自著を語る
上智大学法学部教授 安西明子〔Anzai Akiko〕
執筆の経緯――学生の自習を促す教科書を目指して
このたび、新しい教科書シリーズ・ストゥディアの民事訴訟法を、近しい研究仲間4名で共同執筆した。刊行直後に『書斎の窓』への執筆も依頼されたが、僭越に感じて何を書いてよいか定まらず、新しい教科書での講義準備も慌ただしかったため、ある程度講義が進んだ段階で、執筆時のことだけでなく使用してみて気づいたことについても触れようと考えた。もとより能力も経験も不足しているが、共著者間で工夫した本書の内容と、自分自身の本書の使用方法につき述べさせていただきたい。
民事訴訟法は従来から難解とされており、学生から、「民訴=眠素」と呼ばれてきた。編集部がつけてくださった本書の帯、「はじめてでも民事訴訟法は怖くない!」にも、それが表れている。これはどの分野も同様であろうが、専門的内容につきできるだけ噛み砕いて解説するとともに、要点を絞って分量を思い切ってコンパクトにすることにより、まずは読む気にさせる教科書、そして読んでみれば必要最低限の内容は理解できたと感じさせる教科書がいま求められていると思う。記載内容がその分野の骨組みに絞られることによって、べったりと教え込まずに学生に自分で考えさせる、自習を促すような1冊となれば理想的である。
学生の自習促進は、言うは易く行うは難いと身にしみている。しかし、民事訴訟においても裁判所ではなく当事者が中心、主役であるという当事者主義が妥当していること、この当事者主義、当事者自治に第1の価値を置いて問題に向かうべきことを、恩師に学んできたわたくしにとっては、当事者=学生の自治・自律はあきらめてはならない目標である。訴訟をはじめとする民事手続に関して自分なりにこれまで学び、いつも重視しているのは、病院で、医師に任せきり寝たきりにならずに患者が病を自分で治すように、民事訴訟といった、もめごと調整手続においても、専門家に始終依存せずに、当事者自身が議論し利害を調整すること、第三者が関与する手続により、一旦は阻害された当事者の自治・自律を回復させることである。大げさに言えば、研究の目標=当事者の自治・自律の補助と講義の目標=学生の自習の促しは、共通と考えている。
このような目標、狙いをもって本書を執筆するにあたり、この共同執筆者4名は最適と自負している。われわれは年齢も近く、研究会で日頃親しく議論を戦わせている仲間である。一方で、出身大学、学派を異にし、立場は一致していない。分担ではなく共同での本書執筆作業中は、有斐閣の会議室に何度も集まり、民事訴訟、もめごと調整手続さながら、当事者間で白熱した議論を交わした。その成果としての本書は、各立場の最大公約数かつ必要最低限の内容に絞られ、各人が講義で行ってきた工夫を反映しているつもりである。
民事訴訟の手続を学ぶ難しさに対処した本書の工夫
では、具体的に本書でどのような工夫を加えたか、それを実際の講義にどのように反映させているかを紹介させていただきたい。
本書のはしがきでも述べたとおり、民事訴訟法が難解とされている理由は、第1に、手続は円環構造であるため、手続の始まりである訴えを理解するにはその後の審理・判決の理解を要するというように、手続全体を見通す必要があること、第2に、訴訟が学習者にとって未経験で、裁判官や弁護士などの専門家に独占された領域と受け取られやすいことにあるだろう。これは、範としたコンパクトな教科書や以前共同執筆した教科書のはしがきでも指摘されている。
そこで、本書では第1の点に関して、次の工夫を施した。まず、さまざまな教科書が記述順を工夫しているなかで、本書はあえてオーソドックスな章立てとし、汎用性を重視した。また、序章など、手続の各段階の解説に入る前に、できるだけ身近で易しい具体例を用いて手続を一通り説明し、読者が見通しをつけられるように狙っている。最近の教科書でよく見られるように、各節の始まりに、その節で学ぶ内容を簡潔かつ記述順に合わせて紹介してもいる。さらに、各所で関連箇所の参照を促すリファーを多用している。リファーが過度にならないよう、1度勉強した箇所を思い出すための後ろから前への参照を原則としたが、序章のようにこれから学ぶことを簡潔に紹介する箇所では、詳しくは後に勉強すると予告する、前から後ろへのリファーをつけた。その際、何章何節と示すうえ、→で直接に頁数を表示しているのは編集部の施して下さった工夫であり、使いやすくなっている。加えて、共同執筆の成果として、執筆者を異にしていても、手続の前後に分かれて重複して出る問題、具体的には一部請求論(原告が訴え提起時に債権の一部に限定して請求すること。その判決が確定した後に残部の請求に対してどのような効力がおよぶかに関する理論)や、送達と再審(後出)といった箇所などは、叙述を連携させた。また、資料として掲載した訴状と判決書は共同で作成した。訴状は単にその記載事項を解説する本文に対応させたのみならず、それが問われる重要判例(抽象的差止めに関する名古屋新幹線訴訟と、将来給付に関する大阪国際空港訴訟)を、より身近なもめごとにした事例(マンションの下の階の居住者から上の階の居住者に対する騒音防止と損害賠償の請求)を用いている。そして後に判決の箇所では、訴状に対応した判決書を示し、判決主文のバリエーションを示すとともに、具体例に結末をつけた。このように学生の興味を引くことを狙った、しかも必要な知識を組み込んだ具体例を繰り返し用いることで、一連の手続を実感させようとしている。
具体例の使用は、同時に第2の点への対処でもある。条文やそれに基づく手続の平板で技術的な記述、学説の抽象的紹介では、学生がイメージを抱けず、要点もつかめない。そこで法改正や重要判例、学説の分かれる点を明確にし、それらに絞ってできるだけ具体例で説明するよう努めた。たとえば、妻が夫名義のクレジットカードを夫に内緒で使用し、ついにクレジット会社が夫に対して立替金返還請求の訴訟を起こしたが、裁判所から送られた訴状を在宅の妻が受け取って隠し(それ以降の裁判書類、判決書も同じ)、結局は夫の知らぬまま夫敗訴の判決が出て、これに基づく強制執行が可能になった場合、裁判所の送達としては有効であっても、被告とされた夫に訴訟の手続に関与する機会が与えられなかったのだから、夫には再審が認められる。これを具体的に解説すれば、初学者でも、かなり技術的で高度な問題、しかも手続の最初と最後に関する送達と再審につき、つながりを実感して理解できるだろう。本書で使用している事例は、判例百選の事案を単純化したものにして、判例の解説につなげている。このほか、範とする教科書に倣い身近なもめごとの典型例を挙げ、できるだけ同じ例を引き継いで使用して、学生が当事者、手続の利用者の目線で、一連の手続や法改正を追えるようにし、社会と訴訟や法とのつながりをイメージできるように狙っている。また、コラムや序章で、素人としても興味がわくと同時に専門技術的な問題(裁判所に登場する人々、訴訟にまつわるコスト、実務で多用される陳述書など)に言及している。
講義で使用してみて
自分たちで苦心した本書を実際にいま講義で使用してみてそれなりに手応えも感じている。まず、前述したとおり記述を絞りコンパクトにしたことにより、多様な講義に対応する教科書となっていると思う。自分に関して言えば、本務校では秋から法科大学院未修者向けの4単位の民事訴訟法基礎で本書を使用予定であり、現在は4単位の民事訴訟法Ⅰで、訴えの提起から和解・判決までは教科書を適宜補充しつつ、(本年度は民訴Ⅱ休講のため)複雑訴訟、上訴・再審の箇所も極簡単に、本書に沿って一通り講義している。非常勤の2単位の裁判法概論では手続の骨組み、基本原則に絞って、適宜省略しながら本書1冊で対応している。講義では六法を参照し、裁判の書式や図表などをOHCで示しはするが、レジュメはあえて配布していない。まず教科書、さらに判例百選を各自読むべきであるし、書式や統計は自分で裁判所ホームページや文献を参照できるように、事例の図などは自分で書けるようになるべきであり、学生にそう話している。一方で、本書では判例百選を素にした事例を用いているので、講義時に百選を参照する手間が省ける。百選を講義時に読むことはもともと時間的に困難だが、本書では百選事案の紹介に引き続いて判例のポイント、理論枠組みを記載しているので、講義時に本書だけで簡潔に判例を解説できる。
講義の対象は、法学部以外の学生の場合もあるし、法学部でも今期の講義では2年生の割合が多いことが判明したので、講義内容をさらに噛み砕いて説明するようにしたり、自習の方法を指示したりもしているが、一方で、本務校はもちろん非常勤先でも法科大学院の入試を控えた4年生が履修している。このことを意識して、執筆過程では各分担箇所について毎回話し合い、前述のとおり重要判例を踏まえた議論に到達するよう心がけ、試験で問われることが多いと考える箇所はカバーできるよう配慮した。
講義では、初学者も押さえるべき基本点を明確にしたのちに、進学希望者らがさらに勉強すべき事項を指摘するようにしている。そして時間の終わりに、今日の講義で教科書のこのチェック問題を解けるはずです、と伝えておくと、次の回に自発的にレポートを持ってくる学生もいる。本書で各節の末尾につけたチェック問題は、基本事項を整理する問題と事例論述問題に分かれている。現段階では、2年生の方が恥ずかしがらず質問に来たり、レポートの添削を求めてくるので、前者の整理問題レポートが多いが、実例を見て添削をしつつ、本書の記述を確認しているところである。執筆時に、最小限押さえるべき用語をゴチックで強調し読者の視覚に訴えるとともに、簡潔に定義付けするよう心がけたこと、教科書の記述に基づいて自分で無理なく書ける問題にしたことにより、学生は概ね解答できている。つぎは定期試験において、ゴチックで強調した用語でリファーの多い重要事項の穴埋め問題、百選の重要判例に基づく事例問題を出して、さらに本書の使い勝手を検証していくつもりである。