。

 現在、業務は「通称名」で、共済組合保険や税金などの事務関係は戸籍名で、ということで凌いでいる機関が多いようである。しかし、1人の人物である。某副学長に、夫婦別氏の法改正を求める請願にサインを求めた時、サインにはすぐに同意してくれたが、「どっちの名前でサインしましょうか」と聞いてきた。

最近の締め付けはさらに厳しくなった

 パスポートは、研究者の場合、1960年代からある「別名併記」の方法は、ほとんど問題なく認められるようになっていたと見ていたし、研究者でなくとも、必要があれば(A4紙3枚にわたる説明書を提出したとのこと)で、通常国内で旧姓を使用していない人でも認められた(神奈川県だったと思う)ケースの報告も受けていたが、最近また、逆の傾向も見られる。東京都の研究者が「併記」すら拒否され、大阪府でも最近、「何かあったとき日本国民として保護できません」との脅迫的言葉で、戸籍名にされてしまったと聞く。『書斎の窓』本年3月号の奥野正寛氏の論考にも、戸籍名でなければだめだ、という記載が出るのは、そのような傾向を受けてのことであろう。

 代表取締役以外の会社取締役は、今まで、戸籍名で登録する必要は必ずしもなかったのに、架空登記防止という名目で法務省令「商業登記規則」が改正され、本年2月6日の登記から、住民票の提出が義務となり、仕事上用いている「婚姻前の氏」もいっしょに登録できるとはいえ、戸籍名で登録しなくてはならなくなった。法務省が「婚姻前の氏」の記載を公式に認めたのは一歩前進であるが、それが( )内であることは、またさまざまな問題を産む。

 最近、筆者のところに、年金関係の機関から、住民票はどこにあるか、という問い合わせが来た。マイナンバーの導入のためらしい。筆者は、「住民票は、年金関係の住所と同じ住所にある、しかし、異なる氏名になっている」「マイナンバーは、生きて実際に生活している氏名にふってほしい、住民票と異なる氏名では困ると言うならば、こちらの氏名に住民票の方を合わせて変えてほしい」と返事を出した。

通称名( )内では、いろいろのことが起こる

 パスポートの「別名併記」は通称名も記載しているので、サインも「通称名」で可能であるし、航空機も通称名で乗れるし、宿泊も問題はない。でも実際に使っている通称名が( )の中に入っているので、うっかり気を抜いていると戸籍名にされて、いろいろなことが起こる。

 たとえば本年4月に、外国の空港で荷物を預けた時、パスポートを見せろと言うので見せたら、戸籍名の領収書をよこした。この領収書は日本で使えない。

 間に1度、京都に居住していたとき、京都府は、「別名併記」のパスポートを、更新の時に強引に、戸籍名のみにしてしまった。結果、奥野正寛氏と似た問題が起こった。のち再び、「別名併記」のパスポートに戻った。

 ある団体の海外視察旅行の時、視察主催機関が旅行の手配を依頼した旅行社は、パスポートを見て勝手にこちらの提出してある名前から変えて航空券や宿の手配をしたので、先方はうまく筆者たちの到着を確認できず、1度手配した日程を前日にキャンセルしてしまった。これも先方にもたいへん迷惑をかけた。

1人の人間は死ぬまで生きる

 「鉄の女」として名をはせた元英国首相、 サッチャーの伝記を描いた英国映画を見たが、晩年認知症を発症したとき、サッチャーでなく、マーガレット・ロバートと旧姓でサインしてしまう場面がある。日本でも、行方不明者が、警察で自分の名前を聞かれて、旧姓を告げるので家族が探し出せないことが時々あるようである。人生の途中で名前を変えるのは、いかに本人にとって、負担であるかを物語っている。

 この問題の根本は、民法のほかに、日本人の把握の根源である戸籍法も係ってきている。人は、「氏」と「名」によって、他者から識別される。その人の「氏」と「名」は、その人のあらゆる場面でのその人の人間として生き、このような活動を行ったという標章である。「人は、すべて個人として尊ばれる」にもかかわらず、この日本人把握の根本である戸籍には、個人は「氏」と「名」で登録されていない。戸籍謄本をとってみるがいい。登録されているのは、本人の「名」のみである。

 そして、家族全体を括るものとしての、本籍と、いわゆる戸籍筆頭者の「氏」「名」がある。ここには、「戸籍筆頭者」という言葉はない。

国民は、個人として把握せよ
――戸籍編製への提案

 「本籍」と「戸籍筆頭者」は、通常、戸籍のインデックスであると説明されている。戸籍筆頭者となっている人物本人が死亡しても、戸籍筆頭者は抹消されない。成員が残っている限り、その「氏」と「名」は戸籍の中で生き続ける。そして、その「氏」が、成員たちの「氏」として、生き続け、成員を支配し続けるのである。

 筆者は、ここに、不合理の原因をみる。人間の国際的・国内的移動が大きくなり、一方では国際情勢が緊迫化してきた現在、国民の把握のために、戸籍の意味は増してきていると思われる。だから、これだけ戸籍は不合理だという声があっても、全体的に、廃止する気配がないのであろう。筆者は、次のように提案したい。

 個人の識別のためには、「名」のみでなく、その人物の「氏」と「名」の両方の要素を記す(以前の戸籍では、母親の名前は「名」しか記されていなかったが、最近のものは、母親も「氏名」で記されている。それと同じである)。

 インデックス部分であるが、本籍は戸籍を保管する場所なので、現行の通りの日本国の中の実在の地名でよいだろう。俗にいう戸籍筆頭者欄であるが、現行では、夫か妻のうちの1人のみの「氏」と「名」が求められているが、多分2つの要素が必要であろうから、現行の、1人の人の「氏」と「名」のほかに、「夫の氏」と「妻の氏」という組み合わせを加えたい。

「婚姻」は残したい

 氏名は、本人の人格である。本人のものである。夫婦別氏が可能になっても、本人の意思で結婚相手の氏に変えたい人には、変える権利が保持されなければならない。たとえ、氏の変更が周囲の人に、余分な労力をかけることになるとしても。

 誰と誰が婚姻しているか、証明が必要な場合は、それこそ、戸籍抄本・謄本を示せばよい。日本では、夫と妻が同一箇所に住めるか否かを考慮することなく、配置転換をする。特に大学教員の場合は、夫と妻が同一県内に赴任できるというのは、ごく稀なケースである。

 事実婚で過ごしてきた人たちも、晩年になって、入院や手術に際して、法律婚に切り替える人たちも増えている。

 筆者は、結婚は「安定根」であるという定義が好きだ。相互扶助の基盤であり、究極にどちらかが自分の生活がなりゆかなくなった時(たとえば脳死など)の、自分の意思を代表するのはこの人ですよ、という他者に対する宣言だと思っている。

 「結婚」を行政に届け出る「婚姻」と引き換えに、自分がそれまで誠心誠意築いてきたその人の人格――それは「氏名」によって標章化されている――を奪ってはならないと考える。

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