自著を語る
『サービス・イノベーション――価値共創と新技術導入』
の刊行に寄せて
関西大学准教授 西岡健一〔Nishioka Kenichi〕
先日、ある新聞社が主催する学生大会に参加したときのことである。これは関西の中小企業と関西主要大学のゼミナールが組むことで、その企業の問題解決策を一緒に考えようという取り組みである。その成果報告会は、学生達の熱心で工夫に富んだ研究発表と主催者側の行き届いた準備により大変充実したものであった。しかし当初感心して見ていた私も、途中から多少の違和感を持つことになる。研究報告は20件あったが、まずマッチング相手の企業はほとんど製造業であった。そしてそのほとんどがマーケティングに関する報告であった。すなわちその企業の持つ製品の新しい売り込み方であったり、新しい製品開発の提案である。
私の経験では、中小製造業の課題がマーケティングであることが多いのは事実である。そしてその事に気がついていない企業にマーケティングが問題であることを気づかせることは重要である。しかし企業の代わりにマーケティングプランを考えることは一体何が目的となるのであろうか。学生とのコラボレーションでよくあるのは「新たな若者向けの」商品開発やプロモーションの提案であるが、本質的に重要なのは、その企業はどうして「若者向けの」企画を実施しなければならないかであり、その経営と社会上の意味を考えることが経営学でありマーケティングという学問の神髄である。しかし現実には研究プロジェクトであっても、企業からデータを入手し、分析、そしてその企業のためにマーケティングプランを考えるものが多い。こうしたマーケティングの機能面に関することは本来、企業自身がビジネスとして自らの手で行うべきものである。これでは学生(あるいは大学の教員)が企業の肩代わりにやった、という側面は否定できないであろう。
マーケティングに対するありがちな誤解
マーケティングに対する誤解には、マーケティングはある特殊な人達の活動であると見られていることがあるかもしれない。これは私にも経験あるが、マーケティングをやっている人達の中には、自らを「マーケター」と呼び他の職種と一線を画す傾向が見られる。一方、多くの企業にとって、マーケティング機能は大事ではあるが、企業の一活動にしかすぎない。このようなことが、マーケティングをある特殊領域に落とし込んでいく傾向を促進しているのではないだろうか。しかしマーケティングは、このようなマーケティングに携わっている人達だけのためにあるのではない。マーケティングは、企業と市場との間の価値創造活動であると定義できる。そのために企業の全ての部門において、市場との関係を考える全ての人にとって、マーケティングの考え方は重要である。先の学生大会でもいくつかのチームは、マーケティングやオペレーションズマネジメント等の経営学の考え方を導入して、企業自らが気づけない問題を導き出しており、感心した。もっとも、そういう発表は地味に見られるようで、あまり良い結果を得ることができなかったが。
マーケティングの考え方の重要性は研究開発活動においても同様である。企業において研究開発を含めた技術職の人達は、ある程度のキャリアを積むと技術開発の第一線を外れ、管理職となる。そこで直面するのが人であり組織のマネジメントである。その結果、ある大学のMBA(経営学修士)では多くの学生がリーダシップ論など組織に関わるゼミを志望するそうである。もちろん、研究プロジェクトを運営するにはそれを動かすための人的資源の管理は大事ではあるが、しかしプロジェクトの市場的価値を考えるのはプロジェクトマネージャーにとってより重要である。
サービスコンセプトと管理の重要性
さてここで「サービス」について考えてみる。一般に「サービス」という言葉から思い浮かべるのは、サービス業であり、製造業では自動車などの「モノ」に対しての付帯的なもの、例えばメインテナンスなどが思い浮かぶであろう。また、現在の日本では「おもてなし」を代表する接客サービスが注目されており、日本国の1つの売りであるという風潮がある。しかしその「おもてなし」の中身が問題である。
私は妻にもよく言われるが、決しておしゃれな人間ではない。が、かく言う私は、シャツやジャケット、靴などは欧州へ出張するたびに買いに行くことにしている。こうした店では、私が服を見ていると声をかけてきて、私の体を一通りジロリと見まわし、お前の欲しいのはこれだろう、と言って、好みに合う、そしてサイズがぴったりなものをどこからともなく持ってくる。そしてそれは一度もサイズを測ることも私に聞くこともなしにである。もっともその店員、愛想が良いわけではないが。一方、日本のある百貨店では、首のサイズを覚えているかとか、腕丈は、と聞かれ、結局持ってくるのは、「ゆったり目が好きな方が多いですから」ということでサイズが1、2回り上のものを持ってくる。ちなみにそのような希望を私は一言も言っていない。おまけにそのブランドは細めのシルエットを売りにしているハズである。ここで「サービスコンセプト」、「顧客の声」、そして「従業員の対応」が課題として挙げられる。
もう少し話を進めてみる。ある老舗温泉旅館に宿泊した時である。そこは担当のベテラン従業員が私たちの宿泊中世話をしてくれる。ところがこの旅館、「甘い物はお好きではないのですね」と言いつつぜんざいを持ってきたり、周辺の観光について聞いても通り一遍の情報提供をしたあと、「それはお客様の自由ですから」という風である。気弱な私はその自分より年上の女性に意見を言うこともできず、這う這うの体で帰ってきた。製造業ではこれは「良い製品を作ればお客はついてくる」、「プロダクトアウト」という経営手法になる。この旅館のサービスコンセプトは、自分たちが「提供したい」サービスを提供するが、それ以外の事柄はサービスの範囲外であるということだろう。もっともその旅館は「おもてなし」をするとは言っていないので、それはそれで構わないが。そして、そのようなサービスコンセプトの宿を選んだ私の問題であることは素直に理解できた。ただし、その旅館が「サービスコンセプト」を理解しているとは思えなかったが。
いやこの問題は旅館の問題というよりも、私を対応してくれた女性との相性であったのかもしれない。ホテルでUSBに入ったファイルの印刷をお願いしても、セキュリティの問題ということであっさりと断られたり、あるいは問題なく印刷をしてくれることもある。顧客にとって必要な事柄を依頼するにも、その対応は従業員によって変わってくるというのである。これは私もいつも直面する問題であるが、日本においても、サービスを提供する従業員によってあまりにもサービスレベルが異なることが多いように思える。そうすると顧客にとって、サービスを受けようと思う際に1番重要なことは誰に声をかけるか、となる。というのも声をかけた人物が悪かったために、全然異なる結果が待っているからである。
サービスを提供している側は分からないだろうが、実はサービスを受ける側(顧客)は、いつも緊張を強いられているのである。それはサービスの特徴からである。顧客はどのようなサービスを受けるのか事前に予測が出来ず、そのサービスは、顧客自身も共同で作り上げることで行われるからである。顧客から見るとこの両点は重要である。よく「食事がおいしかった」、とか「サービスが良かった」というコメントを従業員に直接残す顧客が見受けられるが、事前に受けるサービスへの期待品質が不明確であるから、たとえ不満を感じていても自分の問題かもしれないと思い不満を表明できないし、さらにはサービスの品質を自分が機嫌悪くなることで悪化させたくない、という気持ちから生まれてくるものとも言える。先のUSBによるファイル印刷の件では、ホテル側の不安定な「サービス」により気分を惑わされたくない宿泊者は、近くのコンビニに寄って用を足すことになる。
「おもてなし」とは本来提供すべきサービスの+αだとすると多くは余分なこととも言える。私はあまり意味のない余分なことよりも、当たり前のことをきちんとして欲しいと思うだけである。そして+αだけに注力して肝心のサービスコンセプトはというと、「分からない」となったり、さらには顧客の+αの要望を聞き続けることで、そもそも設定していたサービスコンセプトと異なるサービスを提供してしまうことになる。
どうしてこのようなことになるのであろうか。私は学生時代に小学生を教える機会があったのだが、その国語の教科書に一生懸命誠意を持っていれば、たとえ不格好なモノを作っても最後はお客さんに通じる、というような話があった。道徳的には意味のある話なのかもしれないが、ビジネスの世界では論外である。しかし、「おもてなし」の世界なら、とにかく「一生懸命」サービスをすることで良い結果になると信じている人が経営者も含めて案外多いことに驚く。本来のサービスに自信がないからこそ、「おもてなし」ということで余分な「サービス」に注力するのではないだろうか、と勘ぐったりする。
実はこうしたサービス提供の問題が、今回学生大会でサービス業の少なかった理由ではなかろうかと考えた。多くのサービス業において、その経営は良い「人材」を安価でかつ低コストで獲得することであり、そのオペレーションを設計するなど経営的な問題を把握することができていない現状を示すのではないかと考えるのである。
実は「サービス」に関して、製造業においてもメインテナンスなどの従来の「サービス」ではない、ビジネスのサービス化が注目されているのである。例えば航空機の最も重要で運用コストも高価であるエンジンであるが、エンジンというハードウェアではなく、エンジンの能力や稼働運用を取引することが行われようとしている。実はこのビジネスを可能としたのは、エンジンを制御する技術が電子化したことにより、その運用データが取得可能になったことによる。これにより運用中のエンジンがどのような状況にあるのか検知することが可能になったからである。
著書について
さて、ここまでマーケティングとサービスのオペレーション、そしてビジネスのサービス化について述べてきた。本書の表紙には「雲」のようなものに縦棒が配置されたデザインがある。雲の意味は、「サービス」、「マーケティング」、「オペレーションズマネジメント」の3つの概念を示しており、それがICTをはじめとした「技術」により融合され、イノベーションが起こるということを表現している。詳細は本書を読んで頂くしかないが、新しい技術を援用することで、サービスのオペレーションが顕著に向上するだけでなく、顧客に対して新たな価値を提供できること、すなわち市場における価値創造活動(マーケティング)に注目している。本書の特徴としては、様々な学際的な議論(理論編)とそれを現実的に取り組む企業の事例(事例編)を取り扱うことで、ビジネスの現場におけるリアリティとそれを説明する理論との関係を分かりやすく工夫していることである。事例編で使用したデータは全て筆者自らが取材をし、大規模な質問紙調査を実行した結果から得ている。この分野に関心のある研究者だけでなく実務家に対しても書かれており、本書をきっかけにこの新しい研究分野が進展すること、そして多くの実務的なインプリケーションが生まれることを期待している。