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書斎の窓

自著を語る

『大学生のためのキャリアデザイン入門』を刊行して

聖心女子大学文学部教授 岩上真珠〔Iwakami Mami〕

聖心女子大学文学部教授 大槻奈巳〔Ohtsuki Nami〕

岩上真珠・大槻奈巳/編
A5判,200頁,
本体1,800円+税

はじめに

 本書は、基本的に大学教員の目線で書かれたものである。各章はいずれも、執筆者それぞれが自身の専門分野をベースにして書いており、各章の主眼は、なによりも研究成果をふまえた社会的事実や認識の指摘である。しかし同時に、各章に通底しているのは、不確実な社会へのとば口で漠然とした不安に駆られている学生に向けて、ただ不安がっていないで、社会を知り、社会と自分との関係を知って、相応の「戦略」を立ててほしいという、教員の立場からのひそやかな願いである。少なくとも編者ふたりは、そういういわば「応援歌」のような気持ちで本書を編集した。

なぜキャリアデザインか

 近年、キャリア形成やキャリア教育という言葉を学内外でしばしば耳にするようになった。個人のキャリア形成がテーマとなってきた背景の1つに、労働市場および雇用環境の様変わりがあることはしばしば指摘されている。日本的雇用慣行といわれてきた長期雇用や年功賃金が見直され、かつてのように「就社」した社員を丸抱えで会社が育てるという慣行もなくなった。その結果、男女を問わず、個々人が自分で自分を育てなくてはならない状況が生じてきている。こうした雇用もしくは就労の個人化の結果、どのような仕事に就きたいか、その仕事で何ができるかといったキャリアに関する「情報」もまた、個人の「責任」において集め、かつ判断することが要請されるようになってきた。学生は、学業とともにこうした「能力」を求められているのを何となく察知している。

 とはいえ実際には、目配りよく情報を集められる者はほんの一握りの学生で、残念ながらたいていは、自分にとって都合のいい情報だけを集めるか、やみくもに枝葉末節な情報を集めて情報の海に溺れるかである。その結果、概して仕事に対するイメージが限定的で広がりがなく、身近でなじみのある、もしくは名前の知られた「ブランド」企業に就職の志望が集中する傾向がある。要するに、自分のキャリアプランに関する「判断材料」を持ち合わせていないのである。その一方で、「やりがいのある仕事」や「自分に合った仕事」への志向性とこだわりは、最近の学生はきわめて強いように感じる。

 先日も「私に合う仕事は何だと先生は思いますか」と大真面目にゼミの学生に聞かれて、絶句した。編者の学生時代には(という昔語りは、若い世代からはひんしゅくを買うだろうが!?)、そのようなことは、指導教員に聞くこと自体恥ずかしく、聞くべきことではなかったし、そもそも「何が自分に合う仕事か」などそれほど深刻に考えてもいなかったような気がする。就職環境の変化と学生の不安症候の現れであろうか……。それはともかく、近年は就職率とともに早期の離職率が話題になっており(2014年11月に発表になった就職した若者の3年以内の離職率は、高卒で4割、大卒で3割、従業員1,000人以上の大企業における大卒者の3年以内離職率でも2割を超えている)、その理由として職業選択のミスマッチが指摘されているが、そのことも学生の「適職」志向に拍車をかけているのかもしれない。

 ところで、やりがいをもって働きたい、自分に合った仕事をしたいと考えても、限定的な知識をもとにしたのでは、それは自己完結的な幻想でしかない。自分が何かしたいと思っても、自分の意志だけでできるわけではなく、社会の中の自分を知り、社会と自分の関係を考える必要がある。これこそが、「キャリアデザインの構想力を養う」ということであろうと考える。ちなみに、キャリアデザインとは「自分自身のライフコース全般を見通し、自分がどのように生きたいのか、どのような人になりたいのかを考え、なりたい自分になるための﹁設計図﹂もしくは﹁見取り図﹂のこと」であると、本書では紹介している(182頁)。

ライフコースの変容とキャリアの構想

 本書で学生に伝えたかったことの1つは、就職先を得る(内定をもらう)ことは、キャリアの出発点でも、ましてやゴールでもないということである。キャリア形成とは、職業上のことだけでなく、実は、さまざまな役割の組み合わせを実現する総合的な営為である。ライフコース(人生の道筋)は、誰と、どこで、どのように生きて行きたいのかということがまずベースになっており、職業はそのベースの、重要ではあるが一要素でしかない。しかし逆にいえば、人生を考える際、男女を問わず、職業や仕事とどう関わるのかを考えないではすまされないことも事実である。フロイトは、人生で大切なものは? と弟子に問われ、「愛と労働」と簡潔に答えたというが、その2つ(親密な人々との関わりと自分に課せられた仕事をこなすこと)は、成人のライフコースを貫く普遍的なテーマでもある。

 かつて男女のライフコースには「標準モデル」があった。つまり、男性は学卒後就職し、定年まで働いて家族を養い、女性は学卒後一時期就職するものの、結婚と同時に仕事を辞めて「家庭に入り」、家事・育児に専念して夫を支える、というのが1960年代〜80年代に成立したライフコースの「標準モデル」であった。しかし、80年代以降このモデルは相対化してきた。つまり、モデルが「現実」から乖離するとともに、コースの多様化がみられるようになった。その背景には、グローバル化、未婚化、少子高齢化、個人化といった80年代以降の大きな社会変動がある。その間、女性の社会進出は進み、働き方をめぐる制度や慣行は大きく変わった。

 いずれにせよ、個人のライフコースが長期化し、20代、30代の未婚率および生涯未婚率が上昇し、また性別分業システムの枠組みに依拠するジェンダーによる役割分担も見直されるなか、かつての「標準モデル」は、いまや過去のものになりつつある。これから成人としてのライフコースを歩もうとしている学生は、モデルをもたないまま、社会に出てどうしたいのか、どういう人生を歩みたいのか、そのために自分に何が必要かを、自らが構想しなければならない時代になった。そうした時代にあって、的確な社会認識にもとづくキャリアの構想は、一人ひとりに必然的に求められる課題になってきているように思われる。

本書の構成と特徴

 本書は、社会学が中心ではあるが、心理学、教育学の研究者も加わり各章を担当執筆している。成人移行期にある学生にとって、「社会を見通す眼」を多角的にもってほしいと考えたからである。本書に関しては、とくに上述の3領域の学際的視点を重視した。

 本書の構成は、ライフコース論からみた変化、成人移行期をめぐる発達的観点、働くことの意味、若者意識のいま、大学から労働への移行の実態と課題、労働環境の変化とフレキシビリティの問題、ワーク・ライフ・バランスの理念と課題、グローバル化の中でのキャリア形成、大学での学びのいかし方、ロールモデルの探し方、などの多様なテーマからなっている。いずれも、社会を知り、社会と自分との関係をみつめるという本書の意図を反映したものである。具体的な章立ては、第1章「ライフコースを知ろう――学ぶ・働く・愛する・暮らす」(岩上真珠・社会学)、第2章「﹁大人になる﹂ことの意味」(鈴木乙史・心理学)、第3章「働くことを考える」(大槻奈巳・社会学)、第4章「変化のなかの若者と意識」(久木元真吾・社会学)、第5章「大学から労働への移行」(筒井美紀・社会学)、第6章「企業のフレキシビリティと労働者のキャリア」(今井順・社会学)、第7章「ワーク・ライフ・バランス」(酒井計史・社会学)、第8章「世界をみすえたキャリアのあり方」(土屋淳二・社会学)、第9章「学びをいかし深める」(大槻)、第10章「人生のロールモデルを探す」(羽田野慶子・教育学)、終章「なぜいまキャリアデザインか」(岩上)となっている。

 本書のもう1つの特徴は、各章末にワークシートを設けたことである。各章の内容に関連して、読者に具体的に考えてもらうことを意図した。これは、その章の内容を反芻すると同時に、自分を振り返り、みつめる、という作業を行うことでもある。また、何人かの執筆担当者のゼミの卒業生にも「先輩からのメッセージ」というコラムを書いてもらったが、直近の卒業生からの等身大の「ひとこと」は、ストレートにこころに響くはずである。

 本書はまた、読みやすく、わかりやすい文章を心がけた。まずは大学1年生に読んでもらいたいという気持ちもあって、高校とは別次元の思考を求めつつ、高校生意識が抜けきれない読者を想定した。したがって専門用語の羅列を避け、専門的な内容もできるだけ平易な言い方で表現するようにこころがけた。論文を書き慣れている執筆者各位には、逆に努力を要したことかもしれないと、編者としては恐縮しているが。

おわりに

 本書は『大学生のためのキャリアデザイン入門』というタイトルだが、もちろん、それぞれのキャリアが構想通りに進むとは限らないし、不測の事態も起こりがちである。むしろ思うようにはならないことの方が多い。なかには、大学でキャリアデザインなど不要、という方もおいでかもしれない。しかし、場当たり的な対応や思い込みで学生が社会に立ち向かうのはあまりにも無謀である。先が見えにくい社会であるからこそ、社会の動向を知り、自分自身を見つめ、この社会でどのように生きるかということをじっくり考えることが必要だと言いたい。ざっくりでもいいから、自分の生き方について戦略を立ててみよう、ということである。

 また、学生の中には、親のライフコースをモデルにして自身のライフコースを想定している者も多いが(とくに女子学生は母親の生き方の影響力が大きい)、今日では、親はモデルであると同時に、モデルにはなりえないことも伝えたい。つまり、感性や感情レベルで同一化することと、親の歩んだライフコースを現実社会が許容することとは別物であることに気づいてほしいと願う。

 冒頭でも言ったように、本書は、そうしたいくつかのメッセージを込めて編集したものだが、学生が自分の「やりたいこと」を見つけそれに近づく一助となれば、編者として、また教員としてもうれしい限りである。

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