巻頭のことば
第2回 脆弱国支援の必要性
東京大学東洋文化研究所教授 田中明彦〔Tanaka Akihiko〕
前号では、アジア太平洋地域に加えてインド洋の沿岸地域もまたダイナミックな経済成長を遂げつつあることを考えてみた。しかし、現在の世界がバラ色の世界でないこともまた事実である。「イスラム国」(ISIL)の台頭によりシリア内戦はイラクのかなりの地域にまで拡大した。その影響は、リビアやイエメンさらにはアフガニスタン北部にまで及んでいる。ナイジェリア北部から隣国に至る地域では「ボコハラム」と呼ばれる過激イスラム組織によるテロ活動が続いている。ソマリア内戦がようやく終息しつつあるとはいえ、隣国のケニアの首都ナイロビでは、アルシャバブによるとみられるテロ活動が起こっている。2011年に独立を達成した南スーダンでは、2013年12月に内部対立から内戦がおこった。国際社会の調停でなんとか停戦にまでこぎつけたが、依然として不安定な状態に変わりはない。2012年3月に内戦状態になったマリも、停戦と安定化の方向に向かっているが、まだまだ予断を許さない。中央アフリカ共和国でも極度の混乱状況が続いている。ブルンジでも、クーデタ騒ぎが最近発生した。世界には、まだまだ軍事対立と政情不安を抱える国々や地域が多いのである。
しかも、これらの「脆弱国」は、内戦や政情不安のみならず、経済社会的な状況も著しく困難を抱えている。今年が目標年であるミレニアム開発目標の達成度からみても、これらの脆弱国の状況は極めて悪い。絶対貧困人口が減らないのみならず、乳幼児死亡率や妊産婦死亡率もなかなか減らない。妊産婦死亡率は、日本では10万人あたり5人くらいの水準であるのに対して、脆弱国では500人から1000人近い国々もある。これらの脆弱国では、内戦や政情不安といった政治的・軍事的要因と貧困や著しく低い開発指標の状態が、まさに悪循環をおこしているといってよい。内部対立を解決できないなかで政府の能力は低く、それによって経済社会開発が進まない。経済社会開発が進まないことによって政治的・軍事的対立がさらに悪化する。これらの政府の弱さから生じる無法地帯にテロリスト集団が蟠踞することになる。
このような脆弱地域の問題は、日本にとって他人事ではない。2013年1月にはアルジェリアの石油施設が襲撃され多くの日本人が犠牲になった。今年にはいってからも「イスラム国」によって日本人人質が虐殺された。チュニジアにおける博物館攻撃によって日本人旅行客に犠牲がでた。しかし、どうしたらよいのかということになると、なかなか難しい。
「イスラム国」やその他のテロ集団に対する対策は、当事国や周辺諸国の努力とともに国際社会の情報共有などの協力が不可欠である。しかし、そもそもこれらの問題に悩む当事国や周辺諸国自身が極めて脆弱であって、この脆弱性を克服することなくして、テロ対策などを効果的に行うことが難しい。当面のテロ対策に関する支援に加えて、脆弱性を克服するための支援が必要になってくるのである。当該国が内戦を抱えている場合は、なんとか内戦を停戦にもっていくための外交努力や国連などの平和維持活動が必要になる。さらに、政府自身を強化するための人材育成を行う必要がある。また、内戦や政情不安によって破壊された基礎的インフラ(道路、水、電気など)を整えなければならない。
このような脆弱国支援は、当然ながら人道的にいっても必要なことである。これらの地域の人々の「人間の安全保障」は日々脅かされている。これらの人々を支援することは人類共同体としての義務である。しかし、それに加えて、脆弱国支援は日本を含む多くの国々の「国益」にも直結している。前段でのべた脆弱地域を地図上で確認してほしい。これらの脆弱国は、まさに前回議論した「インド・パシフィック」の成長地帯の北側から西南方向に沿って存在しているのである。アフガニスタンから中東そしてサヘル地域からアフリカ中央部に至る脆弱地域がさらに不安定化すれば、21世紀の成長地域である「インド・パシフィック」を不安定化させるかもしれない。逆に脆弱地域の脆弱性を減少させることができれば、「インド・パシフィック」の成長と平和をさらに拡大させることもできるのである。