連載
名古屋大学大学院環境学研究科教授 大平英樹〔Ohira Hideki〕
自宅のある岐阜市から大学まで片道約50km、高速道路を走って通っている。2009年モデル、メタリック・グレーのBMW320iクーペは、精密な感覚で回るエンジンとリニアな操縦応答性を持つ、実によくできた車である。4気筒なのでたいしたパワーはないが、国内の公道で飛ばすことはもうないので、これで十分だ。インチアップしたアロイ・ホイールに履き替え、足回りを固め、下品にならない程度に車高を下げているのも、走行性能というよりはエレガントでアグレッシブなルックスを求めてのことである。
BMWという社名はBayerische Motoren Werke、つまりドイツ、バイエルン州の発動機製作所という意味である。1917年に航空機エンジンのメーカーとして設立された。あのエンブレムの青と白は、バイエルン王家の紋章に由来している。1926年に航空機製造部門として分離されたBFW(Bayerische Flugzeug Werke)は、後にメッサーシュミット(Messerschmitt)社と改称され、第2次世界大戦時にはBf−109やMe−262などの戦闘機を開発した。最近の若い人たちは車に関心が薄いと聞くが、我々の世代にとっては、所有し自らステアリングを握る車とは、自己の個性を託すツールのひとつであり、人格の一部でさえある。だからその車は、性能やスタイリングはもちろん、製造するメーカーの来歴まで含めて、自分の趣味や価値観を表現するものであって欲しい。そのためもあり、BMWを4台も続けて購入している。もちろん、買い替えの度に他の候補も綿密に検討し、試乗し、数か月にわたり悩む。それは、次もBMWを買えば満足できることはわかっているが、未知の、全く異なる個性を持つ車のある生活を試してみたいとも思うからだ。
意思決定の研究では、このような過程を最適化(exploitation)と探索(exploration)と呼んでいる。最適化とは、これまで最も大きな報酬をもたらした選択肢にこだわり、それを選び続けることである。一方、探索とは、まだ価値がわからない新たな選択肢を求めて試行錯誤を行うことを意味する。筆者のように、同じメーカーやブランドの商品を買い続ける人は、最適化の傾向が大きいことになる。こうした人は、さまざまな商品購買において、いわゆるリピーターやお得意さまになりやすいことが、経験的に知られている。逆に探索の傾向が強い人は、新しもの好きで、商品購買においては浮気性であることになる。
ヒトを含め、全ての生物にとって最適化と探索のバランスを取ることは、生存の上で極めて重要である。もし、生物が生きている環境が安定しているならば最適化が最も適応的である。しかし、不安定で不確実な環境では、これまで餌が採れた場所で今後も餌にありつけるとは限らない。そうした環境では、リスクを覚悟してある程度の探索を行い、選択肢のレパートリーを増やしておくことが重要である。先日訪問したハワイ大学心理学部のPatricia Couvillon准教授は、ミツバチの研究で有名である。彼女が言うには、ミツバチも、これまで蜜が吸えた花に留まり続けるか、より多くの蜜をもたらすかもしれない未知の花畑を探すかという、最適化─探索の問題を解いているそうだ(Stephens, 2008)。
ここで問題なのは、最適な選択肢は常に最も安全で魅力的なはずなので、ある特定の時点において、ヒトを含む生物はどのようにしてその軛から逃れ、リスクを冒して探索に向かうことができるのか、ということである。筆者は、前回紹介したソマティック・マーカー仮説に想を得て、身体的反応、特に交感神経系の活動による興奮が人を探索に向かわせる力として作用するのではないかと推測した。日常生活における実感からも、リスクを冒して新しいものを試すには、ある種の「ときめき」が必要ではないかと思われる。
そこで、この仮説を検証するために、確率学習という課題を用いた研究を行った(Ohira et al., 2013)。この課題は一種の単純なギャンブルである。参加者はふたつの選択肢のうちひとつを選ぶ。その結果、金銭的な利得や損失が与えられる。選択肢の一方は有利で、70%の確率で100円の利得が、30%の確率で100円の損失がもたらされる。他方は不利で、30%の確率で100円の利得が、70%の確率で100円の損失が与えられる。この課題を実行する際の最適化─探索の度合いを表現するために、情報学の概念でありランダムさの指標であるエントロピーを計算した。エントロピー(H)は、ある状態(S)において事象(a)が生じる条件付き確率(P(a|S))とその対数値との積の和により下記の式のように計算される。この研究では、直前の試行において金銭的報酬を得たか(S1)、金銭的損失を被ったか(S2)、を状態として、その次の試行で直前の試行と同じ選択肢を維持して選んだか(a1)、選択肢を変更したか(a2)、を事象として定義した。なお下記の式におけるNは状態Sの数であり、Nで割ることによりHを0〜1の範囲で標準化している。
直感的には、もし参加者が全ての試行で有利な選択肢を選択すればエントロピーは最小となる。これは最適化である。一方エントロピーが大きくなる場合には直近の結果だけに頼らない方略を採っていることを反映しており、努力やコストを支払って、探索を行っていると考えることができる。このエントロピーの概念について詳しく知りたい方には、戸田山(2014)による解説を薦める。情報の哲学的含意も含めてわかりやすく説明されており、興味深い。
筆者らは、この課題を遂行している際の脳活動を、陽電子断層撮影法(positron emission tomography: PET)を用いて測定した。それと同時に、血液中のアドレナリンを測定して交感神経系活動を評価した。その結果、アドレナリンの増加が大きいほど、エントロピーは大きくなることが示された。これは、交感神経系活動亢進により高い興奮状態が生じた場合に、探索の傾向が強まることを意味している。次に、この現象の神経メカニズムを検討するために、アドレナリンの上昇と相関して活動する脳部位を探した。その結果、本稿の主題である島、特にその右側前部に有意な相関がみられた(図1)。この結果は、アドレナリン増加が反映する交感神経系活動が、脳に伝達され表象された姿を表していると考えることができる。アドレナリンなどの身体において働くホルモンの信号は、求心性迷走神経により脳に伝達され、本稿で繰り返し述べているように、島の前部において表象される。さらに統計学的な分析により、この島の活動が、アドレナリンとエントロピーの相関を媒介していることが示された(図1)。この結果は、アドレナリン増加によって表される課題遂行中の身体の興奮が、島の前部に伝達されることにより島の活動を高め、それがおそらく意思決定の中枢である前頭前皮質の活動に影響することによって、探索の傾向を強めるように働いたことを示唆している。
現在放映中であるNHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』では、恋の「ときめき」の意味でパルピテーション(palpitation)という言葉が使われて、これが劇のひとつの主題となっている。このパルピテーションは、もともとは医学的な用語であり、心臓の動悸の亢進を意味している。私たちが、慣れ親しんだ安全な日常習慣から離れ、新たな可能性を試そうとするためには、「ときめき」が必要なのだろう。そしてその「ときめき」が生物を意思決定の探索に向かわせるメカニズムは、パルピテーションという言葉が表現しているように、身体の興奮と、脳の島におけるその表象であるに違いない。
【引用文献】
Ohira, H., Matsunaga, M., Murakami, H., Osumi, T., Fukuyama, S., Shinoda, J., & Yamada, J. 2013. Neural mechanisms mediating association of sympathetic activity and exploration in decision-making. Neuroscience, 246, 362-374.
Stephens, D. W. 2008. Decision ecology: Foraging and the ecology of animal decision making. Cognitive, Affective, and Behavioral Neuroscience, 8, 475-484.
戸田山和久 2014.『哲学入門』 ちくま新書