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書斎の窓

連載

ドルチェ国際法

第3回 空の「通りゃんせ」

東京大学大学院法学政治学研究科教授 中谷和弘〔Nakatani Kazuhiro〕

 日本から欧州に飛ぶ時、シベリア上空を通過するノンストップ便を利用するのが通例であろう。ところがこのシベリア上空通過をめぐっては、不可思議な慣行が長年続いてきた。日本や欧州のエアラインがソ連・ロシア側に多額の上空通過料を支払うという慣行である。

 領土と領海の上空である領空には領域国の排他的な主権が確立されているため、民間航空機といえども勝手に他国の上空を飛行することはできず、領域国による了承が必要となる。第1の「空の自由」といわれる上空通過の自由に関しては、シカゴ条約(国際民間航空条約)の付属合意である国際航空業務通過協定の締約国間では互いに認めることになるが、ソ連及びロシア(国際法上は、「ソ連と継続性を有する同一の国家」として扱われた)は同条約の締約国ではない。1966年の日ソ航空協定締結以降、日本のエアラインには、1970年からはモスクワ経由で欧州への、1988年からはシベリア上空経由でノンストップで欧州への運航が認められたが、アエロフロートとの商務協定に基づき、上空通過料の支払が求められてきた(ノンストップ便の就航に際しては、モスクワへの義務着陸を解除するためという不可解な理由で追加料金まで課された)。欧州のエアラインも東アジア便に関して同様のシベリア上空通過料を支払ってきた。シカゴ条約15条(ソ連・ロシアも締約国)では、「いずれの締約国も、他の締約国の航空機……が自国の領域の上空の通過……をする権利のみに関しては、手数料、使用料その他の課徴金を課してはならない」と規定するため、上空通過料はこれに相反することになる。「上空通過料は、エアライン間の商務協定に基づくものゆえ、政府は無関係」と主張することは、アエロフロートが国営航空会社であることに鑑みると、およそ説得的ではないだろう。いずれにせよ、通過料を支払わないとシベリア上空を飛ばせてもらえないため、日本や欧州のエアラインは泣く泣く支払ってきた。欧州のエアラインへのロシア側への支払額は年間3億2,000万ユーロに達するとされた。欧州連合は、シベリア上空通過料の基本的撤廃とロシアのWTOへの加盟承認をバーターとして、ロシアと交渉し、2006年11月に基本合意に達し、さらに2011年12月の合意では、「2014年1月からは既存の上空通過料は廃止し、今後の上空通過にかかる料金は、コスト・ベースで、透明性が確保され、外国エアラインを差別しないものでなければならない」とされた(シカゴ条約15条によると、空港及び航空保安施設の使用料は課すことができる)。なお、日本は、2007年6月に、シベリア上空通過料につき日本のエアラインが欧州のエアラインと比較して不利な扱いを受けないことでロシアと合意した。

 シベリア上空通過料はロシアによる空の「通りゃんせ」であったが、ロシアによる「通りゃんせ」の懸念は他にもある。①地球温暖化と砕氷船技術の進歩により、夏季には北極海航路の利用が可能となり、北米と欧州、欧州と東アジアを結ぶ将来の最短航路として注目が集まっているが、ロシア沖の北極海を航行する船舶に有料でロシアの水先案内をつけることを強制する動きがみられる。このような北極海での「通りゃんせ」は国際法上認められるのであろうか。国連海洋法条約234条では、氷に覆われた水域について、沿岸国は船舶からの海洋汚染の防止・軽減・規制のための無差別の法令の制定・執行の権限を有するが、他方、同条約26条では、沿岸国は、領海を通航する外国船舶に対しては、領海通航のみを理由としては課徴金も課せないが、特定の役務の対価としてのみ課徴金を差別なく課すことはできると規定しており、強制水先案内料が「特定の役務の対価」の範囲内のものといえるか、将来とも不当な料金を課すことは一切ないといえるか、問題となろう。②2006年の正月と2009年の正月にロシアは天然ガスのウクライナ(及び同国を経由して欧州各国)向けのパイプライン輸送を停止した。表向けの理由はウクライナの代金未払であったが、当時のウクライナの政権が親欧州であってロシアと対立していたことが停止の政治的背景にあった。両年の事件では、ロシアによるガス・パイプライン輸送の停止につきエネルギー憲章条約が十分対応できないことが露呈された。現在進行中のクリミア・ウクライナ危機では、パイプラインでの「通りゃんせ」も懸念される。③国際宇宙ステーション(ISS)への宇宙飛行士の輸送のために現在、利用可能な主要輸送機はロシアのソユーズのみである。宇宙での「通りゃんせ」は、地球からISSへの搭乗の拒否はあっても、ISSから地球への帰還の拒否はさすがにないであろう(万一これを行ったら、まさに「帰りは怖い」だが、宇宙条約及び宇宙救助返還協定の趣旨に反することになろう)。

 空の「通りゃんせ」は、国際法上確立されている公海上空飛行の自由(国連海洋法条約87条1項b)を侵害するものであってはならない。昨年11月23日に中国が東シナ海上空に設定した防空識別圏(東シナ海防空識別区)は、領空に接近する航空機のみならず当該空域を飛行する航空機全般を対象とし、中国側が設定した飛行計画提出義務等の規則を「強制」し、識別に協力しない航空機に対しては「防御的緊急措置」をとる、としている点で、国際法違反だと言わざるを得ない。日本のエアラインはこの不合理な「通りゃんせ」に応じない態度を示した。

 空の「通りゃんせ」は常にけしからんという訳ではない。南アフリカにおいてアパルトヘイトが行われていた時期に、多くのアフリカ諸国は対抗措置として南アフリカ航空(SAA)の自国領空の通過を禁止した。そのため欧州から南アに飛行するSAAは、アフリカ大陸を迂回して、西アフリカの沖にあるカーボヴェルデ(1975年までポルトガル領)のサル島に途中降機した。

 本年7月17日、ウクライナ東部の上空でマレーシア航空機17便が撃墜されるという痛ましい事件があった。1983年の大韓航空機撃墜事件後に国際民間航空条約に3条の2が追加され民間機の撃墜は明確に国際法違反となっている(条約に追加されることによりこのルールは慣習国際法として結晶化した)。ウクライナ東部の当該空域はフライトレベル320(高度約9,750メートル)までは飛行禁止であったが、同機が飛行していたフライトレベル330(高度約10,050メートル)は飛行が禁止されていなかった。事件後にウクライナ政府は同空域(Dnipropetrovsk 飛行情報区[FIR])を高度にかかわりなく飛行禁止とし、これに従って欧州の航空管制当局であるユーロコントロールも同空域のフライトプランを認めないとした。同事件はこのような紛争地域における飛行禁止区域の設定のあり方に加えて、航空事故調査のあり方(シカゴ条約26条は事故発生国が責任をもって調査を行う旨を規定し、第13付属書もその前提で調査の詳細を定めているが、今回のような調査が妨げられる事態については勘案されていない)についても再検討を迫るものである。さらに、対ロシア経済制裁への(再)対抗措置として、ロシアは西側諸国のエアラインによるシベリア上空飛行を禁止することも検討したと伝えられる。もしこのような「通りゃんせ」がとられれば、ロシアが各国と締結している二国間航空協定に抵触することとなる。懐かしのアンカレジ便が復活するかもしれない。

 最後に空の「通りゃんせ」に関連して軽い話題を2つ。第1に、1965年の米伊航空協定仲裁におけるイタリアの「通りゃんせ」について。同仲裁で争われたのは、協定附表にある「乗客、貨物及び郵便」(passenger, cargo and mail)という文言が、米国の主張するように、貨客混載便のみならず貨物専用便によるパンナム機の就航をも認めるのか、イタリアの主張するように貨客混載便の就航のみを認め貨物専用便の就航は認めないのかという点であった。判決では、ここでのandはorの意味に解するのが合理的であり当事国の意図にも合致するとして、貨物専用便の就航が認められる旨、判示した。もしandゆえに3つすべてが搭載されていないとダメということになると、それでは貨物便に乗客1名、郵便物1通のみを「混載」すればOKということになろうが、それはいかにも不合理であり、両当事国がそのような現実を無視した合意をしたとは到底思われない。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』では、ポーシャはシャイロックに対して、「血」は「肉」に含まれていないと主張してアントニオの命を救ったが、本件でのイタリアの主張はパンナムの貨物便の就航を「通りゃんせ」するための無理な主張だったと言わざるを得ない。

 第2に、「テディベア外交」について。2012年7月4日、パラシュートのついた700以上のテディベアがベラルーシの首都ミンスク近くの町に落下してきた。リトアニアから飛び立った軽飛行機が無許可でベラルーシ領空に入り込み、そこから投下されたものであった。テディベアには「ベラルーシに言論の自由を」といったスローガンがつけられていた。このテディベア投下はスウェーデンの人権活動家がPR会社と組んで行ったデモンストレーションであった。ベラルーシは当初、テディベア投下事件の存在を否定していたが7月26日にこれを認め、8月3日には、同国駐在スウェーデン大使(本国に一時帰国中)に対して、「大使の活動は両国関係を悪化させる」との理由でベラルーシ帰還を認めないという事実上の追放措置をとった。スウェーデンは新任のベラルーシ大使の着任を拒否し、またベラルーシの外交官2名を国外追放した。ベラルーシはスウェーデン大使館の全外交官に8月30日までに出国するよう命じた。国際法上、このような一連の外交上の措置は、非友好的ではあるが合法な行為であって、国家が裁量的に発動できる「報復」(retorsion)である。ベラルーシはテディベアを「通りゃんせ」しようとしたが、かえって世界中に自国の問題状況とテディベアが「自由の戦士」(!)であることを逆PRしてしまった。

 「天神様」かどうかは知らないが、西新橋にある航空会館の屋上には小さな航空神社がある。毎年、同会館で開催される日本空法学会に出席の際にお参りしている。

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