連載
中央大学名誉教授 中村達也〔Nakamura Tatsuya〕
「適度な正確さ」
経済思想史家の内田義彦には、「正確さということ」と題する興味深いエッセイがある(『生きること 学ぶこと(新装版)』藤原書店、2013年、所収)。中谷宇吉郎の著『冬の華(続)』の中に出てくる地球の形状を巡る話を引き合いに、内田は「学問的な正確さ」と「適度な正確さ」を比較して、現実認識において後者がいかに重要であるかを説いている。地球が球形であることは、今では、小学生でさえ知っている。そして中学生ともなれば、さらに知識が増えて、地球が完全な球形ではなく、エベレストのような8000メートル級の山々もあれば、日本海溝のような10,000メートルを超えるくぼみもいくつかあることを知る。さらに、赤道の直径よりも南北の直径の方が44キロメートルほど短いといった知識をも得るようになる。つまり地球は、小学生レベルでは単純な球形であるのだが、中学生レベルともなれば、いくつもの凹凸があり少しばかりゆがんだ夏みかん状の形をしたものということになる。
しかし、もしもコンパスで直径6センチメートルほどの円を描き、線の太さがかりに0.2ミリメートルであるとすれば、エベレスト級の山々や日本海溝級のくぼみも、東西南北のゆがみも、実はすべてこの0.2ミリメートルの線の幅の中に収まってしまうというのである。つまり、中学生レベルの精密な知識を反映したかに見える夏みかん型の地球よりも、小学生レベルの素朴な知識を反映した球形としての地球の方が、はるかに適切ということになる。この例を引きながら内田は、「学問的な正確さ」を競いあっているつもりでいながら、実は、肝心要なことから遠ざかってゆく危険性について述べているのである。議論のレベルと性質いかんによっては、ひたすら「学問的な正確さ」を追い求めるよりは、「適度な正確さ」を受け容れることの方が重要だというのである。このエッセイのことを思い出したのは他でもない。現在の日本が抱える格差問題を論じる際のスタンスに関わるからである。
『所得再分配調査報告書』における「改善」
日本における格差の実態とその推移を示す代表的な資料のひとつに、厚生労働省の『所得再分配調査報告書』がある。1962年(昭和37年)以降、おおむね3年に1度実施されてきた調査の報告書である。全国の480地区の約9000世帯の所得状況を調査し、ジニ係数によって格差の実態を示す。よく知られているように、ジニ係数とは、所得分配の不平等度を表す指標で、【図1】でその概略が示されている。まず、各世帯を所得の低い順に並べ、それら世帯数の累積比率を横軸に、所得額の累積比率を縦軸にとってローレンツ曲線と呼ばれるグラフを描く。もしも全世帯の所得が同一であるならば、ローレンツ曲線は原点を通る傾き45度のAC線となり、これを均等分布線と呼ぶ。そして所得が不均等であればあるほどローレンツ曲線は均等分布線から遠ざかるようにふくらむ。仮に、一世帯が所得を独占し、他の世帯の所得がゼロであるような完全不均等の場合には、ローレンツ曲線はABC線となる。そしてジニ係数とは、ローレンツ曲線と均等分布線とで囲まれる弓形の面積の三角形ABCの面積に対する比率をいい、0から1までの値をとる。0に近いほど所得格差が小さく、1に近いほど所得格差が大きいことになる。
一方、【図2】には、1999年(平成11年)から2011年(平成23年)までのジニ係数の推移が示されている。ここでは、当初所得だけではなく再分配所得のジニ係数も示されているが、再分配所得とは、当初所得から税金(所得税、住民税、固定資産税、自動車税・軽自動車税)と社会保険料の自己負担分を控除し、社会保障給付を加えたものをいう。2011年について見ると、当初所得のジニ係数は0.5536と1999年以降、一貫して増加してきていることが分かる。一方、再分配所得のジニ係数は0.3791と当初所得のそれに比べて31.5%減少していることが分かる。
ここで留意すべきなのは、当初所得のジニ係数に比べて再分配所得のジニ係数が「減少」していることを、『所得再分配調査報告書』では、再分配による「改善」と表現し、さらにその「改善」を社会保障による「改善」と税による「改善」とに分けて説明していることである。このように、ジニ係数の「減少」をあえて「改善」と表現しているのは、所得格差の縮小が社会的には望ましいという立場を表明するためなのである。
ピグー対ロビンズ
格差の問題を含めて、経済的福祉ないし経済的厚生について真っ正面から論じたのが、A・C・ピグーの代表作『厚生経済学』(A. C. Pigou, The Economics of Welfare, 1920, 4th ed., 1932, 永田清監修、気賀健三他訳『厚生経済学(全4巻)』、東洋経済新報社、1953年〜55年)であった。彼は、福祉ないし厚生の全般を取り上げるのではなく、経済的福祉ないし経済的厚生に限定して議論を展開する。そして提示されたのが、厚生に関する3つの命題であった。すなわち、他の条件にして等しければ、「一国の経済的厚生は、国民分配分が大きいほど大きい」=第1命題。「国民分配分中、貧者へ帰属する割合が大きいほど、一国の経済的厚生は大きい」=第2命題。「国民分配分の年々の量および貧者へ帰属する年々の取得部分の変動が少ないほど、一国の経済的厚生は大きい」=第3命題。
このうち、第1命題についてはほぼ異論はなかろうが、第2命題と第3命題については有力な異論がある。まず、第2命題から。日産のC・ゴーン社長の2013年度の役員報酬は、9億9500万円であったという。一方、非正規社員Aさんの同年度の年収が200万円だとしよう。このとき、ゴーン社長の年収のうち100万円ほどをAさんに再分配するものとする。ゴーン社長の効用は減少し、Aさんの効用は増加する。ここで所得の限界効用逓減の法則を前提すれば、ゴーン社長の効用の減少分は小さく、Aさんの効用の増加分は大きい。したがって、全体としての効用は当初に比べて再分配後の方が大きいということになるが、果たしてそう解してよいのか。
次に、第3命題。2つの期間を通じて所得がYの水準を維持する場合に比べて、(Y+y)から(Y−y)に変化したり、(Y−y)から(Y+y)に変化して平均でYの水準となる場合の方が、全体としての効用が小さい。この場合も、所得の限界効用逓減の法則を前提すれば、所得の増加分(+y)による効用の増加分に比べて、所得の減少分(−y)による効用の減少分の方が大きいからである。また貧者の所得の限界効用は富者の所得の限界効用よりも大であるから、貧者の所得の安定化の効果がより大きいものとなるが、果たしてそう解してよいのか。
こうした議論にはっきりと異を唱えたのが、L・ロビンズであった(L. C. Robbins, An Essay on the Nature and Significance of Ecoomic Science, 1932, 2nd ed., 1935, 辻六兵衛訳『経済学の本質と意義』東洋経済新報社、1957年)。ロビンズは、相異なる個人の間で効用を比較するのは不可能だという立場から、ピグー流の再分配政策を拒否する。さらに、同一の人間であっても、時期を異にすれば、効用の比較は不可能であると見て、ピグーの第3命題もまた拒否されることになる。このような立場からすれば、すでに見た『所得再分配調査報告書』におけるジニ係数の「減少」を「改善」と見なすことはできないことになる。
ロビンズの立場を踏まえて社会全体の効用の増加を考えるとすれば、ゴーン社長とAさんの何れもの効用水準を低下させることなく、少なくともどちらかの効用を増加させるような方策を求める他はない。つまり、ゴーン社長の所得を維持したまま、Aさんの所得を増加させるか、Aさんの所得を維持したままゴーン社長の所得を増加させるか、あるいは両者の所得を同時に増加させることによって全体の効用を増加させるということになる。かくして、ピグー流の「旧」厚生経済学に代わって、「新」厚生経済学と呼ばれる流れが次第に力を得て、関心が、分配政策から全体としてのパイそのものを増大させる方向へとシフトすることとなった。I・M・D・リトルは、そうした「新」厚生経済学への流れを「はなはだ奇妙な水路」と呼んだのであった。
ただしピグー自身は、効用の個人間比較が無条件で可能と考えていたわけではない。個々人はそれぞれ異なる存在であり、効用関数もそれぞれ異なるではあろうが、もしもそのことを前提にしたなら、現実的で有効な処方箋を提示することが不可能になってしまうと判断したのであった。1951年に書かれた論文「経済的厚生のいくつかの局面」(A. C. Pigou, “Some Aspects of Economic Welfare”, American Economic Review, 1951 June)で彼はこう書いている。「同じ人種で同じ国に育った人々の集団を任意にとってみるならば、客観的な検査で比較される多くの特質において、彼らが平均的にほとんど同じであることが分かる」と。社会は、ほぼ同様な人間から成り立ち同様な効用関数を持っていると見なすことによって、現実的な処方箋を提示することができるというのである。冒頭で紹介した内田義彦の言い回しを借りるなら、ピグーは「学問的な正確さ」ではなく「適度な正確さ」を採ったのであり、それとは対照的にロビンズは、あくまでも「学問的な正確さ」にこだわったのだといえようか。
ピグーは『厚生経済学』の中で、科学というものを「光明(light)」を求めるものと「果実(fruit)」を求めるものとに類型化していた。そして前者の代表が形而上学であり、知識のための知識を求め精緻で論理整合的な体系の構築を目指す。後者の代表が経済学であり、いまだ「幼稚な科学」の段階にとどまってはいるものの、人間社会の改良のための知識を求めることに意味を見いだす。そしてほぼ同趣旨のことを、すでに1908年のケンブリッジ大学教授就任の講義「経済理論と実践との関連(Ecnomic Science in Relation to Practice, 1908)」でも、表明していたのであった。
ロビンズ対ハロッド
ロビンズのピグー批判に一時は同調したものの、後にはっきりとそれに異を唱えたのが、R・ハロッドであった。「経済学の範囲と方法」と題する1938年の論文にそれを見て取ることができる(R. F. Harrod, “Scope and Method of Economics”, The Ecnomic Journal, 1938 September)。ハロッドは、経済学が数学や論理学などの「成熟した精密な学問」とは異なることを認めた上で、経済学が現実的に意味のある処方箋を導き出すためには、諸個人間のある種の均等性を認める他ないことを強調する。もしも「相異なる諸個人間の効用の比較が不可能だということが厳密に満たさなければならないとなれば、厚生学派の処方箋は排除されてしまうだけでなく、およそ処方箋すべてが排除されてしまうことになる」と。
この論文の中でハロッドが「地図(map)」という表現を用いているのが興味を引く。われわれは、「地図」を用いることによって全体としての経済の見通しを得、その見通しをもとに現実的な処方箋を提示するというのである。地図は、精密であればあるほど望ましいというわけではない。登山用にはそれに適した地図が必要だし、自動車の運転にはそれに適した地図が必要である。厳密さを求めて限りなく精緻な地図を作るとなれば、極限的には実物大の地図となる他ないであろうが、およそ実物大の地図は無益なだけでなく、時に有害ですらある。ある種の割り切りと簡略化こそが地図の命なのである。
1970年、70歳を越えたハロッドがオックスフォード大学での恒例のチェリー講義を引き受け、それをもとに書かれた小冊Sociology, Morals and Mystery, 1971(清水幾太郎訳『社会科学とは何か』岩波新書、1975年)の中で、こう語っている。目指すべきは、精確無比を至上のものとする「社会科学(social science)」ではなく「社会研究(social study)」なのであり、それを担うのは、「科学者(scientist)」ではなく「研究者(student)」である、と。そして、「私自身の終身の肩書きは、オックスフォード大学、クライスト・チャーチの研究員(student)でありました」と述べて、胸を張ったのであった。