書評
『入門刑事手続法 第6版』
入門から修了へ
千葉大学大学院専門法務研究科教授 安村勉〔Yasumura Tsutomu〕
1 成り立ち
本書は第6版である。本書の初版の発刊は1995年であった。それは、ベルリンの壁が、そしてソビエト連邦共和国が、さらに日本ではいわゆる55年体制が崩れた時期であった。それ以前、現行刑事訴訟法について、「立法がピラミッドのように沈黙するとき、判例はスフィンクスさながらに奮い起つ」(松尾浩也「第4版の刊行にあたって」別冊ジュリスト74号『刑事訴訟法判例百選 第4版』〔1981年〕9頁)と評されことがあった。その時期が終焉を迎え、まさに立法の時代へと突入せんとする時期に本書の初版が発刊されたのである。その意味で、初版は、戦後55年における現行刑事訴訟法の運用を総括するものであった。
刑事訴訟法が立法の時代へと突入する嚆矢となったのは、1999年の通信傍受法の制定であろう。また、2000年の犯罪被害者保護2法の制定に始まる一連の犯罪被害者保護立法の動きもある。とりわけ、1999年に設置された司法制度改革審議会の「意見書」を受け、一連の改革が始まる。被疑者国選弁護制度、公判前整理手続および即決裁判手続が設立され、2009年5月からは裁判員制度が開始された。最近の大きな改正としては、電磁的記録媒体の押収に関する改正がある(平成23年法律74号)。さらに2014年9月18日、法制審議会は、新たな刑事司法制度特別部会が約3年にわたる審議のうえで報告した答申案を原案とおり採択し、法務大臣に答申した。そこでは、取調べの録音録画制度の導入、捜査・公判協力型協議・合意制度や刑事免責制度の導入、通信傍受の合理化・効率化等々、新たな刑事司法の構築が提案されている。
本書は、短くて3年、長くても5年で改訂を行うことで、こうした動きに対応してきた。本書の改訂は、まさに近年の刑事司法制度改革の歴史といえよう。ただ、法制審議会の答申は本書の発行後の出来事であり、その内容を含めた改訂は次回の改訂を待つことになる。
2 体裁
第6版の本文は372頁からなる。初版と比較すると、約100頁が増えたことになる。しかし、執筆方針は初版以来、一貫している。本書の「初版はしがき」にあるように、本書は、「日本の刑事手続の制度および運用を素描(デッサン)したもの」であり、刑事手続の仕組みを、刑事手続の流れに沿って、一般市民に対して、とりわけこれから刑事訴訟法を学ぼうとする学生に対して、できるだけ平易に伝えることを目的とした学習書である。タイトルは、「入門刑事訴訟法」ではなく、「入門刑事手続法」である。著者は、その理由を今回の改定で初めて明らかにし、「刑事訴訟法以外の手続法をも扱いますし、また、『訴訟』の語がやや限定的意味を持」つからであると述べる(4頁)。検察官職務執行法や少年法等、刑事訴訟法以外の法律の解説をも本書が含むからだけではないであろう。訴訟にならずに処理される事件は多い。起訴猶予処分はその最たるものである。
本書は大きく分けて、2つの部分からなる。前半、といってもボリューム的には本書の約9割を占めるCHAPTER 1からCHAPTER 8の部分は、刑事手続をほぼ時系列的に追いながら説明するものである。刑事実務についての統計データもふんだん、である。本文の横には関連条文がこまかに付記され、きちんと1つ1つ条文を参照しながら、個々の刑事手続を学習できるように工夫されている。「少しわずらわしいかもしれません」(改訂版までは「少し煩瑣です」)と断りがある。記載された条文を六法で逐一参照しながら読むと睡魔に襲われる。しかし、単なる読み物として本書を使うのならともかく、きちんと刑事訴訟法を学ぼうとするならば、この条文の付記はたいへんに便利である。条文に基づかない議論は法律学ではない。とりわけ捜査について、総則と各則との関係が複雑な刑事訴訟法を読み解くには、「わずらわしい」としても避けて通ることはできない。眠くならなくなったときが刑事訴訟法がわかってきたときである。
最後の章であるCHAPTER 9は、1つの事件をモデルにした一連の書式で構成されている。書式に基づき刑事手続の流れを追うことができるこうした工夫は、法学部時代、平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣、1958年)で学んだ昭和世代の私には、たいへんなじみのある章である。また、司法研修所における刑事裁判修習で用いられる司法研修所監修『刑事第1審公判手続の概要(平成21年版)――参考記録に基づいて――』(法曹会、2009年)に接したことのある人にも、なじみのある形式であろう。著者は、本章を加えた理由について、書式を追うことで読者に「刑事手続のイメージを具体的に描いてもらおうと考えたから」である、と述べる。しかし、この書式を読み解いて刑事手続の具体的イメージを描くことは生半可ではない。これができるようになったとき、これから刑事訴訟法を学ぼうとする学生は、既に刑事訴訟法を学んだ学生になっていることであろう。
3 内容
本書は、学説上の争いには無駄に踏み込まず、実務上、通常の刑事手続がどのように運用されているかについて、簡潔に解説する。たとえば『刑事訴訟法判例百選』の標題判例にも取り上げられるような論点から、逮捕状が許可状か命令状かといった、今ではあまり論じられなくなった原理的論点までも、簡易に指摘されている。しかし、その議論の内容についての紹介はない。著者の立場の明示もない(暗示はあるが)。読者にとって本書は、論点のありかを示した地図でしかない。しかも、たとえば、逮捕勾留が被疑事実ごとに行われることへの言及はあるものの、一罪一勾留の原則(狭義)や再逮捕再勾留の禁止についての記述はない。また別件逮捕勾留についての記述もない。理論上の争いこそが法律解釈学の醍醐味だと思っている輩には、本書は無味乾燥に感じられるかもしれない。ところが、それでもきちんと読むと、これがなかなかたいへんである。
たとえば、起訴状一本主義の意義につき、第3版までは「現行法は憲法の「公平な裁判所」を実質的に保障するため、裁判官に公判前には証拠に触れないで白紙の状態で審理をはじめさせようとしました」とされていたのが(第3版102頁以下)、裁判員制度が採用された平成16年の刑事訴訟法改正後に出版された第4版では、「現行法は憲法の「公平な裁判所」を実質的に保障するため、公判前には裁判官が一方的な形で証拠に触れることのない状態で審理をはじめさせようとしました」(第4版109頁。第6版では117頁)、「捜査機関からの心証が裁判所へ一方的に引き継がれることのないよう、起訴の際に検察官から裁判所へ1件記録を提出することが禁止されるものです」(第4版127頁。第6版では137頁)、と微妙に記述が変更されている。「一方的」でなければよいというのである。これは、公判前整理手続が新設され、第1回公判期日前の整理手続で裁判官が証拠に触れざるをえなくなったことに対応した説明の変更であろう。著者の1人の酒巻教授は、まさに公判前整理手続の導入をめぐる雑誌論考において、そのように主張されたのである(酒巻匡「刑事裁判の充実・迅速化――争点整理と証拠開示手続の構築」ジュリスト1198号〔2001年〕149頁)。しかし、本書にはそうした変更を加えたことに対する何のことわりもない。
もう1つ例を挙げよう。審判対象たる訴因の変更が許される範囲である「公訴事実の同一性」について、「諸説が多様に展開され、今なお議論が続いていますが、ここでは、判例・通説を中心に概説するにとどめます」と述べたうえで、公訴事実の単一性、狭義の公訴事実の同一性の順番で説明する。そのうえで、「したがって、判例のような立場によると」、新旧の両訴因が事実として併存しえない関係にある場合に狭義の同一性が認められ、併存しうる場合であっても両訴因が罪数論上一罪を構成する場合に公訴事実の(広義の)同一性が認められる、と述べる(本書192頁以下)。広義の同一性の文言は、ここでいきなり登場する。文脈から、公訴事実の単一性が認められるから広義の同一性が認められる、ということだと読み解くことは容易だとしても、単一性、狭義の同一性の順番が、何となく逆転して、狭義の同一性、単一性の順番に見えるのはなぜだろう。説明はない。また、併存しうる場合であっても狭義の同一性が認められる余地はないのだろうか。
私は、本書の初版から、刑事訴訟法の講義で教科書として使わせていただいてきた。講義する者は、本書で指摘されている論点、指摘されていない論点、指摘されていても著者の個性が表れている記述等、これらの点ひとつひとつに対応して解説を加えなければならない。以前にはこういう議論があったのです、通常の手続で問題になることはないのですから「刑事手続の枠組みや進み方を大づかみに」(本書「初版はしがき」)理解するうえでは記載がなくてもいいのです、こういうわけでこのような記述になっているのです、等々。正しい解説になっているのかどうかはともかく、解説の量は半端ではない。本書の情報量の多さに圧倒されるのである。
4 おわりに
第6版への今回の改訂で、改訂された個所は、統計データのアップデートを除いても、200を超える。第5版以降に出た判例の追加はもちろんである。それ以外にも、表現振りを改めた個所、内容をアップデートした個所も少なくない。また、学生が誤解しやすいところを修正したり、小見出しを加筆修正したりと、少しでも読みやすくしようという著者の思いが伝わってくる。そして何よりも、前述の電磁的記録物の押収に関する平成23年改正等、めまぐるしく動く立法の渦の中で、正確に最新の情報を提供してくれる本書の改訂の意味は大きい。