書評
『政党内閣制の展開と崩壊 一九二七〜三六年』
政党政治論の今昔
東京大学大学院総合文化研究科教授 酒井哲哉〔Sakai Tetsuya〕
1 鏡としての戦前政党政治
歴史家は後知恵で歴史を裁断することを嫌うものである。近年は歴史を「物語り」として恣意的な構築物のように論じる向きもあるが、現在と過去を短絡的に直結させる議論を通常歴史家は警戒する。だが同時に優れた歴史研究には、入り組んだ形で現代の自意識が投影されている。そもそも現在では誰もが口にする「大正デモクラシー」という言葉も、同時代のものではなく戦後の造語である。戦前期の政党政治はしばしば現在の政党政治論の鏡のような位置を占めてきた、といえるだろう。
大正デモクラシーという用語は60年安保以降、戦後民主主義の源流を探るという関心から定着した。当初それは運動概念であり体制概念ではなかった。政党内閣制を中心とした体制概念となるのはさらに後のことである。それは好むと好まざるとに関わらず自民党政治が長期化する中で生じたリアリティだったといえよう。かくして高度成長下の利益政治のイメージを原敬の政治指導に重ねる形で政友会の伸長を論ずる研究が登場した。時を経て政権交代が視野に入り始めた冷戦後には、戦前期の二大政党制に焦点を当てた研究が主流になってきた。
2 本書の内容
本書はこうした流れを受け、首班選定方式の変容を軸に政党内閣制の展開と崩壊を論じた意欲作である。明治憲法は議院内閣制を採っておらず、政党内閣制の展開は首班選定方式の態様に規定される側面があった。この点を序章で確認したうえで、最初の2つの章は、「憲政の常道」に適合的な首班選定方式が疑問なく運用された時期を扱う。
第1章は田中義一内閣の普選下の伯仲議会での施策を宮中勢力との軋轢とともに描き出す。昭和天皇と宮中官僚の田中への不信感と政治への介入を論じながら、著者はこの政治過程の背景に、「君臨すれども統治せず」という格言を文字通り実行する全権委任型の立憲君主像を持つ元老西園寺公望と、議会政治を基礎としつつもそれが行き詰まると調停者として君主が積極的な役割を果たす実際のイギリスに近い立憲君主制像を抱いていた昭和天皇・宮中官僚との対立を見出している。第2章は、浜口雄幸内閣が海軍軍縮問題や恐慌対策など困難を抱えつつも、政党内閣制に立脚した政党中心主義への移行を進めていく過程が分析されている。この過程で西園寺は憲政常道論に従い、個々の政治判断を下すことのできない内大臣による単独奏薦を元老以後の首班選定方式として採択した。
第3章は危機に直面して、従来の首班選定の慣行の機械的運用が困難になり、これまでとは異なる形で首班選定がなされた第2次若槻礼次郎内閣・犬養毅内閣期を対象としている。この時期に表面化したのは、元老西園寺と内大臣牧野伸顕の首班選定の判断をめぐる相違であった。両者はともに政党内閣制を支持していたが、単独内閣を是とする西園寺と英国の挙国一致内閣のような連立内閣を是とする牧野には温度差があった。犬養内閣成立では西園寺の単独内閣論が採られたが、5.15事件後の斎藤実内閣ではこの選択は維持されなかった。元老が重臣と意見交換してから奉答する首班選定方式も、斎藤という非政党人の選択も、いずれも牧野内大臣ら宮中官僚が準備したものだった。
最後の2つの章は、非政党内閣下で政党内閣への復帰が模索されながらも、首班選定が大きく動揺した斎藤・岡田啓介内閣期を扱う。第4章は、斎藤内閣成立後に西園寺が牧野に検討を依頼した新たな首班選定方式を分析する。1933年1月の成案は、首相経験者と枢密院議長を内大臣とともに首班選定協議に預かる重臣として明文で規定する一方で、「当分ノ内」という期限の限定と「元老其ノ必要ヲ認メタルトキハ」という条件の限定を付し、政党内閣期の単純な首班選定への可逆性を残したものだった。しかしその後斎藤内閣は長期化し、「常道」復帰のための臨時措置という暫定性を後退させ、その後継には予想外の第2暫定政権として岡田が選定される。第5章では、この岡田内閣下で野党化した政友会が天皇機関説事件で岡田内閣攻撃に転化していく経緯とその理由を、首班選定の不確実性の昂進に伴う政治主体の行動の準則の喪失という観点から説明している。結論では、2.26事件以降の展開を瞥見したうえで、本書全体の議論を総括している。
3 本書の特徴
以上駆け足で本書の内容を紹介してきたが、本書の特徴としては次のような点が挙げられる。まず本書全体を通して、戦前期民主政治の定着と深化に対する著者の高い評価が窺える点である。戦後の日本近代史研究は、ファシズムを阻止できなかった政党政治に対する幻滅感に、「ブルジョワ民主主義」に否定的な評価を下すマルクス主義の影響が重なることで、総じて戦前政党政治に対して低い評価を与えてきた。しかし著者は、崩壊の時点から遡及的に政党内閣制を評価する視角を退け、政党中心主義の達成度の高さを寧ろ強調する。政党内閣制は弱体だったからではなく強固であったが故に挑戦をうけた、というのが本書の基本的視角である。分立的な明治憲法体制下で政党中心主義が深化したが故に、危機感を持った政党外の政治主体の挑戦を誘発したという理解といえよう。
次の特徴は、首班選定方式の態様が政党内閣制の展開と崩壊に与えた影響を中心的な分析枠組として明示した点である。議院内閣制を採らない明治憲法体制の下では、首班選定に預かる元老・宮中官僚の意向が政党内閣制の動向を左右しかねない。このため元老西園寺は「憲政の常道」論に従い自動的に後継首班が選定される方式を模索したものの、満州事変以降の危機のなかで首班選定方式は流動化していった。近年利用可能になった宮中関係史料に基づく先行研究でもこのような宮中官僚の動向は中心的対象となってはいたが、本書の特色は、首班選定方式という制度・ルールが各政治主体の選好を決定するメカニズムを自覚的に追求した点にある。すなわち本書における首班選定方式への着目は、単なる元老・宮中官僚論ではなく、政治主体の行動を首班選定方式というルールから説明する理論枠組を内包しているといえよう。政党内閣制の崩壊も、従来の研究にありがちな汚職や理念の欠如といった「党弊」が政党の政権担当能力の喪失をもたらしたとするのではなく、政権からの排除と首班選定の不確実性の昂進が政党の機会主義的な行動を生んだというように、因果関係の説明が逆転していることに注意すべきだろう。
そして最後に本書では、「外から見た政党政治」に注意が払われている。ラモントやグル―など欧米から見た日本の政党政治像や、青年・女性などから見た政党内閣制への評価が盛り込まれていることは、本書の叙述に奥行きを与えている。通常の政党政治史ではあまり言及されない市川房枝の同時代の政党政治論が随所に引かれていることも、著者の関心の所在を示すものだろう。
4 様々な読者像
本書の拓いた知見は様々な関心を持つ読者をひきつけていくだろう。例えば、宮中官僚の役割に関心を持つ読者は、著者の描く西園寺と牧野の対比に強い関心を持つだろう。本書はこの分岐をイギリス立憲君主制解釈の二類型として定式化するが、均しく欧米政治の豊富な見聞経験を持つ両者の分岐が何によって生じるかは必ずしも踏み込んで論じてはいない。政党総裁の経験の有無などいくつかの事柄はすぐに思いつくが、牧野の政治観の形成についてはまだ論じつくされていない点があるかもしれない。
また首班選定方式というルールから政治主体の行動を説明する本書の分析枠組に関心を持つ読者は、この枠組を純化し発展させていく方向を採るかもしれない。もともとマルクス主義史学への批判から発展していった日本政治史研究は、マルクス主義のようにマクロな社会経済的構造から民主化を説明するのではなく、分立的な明治憲法体制という制度的条件に規定された各政治主体の選択とその競合の帰結として民主化を説明するという点で、ミクロな政治理論に馴染みやすい一面がある。本書の叙述は伝統的な政治史学のスタイルを踏襲しているが、人文主義的な方法に必ずしも関心のない読者も現れてくるだろう。
本書は日本占領設計者による戦前政党政治の評価から開始される。戦前政党政治の良質な遺産が戦後へと継承されたという構図のなかに、戦後日本の保守リベラルの系譜の再確認を読み込む読者もいるに違いない。人類史の普遍的成果としての立憲主義という西園寺の政治観に対する著者の共感も、このような文脈で解釈されていくのではないだろうか。少なくとも近年までは確かに存在していた筈の国際協調と立憲主義を旨とする保守リベラルの系譜の再確認が、人文主義的な手法によってではなく、ルールが主体の選好に及ぼす影響関係といういささか乾いた手法で検証されていくことは現在の政党政治論の雰囲気を象徴しているのかもしれない。いずれにせよ本書は、様々な意味で政党政治の今日に関心を持つ読者にとって啓発的な書物となろう。