鼎談
神戸大学名誉教授 河本一郎
金融証券リサーチ等法務コンサルタント 大武泰南
同志社大学教授 川口恭弘
1 はじめに
川口 このたび有斐閣から『新・金融商品取引法読本』が出版されることになりました。『金融商品取引法読本』は、もともとは証券取引法時代に『証券取引法読本』として出版され、証券取引法が金融商品取引法に改組された後も改訂が行われています。
これまで「読本」という名で読者から親しまれてきたものですが、この度、書名に「新」を付け、大幅にリニューアルされることになりました。河本一郎先生と大武泰南先生に加えまして、今回から私も共著者として参加させていただくことになりました。
そこで、本日は、本書出版に当たり、私から両先生にお話を伺うこととなりました。折角の機会ですので、本書に対する思いのみならず、長年にわたり、この分野の第一人者であられた両先生に様々なお話を伺えればと思っております。
2 「読本」について
1 「読本」が出版された背景
川口 実は、『証券取引法読本』には、さらにその前身というものがあります。昭和62年に日本経済新聞社から出版されました『証券取引法――転換期の市場・制度・企業』というものです。当時としては、極めてユニークなものでした。まず、この本が出版された事情などについてお聞かせください。
河本 ここにその現物があります。これは大武さんが実質的にお書きになって、私がそれに名を連ねたというものです。
大武 実は、この本にも前身があるのです。当時、証券取引法についての文献が少なく、実務家も苦労していました。そこで、有斐閣の編集者のすすめにより、「やさしく、みんなにわかるように」ということで、昭和45年に『証券取引の実務相談』という本を出したのです。これを河本先生と一緒に企画しました。
昭和40年代の初めは証券不況などで大変でしたが、後半から、経済がだんだんと良くなりました。このようななか、証券市場も注目を浴びることとなり、ことに、新聞社も記事を盛んに書くようになっていました。取引所にも新聞記者が訪れ、いろいろな質問を受けました。そのなかで、日本経済新聞の記者の方から、自分たちの勉強のためにも証券取引法に関する本を出したい、その場合、法律を前面に押し出すのではなく、実際の問題を介して、証券取引法を学ぶような本にしてくれないかという要望がありました。そこで、私が河本先生にお願いをして、共著で本を出させていただくことになったのです。
当時は、証券界がすごく動いているときでね。新聞記者にも事情がよく分からなかったわけですよ。そこで、どうかしてくれないかということが発端だったのですよね。
川口 今のように証券取引法の入門書といったものはなかったですからね。
大武 大蔵省が改正の際に解説している本はありましたが、やさしく書いてあったものは全くなかったですね。
川口 非常に衝撃的な本でした。新聞記事がいっぱい載っており、実務的な話が分かりやすく書かれていて、まさに類書のない面白い本でした。
河本 私も名前を連ねているので、私がいうのもおかしいけど、よくできた本だと思います。
川口 本日の座談会は、有斐閣の『書斎の窓』に掲載されますので、他社の話ばかりをしていては怒られますね(笑)。そこで、そろそろ、有斐閣から、『証券取引法読本』が平成5年に出版された事情について伺えればと思います。
大武 有斐閣は法律学全集を出していました。河本先生も、鈴木竹雄先生と共著で『証券取引法』を書かれていました。当時、これを全面的に新しくしようという計画もあったようです。しかし、実際に検討してみると、大変な作業となり、結論として、法律学全集の全面改訂という作業は実現できませんでした。しかし、『証券取引法』だけは、何とか出したいという話があったようなのです。その際に、さきほどの日経の本をベースに、さらに法律面も強化した本を出そうということなったのです。このような経緯で「読本」が誕生したと記憶しています。
河本 そのとおりで、当時、私は、鈴木先生との共著『証券取引法』の書き直しを進めていました。大武さんに頼んで、取引所の若い人などにも下書きをお願いしたりしていました。しかし、「全集」の改訂が難しいということになり、それでは、別の形で書き直して出版しようということになりました。こうして「読本」が出来上がったのですが、このような経緯から、先の日経の本と比べて叙述の仕方もだいぶ変わることになりました。
大武 日経的なものから有斐閣的なものへなってきたということでしょうかね(笑)。
2 今回の改訂の意図
川口 ご紹介のあった『証券取引法読本』も改訂を重ねまして、平成18年に証券取引法が金融商品取引法になった後も、『金融商品取引法読本』として公刊され、平成23年に第2版が出版されました。それが今回、大幅にリニューアルされることになりましたが、その狙いと特徴についてお聞かせいただけますか。
河本 証券取引法や金融商品取引法ほど改正の多い法律はないと思いますね。ことに金融商品取引法になってからは毎年のように改正が続いています。それを次々と本書に取り込んでいったのですが、こういうやり方を重ねるうちに、体系が崩れてきました。さらに、改訂ごとにページ数が増えて、本の価格が上がり、できるだけ多くの人に読んでもらおうという本書の本来の目的も果たせなくなってきました。そこで、全面的に作り直したらどうかという気持が非常に強くなってきたのです。
それに私や大武さんの年齢を考えると、後々この本の改訂を引き受けてくださる方を選んでおかなければならないということにもなりました。そこで川口さんに全面的に協力をお願いしたわけです。書物の体裁や内容も相当変わりましたが、これについては、むしろ川口さんから、お話しいただいたらいかがでしょうか。
川口 既に「読本」として高い評価を得ていた本書の大幅なリニューアルに参加することは、名誉なことですが、相当なプレッシャーのかかる仕事でした。お2人の先生方と編集会議を重ね、一定の方針を決めて改訂を進めることになりました。
まず、先ほど河本先生からもお話がありましたように、ページ数が多すぎるので、これを何とか減らさなければなりませんでした。この点を最優先しました。そこで、沿革を最後に表にまとめるなど工夫をしました。また、断腸の思いで、削除した項目もあります。
つぎに、金融商品取引法は、技術的な規定も多く、業界関係者などを除いて、多くの人には全く関係がない、あるいは、興味の薄いものもたくさんあるように思われます。そこで対象を一般読者と定めた上で、これらの読者の興味がありそうなものを前面に押し出しました。そのため、記述に濃淡が見られます。
また、読みやすくするために、細かな専門的な内容は囲みに入れ、図をたくさん使いました。「読本」というタイトルを意識して、各章の最初に物語が挿入されています。これは各章の導入の役割を果たすわけですが、少し砕けすぎた部分があるかもしれません(笑)。読者には、息抜きとしてご容赦いただければ幸いです。
このような作業は部分修正では対応できず、結局、原稿を先生方と全面的に書き直すことになりました。その結果、内容や体裁が大きく変わりましたので、『金融商品取引法 第3版』ではなく、『新・金融商品取引法読本』と書名が改められることになりました。
大武 「読本」は、実務の積み重ねでしたから、それを足していくと、かなりの大部なものになってしまいました。このようななか、現代的な形でリニューアルしましょうということになったのですね。
3 証券取引法研究の原点
川口 ところで、最近でこそ、金融商品取引法は広義の会社法の一部として実務家や学界でも重要な法律として認識されるようになってきました。しかし、河本先生が証券取引法の研究を始められた頃は、決してメジャーな研究領域ではなかったと伺っております。
河本 話はまた有斐閣との関係になりますが、私は昭和43年に鈴木竹雄先生のお手伝いをさせていただいて、有斐閣の法律学全集の53巻に収められている「証券取引法」の執筆をしました。そのときは同じ巻に西原寛一先生の「金融法」も入っておりました。これが日本での証券取引法の体系書としては初めてのものです。
その後、昭和59年に同じ法律学全集の53の1巻として、独立した形で『証券取引法 新版』が同じく鈴木・河本共著として出版されました。
川口 法律学全集の『証券取引法 新版』は、言うまでもなく、証券取引法研究の金字塔でして、そこで展開されている議論は、現在でも様々な所で引用あるいは参照されているということは周知のところです。
河本 この本で鈴木先生のお手伝いをさせていただくことになったことについては、いろいろな事情がありましたが、私が大阪証券取引所の証券取引法研究会を通じて、証券取引法の研究を始めていたことが何よりも大きな原因です。
この研究会は昭和36年2月から始まって、一時、大証から離れることもありましたが、現在でも日本取引所グループの名前の下で続けられています。この研究会に参加することがなかったら、私が法律学全集の『証券取引法』に執筆者として名を連ねるというようなことはなかったと思います。その意味で、あの研究会での勉強というのは、私の証券取引法の研究の原点だったと思っております。
川口 大証の研究会は、速記録が、機関誌『インベストメント』に掲載され、当時の大蔵省の方を含めて、何か問題が起こった場合には、常にそこを参照するというようなものでした。歴史のある研究会ですが、河本先生は最初のほうから参加しておられました。
河本 この研究会は、関西の商法学者が始めたのです。もちろん大証の依頼があったのですが、大隅、大森、西原、八木、福光の各先生を中心として、私はまだ助教授でしたが、参加させていただきました。実は、当時、証券取引法を専門とする学者などは1人もいなかったのです。
大武 証券市場論を研究する方はおりましたけどね。
河本 そんなことで、全く伝統的な商法学者で研究を始めたわけですね。当時、関連する文献などというのは日本にはありません。結局、アメリカでどうなっているかということを参考にしながら研究を始めることになりました。証券取引法の研究は、龍田君や神崎君といった米国へ留学した人たちが本格的に始めたのです。これらが日本の証券取引法の研究の原点だったのだと思います。
川口 当時の記録を見ると、非常に緻密な議論をされて、条文も、一字一句、舐めるように検討されていました。
河本 当時は、よく分からないから、結局そういう形でやっただけですよ(笑)。
川口 私も大証の研究会の最後のほうから参加をさせていただきましたが、同じ年代の研究者の間では、論文を1本書くよりも、その日の報告の準備のほうが大変だと、よく言っていました。横山大観の絵が飾ってある荘厳な会議室で、いつも、緊張しており、また、先生方を前にして、決死の覚悟で(笑)、質問を考えていました。
川口 ところで、大武先生は東京証券取引所にお勤めの後、大学教員に転身されています。実務界から経済学者になるということは、さほど珍しくないのですが、法律分野の教授への転身というのは、当時はあまり聞きませんでした。
大武 先ほど、大証の研究会の話が出ましたが、実は東証でも鈴木先生が昭和30年に有斐閣発行の『株式会社法講座 第1巻』で執筆された「証券取引法と株式会社法」に基づき昭和34年から証券取引法懇談会を始めていました。メンバーは鈴木、矢沢、鴻、竹内、大原の5人の先生でした。東証は『証券』という月刊誌を発行していましたが、それは資料が中心で論文や研究会記録を載せることはしませんでした。速記録はとっていたのですが、今から考えると、記録を残せなかったことは、本当に残念です。
この研究会は10年程続きました。この間、私も幹事とメンバーとして大いに勉強させていただきました。そこでは理論と実務の両面からの研究が行われていました。鈴木先生からは、先生が昭和43年から64年まで東証の公益理事をされていたこともあり、事ある毎に、研究会が終わった後も、「ここはどうなのだ」といった電話をかけてこられたり直接お会いしたりしていろいろとお教えいただきました。このほか、昭和50年代には鈴木、矢沢両先生を中心に、証券経済研究所が、アメリカのルイ・ロス教授等外国の著名な先生方を呼んで、比較法的な研究会が開催され、それにも参加させていただきました。
一方、東証ではそれまで試験的に行っていた株券振替決済制度を立法により本格的に実施するため、昭和37年に鈴木先生が会長、矢沢先生が副会長で、前田庸先生も加わって研究会を始めたのです。河本先生もドイツで既に行われていた振替決済を研究され、有斐閣から『有価証券振替決済制度の研究』を出されました。そこで、鈴木先生が「河本君もメンバーに入れなければいけない」と言われまして、私が神戸大学の河本先生の研究室との間を何度も往復をしました。振替決済制度についてはその後昭和59年に「株券等の保管及び振替に関する法律」(保管振替法)として立法されました。その過程で鈴木先生にどれだけ尽力していただいたかについては平成8年に商事法務研究会から出された『鈴木竹雄先生追悼文集』に書かせていただきました。
このようなことから、昭和63年のあるとき、鈴木先生から「もうこれだけ長い間勉強したのだから学者になったらどうか」と言われたのです。その時期は、竹内先生が編集代表をされた『新証券・商品取引判例百選』(有斐閣)の編集のお手伝いと執筆に携わっていたのですが、河本先生から「摂南大学に法学部ができるから来ないか」とのお誘いがあり、鈴木先生、竹内先生からも河本先生のお誘いならこの上ない機会だと言われ、大阪に赴任することになりました。竹内先生から、初講義のときにとセリーヌの赤いネクタイをいただいたことを今も有り難く思っています。
4 当時の証券市場・証券規制について
川口 取引所の様子も昔に比べると随分変わりました。昔は場立ちがあり、活況を呈している映像が放映されていました。いまは、コンピュータで処理され、人間らしさといった面が見られなくなりました。
大武 確かに、売買取引がコンピュータ化される前の昭和50年代までは場立ちがいて、当初は証券会社では市場に行く人が一番偉いとまで言われていたようです。ある証券会社では、法務部門に行ったら左遷だとまで言われていました(笑)。市場がすべてという時代でした。
法律の話をしますと、たとえば、インサイダー情報は早耳情報と言っていました。「お前はいいね。会社とつながりがあるからね。情報が早く入ってきて、儲かるだろう」というようなことが全員に聞こえるような大きな声で言われていました。インサイダー取引は、ある意味で当たり前だったのです。
また、仕手戦というのがありました。これは、売りと買いとに分かれて行う相場操縦なのです。もちろん、相場操縦を禁止する条文はあったのですが、まったく重視されていなかったですね。
企業のほうも、法律を軽視する傾向があったように思います。上場のメリットは、第1に知名度を上げること、第2に銀行から融資を受けることでした。要するに宣伝の1つと考えていたのですね。上場した後、ディスクロージャーが厳しく要求されるというようなことはあまり考えていなかったのではないでしょうか。
これが、昭和40年代から様子が変わってきました。資本が自由化され、外国との関係も重視されるようになりました。アメリカの法律を学ぶということも、このあたりから重視されてきたように思います。もっとも、インサイダー取引が正面から規制されるようになるには、昭和63年まで待たなければなりませんでしたが……。
川口 証券取引法の時代、規制の運用は大蔵省の証券局がやっていました。そこでは、通達行政がなされ、口頭による行政指導がまかり通っていたと言われています。このようななか、証券取引法を研究する学者が活躍する場面はあったのでしょうか。
河本 当時から、証券取引審議会というものはありました。しかし、そこでは、実質的な議論はなかったですね。
川口 現在では、金融審議会の議事録が発言者の名前も含めてインターネットで公開されます。昔はこのような情報公開がなく、様子がよく分かりませんでした。
河本 いまは、法律の改正に際して必ず審議会やその下のWG(ワーキンググループ)が開催されるようですが、当時は、法律改正の議論はあまりしなかったですね。
大武 大蔵省の作成した案が100パーセント近く通ったものです。改正案を審議会にかけると、大体「結構です」と……。
河本 その立法自体も、当初はあまりやりたがりませんでしたね。
川口 確かに、行政指導でやるほうが、ある意味では、役所として使い勝手が良いといえますからね。
河本 インサイダー取引なんかでも、立法する気は全くなかったですよ。当時の審議会の議論は、いわば、大きな政策論だったわけです。
大武 あまり大きな声で言えませんが(笑)、大蔵省のなかにタンポポという喫茶店があって、大手の証券会社の社員が常時そこに待機していました。「MOF担」といわれていました。行政指導を受けるためですね。また行政指導は、一時英語にもなったのです。外国の証券会社は日本で営業するときに「gyousei shidou」を得てからやらないと物事が進まないと言っていました。
ところが、バブルが弾けた後に、その行政指導が非難され、いきなり、今後行政は業界とは係らない、「みなさん、それぞれに社内にコンプライアンス部門を設置し自己責任で処理してください」となったのです。しばらくは証券規制をどうすれば良いか混乱しましたね。
川口 そのような事情もあり、現在では、金融庁から事務ガイドラインや監督指針が公表されていますね。
大武 最近は経済事情の急速な変化や国際化等で、逆に、内閣府令を含め、大量のものが出され、何時の間にか、良かれ悪しかれ行政が積極的な関与をしている状況になっています。
5 金融商品取引法について
川口 最初に河本先生がお話をされたように、金融商品取引法は、毎年のように改正されます。これだけでも、追いかけるのに精いっぱいですが、さらに、その下位法令である、政令や内閣府令も頻繁に変わります。年に数回変わるときも珍しくありません。法令が公布されても、施行が複数回に分かれ、いったい、現在、どの規定が使われているのか、見分けるのが大変な時代になっています。このような状況について、どのように思われますか。
河本 今度の我々の「新・読本」では、従来と方針を変えまして、沿革については、原則として、本文で扱わず、巻末に表にまとめることにしました。表にすると、一目瞭然で、なんと頻繁な改正が行われているなと、如実に感じます。
果たしてここまで毎年改正しなければいけないのか、まとめられないのか。前にまだ私が大証の証券取引法研究会に出ていたときに、報告者であったある役人さんに冗談半分に「こう毎年改正されると、教科書の改訂が複雑になって困る」と言ったら、「役所内でも、オリンピックと同じで4年に1回の改正にしてはという話もあります」などと言っておられました(笑)。
近年は、新たな取引の仕組みや商品が誕生し、これを規制するための立法が必要になっているのかもしれません。そうであれば、頻繁な改正は、やむを得ないのかもしれません。しかし、それにしても、例えば、つい最近に、有価証券報告書などの虚偽記載に関する会社の責任を無過失責任と規定したのに、舌の根が乾かないうちに、新規上場を躊躇する会社が多いということを理由に過失責任に変えるなど、十分に検討がなされたのか、疑問が残る改正もありますね。
大武 最近の法改正は、いろいろな社会の動きに引きずられた法改正が多いのではないですか。もちろんそれが駄目というのではなくアメリカがこうやっているから、ヨーロッパがこうなっているから改正する等外国の動きを後追いするようなものが続いているように思います。
河本 しかし、先日も、インターネットで、「クラウド・ファンディング」を調べてみると、まあ出てくるわ出てくるわ……。こうなると放っておけないということになるし、法律の改正が頻繁であることについて、立案担当者を非難ばかりはできませんね。
大武 法律の条文も、無味乾燥なものが増えていませんか。昔は、立法には手書きの作業が必要で、ああでもない、こうでもないと議論して条文を作っていましたが、今は、パソコンで簡単に文章を作れて、修正できるようになりました。このあたりに、条文の性格も表れているのかもしれませんね。
川口 金融商品取引法は、技術的な内容が多く、無味乾燥となることは、ある程度やむを得ないのかもしれません。しかし、それにしても、条文は本当に読みにくいですね。1つの条文のなかに、何度も括弧が登場します。
大武 龍田先生が、証券取引法の時代に、ご自分で、引用条文を再構成して講義をしたと言われていました。条文のなかで他の条文を引いているので、いったいどうなっているのか分からないのですね。昔でさえそうなのだから、ましては、今は……。条文をすべて理解している人がいるのでしょうかね(笑)。
川口 条文に括弧がある場合、初心者は、その部分を飛ばして読めばよいという人もいました。現行法でも、最初に定義規定はあるのですが、途中の条文で定義をしておいて(たとえば、「以下〇〇という」と規定されている)、それを後の条文で使うこともあります(かなり後での条で、いきなり〇〇という用語が使われている)。このような場合に、さかのぼって、用語の定義が規定されている条文を探すのは大変な作業ですね。ワード文章などにして、パソコン上の検索をかける必要がありそうです(笑)。
河本 そういう意味で、我々の本でも索引を精密に作っています。また、(☞〇頁)を頻繁に入れ、すぐにその場所を参照できることにしています。この点で、手前味噌ですが、非常に読者にとって便利に出来ていると思います。
6 金融商品取引法の研究について
川口 河本先生が証券取引法の研究を始められた頃と比べると、最近は金融商品取引法を研究する学者も、特に若手の中では増えてきたと思います。ただ、頻繁な改正もあり、地に足を着けた研究は少なく、大きな論文もなかなか出ないような状況です。他方で、金融商品取引法の実務における重要性が増したからでしょうか、弁護士などの実務家による論稿が目立ちます。これは会社法についてもいえることですね。
河本 確かに、いわゆる実務法律雑誌を見ると、その執筆者はほとんど弁護士です。昔は弁護士が書くことは少なかったのです。ことに、証券取引法という法律があっても、会社のなかで本当に使われる程度は低かったと思うのです。ましてや、裁判沙汰になるというようなこともあまりなかった。会社法も似たような状況であったと思います。
私が弁護士になった当時(昭和61年)、総会屋が活躍していましたから、会社のほうで、「会社法が分かる弁護士はいませんか」と探し出したのです。それまでは、弁護士連中の間では、「会社法を勉強しても、商売にならない、金にならない」と言われていたのです。ところが、実際に会社法が使われる時代になってきた。そうすると、彼らは勉強しますよね。それによって、能力も向上しました。昔は、語学は学者の独占領域だったのですが、現在では、海外で英語を学び、むしろ学者よりよくできる弁護士が増えてきていますね。優秀な弁護士は最先端の実務をこなし、手がけた案件について、実績を公表したくなるわけです。これらの人たちが、雑誌の一番の書き手になることは容易に分かることです。弁護士としての宣伝になりますからね。さて、このような状況で、学者は何をしますかね(笑)。
川口 秘書もアソシエイトも居ませんから、情報量だと絶対に負けてしまいますね(笑)。
河本 たとえば、こういう本を書く上でどういう体系にするかといったことは学者の仕事ですね。
大武 金融商品取引法や会社法は実務に密着した法律ですので、学者といえども、常に、実務との関係を意識する必要がありますね。
7 投資家保護の重要性について
川口 最後になりましたが、河本先生と大武先生に共通する視点として、「投資者保護」があります。近年の動向に照らして、金融商品取引法における投資者保護はどうあるべきでしょうか。
大武 金融取引が複雑となり、投資商品も多様化してきました。このようななか、金融商品取引法上の諸問題を考えるとき、中核を見据えるべきで、それは、やはり、投資者の保護ではないかと思います。他方で、この投資者の保護のあり方も変わってきました。機関投資家などのプロもいれば、アルゴリズム取引とかいうプログラミングされた取引も行われます。個人投資家も投機目的のデイトレーダー等インターネットで取引する時代となりました。昔のような、現物株の売買を対象とした規制では対処できなくなっています。
投資家にも、面倒なので形式的な証券会社の営業員の説明など要らないという人もいます。対象銘柄である会社の業務内容など気にしない、単に値段の動きを見て売り買いをする投資家も多いわけです。
政府は、「貯蓄から投資へ」といった政策を強く推し進めています。このような政策に危ういものを感じています。貯蓄にはリスクはありませんが、投資にはリスクがあるのです。日本の家計の金融資産の保有状況をみると、約54パーセントが預貯金等の貯蓄で証券等の投資は約15パーセントであるのに対して、アメリカでは約13パーセントが貯蓄で約52パーセントが投資だそうです(『図説 日本の証券市場2014年版』日本証券経済研究所)。欧米人は、お金は増やすものという感覚で、投資を盛んに行います。しかし、日本人は、伝統的に一生懸命働いて、貯蓄するという考えが、まだ十分に抜け切れていないように思います。このような人が、銀行に行くと「こんなに預金があるのだから、投資信託を買いませんか」と勧誘されるわけです。金商法の目的である投資家保護の観点からみて、将来はともかく現在の状況で単純に、本当に、自己責任というので良いのか、心配しています。
河本 私も、かなり深刻に考えることがあります。リーマン・ショックが起こる前にも、「貯蓄から投資へ」という大きな流れがありましたね。しかし、私自身の体験も含めてリーマン・ショックでドーンと金融資産が目減りして、最近やっと元に戻ってきたような状態なのです。投資志向が強いアメリカでも、リーマン・ショックで多くの国民の財産が吹っ飛んだのですね。
このような過去がありながら、「貯蓄から投資へ」というのをまた今やろうとしているわけです。厚生年金財団の株式投資を増やそうとしていることなどが、典型的な例ですよね。リーマン・ショックがもたらした大混乱が再び起きないように様々な仕組みが検討・構築されてはいますが、それが本当に効果を発揮するのであろうか、また同じことが繰り返されないか、気になります。
国際化の流れ、投資商品の複雑化・多様化の流れ、これは止めることはできないし、止めてもいけないと思います。しかし、お金の出し手である投資家をどのように保護すべきか、これは、法律家が考えるべきことでしょう。特に、金融商品取引法は、その目的規定で「投資の保護」を謳っているのですから。金融商品取引法の研究者の責任は重大です。
大武 銀行に投資信託の窓口販売を認めたことが大きいですね。これは、本来、銀行法の問題と言えますが、日本では、銀行と証券の分離規定が金融商品取引法に規定されていますから、この法律のもとで、問題を考えなければなりません。
河本 説明義務についても、昔と同じ議論ではいけないと思いますね。証券会社の店頭で売買をするときなど対面取引のときに、投資家保護の観点から説明義務はすごく効果を発揮するわけです。しかし、インターネット取引では、説明のしようがない。
川口 確かに、インターネット取引については考えなければならないことが多そうです。このほか、一般論として、投資家についてどこまで保護を与えればよいでしょうか? 業者に適合性の原則や説明義務を要求し、後は投資家の自己責任というのでは、やはりまずいのでしょうか。
河本 最近の寿命の長さを考えると、年金だけで老後の生活を維持するのは、はなはだ心細い。そのため預貯金に励むとしても、その利息はないに等しいとなると、残るのは証券投資しかないわけです。証券投資の鉄則は、分散投資ですね。投資信託のなかからこの目的に適したものを選べばよいわけです。それでも、値の上がり下がりはありますから、それについては十分説明し、投資者の側でも十分納得しておくべきです。このような値下がりにも耐えられない人は、証券投資はすべきではなく、奨めるべきではありません。
問題は、リーマン・ショックのような暴落による損害ですが、これは、分散投資では防げません。なにもかもが暴落するからです。それは、われわれが現実に体験したところです。これは、適合性の原則や説明義務の範囲を超えた問題であって、いわゆるシステミックリスクを防止する仕組みをどうするかということです。最近の改正では、この方面でいろいろ手を打っていますが、これがうまく機能することが、「貯蓄から投資へ」の政策の遂行の前提になると思います。リーマン・ショックの影響を受けた私の体験からも、強くそう思いますね。
川口 河本先生は適合性の原則で保護されることは難しそうですね(笑)。
それにしても、開示書類や説明書類が多すぎませんか。
大武 証券会社等の立場からみると、分からないこともないのです。普通の善良な投資者ばかりだったらいいのですが、勧誘規制等法律の隙を狙って突いてくる悪質投資家がいるらしいのです。だから免責のため、なんでも書面に残しておかないといけないという面も否定できません。多民族の混在するアメリカ等では当然のことでしょうが、日本でも同じことが起きているのではないでしょうか。
以前の日本であれば、話し合いで円満に解決できたかもしれません。しかし、外国投資家も増えるなど、そうもいかない難しい世の中になりました。これからは、金融・経済の急激な変化、国際化のさらなる進展、投資商品範囲の拡大、インターネット取引の普及等に対し、その状況を正確に把握して適切な投資家保護をどう図るべきかが、法的に重要な課題であると思います。
河本 かつて、鈴木竹雄先生が、証券取引法は商法の特別法だと言われました。昔は、株式会社といえば、上場会社を念頭に置いて議論してきました。特に、当時の商法の規制は、必ずしも十分なものとは言い難く、そこで足りないものを証券取引法や自主規制で補っていたのですね。その後、経済の動きが急に加速し、証券界を取り巻く情勢も変わってきました。昔は、投資の対象といえば株式しかなかったのです。そのような時代では、株式を中心に物事を考えていればよかったですよ。それが、法律名が、証券取引法から金融商品取引法に変わったのがその象徴ですが、投資対象が格段に広がってきたのですね。そうなると、会社法の守備領域と合致しなくなってきた。金融商品取引法という法律には、株式や社債など、伝統的な有価証券を対象とした部分は残っており、そこでは、会社法の特別法の側面が継続されていますが、会社法では扱わない投資商品については、独自の規制をするようになったのです。規制の対象がこのように2つに分かれてきたように思います。しかし、そこで、やはり大切なのは、投資者保護の視点ではないかと考えています。
8 おわりに
川口 本日は『新・金融商品取引法読本』出版を記念して、河本先生と大武先生にお話を伺いました。証券取引法時代のお話、大変興味深く拝聴しました。また、金融商品取引法を研究する際の課題なども、重く受け止めなければならないと感じました。
最後になりましたが、金融商品取引法は、今後も学界や実務界でますます重要性が高まる法律と言えます。本書がその理解に少しでも役に立てば嬉しいと思っております。本日は、ありがとうございました。