書評
『家事事件手続法 ―― 理論・解釈・運用』
早稲田大学法学部教授 本間靖規〔Honma Yasunori〕
1 本書の意義
平成25年(2013年)1月1日、本書の表題となった法律「家事事件手続法」が施行された。本書はそれからほぼ2年を経た時点で上梓されたものである。右法律の制定からこの間、本法に関しては、『一問一答 家事事件手続法』や『逐条解説 家事事件手続法』など立案担当者による解説が公刊にされたほか、コンメンタールや主として実務家による概説本等が出版されている。本書はその中にあって、家事事件手続に携わる実務家や研究者にとって必読文献となることは間違いない。はしがきにあるように、本書は自由な対談形式により、本法を研究ないしは運用する際に必要である、①規定の背後にある思想、理念への留保、②各規定がいかなる問題認識の下に、いかなる考慮を経た上で明文化された規律かに関する立法に関与した者の理解、③運用に当たって生じるであろう思索を深めるための材料を提供することを目的として編まれたものである。法の立案の準備のために行われる研究会における議論は別として(非訟事件手続に関するものを含め本法についても、37回に及ぶ研究会が行われた模様である。5頁)、法制審議会の審議においては、通常、問題の背後にある思想や理念、理論を掘り下げての深い検討がなされることはないのではないかと推測する。その意味で、立法に関与した者(高田裕成、金子修、畑瑞穂、古谷恭一郎、増田勝久)のこれに関する思索の披露は、本書でしか味わうことができないものであろう。それに加えて、本書では、立法の審議に関与していない民事手続法(山本克己)と民法(窪田充見)の優れた研究者が討論に参加し、ときには素朴な疑問を投げかけ、ときには関与者が意識していなかった問題への鋭い切り込みを見せてくれる。これによって更に項目や規定の一層の深い意味合いが浮き彫りにされ、また残された問題点が明らかになっている。以下では、家事事件に関する手続法に関心を持ち、多少の研究をしてきた者としてその観点から本書の内容について若干の検討を試みる。
2 家事事件手続の基本理念――手続保障
家事事件手続法の全体を貫く基本理念は何と言っても手続保障である。したがって当然のことであるが、本書で取り扱われている各項目のいずれにおいても手続保障の理念がどのように具体化されているかが論じられている。ちなみに筆者が数えたところ本書で手続保障という用語は106回使われている。これに本書で用いられている審尋請求権とか当事者の手続権という言葉を加えるとさらにその数が増えることになる。それ自体がこの概念の本法における基本理念としての役割を象徴的に表すものともいえる。旧法下においても、職権探知主義の原則が適用される手続において、争訟性の高い事件(たとえば遺産分割事件)では「当事者主義的運用」がなされてきたといわれている。しかしそれは、当事者の手続主体性の尊重という理念の表れというより以上に、当事者の手続客体性つまり情報提供手段としての当事者の役割への期待という側面をより強く持ったものであったといえるのではないか(194頁、山本発言。これに対して、197頁、畑発言はやや異なった評価をしている)。これに対して手続保障は、事件をめぐる当事者、利害関係人の手続主体性という理念的な転換を伴うものである。今後、家事事件手続(法)に関わる者はすべからくこの転換を手続追行の軸足におかなければならなくなった。しかもこのことは単に争訟性のある事件に限らず、あらゆる家事事件手続において通用する基本となったことを銘記しなければならない。本書183頁の「手続の期日への関係人の呼出し」で議論されている、関係人からの事情聴取の二義性すなわち事実の調査として行われる関係人からの情報収集という意味と関係人の意見表明の機会の保障という意味を意識的に区別したうえ、特に後者に配慮しなければならない旨の指摘は重要な意味を持っている(184頁、山本発言、185頁、高田発言、65頁、山本発言)。ドイツでは、審問の二義性といわれてきた問題である(FamFG33条、34条に明文で書き分けられている)。
他方で、当事者の手続保障の尊重は、当事者が手続における主体としてその手続上の権利を行使する機会を保障する側面のみならず、当事者がこれを積極的に行う義務(関与ないしは協力義務)を伴うものではなかろうか。ドイツにおいては、関係人の関与がSoll規定となっており、関係人の完全陳述義務、真実義務が定められている(FamFG27条1項、2項)。日本では、「当事者は、適切かつ迅速な審理及び審判のため、事実の調査及び証拠調べに協力するものとする」と規定されているが(56条2項)、これについては、「協力するものとする」の表現は、「何か具体的な義務を課すものではなく」、当事者が裁判所の判断の基礎となる資料の提出、収集に自ら関与する権能が認められ、これを行使することが容易であるにもかかわらず、「その権能を行使しないことにより事実上の不利益を受けることがある」と解されている(202頁、金子発言)。また、56条2項の規定を、2条と同様、義務ではなく責務と位置付けたとのことである(29頁、高田発言)。この違いは一体どこから来るものなのか、日本の規定の背後にある事情は何か、このように規定することが正当と考える理由は何か等について検討の余地があるように思われる。手続保障の理念の導入は、必然的に手続のフォーマル化を招来し、当事者の主体性の強化はその役割を高めることになる。それが期待されているのであるが、これは同時に当事者の負担の増加をもたらすものであることも疑いない。家事事件手続においては、さまざまなレベルの当事者に合わせた対応や配慮(Fürsorge)が要請されるものの、当事者の手続上の権利の保障や自己決定の尊重の方向に踏み切った以上、その責任を強化するとともに、当事者の関与(協力)義務ないし責任が手続の基本におかれたと考えるべきではなかろうか。ドイツ法と比較して多少温度差を感じるこのあたりの問題について、今ひとつ突っ込んだ議論がなされてもよかったのではないかと思われる。
家事事件手続において難しい問題は、申立てに対する相手方が存在しない場合(職権による手続開始の場合もある)や申立人、相手方という対立構造をとる場合でも、これらと一定の身分関係にあるなど手続との関係で利害関係を有する者(典型的には、当事者となっていない子)の手続保障をどのように行うかである。家事事件手続法は、形式的当事者概念を採用し、それ以外の第三者を利害関係人とする。そのうえで当事者となるべき者の参加(41条)ならびに利害関係人の参加(42条)を規定した。利害関係人の参加については、「審判を受ける者となるべき者」とそれ以外の者で「審判の結果により直接の影響を受けるもの又は当事者となる資格を有する者」とを区別し、前者には権利参加、後者は許可参加の途を開いている(同2項)。また両者につき、職権による強制参加を規定している(41条2項、42条3項)。形式的当事者を別にすると利害関係人とされるものの各概念は、一般の者に一読して明らかであるというわけではない。どのような者がその範疇に入るのかは、立案担当者解説を見てようやく理解できる(69頁、金子発言)。このこと自体に立法上の苦労が伺われるのであるが、問題は、どのような利害関係人にどのような手続保障が施されることになったのかが明らかであるかどうかである。周知のようにドイツにおいて関係人概念をめぐってかなりの議論がなされてきたのは、まさに誰に審尋請求権が保障されるべきかは憲法と直結するクルーシャルな問題であったからであった。筆者は日本でも同様の議論が可能であると考えるが、たとえこれが憲法と直結しない問題であるとしても、誰が直接の影響を受ける者で誰が間接的な影響しか受けない者かの区分けは、重要問題であることに変わりはない。さしあたってその指針は示されているものの(69頁、金子発言)、その範囲、程度の問題について今後の実務の運用を注視する必要があろう。また利害関係人に対する手続の通知規定がないことも比較法的にはむしろ希有といえる。これについては、議論はあったものの、必要的陳述聴取の拡充の方向をとったことが理由とされている(68頁、畑発言)。はたしてこれで代替できているのかについては、陳述聴取の時機の問題とも絡むが、立ち入った吟味を要するように思われる。
3 子の代理人
家事事件手続により、大きな影響を受ける最たるものが子であるといえる。その意思や利益をどのように聴取ないし保護するのかが立法に際して重要な課題であったことは疑いない。ドイツでは青少年庁が関係人として手続に関与する仕組みがあるなど、日本と単純に比較することは難しいが、手続補佐人(Verfahrensbeistand)の役割は、主として子の意向聴取にあることを考えると、日本でその役割を担ってきた家事調査官が引き続きこれを担当することでこれをカバーすることができる。前者は、子の利益の立場を鮮明にするものであり、後者は中立的立場に立つという違いはあるが、その違いを強調する必要はないであろう。さらに子のいわば客観的利益を保護するために、手続代理人の制度を利用することが考えられる(23条)。調査官による調査と手続代理人が相俟って子の利益保護に資することになったといえる(87頁、増田発言。また、428頁に増田による子の代理人選任状況の報告がある。もっとも調査官の調査と手続代理人の選任が相互補完的に行われるという理解でいいのかは問題とされている。91頁、金子発言)。それでも子に意思能力がなく、なおかつ親権者と利害関係が対立する場合の子の利益保護の問題が隙間として生じることにならないかが懸念されるが、本書では、これらについて興味深い議論が展開されている(86頁以下)。このテーマについてはなお今後の状況を見ながら、また比較法的な見地からも引き続き検討を要する。
4 若干の感想
準備のための研究会の発足から家事事件手続法の公布(2011年5月25日)まで5年の歳月をかけたわけであるが、その間の集中的な努力にまずは敬意を表したい。そのうえで、40年以上の時間をかけて家事事件に関する手続法の一本化、大家庭裁判所の樹立という大きな展開を遂げたドイツと比較すると、やや望蜀の感があるが、日本は、旧法を引き継ぎ解釈や運用に任された部分を多く残しているように思われる。人事訴訟法と同様、ここでも漸進主義をとったとみるのは言い過ぎであろうか。ともあれ、まずは新法の運用状況を見守り、議論が十分でなかった部分の理論的な補完を行いながら、今後とも手続の透明性を確保し、より分かりやすい家事事件手続、より親しみやすい家庭裁判所を築き上げるための地道な作業の積み重ねがなされることになろう。