連載
第4回 太陽光発電の普及(3)中国太陽電池産業急成長のメカニズムⅡ
一橋大学イノベーション研究センター教授 青島矢一〔Aoshima Yaichi〕
はじめに
前回は、中国太陽電池産業に急発展をもたらしたメカニズム自体が、必然的に熾烈な価格競争を引き起こし、中国企業も利益を得ることができないというような状況では、国内市場の需要拡大を狙ったFITによる高い調達価格の設定は、再生可能エネルギーの効率的な普及を妨げると同時に、国内企業の長期的な競争力を阻害するという可能性を指摘しました。
今回は、その急発展のメカニズムをお話したいと思います。話の多くは、大学院生の王文君と一緒に行った中国江蘇省無錫市における現地調査に基づいています。ですから、ここでの話が、中国全体にあてはまるとは限りません。しかし、江蘇省は2012年時点で世界の太陽電池の30%程度を生産し、無錫市はその3分の1程度を担っていた太陽電池産業の集積地ですから、中国太陽電池産業のかなりの部分をカバーしているとは思います。
中国太陽電池企業の急発展を、政府の手厚い支援、海外企業からのプロセスノウハウを含めた装置購入、安い労働賃金といった要因だけでは説明できないことは、前回お話ししました。そして、(設計、製造)技術、製造ノウハウ、経営ノウハウといった、無形の経営資源の希少性を克服するメカニズムにこそ、急成長を理解する鍵があるという考え(仮説)を述べました。そのメカニズムの要素として、(1)海外留学者による技術移転、(2)製造装置を通じた技術移転とその国産化、(3)大手企業によるインキュベーションとスピンアウト企業、(4)企業間人材移動による技術情報とベンダー情報の伝播、(5)友人ネットワークを介した情報移転と相互学習、(6)社長の請負によるマネジメントの伝播という6つを提示しました。
(1)から(3)については、後発企業によるキャッチアップや産業集積の発展に関する既存研究においてもしばしば指摘されてきたことですので、以下では、(1)と(3)の簡単な説明にとどめ、無錫市の産業集積の発展に特徴的である(4)から(6)を少し詳しく述べることにします。
海外からの技術移転とスピンアウト企業の役割
無錫の太陽電池産業のはじまりは2001年、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学(UNSW)への留学から帰国した技術者によるサンテック・パワーの設立です。サンテック・パワーは2011年に世界シェアトップとなった企業です。UNSWと中国太陽電池産業との関わりは深く、サンテック・パワーの設立にとどまりません。UNSWのMartin Green教授の研究室の卒業生は、現在、サンテック・パワー、インリー・ソーラー、LDKソーラー、中電光伏など、名だたる太陽電池企業のCTOや副総裁となっています。UNSWの卒業生は帰国後、複数の企業において、太陽電池事業の立ち上げに関与し、また、事業運営上の重要な役割を果たしました。海外から移転された技術がこれらの中核人材によって伝播したと思われます。
サンテック・パワーは、その成長とともに内部で多くの人材を育て、無錫の太陽電池産業全体にとってインキュベーション機能を果たすことになります。サンテック・パワーで育てられた多くの人々が、太陽電池産業の将来性を見込んでスピンオフし、新規企業を設立しました。初期の頃には、こうしたスピンオフによる技術流出を防ごうとする動きもあったようですが(損害賠償請求など)、むしろ、新規企業の設立によって装置や材料が安くなる効果を期待して、途中からは自由にさせていたとのことでした。こうした、スピンオフによって、サンテック・パワーから、設計技術、製造ノウハウ、経営ノウハウが伝播して、無錫の太陽電池産業の初期の発展が実現されたといえます。
企業間での情報の移転と共有
こうして初期の発展をとげた無錫の太陽電池産業は、2000年代中盤以降、価格競争力を急速に高めて世界市場で台頭しました。中国企業が価格競争力を高める過程では、企業間での頻繁な人材移動と友人ネットワークを介した技術移転や情報共有が重要な役割を果たしていたと思われます。無錫太陽電池産業では、企業の枠を超えた、技術者やマネジメント人材の移動が多く観察されます。既存企業間でも人材は移動しますし、既存企業から引き抜かれて新興企業に移動する事例も多々あります。こうした人材移動が、企業を超えた技術移転を促すとともに、購買情報や市場情報などコストや需要に関する情報の共有も促進しました。
これまで無錫の太陽電池関連企業16社についてインタビューをしましたが、太陽電池関連事業の経験のない新規企業が13社でした。創業者は資金調達に加えて、太陽電池の技術、市場、調達などを学ぶ必要があったわけですが、そこで重要な役割を果たしていたのが、頻繁な人材移動や私的な友人ネットワークであったようです。
例えば、創業時の技術獲得の方法として、16社の内13社が、「他社人材の獲得」をあげています。「創業メンバーの技術」と答えたのは、6社に過ぎません。「知り合いから」と答えた企業は5社でした。生産技術に詳しい人材を、他社から2、3人引き抜いてきて、装置やライン構成をコピーして生産を始めるというのが一般的です。
創業資金に関しては16社中16社が「自己資金」と答えています。続いて、「自己担保での銀行借り入れ」が7社で、「友人からの借り入れ」が6社でした。中小企業が多いからだと思いますが、資金面で政府に依存している様子は全くありません。
無錫の太陽電池企業の発展過程で、特に興味深いことは、私的な友人ネットワークによる情報共有が重要な役割を果たしていたことです。太陽電池企業の社長同士は、週に1回くらいのペースに私的に飲み会などを開催して、そこで、生産技術や経営ノウハウ、また、技術や営業の人材情報にいたるまで、様々な情報を交換しています。彼らの多くは、ビジネスを通じて知り合ったのですが、単なるビジネス上のつきあいだけでなく、私的な友人としての関係も保っています。このあたり私のような日本人には少々わかりにくいところです。もちろん日本でも、友人でありながらビジネス上の取引も行うことはあります。しかし、公私混同はなるべく避けるよう心がけるのではないでしょうか。中国の太陽電池企業の社長の集まりでは、ビジネスの話と友人としての話の区別が見えません。すべてビジネスの話といえばそうなのですが、「自社が利益を得る」という目的からすれば、非合理とも映るような情報交換が行われています。潜在的には競合関係にある同業者であっても、販路の紹介をしたり、経営上のノウハウを伝授したり、生産上のトラブル解決を助けたりしています。そのことが、結果的には、企業の同質性を高めることによって熾烈な価格競争を生み出すのですが、それでも企業間での相互学習は日常的に行われています。
経営(社長)の請負
太陽電池(関連)産業への新規参入において技術とともに希少な経営資源が経営ノウハウです。企業経営のノウハウは、「経営の請負」とでも呼べる独自のメカニズムを通じて、企業間で移転されていました。事業で成功した企業家は、経営だけを請け負うという形で、一定期間、他社の社長や経営チームのメンバーとなることがあります。例えば、知り合いである無錫中珪の孫社長は、株を所有することなく、これまで何社かの社長を兼務してきました。無錫中珪はもともとシリコンインゴットとウェハの会社で現在はシリコンの芯棒を事業としています。
孫社長は、2013年に半年間、GCLという中国最大のウェハ企業の子会社であるHenan GCLの社長を兼務していました。3年連続赤字の経営難に陥ったHenan GCLを立て直すように先方から依頼されたことなのですが、1年間3000万元の賃借料を支払ってこの企業を借り受ける(経営を全面的に請け負う)契約を結び、孫社長がHenan GCLの総経理(社長)となり、無錫中珪の経営チームを引き連れて、この企業の経営を行いました。借り受け期間中は、賃借料を除いた企業利潤が自分にもたらされるので、孫社長はこれまで培った経験とノウハウをHenan GCLの経営に精一杯活用したといいます。その結果、Henan GCLの業績は半年で立ち直り、孫社長は予定より半年早く手を引くことになりました(賃借料も半分の1500万元)。成功企業が保有する経営ノウハウが企業の枠を超えて移転されるメカニズムの1つがここにあります。無錫で調査していると、孫社長以外にも、所有はしていないけれど社長や事業部長として他社の経営を手伝うといった状況が見られます。私が知る限り、こうした事例はみな友人関係を通じて依頼されたものでした。つまり、友人ネットワークを介した企業間での相互学習が、企業活動の効率性の向上につながっていたと思われます。
企業とは:経営資源の柔軟な組み合わせ
無錫の太陽電池企業の発展の経緯を観察していると企業という枠が極めて柔軟もしくは脆弱であることを強く感じます。通常、私たちは、企業というと、経営、資産、従業員、技術、ブランド(企業名)といったものが一体化された、1つの統一した主体をイメージします。中小企業であれば、そこに所有も加わります。ところが、無錫の中小太陽電池企業は、企業という枠の中で安定的に存在しているようには見えません。技術や経営や資産などなどがばらばらに、企業という枠を超えて自由に組み合わさるというイメージがしっくりきます。現地を訪問する度に、企業名と実体の関係が変わるため、よく混乱しました。
先ほどのHenan GCLの例では、工場も従業員も所有せずに、一定期間、その管理運営を行う権利は保有し、自らのマネジメントチームを派遣して、経営ノウハウと技術を適用していました。所有、経営、人材、資産、技術が企業の枠を超えて柔軟に組み合わさっています。
この例以外でも、「装置は自社のものだけれど、それを設置する場所は他社の工場」とか「他社の工場で生産しているけれど、その管理は自社で、生産品は自社に販売されている」とか「企業名はそのままで、生産設備一式を新たに設立した企業に移転して、別事業を行う」など、所有、経営、資産、従業員、技術、ブランド(企業名)が企業という枠内に安定的に囲われている状況がイメージできません。
ここに中国太陽電池産業の急成長のメカニズムが隠されているのではないかと思っています。後発国企業の成長を阻む重要な要因の1つは、技術、製造ノウハウ、経営ノウハウなど、お金で簡単には手に入れることができない無形の経営資源です。こうした無形の経営資源の希少性がボトルネックとなり、たとえ資金が用意できても、後発国の産業発展のスピードは制限されてしまいます。
中国の太陽電池産業は、これら経営資源を企業という枠の中に閉じ込めることなく、産業内で無駄なく活用しています。その結果として、中小企業がコスト優位を維持でき、それが大企業のコストダウンを促してきたと思われます。特に、産業内での重要な経営資源の使い回しは、結果として、企業の同質性につながるので、熾烈な価格競争を生み出します。それが、さらに中国企業の価格競争力を高めたと考えられます。