連載
中央大学名誉教授 中村達也〔Nakamura Tatsuya〕
成長率の逓減
あたかも飛行機が着陸態勢に入ったかのように、日本の実質GDP成長率が、徐々に低下しつつある。高度成長の始まった頃から第1次石油危機まで、つまり1956年度から1973年度までの実質GDP成長率の平均は9.1%(【図1】のA)。次いで、戦後初めてマイナス成長を経験した1974年度からバブル末期の1990年度までの平均は4.2%(同、B)。そしてバブル崩壊後、長期低迷の中で現在にいたるまでの1991年度から2013年度までの平均は0.9%(同、C)。着陸態勢に入った飛行機がA→B→Cと滑走路に向けて降下し、定常状態に向かいつつあるかのようである。しかし、民主党政権も自民党政権も、依然として成長戦略の旗を掲げて、再び飛行機を上昇軌道に乗せるべくあれこれの算段を試みてきた。果たして上昇軌道に乗せることはできるのか、そして上昇軌道に乗せることは望ましいことなのか。
戦後復興期を経て、日本経済がようやく戦前の水準を回復したのは、1950年代半ばのこと(【図2】)。1956年度の『経済白書』は、前年の日本経済を分析して「もはや戦後ではない」と記したのは周知のところ。【図3】は、1955年のGDPを基準にして、日本経済が現在にいたるまで、どのように成長してきたかを示している。石油危機やリーマン・ショックなどの影響で、前年度を下回る水準となったことも何度かあったものの、おおむね日本経済は成長のプロセスをたどってきた。1955年の実質GDPの水準を基準(=1)とすれば、2013年時点の実質GDPはおよそ11倍、1人当たり実質GDPではおよそ8倍の成長である。2004年までは人口が増え続けてきたために、1人当たり実質GDPは、実質GDPに比べてゆるやかな成長であった。
定常状態の可能性
日本の人口は、2004年の1億2,779万人をピークに、多少のぶれを挟みながらも、長期的な減少のプロセスに入った。今世紀の半ばには9,000万人を割り、世紀末には約4,700万人にまで減少すると予測されている。そして、【図3】から分かるように、もしも1人あたり実質GDPが2013年の水準で推移すると仮定すれば(c)、それに対応する実質GDPは減少することになる〔C〕。もしも、実質GDPが2013年の水準のまま推移するとすれば〔A〕、1人当たり実質GDPは増大してゆくことになるし(a)、実質GDPが増大するとすれば〔B〕、1人当たり実質GDPはよりいっそう増大することになる(b)。果たしてどのような経路が選択されることになるのか。
図2 戦後復興の初期状態
1946(S21)年 |
戦前水準を超えた年 |
|
GNP |
69.3 |
1951(S26) |
同一人当たり |
63.5 |
1953(S28) |
個人消費支出 |
62.5 |
1951(S26) |
同一人当たり |
57.1 |
1953(S28) |
民間固定資本形成 |
87.5 |
1951(S26) |
輸出等受け取り |
2.5 |
1957(S32) |
輸入等支払い |
13.2 |
1956(S31) |
鉱工業生産 |
27.8 |
1951(S26) |
鉄鋼業 |
22.3 |
1950(S25) |
機械工業 |
50.5 |
1949(S24) |
繊維工業 |
13.0 |
1956(S31) |
農業生産 |
84.7 |
1952(S27) |
1934(S9)〜36(S11)年=100とした指数
資料: 三和良一『概説日本経済史 近現代』東京大学出版会,1993年より。
その際、考慮に入れなければならない要因がいくつかある。第1に、国と地方を合わせて政府の債務残高がGDP比で243%(2013年)にまで膨らんでいて、もちろん先進諸国の中では最悪の水準である。その返済をまかなうための財源をどう確保するのか。第2に、人口全体の中で65歳以上の人の占める高齢化率は、現在25.9%で世界最高のレベル(2014年)。しかも今世紀の半ば頃には40%を超えると予測されている。高齢化に伴って年金や医療や介護などの費用が増大し、その財源を確保することが課題となる。第3に、1人当たり実質GDPはあくまで平均値であって、すでに前回検討したように、1990年代以降、所得格差が拡大している。社会保障を充実させ、国民に健康で文化的な生活を保障するための財源をどう確保するのか。このようなGDP増大に連なる要因がある一方、資源・環境による制約などGDPの抑制と連なる要因があることも、もちろん考慮しなければならない。
ミルの切望
経済の定常状態を論ずる際に、必ずといっていいほど引き合いに出されるのが、J・S・ミルの指摘である(J. S. Mill, Principles of Political Economy, with Some of Their Applications to Social Philosophy, 1848, 7th ed., 1871, 末永茂喜訳『経済学原理(1〜5)』岩波書店、1959〜63年。但し、訳文は一部変えてある)。『経済学原理』の第4編、第6章「定常状態」で彼はこう書いている。「資本および人口の定常状態なるものが、必ずしも人間的進歩の定常状態を意味するものでないということは、ほとんど改めて言う必要はなかろう。定常状態においても、あらゆる種類の精神的文化や道徳的・社会的進歩の余地があることは、従来と変わることはなく、また『生活の技術』を改善する余地も従来と変わることはあるまい。そして技術改善の可能性は、人間の心が立身栄達の術のために奪われることを止めるから、はるかに大きくなるであろう」。
そして、こうも言う。「産業上の技術でさえも、従来同様熱心かつ成功裡に研究され、その場合における唯一の相違といえば、産業上の改良がひとり富の増大という目的のみに奉仕するのをやめて、労働を短縮するという本来の効果を生むようになる」。すなわち、経済が定常状態になっても、人間的進歩(human progress)が停止するのではなく、むしろよりいっそう発展し、さらに、技術改善によって生産性が上昇する可能性が生まれるならば、それは経済成長という形ではなく、むしろ経済規模を一定のままに維持しつつ(定常経済)、労働時間の短縮という形でその成果を活かすべきだ、と。
ところで、そうした主張は、ミルが『経済学原理』を書いた当時、果たして実現の可能性があったのだろうか。彼は、基本的にはR・マルサスの人口法則(『人口論』1798年)とD・リカードウの土地収穫逓減の法則(『経済学および課税の原理』1817年)を受け容れていたから、人口と経済規模はいずれ一定規模で定常化する(したがって、1人当たり実質GDP一定)と考えていたにちがいない。しかし当時の現実はといえば、産業革命を経て機械制大工業が発展し、景気変動を含みつつも資本主義経済のダイナミズムが顕在化していた時期であった。『経済学原理』と同じ1848年に発表されたマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』は、まさに資本主義経済のダイナミズムと潜在力を見据えて、新たな社会体制のもとでそれら潜在的可能性を新たな形で解放すべきことを謳った文書といってもよい。
『経済学原理』は、初版が1848年、最後の第7版が1871年の刊行である。この過程でいくつもの改訂が施されたものの、定常状態をめぐる議論は変更されることはなかった。そしてこの1848年〜71年の間、イギリスの人口は増大しており、経済規模はそれ以上のテンポで増大し、【図4】で示されているように、1820年代以降、1人当たり実質GDPは増大していたのである。そうした現実の推移を、もちろんミルは見ていたはずであろう。
だからこそ、ミルの次の一節を見逃すことができない。「もしも富と人口との無制限な増加のために地球がその楽しさの大部分を失なわなければならないとすれば、しかもその目的が、ただ単に地球をして、より大なる人口――しかし決してより優れた、あるいはより幸福な人口ではない――を養うことができるだけだとすれば、私は後世の人々のために切望する(I since rely hope, for the sake of posterity)、彼らが必要に迫られて定常状態に入るはるか以前に、自らすすんで定常状態に入ることを」。当時の人々に対してというよりは、むしろ後の世代の人達(posterity)に対して、ミルは自らの願望を託していたのである。
ケインズの予想、スキデルスキーの読み解き
J・M・ケインズがミルの定常状態論を意識していたかどうかは、分からない。『経済学原理』が出版された1848年から80年後の1928年、彼はケンブリッジ大学の学生達を前に、「孫の世代の経済的可能性」と題する講演をした(『ネーション・アンド・アシニアム』誌への掲載は、1930年、J.M.Keynes, Essays in Persuasion, 1931, 山岡洋一訳『ケインズ説得論集』日本経済新聞出版社、2010年、所収)。孫の世代、つまり一世紀ほども経てば、経済規模は実質でおよそ8倍にまで成長して、基本的ニーズはほぼ満たされ、労働時間は週15時間ほどになる。そしてその時には、余暇=自由時間をいかに過ごすかが、重要な課題になると指摘したのであった(連載、第1回を参照されたい)。
日本をも含む先進諸国では、実質GDPで見た経済規模は、すでにケインズの予想を上回るほどの水準に達している。一方、労働時間はといえば、彼の予想は大きく外れて、依然として長時間労働が続いているだけでなく、過労死を防ぎえていない現実がある。なぜケインズの予想は外れたのか。ロバート&エドワード・スキデルスキーが興味深い読み解きをしている(Robert & Edward Skidelsky, How Much is Enough ? Money and the Good Life, 2012, 村井章子訳『じゅうぶん豊かで、貧しい社会――理念なき資本主義の末路』筑摩書房、2014年)。ロバートは、あの重厚なケインズ伝の著作のある名うてのケインズ研究者。哲学研究者である子息のエドワードとの共著で、経済成長に代わるいかなる目標がありうるのかを、思想史の中に探っている。
彼らが注目するのが、「孫の世代の経済的可能性」の中の次の一節である。「人間のニーズには限りがないのは事実だ。だがニーズには2つの種類がある。第1は、絶対的なニーズであり、周囲の人たちの状況がどうであれ、必要だと感じるものである。第2は、相対的なニーズであり、それを満たせば周囲の人たちより上になり、優越感を持てるときにのみ、必要だと感じるものである。第2の種類のニーズは、他人より優位に立ちたいという欲求を満たすものであって、確かに限りがないともいえる。全体の水準が高くなるほど、さらに上を求めるようになるからだ。しかし、絶対的ニーズは、限りがないとはいえない。おそらくは誰もが考えているより遙かに早い時期に、絶対的なニーズが満たされ、経済以外の目的にエネルギーを使うことを選ぶようになる時期が来ると思う」。
スキデルスキーによれば、ケインズは、2つの種類のニーズの存在を知りつつも、後者のニーズを、事実上、立論の中心から外してしまったのだと言う。そして、スキデルスキーは、この第2のニーズを「欲望(wants)」と読み替えて、第1の「必要(needs)」と対置させる。「必要」は、それを満たせばほぼ十分という限度を想定することができるのに対して、「欲望」にはそうした限度がない。つまり、「必要」を基準にすれば、「足るを知る」状態を考えることができるのに対して、「欲望」はそれを満たすために、所得の増大、経済の成長をひたすら追い求める方向へと傾いてゆく。
そこでスキデルスキーは、「必要」を基準にした「善き暮らし(good life)」なるものを想定し、その実現を政策の基軸とすべきだと提案する。その「善き暮らし」を構成するのが、次の7つの「基本的価値(basic goods)」である。すなわち、健康、安定、自己の確立、尊厳、自然との調和、友情、余暇である。これら7つは、互いに他と代替することのできない独立した価値であって、1つの指標に集約化することはできない。そして、それぞれにあるレベルを達成すれば、それ以上のものを遮二無二追い求める必要がないという意味で、「足るを知る」暮らしと親和的なのである。したがって、資源・環境問題の制約によってやむなく成長を断念するというのではなく、むしろ積極的に定常経済を受け容れることになるというわけである。
またスキデルスキーは、近年流行りの「幸福の経済学」にも厳しい評価を下している。経済学者が成長請負人から幸福請負人となって、本来は1つの指標に集約化することなどできるはずのない幸福の最大化を求めることの危うさを衝くのである。もちろん、スキデルスキーの言う「善き暮らし」とそれを構成する7つの「基本的価値」なるものは、必ずしも絶対的なものなのではない。批判と改善の余地を残しつつ、あえて叩き台として自身の価値判断を示したのである。
ミルの『経済学原理』の時代から見れば、21世紀のわれわれは、子、孫、曽孫、玄孫と続いて、おそらく来孫あたりに位置するであろうか。もしそうだとすれば、ケインズの「孫の世代の経済的可能性」ならぬ、「来孫の世代の経済的可能性」を、実はミルがすでに語っていたのだと思いいたるのである。