自著を語る
『老いのこころ――加齢と成熟の発達心理学』
を上梓して
大阪大学大学院人間科学研究科教授 佐藤眞一〔Sato Shinichi〕
民法の祖・穂積陳重の家族法における家制度や家督相続等に関する法理学研究の成果として1891年(明治24年)に初版が発行された『隠居論』は、民法典論争を経て改定された新民法に則した解説と隠居に関する新たな考察が加えられて、1915年(大正4年)に全面改訂版が有斐閣より出版された。
私が穂積の『隠居論』に関心を持ち、1915年版を読んだのは、まだ大学院生の頃であった。後に研究員の職を得ることになる(財)東京都老人総合研究所(現・東京都健康長寿医療センター研究所)の書架に『隠居論』を見つけた私は、早速、古い文体のこの大著を読み始めた。
その頃、世間ではテレビの「水戸黄門」が高い視聴率をあげていたが、まだ研究業績もなく、老いと死の不可知さに囚われているだけの若い私は、水戸黄門はなぜ越後のちりめん問屋の隠居である必要があったのかなどと、指導教授の雷が落ちそうなことを無邪気に考えていた。
そのようなときに、高名な家族社会学者であり、また、我が国の老年社会科学の先達であるお茶の水女子大学・湯沢雍彦教授(現・同名誉教授)の論文に出会った。『社会老年学』誌に掲載されていた論文には、穂積の『隠居論』が明治24年版から大正15年版へと発展した過程とその内容が分析・解説されているだけでなく、この書がこれから発展するであろう我が国の老年社会科学の基礎となる重要文献であることが示唆されていた。
『隠居論』は、「隠居」に関する古今東西の歴史的考察から現状とその評価に至るまで、多岐にわたる内容を含んでいる。食老、殺老、棄老を経て、引退した後の隠居の習俗である退隠俗に至るまでの歴史的展開を示した第1編「隠居の起源」に、いきなりのショックを受けたことは今でも忘れられない。神話的内容を含むとはいえ、本書は、法学にとどまらず、家族関係に関する老年社会科学にとって重要な意味を持っている。いわば、「社会の中の老い」を提示した書物であった。
若き日にこのように大きな影響を受けた『隠居論』の版元から、今回、初学者向けの老年心理学の専門書として『老いのこころ――加齢と成熟の発達心理学』を出版できたことを、改めて感慨深く思っている。
私の専攻する心理学・行動学領域における高齢者に関する本格的な論考は、京都帝国大学に心理学講座を開設し、元良勇次郎に次ぐ東京帝国大学第2代心理学教授となった松本亦太郎によるものである。1925年(大正14年)に出版された『智能心理学』では2章にわたって高齢者に関する記述がある。その中で、松本は、人間の精神活動には「生長、成熟、衰頽の三時期がある」のだから、心理学においても高齢者を研究することが必要であることを17、8年前に説いたと述べている。それが事実とすれば、我が国の老年心理学の始まりは1907、8年(明治40、41年)頃であったことになる。
松本のこのような考えを引き継ぎ、実証的な態度と方法によって本格的な心理学研究を開始したのが、後に大阪大学教授となる橘覚勝であった。老年心理学者にとっての我が国における直接の祖は、この橘といえる。松本の弟子の1人であった橘は、松本の前掲書発刊の年に当たる1925年に東京・高井戸に設立された養老院・浴風園において、老年学研究に取り組んでいた医師の尼子富士郎のもとで老年心理学研究を開始した。戦後、ここで蓄積した研究を中心に博士論文をまとめた後、大阪大学心理学教授として学会設立を含む多様な研究活動を展開し、1971年に大著『老年学――その問題と考察』全23章を完成させた。
私の研究室では、2013年(平成25年)に開催された第28回日本老年学会総会と並行して開催された第55回日本老年社会科学会大会において、「橘覚勝アーカイブ」として橘の業績と人となりを紹介し、その偉大な足跡を今後永く大阪大学に残すことを誓った。
老年心理学は、社会の高齢化が世界的な規模で拡がる中、心理学を含む学際的な研究分野である老年学の重要性の認識とともに、急速に発展してきている。例えば、具体的な研究課題として、認知症高齢者の増大が挙げられる。アルツハイマー病を代表的な原因疾患とする認知症は、認知障害を主症状とし、それに伴う多様な心理・精神症状による介護上の対応の困難さが社会的問題となっている。認知機能の障害に関する基礎研究も、そしてそれに伴う臨床的な対応方法も、ともに心理学の重要な研究テーマであり、喫緊の対応が求められている。したがって、心理学ワールドにおける老年研究は新たな知見が急速に加えられつつある分野であり、大学における専門教育の必要性は世界中で高まってきている。
さて、このような状況の中で、初学者向けの専門書として本書を計画してきたのであるが、橘の頃とは老年心理学そのものの前提となる思想基盤が変化してきていることを、本書では強調した。副題を「加齢と成熟の発達心理学」としたのは、そのことを示すためである。
我が国における老年心理学の必要性を説いた松本は、先述のように、人間の精神活動には「生長、成熟、衰頽の三時期がある」と述べている。人生初期の成長期、人生中期に完態(perfect state)を迎える成熟期、そして衰退していく老年期である。こうした考え方は、現在においても常識的なだけでなく、多くの研究分野でも前提となる考え方である。
しかしながら、本書の副題にあるように、心理学においては老年期も「発達」の概念で捉えられるようになってきた。「高齢者がなぜ発達なのか」という疑念は、私が専門の勉強を始めたころから友人知人だけではなく、老年学を専門とする他分野の学友からさえ頻繁に投げかけられたものである。今や「生涯発達心理学」は、少なくとも心理学の専門家には受容された概念となっている。「発達とは、心身の成長と老化の両面を包含するものであり、そしてまた、それらは同時に生起している現象である」と、Baltes らが1960年代後半から開始したLife-Span Developmental Psychology によって再定義されたからである。
乳幼児期や児童期の初期発達を主な研究領域とする研究者の間でも、生涯発達の概念は共有されている。例えば、我が国を代表する児童心理学者の1人である田島信元・白百合女子大学教授は、次のように述べている。「人は、生まれながらに生物学的特性を持つ存在ですが、生存する生活世界の様々な要因に強く影響を受けて、文化を取り込み、かつ、改革していく形で発達していく社会的存在でもあります。とりわけ、社会、文化に一体化していく過程では、“他者との積極的な関わりのなかで生起する共同行為の過程で最大効率の学習が成立する”ことが分かってきました。つまり、人が他者と関わりながら生活する限り、生涯、学習・発達し続けていくということが示唆され始めたのです。その意味では、人は学習能力を駆使すべく、自ら、積極的に他者や社会に関わっていく存在であり、他者や社会からの支援を受けて初めて、発達していく存在といえます。(以下省略)」
すなわち、出生からその死まで発達し続ける存在こそ人であり、また、人は他者や社会からの支援を受けてこそ発達する存在であることが明確に示されている。
生涯発達の概念が明確化するにつれて、老年心理学の中心的テーマは、老いのポジティブな面に移ってきた。中でも近年の話題は、「エイジング・パラドクス(老いの逆説)」と呼ばれる現象である。
エイジング・パラドクスとは、機能が低下しているはずの高齢者が、実際の生活場面では予想外の順応性の良さを示す現象のことである。身体機能が極めて低下しているはずにもかかわらず、十分にひとり暮らしを楽しめる高齢者は多い。こうした高齢者の老いに対する順応性の良さは、医学的検査や心理学実験では見逃されてしまうことが多い。
例えば、常識的には、加齢に伴って記憶能力は低下すると考えられている。確かに、過去の記憶を思い出す回想的記憶の検査成績は、加齢とともに低下する。しかし、現在を起点とする未来の行動についての記憶である展望的記憶は、若年者よりも高齢者の成績の方が良いというデータが数多く存在するのである。展望的記憶が悪いと、いわゆる「し忘れ」が増加する。ほとんどの中高年者は、人の名前が思い出せずに喉まで出かかっているというTOT現象(tip of the tongue)に悩むものであるが、大事な約束を忘れるということはほとんどない。
あるいはまた、毎日の生活の中で、1人で過ごす時間は加齢とともに増加する。ところが、通常、孤独感は高齢者よりも若者の方が高いのである。
エイジング・パラドクスは、高齢者は明らかに発達的存在であることを示している。適応的な存在として高齢者を捉えることが、老年心理学のひとつの柱となる。検査や実験で得られた高齢者の機能は、実生活で発揮されている機能のレベルとは異なる。実際には低下した機能であっても、それをより的確に使用する順応性と、失敗や不利さえもポジティブに捉える心理機制(positivity effect)を有する発達的存在が高齢者なのである。
老年心理学の初学者には、まずもって、老いるとはどういうことかを、それぞれなりに考えて欲しい。本書がその端緒となれば幸いである。