連載
失敗は成功の元? ―― ベルリン滞在記
第4回 ベルリンの中のトルコ
東京大学社会科学研究所教授 中川淳司〔Nakagawa Junji〕
自転車や地下鉄(Uバーン)、国電(DB)を乗り継いでベルリン市内をあちこち散歩するうちに、街それぞれの表情に気づくようになった。まず、旧東ベルリン地区と旧西ベルリン地区の違いである。両地区を隔てていたベルリンの壁が取り壊されて25年経つが、今でも街のたたずまいはずいぶん違う。旧東ベルリン地区は建物が大きい。一番わかりやすいのは、市内中心部のブランデンブルク門から東に伸びる大通りウンターデンリンデン沿いに立つロシア大使館の巨大な建物だろう。東ドイツの秘密警察(国家保安省)シュタージの本部建物の一部がシュタージ博物館として公開されているが、この建物も巨大である。最寄りの地下鉄駅からシュタージ博物館に行くまでの大通り沿いには東ドイツ時代に建てられた巨大な高層アパートが並ぶ。社会主義体制の成功と繁栄をアピールするショーウィンドウの意味合いが込められていたのだろうか。それに比べると旧西ベルリン地区の建物は小ぶりで、ヒューマンスケールの印象がある。市内中心部に近いシャーロッテンブルク地区はその典型だろう。最寄りの国電シャーロッテンブルク駅で降り、北に向かって自転車で5分ほど行くとベルリン随一の魚屋さん(Rogacki)がある。和食の自炊派として通い慣れた買い出しルートは、両側にせいぜい5階建てくらいのアパートが並び、いつも地元の住民や買い物客であふれていた。
もう一つ目に付いたのは市内中心部の空き地である。ベルリンの壁は取り壊されたが、今もなお壁の両側数百メートルのベルト地帯は空き地になっているところが多い。開発が進んで立派な建物が建てられているところもあるけれど、空き地のままだったり、市民向けの週末農園(クラインガルテン)として利用されていたりするところが目立った。最大の空き地は、市内南部の旧テンペルホーフ空港の跡地だ。2008年に閉鎖された空港の跡地は一般市民に公開されており、週末は散歩やピクニックの家族連れで賑わう。広大な空き地が中心部にあることで、ベルリンに大都市らしからぬゆとりがもたらされているように思う。市内北側の旧東ベルリン・プレンツラウアーベルク地区には、ベルリンの壁の跡地に広大なマウアーパークがある。週末は市内で最大規模の蚤の市が開かれ、大道芸人も出てにぎやかだ。蚤の市を冷やかして、戦利品を見ながら生ビールを一杯、が週末の楽しみになり、何度か出かけた。
ベルリンは移民の街でもある。中でもトルコからの移民は約25万人、人口350万人のベルリンで最大の人口割合を占める外国系住民である。トルコ系住民の住まいは市内東南部の、クロイツベルク地区とノイケルン地区に集中している。トルコ国外では最大のトルコ人コミュニティを形成しているという。初めてクロイツベルク地区に足を踏み入れたときは面食らった。それはベルリン到着から間もない4月中旬の週末の午後だったけれど、市内中心部で地下鉄を乗り換えて最寄り駅のコットブッサー・トールに向かう1号線の車両に乗り込んだところ、乗客の多くはトルコ系の人たちだった。ドイツ語ではなくトルコ語が飛び交う車内でなんとなく気後れした。コットブッサー・トール駅で下車してみると、あたりはトルコ系の人たちばかりだった。とてもドイツの街とは思えない。その日の用事は、知り合いの日本のアーティストが展示をしている美術学校兼共同アトリエ(Künstlerhaus Bethanien)を訪ねることだったのだけれど、その施設は聞いていた場所から移転しており、通りすがりの幾人かの人たちに尋ねてようやく探し当てたのだった。道を尋ねた人が皆親切で、親身に答えてくれたのが印象的だった。探し当てるまでにずいぶん歩いたので空腹を覚えた。帰途、コットブッサー・トール駅近くの店で、初めてデナー(ドネル)・ケバブを食べた。大量の肉を串刺しにして立て、回転させながら焼いたのをそぎ、生野菜と一緒にトルコ風のパン(ピタ)にはさんで供するトルコ風のファースト・フードである。デナー・ケバブはベルリンで1970年代初めに供されたのが始まりと言われ、市内にはデナー・ケバブの店がたくさんある。旨かった。安くてボリュームもある。これ以後、ベルリンでの手っ取り早い外食はデナー・ケバブが定番になった。
第一印象が良かったせいもあるのだろうか。トルコ人街が私の「行きつけの街」になった。出かけるのは週末か金曜日。金曜日は最寄りのコットブッサー・トール駅で降りて、南に下る。歩いて5分ほどの運河沿いにずらりと生鮮食品の市が立つ。野菜、果物も肉も新鮮で安い。一通り買い出しを済ませると引き返して、今度は駅の北側に向かう。駅から歩いて5分ほどのオラニエン通りを東に向かうと、ドライフルーツやナッツの量り売りをするティーハウス(チャイハネ)がある(Smyrna Kuruyemis)。好みのドライフルーツやナッツを購入し、紅茶を注文して一服。それから家路に着く。週末はオラニエン通り沿いのセレクト・ショップで本や雑誌を冷やかしたりちょっとした小物を買ったりして、帰途ティーハウスでお茶を飲むというコースを楽しんだ。オラニエン通り沿いのトルコ風焼肉レストラン(Adana Grillhaus)が優れものであることを知ってからは、友人を誘って肉とワインを楽しむ機会も増えた。トルコ人街には散髪屋さんも多い。ベルリン滞在中はコットブッサー・トール駅間近の散髪屋さんに通った。たいてい先客がいて、親父さんとトルコ語で世間話をしながら髪を切ってもらっている。待っていると紅茶を出してくれる。腕前は上々。食生活でも身だしなみでもトルコ人街には本当にお世話になった。
トルコ人街の何に惹かれたのだろう? 最大の魅力はそこに流れている時間の緩やかさだったように思う。ドイツの人は几帳面で時間にも厳格だ。街を行く人の歩く速さも東京と大差ない。トルコ人街はそうではなかった。人の足取りはゆったりしており、あくせくしていない。ティーハウスでも散髪屋さんでも、人は今そこで過ごす時間を楽しみ慈しんでいるように見えた。そこにわが身を置いてみると、自然に肩から力が抜けた。ベルリン滞在中はベルリン自由大学で毎週3コマの講義・演習・チュートリアルを担当した。セミナーや会議・ワークショップに参加する機会も多く、日本から持ち越しの原稿仕事も抱えていた。いつも仕事に追われて過ごしていた印象がある。家族を日本に残しての単身赴任だったこともあり、緊張を解きほぐす機会を必要としていたと思う。トルコ人街に足を運び、ちょっとした買い物をしてお茶を飲んだり、散髪屋さんで過ごしたりするのが格好の気分転換とリフレッシュになった。行きつければ顔見知りにもなる。散髪屋さんは黙って座れば前と同じ髪型に仕上げてくれるようになった。ティーハウスではいつもと同じドライフルーツやナッツと紅茶に舌がすっかりなじんだ。
トルコ人街の心地よさに気づいたのは私だけではなかったようだ。トルコ系住民が住まう街は家賃が格段に安い。そこに目をつけて、ドイツの若者もたくさん住まうようになり、若者相手のカフェやクラブも増えたと聞いた。7月、夏学期の終わる頃に、そんなカフェの一軒を予約して、学部講義と大学院のゼミに参加した学生さんと打ち上げパーティーを開いた。運河沿いのカフェで飲むビールはとても旨かった。最後はコットブッサー・トール駅近くのデナー・ケバブで〆たように思うが、実のところは大量のビールで酔ってしまって記憶が定かでない。
後日談がある。ベルリンのトルコ人街にすっかりなじんだ私は、日本に帰国する前に夏休みを利用してベルリンにやってきた妻とトルコに足を運んでみた。西部の田舎町で訪れた市場でドライフルーツとナッツの店を見つけた。「これがトルコの名物で」と薀蓄を傾けながら試食。でも、店主に聞いてみると大半の商品はタイからの輸入品とのことだった。ということは、クロイツベルクのティーハウスの商品もトルコ産とは限るまい。グローバル化は食の世界にも及んでいると感じたことだった。